2.辺境国ノルン
馬のいななきと共に停まる駅馬車。
座ったまま眠りこけていた私は、その揺れで横向きに体を倒され、しこたま荷台の床に頭をぶつける。
「イタっ!」
「おーい、ネェちゃん。着いたぞ!」
その声に、私は頭をさすりながら馬車の幌から顔を出す。
すると、そこには見たこともない色とりどりの花が咲き乱れ、そこにまた初めて見るカラフルな蝶たちがひらひらと飛び交っていた。
そして、ノルンの国境にそびえる木製の大きなアーチの先には、可愛らしいコテージ風の家々がいくつも建ち並んでいた。
「これは……期待大かも!」
駅馬車の御者に数枚の銀貨を渡し、グイーっと伸びをする。
丸々三日間の馬車移動で背中も腰もバキバキだった。
「今日こそはベッドで寝たーい。もうカチカチのパンもうっっっす味の干し肉スープも飲みたくなーい」
そんなことをボヤキながらも、ウキウキした足取りでアーチをくぐる。
これがノルンへの第一歩、治療師への第一歩だ。
銀髪の魔女? 赤眼の魔族?
こんな平和を絵に描いたような場所にそんな物騒な人がいるわけないじゃない。
そんなことを思いながらふと右に目を向けると、畑が広がり、そこでクワを振るう老人と目が合った。
第一ノルン人発見だ。
老人ということもあり、銀髪赤眼というより白髪茶眼の方がしっくりくるが、紛れもないノルン人だ。
私はにこやかに会釈する。
だが、その老人は一瞬あ然とした表情を見せると、すぐさまクワの先へと視線を外したのだった。
「な……」
少しショックだった。まぁ、帝国との交流もほとんどないし、侵略されて属国にされた訳だから、ノルンの老人世代にとっては帝国から来た人間なんて好ましい存在ではないのかもしれない。
「ま、まぁ、とりあえずミッドランド治療師協会のノルン支部へと向かいますか。まずは先任の治療師さんに挨拶しないと」
そう、このノルンには既に一名の治療師が派遣されており、私はその方、ガスパル・ハウザーさんの下、治療師として働くのだ。
恐い人じゃなければ嬉しいけど。
そんなことを考えながらノルンの町を歩いていく。町の中心へと伸びる通りは小さな市場のような雰囲気で、家々の軒先に、みずみずしい果物や野菜を所せましと並べる者や、艷やかな毛皮のベストに麻のズボンといった衣料品を扱う者、その他、アクセサリーに家具、農工具、等々、生活に必要なものは一通り取り揃えられているようだった。
新居はどんな部屋にしようかな。
私は新しい生活に胸をふくらませていった。
そうして市場を見ながら通りを進んでいくと、町の中心であろう広場へと出てしまった。
「この通りには支部の事務所はなかったかぁ」
そう、私はノルンのどこに支部があるのか知らなかったのだ。
見知らぬ土地で、似たような家がたくさんあるので、どこにあるのかも見当がつかない。
キョロキョロと辺りを見回すと、広場で談笑している青年二人を見つけた。
丁度良い。彼らに聞いてみよう。
「あの、すみません」
二人の会話がぴたりと止まり、こちらへ振り返る。
銀髪が陽光を受けきらきらと反射してなびき、ルビーのような赤い眼がじっと私を見つめていた。
すごく、キレイ。
町の入口で見た老人には申し訳ないけど、面と向かって間近で見ると、こんなにもノルン人は美しかったのか。
「どうしました? 旅の方ですか?」
青年がにこやかに問いかける。
実にさわやかだ。
やっぱり若い世代は帝国やら外人やらにあまり抵抗はないのかもしれない。
「あ、あの、私、実は新しくこの町に配属された治療師でして、治療師協会の事務所を探しているのですが、どこにあるかご存知ですか?」
私も精一杯の笑顔で尋ねる。
若干の緊張でひきつっていたかもしれないが。
「治療師……?」
すると、先程とは打って変わって青年たちの顔が曇っていくではないか。
まさか私のひきつった笑顔のせい?
「……治療師ならそっちの東の通りを入ってすぐのところだ。看板が出てるから分かると思う」
青年はぶっきらぼうにそう言うと、怪訝そうにこちらを見ていた。
「あ、ありがとうございます」
私は軽くお辞儀をするとそそくさとその場を立ち去った。
何て冷たい眼だろう。
ルビーのように見えた瞳はまるで血に染まったようだった。
やっぱり世代なんて関係なく、ノルンの人々は皆、帝国から来た人間を疎ましく思うのだろうか。
だとしても探るようなあの目つき。
非難するでも、軽蔑するでもない、独特の視線。
そう、人を見定めるような目だ。
なんだか少し嫌な予感がする。
心のすみに芽生え始めた不安は見て見ぬふりをし、言われたように東の通りへ入っていく。
「ここだ」
彼らの言った通り、大きなロッジの前に薬瓶を携えた女神像が立っているのがすぐに見つかった。
この石像は癒しの女神ケレであり、治療師協会のシンボルとされているのだ。
私はぐっと気合を入れる。ここが新たな職場だ。ここから私の治療師人生が始まるのだ。
大きく息を吸い込み、扉を開ける。
「失礼します!」
しかし、そこには誰の姿もなかった。
受付があり、長椅子が無造作に並んでいるその部屋はどうやら待合室のようだった。
不思議に思いながらも私はそろりそろりと奥へ進む。
受付の先は長い廊下になっており、左右にはいくつもの扉があった。
そして、その一番奥の突き当たりの、ひときわ立派な扉が私の目をひいた。
たぶんあそこが師長室だろう。
ひっそりとした廊下をずっと進み、黒ずんだ両開きの扉の前までやってきた。
髪をなでつけ、襟を正し、軽くノックする。
「……はい? どうぞ」
優しそうでスモーキーな声だ。
「失礼します! 」
そう言って扉を押し開けると、革張りの椅子に座った、中年を過ぎたくらいの丸眼鏡をかけた男がにっこりとこちらに微笑んでいた。
「本日よりノルン支部に配属となりました治療師のクレア・エステルと申します。若輩者ではございますが、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
「はい、よろしく。ガスパル・ハウザーです。そろそろ到着するころだと思っていましたよ」
ガスパルさんはゆっくり立ち上がると、微笑んだまま私にその大きな手を差し出す。
私もつられて笑みをこぼしながら、手を握る。
「女性にも関わらず治療師を目指すとは勇気がありますね。いえ、他意はありませんよ。ただ、この治療師の世界は男性が圧倒的に多いですからね。まぁ、だからこそのノルン支部への配属なのでしょうが……」
「そ、それはどういう意味でしょうか……?」
ガスパルさんは相変わらず微笑んだままだったが、その表情が意味深なものに思えてきた。
「まぁ、こんなところでは何ですし、少し早いですが夕食はいかがですか? 貴女の歓迎祝いもこめて」
「はい、ありがとうございます」
そうして私たちは事務所を出て、通りをぶらぶらと歩き始めた。
日が少しずつ傾き、空は薄オレンジに染まりかけていた。
「ノルンは素朴ながらも良い町ですよ。自然の恵みにあふれていますから、食事も帝都のように凝った味付けではありませんが、飽きのこない田舎の味で、肉も野菜も新鮮で良質。近隣に敵対国もありませんから、のどかで平和な国です。都会の喧騒を離れて住むにはもってこいの場所です」
「そうなんですね! 辺境国と聞いていたので最初はどんな未開の地かと思っていましたが、実際に来てみるとまさに理想の田舎暮らしという印象です」
「理想ですか。それは良かった。さ、ここがこの町一番のレストランです」
そこは他の家よりも大きなコテージで、ちょっとしたお屋敷のようだった。
ガスパルさんの後に続き、中へと入る。
「わぁ……」
扉をくぐるとそこはメインホールとなっており、細かく綺麗な装飾の施された調度品の数々が嫌味なく配され、エレガントな雰囲気を醸し出していた。
そして、正装したダンディすぎる初老の男性が私たちを迎え入れた。
「お待ちしておりました。ガスパル様。お初にお目に掛かります、お嬢様。当レストラン、ギャレンブリグで支配人をしておりますヨルヴォと申します」
「お、おじょうさま?」
全身がむずがゆくなった。お嬢様なんて呼ばれたのはこれが人生で初めてだった。
「さ、どうぞこちらへ」
ヨルヴォさんに案内され、私たちは個室へと通された。
部屋の中央の丸いテーブルには真っ白いクロスが敷かれ、その上には銀の燭台と、同じく銀のフォークやナイフが準備されていた。
ヨルヴォさんが椅子を引き、ガスパルさんがそれに座り、続いて私もヨルヴォさんに椅子を引かれ、席へと着いた。
「本日の前菜はスモークサーモンと自家製チーズに季節のお野菜、スープはじゃがいものポタージュ、メインは鴨のローストと牛フィレ肉のステーキ、デザートは木いちごのミルフィーユと食後のお飲み物となっております」
「うん、分かりました。ワインもいつものエンバレス産の赤をお願いします」
「かしこまりました」
そう言って深々とお辞儀をすると、ヨルヴォさんは部屋を出て、すぐにワインボトルとグラス二つを手に戻ってきた。
早い。さすがプロ。
ガスパルさんが一口テイスティングをし、軽くうなずくと、それぞれのグラスにワインが注がれる。
「それではごゆっくりどうぞ」
ヨルヴォさんが部屋を去り、ガスパルさんがワイングラスを持ち上げる。
ノルンの赤眼のような透き通った赤ワインが気持ち良さそうに揺れている。
「ノルンへようこそ、クレアさん。乾杯」
「ありがとうございます。これからよろしくお願いします」
チンと軽快にグラスが鳴らされる。
そして、グラスを傾け、口にする。
その瞬間、口いっぱいに芳醇な果実の香りが広がり、なめらかな舌ざわりから感じる複雑な味が五感を楽しませる。
「おいし……」
「満足頂けたようで良かった。帝都でもこんなに質の良いワインは滅多に出会えませんからね。役得ですよ」
そして見計らったかのようにウェイターたちが前菜を運んでくる。
「まぁ、一つノルンの難点を言えば、新鮮な魚介を食せないことですかね」
「ふふ、そうですね」
「それで、本部からの知らせでここへ配属となった理由は大体想像できますが、どうしてまた治療師に?」
「そうですね……。治癒魔法の適性があったのでそれを活かした仕事がしたい、人々の助けになりたい、そういう理由もありますが、やはり一番は収入が良い職業だからですね」
「ほう、なるほど」
ガスパルさんが微笑を浮かべる。
「……軽蔑しましたか?」
「はっはっはっ! まさか! 収入目当てで治療師を目指す者は少なくないさ。何を隠そう私もその一人だよ」
「そう言っていただけてホッとしました。農家の生まれで貧しかったので、帝都の治療師学院に入れてくれた時も相当無理してくれた両親に早く楽させたいです」
「そういうことですか。生まれはどこですか?」
「サリー村です」
「ああ、サリー村でしたか。帝都にも近いですし、良いところですね。それに、あの辺りは良い小麦が取れますから」
「ええ、収穫期の夕暮れ時なんかは、麦畑が黄金色の海みたいに見えて風情がありますよ。ガスパルさんはずっと帝都に?」
「はい、ハウザー家の次男でね。あなたと同じように治癒魔法の才があったもので、家督は兄に譲り、治療師となりました。私も帝都の学院に通いましたが、中々大変だったのではないですか? 貴女にとっては」
「そうですね。平民は私一人でしたから、当然友達なんて出来ませんし、村でもちょっと距離を置かれたりしてましたね。でもおかげで集中して勉強できたかもしれません」
私は乾いた笑みを見せる。
実はあんまり思い出したくない過去だったりする。
「なるほど。それで見事試験に合格し、晴れて治療師協会に所属されたと」
「ところが治療師になれたは良いものの、まともな仕事は全然させてもらえず雑用ばかりでした」
私はぐいっとワインをあおる。
「それでも腐っても協会ですから、給金は良かったんじゃないですか?」
「いえいえ、街の道具屋の娘より少し良いくらいのもんですよ。それじゃ何のためにあんな苦労して治療師になったか分かりません。だから、師長に抗議した結果がこれです」
「ふむ、平民でしかも女性。当然の結果ではありますね。まぁ、ここでの生活は安心してください。本部から予算も出ていて、貴女の衣食住はノルン支部で面倒を見ることになっていますので。余暇と思ってゆっくりと過ごしてください」
衣食住……だけ?
仕事は?
私はガタリと席を立つ。
「あ、あの! ここに来れば本部のしがらみもなくなり、治療師も二人だけなので、現場の経験を得られるチャンスだと思ったんですが」
私の焦燥をよそに、ガスパルさんはゆっくりと丸眼鏡を外すと、胸から取り出した白いハンカチでレンズを拭き始めた。
「ノルン人は森に住む民だからか分からないが、薬学に精通しててね。大抵のケガや病気は自分たちで何とかしてしまうのさ。その証拠に貴女も見たでしょう? 治療院がガラガラだったのを」
そうだ。帝都の治療院ではあり得ない光景だった。
帝都ではご老人たちの談話室かと思うほど賑やかだった。
でも、ここは待合室に誰の姿も見えなかった。
まるで廃墟のようにひっそりとしていた。
私は全身の力が抜けたように椅子へ崩れ落ちる。
「とは言え、仕事がない訳ではない。ただ、それはおいおい話をしていきましょう。貴女が信用に足る人物か、それが分かった時にまた、ね」
私は力なくガスパルさんの方を見る。
またあの目だ。
広場で道を教えてくれたノルン人の青年と同じ、私を見定めるようなあの目。
環境が変われば変わると思っていた。
辺境に行けば何かが変わると思っていた。
でも、何も変わらなかった。
そう、やっぱり、これは、まぎれもない、まごうこと無き、左遷だったのだ。
放心している私に、ガスパルさんが眼鏡をかけ直しながら優しく声をかける。
「長旅で疲れたでしょうから今日はゆっくり休むといいでしょう。貴女の家も準備してありますから、帰りは彼に案内させますよ」
そう言ってガスパルさんは指をパチンと鳴らす。
すると、扉を開けて一人のノルン人が入ってきた。
「……何でしょう?」
「彼女を家までお連れしてあげなさい、セルジュ」
「わかりました」
セルジュと呼ばれたノルン人が感情薄く答えると、私の前に立った。
一際美しい銀髪と燃えるような赤い瞳がとても印象的だった。
急な展開に少しうろたえていた私にガスパルさんが笑いながら言う。
「セルジュはノルンの若者をまとめあげているような人物で、次世代の若きリーダーといったところでしょうか。なので、おかしなことをするような男ではないので、安心してください。私が保証しますよ」
「……あ、はい。分かりました。よろしくお願いします、セルジュさん」
そう言うとセルジュさんは一人でつかつかと部屋を出ていってしまった。
私も慌てて立ち上がる。
「今日はありがとうございます。ごちそうさまでした。明日からよろしくお願いいたします」
そうしてガスパルさんにお辞儀をすると、セルジュさんの後を追い、ギャレンブリグを出るのだった。
外はすっかり日も暮れて、大きな丸い月が、私のぽっかりと空いた心の穴のように浮かんでいた。
明日からどうすればいいんだろう、私。
そんなことをぼんやり考えながら歩いていたが、やっぱり気になるのは前をスタスタと歩くセルジュさんだった。
この無言の時間がとてもいたたまれなかった。
しかも、一度もこちらを振り向こうとしない。
歩くペースが早すぎて若干小走りになっているというのに。
部屋に入ってきた時からもそうだ。
愛想もない。気遣いもない。
何なんだこの男は。
そんな憤りを覚えながら歩き続けると、一軒の家の前でピタリと止まった。
「ここがあんたの家だ」
あ、あんた?
「あ、ありがとうございます」
「俺の家は向かいの三軒隣だ。わからないことがあれば聞け」
ふーん、ぶっきらぼうだけど、ノルンの若者たちをまとめてるだけあって面倒見はいいみたいだ。
「分かりました。ありがとうございます。セルジュさんもケガや病気になったら言ってください。薬に詳しいから必要ないかもしれませんが、治療しますので」
私も社交辞令として軽く返したつもりだった。
だが、その瞬間、セルジュさんが険しい顔を近づけ、こう言った。
「面倒だけは起こしてくれるな」
そして、きびすを返すと闇夜に消えていった。
な……。
「なんなの!? アイツ!」
面倒だけは起こしてくれるな?
そんなつもりさらさらないっての!
「……はぁ、もう色々疲れた」
ぐったりとした体をひきずり、家の扉を開ける。暗くてよく見えないが、そこそこ広いようで、奥の一室にはベッドがあり、新しいシーツがピシッと敷かれていた。
私はそのベッドに倒れ込むと、すぐにまどろみの中へ溶けていった。
明日からどうしよう。
仕事もない、収入もない。
まぁ、考えても仕方ないか。
今はこの三日ぶりのベッドを満喫しよう。
そうして、私はいつの間にか眠りに落ちていったのだった。
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