#2
ビールでいいよねと言い、安井は自販機から缶ビールを二本買ってきた。
「こんな有様で店開けても、暇しちゃって商売にならないね」と言いながら旨そうに一口呷った。
「安井さん、こんな時に良かったんですか? てっきり今日は無理だって言ってくると思っていたんですけど」とサトウは言った。
安井は「いいのいいの、暇なんだから」と答えた。
安井はサトウよりも二〇歳も年上だ。四十五歳位だった筈だが、若白髪で目元に細かな笑い皺を蓄えているので、年齢よりも年を取って見える。夏場はいつも派手な短パンに黒っぽいポロシャツを着ている。
安井が政府系のシンクタンクの研究員であることを知ったのはここ数年の話だ。
但し普段は話題にも昇らない。サトウの抱いている安井の印象は、将棋道場に講師としてやってくる若手の女性プロ相手にセクハラ紛いの冗談を飛ばす面白いおじさんだった。
安井は黙って駒の山から玉を摘んでパチリと音を立て差した。こちらも王、金、銀と並べていく。「いつも通りでいいよね」と安井は角を除いた。
「宜しくお願いします」と言ってお互いに頭を下げる。安井は静かに歩を突いた。
駒台の横に置いてある缶ビールに日が差して水滴が光る。勘違いをしそうだが今は金曜日の二十時を過ぎる所だ。局面は進んで少し考えて矢倉を組んだ。
「また矢倉? 文学好きでしたっけ」
「これしか知らなんですよ」
「又、直ぐわかる嘘を付いて。この間飛車振ってたじゃない」
「それより、電話出た方が良いですよ。ずっと鳴っているんですけど」
隣の席に置いてある安井の電話がさっきからプルプルと震えている。
「色々聞かれるんですけどね。お答えできないですし」
「答え?」
「質問に答えるのが仕事なんですけど。残念ながら答えがわからなくてね。こりゃ失業ですね」安井は言った。
「安井さん、何とかフェローって、なんか科学者なんでしょ?」いつの間にか席主が柿ピーとビールを持って傍に来ていた。自分でも缶ビールを開けてしまっている。
「巷じゃ、もうこの世の終わりだなんて言って、大騒ぎになっているんですから。頭のいい人は仕事してもらわないと」と、席主は流しっぱなしにしているテレビに目を向けて言った。
画面の中では『太陽が沈まない。原因不明の異常事態。世界の終わりか』とテロップが出ている。安井が胡乱な目付きでちらりと画面を見たが、直ぐに背けた。
「世界の終わりねぇ」
安井はそう言いながら両取りになっていた、角と銀の内、銀を摘み上げて駒台に乗せた。
「安井さん電話出てくださいよ。気になるから」
ディスプレイに出ている文字が平仮名で「かんてい」と出ているのが読めてから、気が気ではない。
「出てもねぇ。国民への説明は? って言われたって、国民全員で幻覚でも見てるんじゃないですかぁと言ったら、そりゃサトウ君だって怒るでしょう?」
「あんた、首相官邸勤務って本当なの? こんな所で油売ってちゃ、まずいんじゃないの」と席主が尤な事を言った。
安井はいつも通りの調子で「そうは言ってもね」と答える。「何をしたってあんた。わからんものはわかんないですもの」
安井が金を王将の前に、パチリといい音を立てて差した。頭金も遂に読めなくなり、あっさりと負けた。参りましたと言って頭を下げる。安井もありがとうございましたと、丁寧に答えた。
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