夏の日の終わりに
大塚 慶
#1
或る日、太陽が沈まなかった。
八月の盆を過ぎた十六日だった。太陽は夏の日差しのまま、昼半ばでピタリとその歩みを止めた。
サトウが職場で伝票を片付けながら、そういえば仕事明けに安井に将棋でも指しながら酒でも飲もうと言われていた事を思い出したのが、十一時を過ぎた頃だった。
まず仕事で使っているサイトの記事で地軸が云々という記事を見かけた。その次は日の入りに異常という文言を見かけて首を傾げた。
サトウが本当に慌て始めたのは時計が十九時を指示した時だった。
「嘘だろ」と、事務所に残っていた社員一同が揃って空を見て言い合う。見れば向かいのビルでも窓に人が張り付いている。この時間になれば少しは陽も陰るものだが、太陽は全くその様子を見せなかった。
何かがおかしいと社内は騒然とした。それでもなぜかサトウは将棋の約束を思いだした。
相手の安井からは何の連絡もない。どうしようかと思ったが、会社のある神田からはそう遠くない。行くだけ行ってみるかと私物を鞄に放り込んでいると、直属の上司の佐伯が「君、週明けレポートだけど大丈夫か?」と言った。
「なんか異常事態っぽいですけど、会社あるんですか?」と聞いた。
「そりゃ無いって言っていないからね」と佐伯は答えた。三十四、五だったと思う。黒いパンツスタイルで半袖の白シャツを着ている。長い髪をざっくりと束ねている姿はなかなか凛々しい。
「あると思っているように。本当に会社が休みになるなら連絡が行くさ」
サボらないようになと言って、立ち去って行った。
おかしい事になった。周りの浮足立った雰囲気に吞み込まれそうになりながら思う。
「お疲れ様」と言って席を立った。勿論疲れてなどいない。午後は仕事等していないも同然だ。
中央線に乗ってお茶の水駅で乗り換えて、少し行けば市ヶ谷だ。駅を出て二十分ほど歩くと、行きつけの将棋道場が入っている雑居ビルに着いた。
エレベーターで八階に上がり、馴染みの席主に声を掛け料金を払う。髪も髭も真っ白の席主は「こんな時にわざわざ将棋指しに来なくたって」と呆れ果てた様に言った。
「安井さん、先程いらっしゃいましたよ」と、続ける。奥には白髪頭の中年がちんまり座って将棋盤を前に新聞を読んでいる姿が見えた。サトウも座ると、安井は顔を上げずに「とんでもない事になったもんだね、サトウ君」と、ちっとも大変じゃ無さそうに言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます