第2話

 店主は直に帰って来たが、私には結構長く感じた。

 その間黒猫のキイはまた、チェストの下に引いてあるカーペットの上で寝そべったり、ゴロゴロしたり、挙句の果ては、私を挑発するかのように上向きに伸びをしながら腹を見せたりした。


 そんなふうにネコネコしてゴロゴロしてるけど、さっき黄色いワンピースを着てコーヒー売ってたよね?


 …なんかよくわかんないけど…

 …なんかよくわかんないけど…

 なんか…私の見間違いっていうか、私があの時一瞬おかしくなってただけだよやっぱり。

 だってそんな。

 だってそんなことがあるわけが…


 「お客さん、来たかな?」と呑気にニコニコと聞く店主だ。

 ボサボサの髪は半分白髪で、背は私と同じくらい。60歳くらいじゃないかと思う店主は誰かに似ているなとずっと思っていたが、高校の時の世界史の先生に似ているのだ。飄々としてとぼけた感じで、それでも一人一人の生徒の中身までもをちゃんと見ているような目をしていた…

「にゃあああああ」とキイは鳴いて、体を起こすと大きく背伸びをした。

 やっぱネコだよ。普通のネコ。ネコでしかない。

「はいはい、ただいまキイ」と、キイに返事をする店主。


 普通に人間に答える様に答えてるなぁ…

 …え?もしかして人間だから?キイが本当は人間で普通にしゃべれるから?だから普通に人に答える様に答えてるの?

 そう思ったら、「ただいま山根さん」と、ニコニコと私にも同じように言う店主。

「…はい。あの…おかえりなさい」

「はいはい」と言ってニコニコ笑う店主。「それで?お客さんは?なんか売れた?」

「…あの」とチラっとキイの方を見ながら答える。「女性のお客さん来られてコーヒーを…」

「そうかぁ。コーヒーの計り方、まだ教えてなかったけど出来た?ごめんね」

キイが計って売ってましたけど、と思いながら、「そのお客さん、店主の事も聞かれてましたけど…」と教える。

「てんしゅ?」きょとん、とする店主。「…てんしゅ?」

「店主」私は手をそっと店主のお腹のあたりに向けながら、あなたの事ですよ何とぼけてんですか?と思う。

 キイがゆっくりとしっぽを立てて店主の方へ歩いて近寄り、ふくらはぎの辺りをすりっ、すりっと頭でこすった。

 どう見ても普通の黒猫だ。目の黄色い普通の黒猫。


 「あ~~」と店主。「店主ね。はいはい。山根さんか僕の事店長って呼んでくれたから、店長より店主の方がいいって言ったけど、店主って普通の会話の中で普通に呼ばれたらちょっと違和感あるね。…僕、桜井だから。それで呼んでくれる?よその人に話すときにはさあ、『うちの店主は今不在でして』みたいに言ってくれたらなんかカッコいいでしょ?」

「…はい。…わかりました」

 キイが桜井さんの足の向こうから上目使いに私を見ている。


 「コーヒー買いに来たのはたぶん小倉さんかな。ふわっとした感じの可愛らしい子なんだけど」

「…あ~なんかふわっとした感じのお客様でしたけど…」

「コーヒーの計り方、困ったでしょ?教えてなかったから」

「あの、えっと」とキイをチラチラ見てしまう。

 キイが人間の女の子になって計りました、って言ったら私がおかしいと思われるやつ?


 「あ、そうだ!」と桜井さん。「畠山さんに電話するんだった」

そう言いながら休憩室のその奥の扉に消えて行った。そこは事務所だと教えてもらったけれど、まだ中は見せてもらっていない。

 私…ここで仕事を続けて行くのって無理なんじゃないかな。初日の、しかもまだはじめて2時間もたっていないけど。

 キイはそんな私の事なんか全くかまわないように、またカーペットの上に寝そべっている。


 カラン、とカウベルの音がして、お客さんだ!

 キイは寝そべったまま全く動かない。一応桜井さんが消えた奥の方も振り返るが出て来る気配はない。

「あれ?」とその、さっきのお客と同じくらいの年の同じような雰囲気、同じような服装のお客は私を見て言った。「初めての人だ~~」

 さっきのお客とは別人だが、見た目の雰囲気がとてもよく似ている。でも喋り方はさっきのお客より甘ったるい。

「こんにちは~~~」と改めてそのお客が私をまともに見て言ったので、私も「いらっしゃいませ」ともう一度言った。


 「今日黒猫いないの?」お客が言った。

 え!?

 キイがいない!今の今までカーペットの上で寝てたのに…

「桜井さんもいないの?」お客は聞く。

「いえ!」キイが消えていたことに焦って大きな声を出してしまった。「あの!奥にいますけど…、呼んできた方がよろしいですか?」

「う~~~ん。…ねえ、ちょっと聞いて欲しい話あるんだけど」

 聞いて欲しい話?


 「私さあ、半年前に彼氏と別れたの」

 聞くとも答えていないのに、お客は話し始めた。「元カレのね、半年くらい前に別れた元カレの話なんだけど、別れたのは付き合い始めてほんの3ヶ月くらいの時で、よくバイト先の女の先輩の話を彼氏がするようになって、聞くとすごい面倒見てくれる、みたいに答えんのよ。お昼持ってなかったらおにぎりくれたり、水筒にあったかいコーヒー入れてきてくれたりとか話すのよ。なんかちょっとイラっとしてたんだけど、ある日友達伝いにその女の先輩が彼氏のアパートから出て来るとこ見たって聞いて、彼氏を問い詰めたら、ほぼ毎日のようにご飯を作りに来て、そうじや洗濯までしてくれるらしい。すごくいろいろ尽くしてくれるってなんかもう自慢げに私に言って来てバカじゃないかって思ってたら、もう彼女しょっちゅう彼氏の家に泊ってるらしくて、もうびっくりだったよ。元カレが言うには、朝も起こしてくれるし、ご飯も用意してくれるし、疲れてたって言ったらマッサージもしてくれるって。男ってやっぱ尽くしてくれる子の方が可愛いじゃん、てクソ下らねえ事言って来たから絶対許せないと思って、じゃあ別れるって言ったら、うんいいよって言ったんだよね。『いいよ』って何だって話だよね!『いいよ』ってクソふざけてるわ。何様なんだお前らブスカップル!って差別用語大声で叫んで別れたんだよね。そんなものすごく悲しくてむなしくてみじめな気持ちで別れたのに、3日前によ?その元カレからラインが来て、私とやり直したいって。本当に申し訳ないことしたって。いくら謝っても許されないと思うけど、実際会って謝りたいから一度だけ会って欲しいって、そういう感じ。今更って思ったし、腹立ってたけど、付き合いたての嬉しい事とか楽しい事とかたくさん思い出して、私はその元カレと別れた後誰とも付き合ってないし、いいなって思った人にはもう彼女いたりさ、とにかく寂しい気持ちになってて、あんなに嬉しい事とか楽しいことがあったんだから、もう一度だけ会って話を聞いてみようかなって気になりかけてんの。それを相談に来たんだけど」


 相談!

 聞いて欲しいだけじゃなくて相談なんだ…

 ここ雑貨屋なのに。

「ねえ、どう思う?」お客。

「…あの、やっぱり店主呼んできましょうか。あ、いえ、呼んできますお待ちください!」

 慌てて奥に行きかけたら黄色いワンピースの女の子が出て来て「ぅぎゃっ!!」と変な声を上げてしまった。

「いらっしゃ~~~い」

黄色ワンピの子はご機嫌な感じで挨拶をすると、あからさまにゲラゲラ笑って見せてから言った。私はそのゲラゲラにビクっとしたけれど。

「ダメじゃんもう~~。その彼氏に振られてここに来た時だって、さんざんそいつの事『うんこみたいなやつ、うんこみたいなやつ』って言ってたの忘れたの?」

「…言ってたね」とお客。「でもなんかねぇ、元に戻れそうな気がするんだよね。謝りたいって言ってるし。あの女の先輩、現れなかったらそのままうまくいってたんだろうなって思うし…」

「うまくいくわけないじゃん!バッカじゃないの?その小田原さんの後に彼女になった人って、きっと女子全員から嫌われる子じゃん。そんな男に媚びうるようなことして彼女いる男にすり寄っていくようなやつってさ。でも小田原さんの元カレはその子の方が自分に都合がいいからそっち行ったんでしょ?」

このお客さんは小田原さんていうのか、と思う。

「んん~~~」と小田原さんは唸った。「でもさあ、男の人ってみんなそうなんじゃないかな。私が同じようにしてたら…」

「バカだなあ」と、つくづく、みたいな感じで黄色ワンピは言った。「そういうさ、女の子の価値を下げるような事をしたらダメだよ。女の子の価値を下げるその女先輩みたいなのと一緒になっちゃダメなんだって!より戻そうとしてるのだって、その彼女が小田原さんの元カレよりもっといい男子を見つけて別れたからかもしれないでしょ?」

「でも…」

「でもじゃない!」

「でも!」と小田原さんも強気で続ける。「…でもその子と出会う前には私たち仲良かったしうまく行ってたし私の事だって大事に…」

「でも都合いい子あらわれたらすぐそっち行ったんでしょ?」きっぱり切り捨てる黄色ワンピ。「違うのよ、小田原さん。小田原さんがうんこみたいだって言ってた元カレが、なんでうんこみたいだって小田原さんが言ってたかって言うと、そういう男に尽くしまくって女子の価値を下げるような、女子から総スカン食う女子でも、自分に都合よく尽くしまくってくれるって事で元カレが小田原さんよりその人選んだからだったじゃん。ちゃんと思い出しなさいよ。その時のむなしい気持ちを。絶対元さやに戻ったらまたクソみたいな目に遭うって。ったく!元カレどんな顔して小田原さんにまた連絡して来てんだか!腹立つわ!許せんよ」

「許せん?」ちょっと弱気に聞く小田原さん。

「うん許せん」と黄色ワンピ。「たぶん、ていうか絶対なんだけど、元カレ許したら私小田原さんのポイント下げるわ。すごい下げるし、次来た時もすごい塩対応する」

「え~~~~」ちょっと大げさなくらい反応する小田原さん。「キイに嫌われたくないな」


 あ、やっぱ、キイって呼んだ。

 私は桜井さんが消えた奥を覗くが桜井さんが出て来る気配はやはりない。


 「わかった」と静かに小田原さんが言った。「ラインもブロックする。みじめな気持ちにさせられたことやっぱり絶対忘れたらだめだよね」

 キイはニッコリ笑って見せた。

 かわいいな…ぱあっと笑った顔がとても可愛い。

「ありがと」と同じようにニッコリ可愛く笑う小田原さんだ。「綿棒と洗濯ばさみ買って帰る!」

「はい、じゃあいつもの綿棒と、洗濯ばさみどれにする?」

ぱぱっと店内から洗濯ばさみを3種類取って来て小田原さんに見せる黄色ワンピ。

小田原さんはピンクのプラスチックの洗濯ばさみの10本セットを選んで、お金を払い、持って来たエコバックに入れると、黄色ワンピに手を振って帰って行った。

 ドアが閉まるのを見届けて振り返ると、レジカウンターの上に行儀よく座る黒猫。


 いや、また黒猫いるけど。

 小田原さんの相談内容とキイの対応に聞き入ってしまった私だった。

 





 

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