やまぶき雑貨店日誌

山吹カオル

第1話

                            



 私の名前は山根薫。

 街のはずれにある「けやきの杜商店街」の、その一番端にある「やまぶき雑貨店」で、黒猫と一緒に店番をしている。


 今日が初めての仕事だ。

 3日前の面接の時と、朝9時に出勤して店主に仕事内容の説明は少し聞いたが、どこかからか電話がかかってきて、店主は「ちょっと出て来るけど」と言って、店の骨董品屋で扱っているようなレトロな黒塗りのレジの打ち方だけもう一度私に教えると、そのまま出て行ってしまった。

「午前中はほぼお客は来ないから大丈夫大丈夫」と言いながら。



 黒猫はキイという名前で、店主の小学生の孫が、友達の家のエアコンの室外機の下で野良猫が産んだのを数年前に貰ってきたらしい。3日前の面接のときに私の名前も聞かないうちにその説明をまずされた。

 店長、と私が呼んだら、「店長じゃなくて『店主』と呼んで欲しいんだけど」と言われた。

「なんかホラ、ぽいでしょ?この店の雰囲気で」


 

 今、キイは南向きの窓の下に置かれた、チェスト周りに敷かれたカーペットの上でゴロゴロしている。チェストの上には売り物の写真立てや花瓶がいくつか。写真立ても花瓶もチェストも、そしてキイがゴロゴロしているカーペットも売り物なのだと笑いながら店主は言った。

 ここは元カフェをやっていた店舗らしく、テーブルはカフェのテーブルをそのままに、椅子は取っ払って、そのテーブルの上におしゃれなグラスや茶わん、皿、かご類…、日用品の歯ブラシ、タオル、トイレットペーパー、ティッシュペーパー…、後大きなガラスの瓶に入った何種類かの飴玉、キャラメル、どこから輸入したんだわからない板チョコや箱入りのビスケット…、おしゃれな袋や缶に入った紅茶やコーヒー…とにかく様々な雑貨を並べて販売しているのだ。

 



 カラン、とドアに取り付けてあるカウベルが鳴ってビクっとした。

 お客が入って来た!

 午前中はお客は来ないとか言ったてのに。すぐ来たじゃん!

 焦るが、焦ってない風に「いらっしゃいませ」と、普通のトーンで挨拶をした。


 お客は25、6歳かなと言う感じの小柄な、柔らかな髪の毛をフェミニンに緩くまとめて可愛らしい感じの女性だ。フワフワの薄ピンクのセーターを着ている。

 ちなみに私は23歳。肩までの髪を括ったり括らなかったり、マスクをしているから化粧はしていない。グレーのセーターに茶色のパンツ。身長は160。地味過ぎもしないし、派手過ぎもしない極々普通の、どこにいても目立たない感じ。


 彼女はドアのところからゆっくりとこちら、奥の方へ、店中を見回しながら進んでくる。

 どうしよう。まだちゃんと全部の商品を把握してない。店主がいない間にゆっくりと店内を見ようと思っていたのに。


 「ネコは?」と彼女は私に聞いた。

ネコ?

 キイ…さっきまでゴロゴロしていたカーペットのところにも、どのテーブルの下にも床に直置きしている箒や塵取り、バケツやなんかの影にもいない。

 よく来る人なのかな、と思いながら、「さっきまでいたんですけど…」と答えると、「あたらしいバイトの人?」と聞かれた。

 実はここへはちゃんとハローワークで社員枠で紹介されてやって来た。

 いや、私だってこんな街のはずれのこじんまりとした商店街の小さな雑貨店で、人を社員で雇うような儲けがあるのかと怪しんではいるのだけれども。

「桜井さんは?」と彼女は聞いた。

店主の事だ。

「今用事で外出しています」

「ふ~~~ん」

納得いかない感じの返事だ。


 「実はさあ、」と彼女は言うと、しゃべり始めた。「職場の同期の子がやたら仕事終わりにお茶しようって誘ってくるんだけどさあ、私もそういう同僚女子と仕事終わりのお茶とか呑みとか、前の職場がおっさんだらけのところだったからさあ、ちょっとあこがれてたりしたからさあ、すんごい行きたい気持ちもあるんだけどさあ、そいで嬉しかったから今んとこ3回行ったんだけど、ぜんっぜん、もうほんっとに、その子の話面白くなくてさあ。いや!面白くないっつったらアレだけど、その子が嬉しそうに話すインディーズからメジャーデビューしたばっかりの何とかっていうやたら長い、転生もののラノベの題名くらい長いバンド名の歌の歌詞がどんだけ心に響いてくるとか、私が絶対読まないような、最後誰も幸せになれずに遠くを見てました~~みたいな小説のむなしさを話してきたりさあ、私の興味のない話をずっとずっと続けんの。なんだろう3回目の最後の方はもんのすごいイライラしてきてさあ、そいで4回目誘われたから、『今日歯医者のアポ入ってるの~~』つって嘘ついて、そいですぐに5回目誘われたから『お母さんの具合悪いから早く帰ってあげないと~~~』つって嘘ついて、6回目誘われたから、っていうかなんでそんなにずっと誘ってくれるんだろうって思ってるし、話の合う子だったら4回目も5回目も、他の用事が本当にあってもそっち断ってお茶したりご飯食べたりしに行ってただろうし、実際誰かとお茶したりご飯食べたりとか私だってしたいしさあ」

そこまでつらつらとしゃべって、彼女は私の目を見て言った。「ていう話なんだけど」

「…」

「っていう話なんだけど」

返事が出来なかった私に彼女はもう一度言った。

「…はい」

「ねえ黒猫は?」

返事をしたのに話を変える彼女だ。


 今いないですね…と答えようとしたときに、私のいるレジカウンターの裏の休憩室に繋がる扉が開いて女の子が出て来た。

 女の子と言っても20歳くらい。ショートの黒髪がキュートな目のクリっとした私より少し高いくらいの身長。黄色いAラインのひざ丈のワンピースを着ている。スタイルが良い。

 だれ?裏から出て来たけど。店主の関係者?


 「めんどくさいよね」とその子は言った。お客の女性にだ。「なんかさあ、すんごいそういうのめんどくさいよね!」

「そうなんだよね!」とぱあっと明るい表情になって共感するお客。「めんどくさいんだよ~~~」

「ね~~~~」と黄色ワンピの子。

「キイはどうする?もしキイが私で次誘われたとしたら」とお客。

え?キイ?


 「私だったらねえ」

キイと呼ばれた黄色ワンピの子は言った。「まあ誰かと行きたい時もあるかもだけど、とりあえずもう帰ってビール飲みながら録画してたテレビかYouTube観る」

「そっか~~。やっぱそれがいいよね」

「でも月1くらいでは誘ってくれたら行くと思う」

「そっか~~。そうだよね。話は面白くないけど良い子なんだよその子。仕事のわかんないとこ教えてくれたりさあ。…ありがとキイ。いつものコーヒー引いたやつ200グラムお願い」


 コーヒーを手早く用意して茶色の紙袋に詰め、レジを打つ黄色ワンピ。私は横でただ見ているだけだ。

「ありがとキイ。…あと…」とお客が私を見る。

「この子新人」とキイが答えた。「山根薫。や・ま・ね・か・お・る」

「山根薫」とお客が繰り返した。

所在なげにお辞儀をするしかない私だ。

「ありがとうございました~~~!」とキイが大きな声で言った。

あっ、と私も慌てて言う。「ありがとうございました」

 なんかよくわかんないけど。

 ニコっと、わざとらしい作り笑いを一瞬作って帰って行くお客。



 ドアが閉まった後私はキイを見た。

「山根薫」とキイが言う。「私誰だかわかる?」

…キイって呼ばれてたよね…

そう思ったとたん、しゅるん!とキイが小さくなって真っ黒になった。驚いて後ろに飛びのいて戸棚の角で背骨を思い切り打った。

「痛っ!!」

足元に黒猫だ。黒猫は私を見上げると大きく口を開けて「ニャアアアアアアア!!」っと鳴いた。



 …怖い…

 後ずさりで黒猫からそろりそろりと壁際まで離れて、ただただ店主の帰りを待つ私である。

 

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