第38話
「あれは──」
前方から走ってくる少女は、見覚えのある姿だ。彼の脳内の大半を占めている少女を慕い、彼女から「大好き」などと言葉をかけられ涙ぐんでいた侍女。
「エリン!」
息を切らして走り寄ってくるエリンは顔面蒼白だった。
「ノア様!大変です!」
今にも泣き出しそうなエリンの隣にはもちろんサラは見当たらない。最悪の状況を想像するノアにも冷静さは残っていなかった。
「どうした?サラは?」
「血を……!早くしないとサラ様が……」
息も絶え絶えにそう言ったエリン。その言葉だけでノアの理性を切るには十分だった。
「すまないが、先に行かせてくれ」
エリンを気遣う余裕などなく、彼女をその場に置き去りにして再び馬を走らせる。
「──サラ!」
彼女の無事だけを、ただひたすらに願った。
「──まだ、大丈夫。あと少し……」
「もうおやめください!サラ様!」
視界が揺れる。頭はぼーっとして、手先はどんどんと体温を失い冷たくなっていく。
女性たちが私の様子を見て止めようとしてくれるけれど、それを私は何度も拒否している。
手のひらから血が吸い取られ続けてもう六人ほどになった。自分の体内の血液がどれくらいなのか、その限界が分からない。血を与えた人たちは少し落ち着いてきたけれど、まだ半分以上の人は苦しんでいるのだ。まだやめるわけにはいかないと、自身を奮い立たせた。
「次……っ」
その瞬間、視界が霞んで床に手をついてしまった。何度も牙で貫かれた手のひらが痛む。これ以上は本当に、死んでしまうかも──と思ったら、もう腕だけでは身体を支えられなくなった。傾いていく身体。
ああ、せっかく元の世界に帰れる方法が分かったのに。まあ最後に役に立てたなら、それでもいいか。
でも……最後に、皇子に会いたかったな──。
「──サラ」
地面に衝突してしまう直前、柔らかくて優しい温もりに包まれた。
幻覚だろうか、幻聴だろうか。──違う。
「もう平気だから。力を抜きなさい」
この愛しい人を、間違えるわけがない。安心してずっと張っていた気を緩めたら、彼はぐっと抱き寄せる腕に力を込めた。
「よく、頑張ったな」
頭を皇子の胸に押し付けられる。そして私の心臓の音を確認するかのように、隙間なく抱きしめられた。
「……血、は?」
「ああ、大丈夫だ。エヴァンがすぐに持ってくる」
その言葉に安堵の息が漏れて、疲労感がまた押し寄せてきた。
「……今は眠りなさい」
頭を撫でてくれるからウトウトしてしまう。そんな私を見ていった皇子はそっとまぶたに触れて光を遮断した。そのまま私は皇子の言葉を素直に受け入れて、意識を手放した。
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