第37話


 同時刻、ノアは自室にて書類を手に思案顔だった。

「……おかしい」


 世界中に拠点を置く多くのヴァンパイア族。大小関係なく無数に存在すると言われる集落の中でも大きな力を持った国家が三つ存在する。アトレアはそのうちの一つだ。


 それぞれ同盟を組み、各国間で過剰に干渉することは避けているが、残り二国──リリア国とエスタ国──そのうちの一国が不穏な動きを見せている。


 今朝、エスタ国からの使者を通したと門番から連絡があった。その理由は皇帝陛下への貢物だったと言う。各国間での交流は今までもあった。

 しかしなぜ今なのか。互いの国を脅かすような大きな衝突などはなかったはずだ。エスタ国から謝罪や謝礼を受け取るような案件など記憶にはない。


「深読みしすぎか……?」

 それとも、“これから”何かが始まるのか。


 今まで以上にエスタ国への警戒を強めなければと思い至って息をついた──。





「ノア様!」

 珍しく焦った様子の護衛担当が、荒々しく扉を開けたのをノアは怪訝そうに見遣る。


「今すぐ、“ルーチェ”の用意を!」

 早口で捲したてるエヴァンに眉間にしわを寄せた。

「先に説明を……という場合ではなさそうだな」

 椅子から腰を上げ、廊下へ出ると声を張り上げる。


「すぐにルーチェを運べ!エヴァンが指揮をとる!」

 これでいいのか、とばかりにエヴァンを見れば、こくりと頷く。そしてその従者とともに数刻前に出て行ったはずの少女の姿を探した。


「……サラは、どうした?」

 一瞬言葉に詰まったエヴァンだったが、すぐにノアを促す。


「トラブルがありました。ノア様は診療所へ先に向かってください。エリンがそばにいますが……サラ様は今、安全であるとは言えない状況にいます」


 エヴァンのグッと握った拳は震えていた。サラを守らなければならない立場である自分が、どうしてここにいるのか。

 彼女を守ることだけを考えたなら、もっと他に方法はあったはずだった。けれど冷静でいられなかったあの時の自分は、サラの言う通りにしか動くことができなかったのだ。エヴァンはそのことに悔しさを感じていた。


「……分かった。先に行く」

 ノアは詳しいことを尋ねない。サラに危険が及ぶかもしれないと知り、その理由を聞くよりも先に身体が動いていたからだ。至って冷静な表情をしているようで、内心は焦りで埋め尽くされている。


 半ば駆けるようにして歩いていくノアは、すぐに馬に乗って走り出す。彼は普段、洞窟の外でしか馬には乗らない。馬が暴走でもすれば街の住民に危害が加わるからと、心優しい皇子は国内──特に街中で馬を使って移動することを好まなかった。



 だがそんなノアも、一人の人間を想って馬を走らせている。街中は細心の注意を払いながらも、できる限りの全速力で。

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