第36話


「でもアトレアの人たちは、人を殺めることを許さない。餌として考えてもおかしくない“人間”という存在を、ちゃんと自分たちと同じ目線で、同じ立場で見てくれている」


 皇子が守りたいこの国を。

 私を助けてくれた人たちを。


「他の人が知らなくても、私はちゃんと知ってるから……っ。そんなあなたたちだから、私は好きになったんだよ」


 これがきっと、私ができる最後の恩返しだから。


「私にも、みんなを守らせて」

 私は前へ進み出ると、彼らに向かって右腕を差し出した。


「だからどうぞ」


 男性たちの躊躇うような瞳の奥には、もう欲望が迫ってきている。



「……怖く、ないんですか……っ」

 ぎりっと歯を食いしばって飢えに耐えようとしている彼ら。嘘なんてついても、意味はないだろう。


「……怖いに決まってる。だけど、あなたたちを助けられるのは私しかいないんだもん」


 正直に言えば、やっぱり困ったように目を泳がせるけど。



「だから、あんまり痛くしないでね」

 そう付け足せば、目の前の男性の瞳から……大粒の涙が溢れた。


 私の我儘を、受け入れてくれたのだ。



「エリン。今から皇子かエヴァンに伝えてきて。早急に血を送ってもらって。私一人じゃ、この人数全員に血をあげることはできないから」


「ですが……っ!」


 ここにエリンがいては、きっと彼らの衝動を止めようとする。血を与えている最中に私に少しでも異変があれば、即刻やめさせるだろう。


「……早く。できれば、私の身体中の血がなくなっちゃう前に……お願い」


「……っ。承知しましたっ!」


 だから遠ざけた。“お願い”という名の、ほとんど命令に近い形で。エリンが私の“お願い”を断れないのを知っているから。


 そしてその理由も。



『──エリンよ、サラの願いはできる限り聞き入れてやってくれ。私には言えないことも、お前になら言えるかもしれない』

『はい、ノア様』

『あいつの望みはなんでも叶えてやろう。この国へ来たことを、後悔して欲しくない。楽しい思い出だけ、持って帰って欲しいんだ』


 ──そう言って笑っていた皇子を、陰から覗いていた私は忘れないだろう。




「──さあ、お手柔らかに……ね?」

 血走った目。荒く吐き出される息。震える身体。

 そのどれもが私にとって恐怖の対象でしかないけれど、大丈夫だと自分に言い聞かせる。



 ──大丈夫。皇子はきっと、来てくれる。

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