第32話

 


 ぼうっと物思いに耽っていた。

 どうやっても処理しきれない想いは、きっとこの世界の誰にだって言えやしない。そんなやりきれない自分の気持ちを溜息に変えていると。


「……どうしました、珍しく浮かない顔で」

 エヴァンがそう声をかけてくる。


「……ここにいられるのも、あと少しだって考えたら寂しくて」

 嘘でもない、だからと言って本音でもない言葉を発した。そんな私の思いに気づいているのか、彼はなにも返すことはなかった。



「今日は行くのか?」

 もう合言葉のようになってしまった会話。

「うん、もちろん」

 皆まで言わずとも、伝わる。

 ここへ来た頃とは180度変わったエヴァンとの関係性に思わず笑みが零れた。


「では行くか」

 診療所を目指して二人で歩き出せば、背後から元気の良い少女の声が駆けてくる足音とともに耳に届いた。

「サラ様っ!」

 私が元の世界へ帰ることが分かってからというもの、エリンは片時も離れんとばかりにそばにくっついてきた。今日もまた、同じようだ。


「本日はエリンもお伴します!」

 そう申し出てくれたエリンも連れて街へ出る。





「──あ、サラ様だ」

「こんにちは」

 街を歩けば、いろいろな人に声をかけてもらえるようになった。手を振ってくれる人もいる。


「旦那さんの具合はどう?」

「お陰様で、もうすっかり元気です」

 診療所で治療した人たちが、以前より速いスピードで完治するようになったのだそう。皆が声を揃えて私の看病の成果だと言ってくれるのだけれど、実際は皇子のおかげだ。


 診療所のことが分かってから、彼は食事の手配から必要な薬や包帯などの用意まで、すぐに対策を練ってくれた。


「サラ様!この果物は今朝仕入れたんです。おいしいですよ」

「わ、くれるの?ありがとう!」

 袋にたっぷりの果物を入れて手渡してくれる。



「サラ様、この髪飾り作ってみたの。ちょっとつけてみて!」

「可愛い!私にはもったいないよ〜」

 手作りのアクセサリーをプレゼントしてくれる。



「あれ、なんか元気ないね」

「ちょっと聞いてよ、サラ様〜!」

 時には娘のように、妹のように、姉のように。たくさんの人が慕ってくれるようになった。




「──サラ様は、まるで皆のアテナですわね」

 エリンがまるで自分のことのように喜んでいた。


「……アテナ?」

 私の聞き慣れない単語に首を傾げていると、エリンがにっこりと笑った。


「アテナはとてもお優しく、聡明で美しい守護神──戦いにも長けた、この国の勝利の女神です」


 そう言われてぽかんとする。そんなに大層なものに例えられるほど、自分は優しくも聡明でも美しくもない。

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