第23話
準備が整った私たちは、街へと繰り出す。皇子がはぐれないようにと腕を組んで歩くことをご所望だったから、そうしている。見上げれば皇子のとてもご機嫌な横顔がそこにあった。
「……サラはここに来る前はどんな生活をしていた?」
そう聞かれて、何の刺激もなかった平凡極まりない生活をポツリポツリと話していく。
時折聞き慣れない言葉があると問われるけれど、それ以外は軽く相槌を打つだけで静かに聞いてくれた。
「──やはり、随分アトレアとはかけ離れた世界なのだな」
最後にそう言った彼の目が何となく寂しそうに見えたのは気のせいだっただろうか。
「今、従者たちに出来る限りの手を尽くしてお前の帰り方を探ってもらっている」
……もしかして、そのせいで従者がするはずの仕事を皇子が代わりに?だから忙しかったの?
たとえそう聞いたとしても、皇子は首を縦には振らないだろう。
「……ありがとう」
だから私は、ただそう言った。
「……安心しなさい、サラ」
私がしがみついている腕とは反対の手を伸ばして、髪を梳く。笑った皇子の表情はやっぱり、どこか悲しげだ。
「──お前が自分の世界へ帰れる方法が、見つかったかもしれない」
皇子の仕事が落ち着いたのは、それが理由だったのか。
「まだ確定ではないが、試してみる価値はあるだろう」
皇子の話す内容に、私は喜んでいるはずだ。満面の笑みで、皇子に応えているはずなのに。
「……サラ?」
どうして、胸が痛いのか。
「どうした?どこか痛いのか?」
慌てふためく彼の姿が滲んで見えないのは、どうしてなのか。
「……ありが、とう……っ」
嬉し泣きだ、これは。そう自分に言い聞かせた。
「あら、サラ様……?」
涙を服の裾で拭っていると、可愛らしい声が私を呼ぶ。振り返ると、そこにはエヴァンの診療所(仮)で働く女性が目を瞬かせていた。
「……やば」
私のそばまで来ると、隣に並ぶ皇子を見て怪訝な顔をする。皇子は前回のようにマントのフードを深く被っていて、はっきりとは顔が見えない。
「どうされたのですか?」
目を赤くしている私を心配そうに見ているから、きっとこれは誤解されている気がした。
「……え、いや……」
「サラ、知り合いか?」
皇子は少しだけフードをずらして顔を見せる。すると目の前の女性はハッと息を飲んで慌てて頭を下げた。
「の、ノア様……!失礼いたしました」
「いや、大丈夫だ。頭をあげなさい」
皇子の言葉に、ゆっくりと顔を上げた女性は私と皇子の顔を交互に見てから、その視線をがっちりと組まれた腕に移す。
「……エヴァン様の婚約者様ですものね、ノア様も大切になさっておられるのですか」
──爆弾は、突然投下された。
「……娘、何と言った?」
眉を顰めて明らかに不機嫌な顔になる。
……絶対聞こえてた。この人絶対聞こえてたよ!
「サラ様は、エヴァン様の婚約者だとお聞きしておりましたが……」
皇子の怒りが滲む声に、びくりと体を震わせた女性。これはかなりのとばっちりだ。
「……婚約者だと?」
そしてその怒りは私へと向かうのが簡単に予想できる。
「……いつからお前はエヴァンのものになったんだ?」
「これは成り行きで……」
こんなことならエヴァンについてきて貰えばよかったと今更になって思う。彼ならさらりと説明してくれるのだろうに。
「成り行きだろうがなんだろうが、お前が他の男のものになるなど、私が許すはずなかろう」
むにっと頬を摘まれる。そんなに強いわけではないけれど、いつも優しく触れてくれる皇子が初めて意地悪な触れ方をした。
「ご、ごめんなひゃい……」
彼は私の謝罪にも表情は変えなかった。
「……おい娘」
「は、はいっ」
「訂正しておく。サラはエヴァンではなく、私のものだ」
珍しく苛立ったように簡潔に告げて、皇子は私の腕を強く掴むと踵を返す。
勢いよく引っ張られて、転びそうになるくらいには強かった力。私は焦っていて言い訳を考えるので精一杯だったからあまりよく覚えてはいないのだけれど。
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