第22話
幸せという名の温かな水の中へ身を沈めているような気分。ふわりふわりと浮き沈みする意識に呼びかけるような声が聞こえてくる。
「──サラ……そろそろ起きなさい」
優しい声にゆっくりと瞼を上げた。
「ん……皇子……?」
目の前にある皇子の微笑みはいつもと変わりなくて。寝起きにぼんやりとした頭で思い出した、夜中の出来事は夢だったのではないかと思った。
けれど
「昨日はすまなかったな。身体は大丈夫か?」
そんな気遣う皇子の言葉に、まだ布団に頬を擦りつけたまま頷いた後、やっぱり現実だったのだと思い知らされる。
「……ありがとう」
皇子は目を細めて私の髪を撫でつけている。お礼を言われたけれど、そんな大層なことをしたわけではないから首を横に振った。
「痛かっただろう?」
「そんなことないよ、へいき」
ゆっくりと起き上がれば皇子は「そうか」と安心したように笑ってガウンのような上着を羽織った。
「早く支度をしなさい、今日は二人で出掛ける約束だったろう」
その言葉に昨日の会話を思い出して慌ててベッドから降りて床へ足をつける。
「エリンーっ!」
用意をしなきゃと部屋を出て侍女の少女を呼んだ。
「おはようございます、サラ様」
頭を下げてからニッコリと笑ったエリン。その手には私の着替えが抱えられていて、手渡される。私が何も言わなくてもしてほしいことが分かっている彼女は、まるで見ていたかのようなタイミングの良さ。きっとエリンはとても仕事のできる従者なのだろう。
「……ありがとう」
じっとエリンを見つめれば小首を傾げて不思議そうにしていた。可愛い。
「今日もエヴァン様とお出掛けになられるのですか?」
「今日は皇子と出掛けることになったの」
と返せば目をキラキラさせて私よりも嬉々とした表情をする。
「まあ、それは大変!おめかししないと」
そう言って、先程手渡された着替えを半ばひったくるようにして取り上げた。
「お待ちください!もっと違うお着物をお持ちします!」
慌ただしく去っていったエリンに呆気に取られていると、後ろから声をかけられる。
「サラ様?」
「あ、エヴァン」
いつ見ても隙のない格好で佇むエヴァン。
「今日も城下へ向かうか?」
そう尋ねられたから首を横に振った。
「今日は皇子と出掛けるの」
私の言葉に意表を突かれたような顔をする。
そして何か考える素振りを見せた。
「……ノア様とか。ならば俺も行こう。護衛の身だからな」
「……え」
……なぜ私は残念に思ったのだろう。
皇子はこの国の主。用心するに越したことはない。何かあった時に私では対応できないことは、初めて皇子と出掛けた日に痛感している。
「……うん、わかっ……」
「その必要はない」
私の言葉に被せるようにしてぴしゃりと言い放ったのは、もちろんその身を案じていたこの国の主。
「……ですが、この間のこともあります故」
エヴァンはそれでも食い下がる。そんな彼の様子に皇子は眉間にしわを寄せた。
「……これは私とサラとの逢引なんだ。邪魔をするのは野暮というものだろう?」
背後から私の首に腕を回して引き寄せた皇子。彼の声が耳元で響いて擽ったい。
「……わかりましたよ、くれぐれも問題を起こさないようにしてください」
呆れたエヴァンがため息をついて踵を返したのを見送っていると、エリンが帰ってきた。その腕にはさっきとは別の洋服があって、私と皇子の姿を見ると顔を真っ赤にして転けそうになっていた。
「し、失礼しました……っ」
「構わないよ、早くサラの支度をしておくれ」
「はいっ……」
エリンは私に向き合うと新しい着替えを手渡してくれる。
「準備ができたら言いなさい」
皇子の言葉に頷いて、私は着替えるため衣装部屋へと向かった。
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