第21話
「──お前を、怖がらせたく、ない……」
こんなにも苦しそうなのに。
たったそれだけの理由だったのだ、私の血を飲もうとしないのは。
「……皇子」
“愛おしい”
そんな思いが、ただ頭を巡る。
「──私の血、飲んで」
血迷ったわけでも、同情でもない。
この人になら何をされても大丈夫だと思った。優しい彼が私を酷い目に合わせるなんてこと、しないと思ったから。絶対に、後悔しないと思ったのだ。
「……ダメだ、サラ」
「こわくないよ。皇子が抱きしめていてくれるなら、なにもこわくない」
皇子の潤んだ目がまた私を捉えた。
「……痛いぞ」
「じゃあ頭も撫でて」
きっぱりとそう言えば、皇子は呆れたように笑った。
「……いいんだな?」
何度も何度も念を押して聞いてくる皇子に、気なんて変わることもなく。何度も何度も「大丈夫」だと告げる。
しばらくそのやりとりをして、諦めた皇子が私の首筋を撫でた。熱を持った手がするりと首の後ろに回って、彼の口元へと引き寄せられる。
「……サラ」
皇子の息が首筋にかかってビクッと震えた。
「すまない……。もう、止めてやれない」
その一言の後、彼の牙が肌を貫く。
「……ッ」
声にならない悲鳴をあげて、無意識のうちに皇子の背中に手を回し爪を立てていた。
血を啜る音が皇子の喉が鳴る音ととともに耳に残る。
痛みだけではない、込み上げてくる感覚に戸惑う自分がいた。
「……っは……」
息をついた彼が舌なめずりをしながら顔を上げる。その表情はとても妖艶だ。
朦朧とした意識の中でそんなことを考えた。
「……サラ……」
ぐったりとした少女を腕に抱え、ノアは我にかえる。
自分に血を与えたサラは気を失ってしまっている。彼女のおかげで気分はもうすっかり落ち着いた。
ヴァンパイアは毎日のように血を飲まなくとも生きていける。人間と同じような食事でも栄養は取れるのだ。血を飲まなければ飢えて凶暴化するが、定期的に摂取すればそれで良い。
人間の血はノアの知人から提供してもらっている。その相手は人間であり、病院関係者であることから、この帝国の住人が禁断症状に苦しむ前に摂取できる量は確保していた。だからこの国の民は血に飢えて人を襲うことはないのだ。
ノアは普段であれば忘れるはずがなかった血の摂取も頭から抜け落ちていた。その理由は“忙しいから”だけではない。エヴァンとサラが毎日のように連れ立って城下へ出掛ける姿を見て、どこか焦燥を感じていた。
そして体が耐えきれなくなり血を欲してこの様だ。ノアは自責の念に駆られていた。
“こんなはずではなかった”とサラを抱く力を込める。目覚めた時、少女は何を思うだろうか。恐怖を含んだ瞳で自分を映さないだろうか。そんな最悪な予感に手のひらで額を覆った。
「……ノア……」
か細い声が聞こえてはっとする。ノアが自分の腕の中を見下ろすと、ぼんやりとした目で自分を見つめる少女。
「……大丈夫か?」
気遣うように問いかければ、へにゃりと笑ったサラ。
「……もう、平気?」
それはこちらのセリフなのに、とノアは呆れたように笑った。
「……ああ、迷惑をかけたな」
そう答えれば彼女は小さく首を振った。
「……いつも、助けてもらってるのは私のほう……。ノアを、助けられてよかった……」
まだ意識は朦朧としているのか、言葉が覚束ない。
「ありがとう、ノア……。この世界に来て、ノアに会えてよかったよ」
彼女の言葉に、返答することはできなかった。
じんわりと温かな何かが胸に広がって、目尻が熱くなってしまったから。
「……ふふ」
狼狽えるノアに手を伸ばしたサラ。その微笑みはとても柔らかかった。
伸ばされた手を掴んだノアは、その掌に口づけを落とす。
「“離したくない”……。そう願うことすら、許されないというのに」
眉間にしわを寄せて、ノアは苦しそうに顔を歪める。
「──お前がいるこの奇跡が、いつか夢になってしまうのだな」
ノアはゆっくりと布団を少女に掛けた。穏やかな表情で再び目を閉じたサラに、ノア自身も目を瞑る。
少女を強く抱きしめながら。サラが、目覚める前に消えてしまわないように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます