第8話『告白Ⅱ』真実の行方

 達也にとっては、心震えるほどの直美の証言である。もしここに蓮司がいたとしたなら、確実に殴り殺してしまったと思えるほどの衝撃であった・・・。


 蓮司は若い二人の女性達のリクエストに応えると、金沢でも有名な片町にある イタリア料理店『Ristorante Ecru』に二人を招待したのだ。

出されたコースメニューは、外食経験の少ない二人にとって、どれもが素晴らしく、想像を超えた美味しさであった。蓮司は女の扱いにも慣れていたのか、会話も楽しく運び二人の警戒心も自然と解き放されて行った。

蓮司は特にワインの銘柄に詳しく、お酒の飲めない二人のために甘めのワインをチョイスし、その口当たりの良さから二人は勧められるまま、いわば飲まされる形となった。

明日香は、これが大好きな彼とのデートならと想像すると、心が躍っていた。甘美な想像がさらに彼女を酔わせる結果となった。ワインの力だけでは、なかったのだ。


最後の『Tiramisu』が提供される頃には、二人は真っすぐ歩くこともままならない程酔いが回っていた。明日香のスカートの裾が乱れる度、それは蓮司の欲情を誘った。


「ゴメン、ゴメン、少し飲ませ過ぎちゃったかな? じゃあ、酔い覚ましにもう一軒だけ付きあって・・・」

「主任、私達もう失礼しないと……、ね、なおちゃん…」

しかし、直美の反応は鈍い。

明日香の声は、蓮司の耳に届くことはなかった。

蓮司は、二人を抱きかかえるようにしてタクシーに乗せると、遊び仲間が経営する周知のクラブに連れ込んだのである。店は当然のように早々と看板を下ろした。

「蓮司先輩、今夜は三人ずれですか? それにしても若すぎませんか? まだ、ほんの毛が生えそろったばかりの・・・」

蓮司の高校時代の後輩にあたるマスターは、少し不安げに蓮司の耳元で呟いた。マスターは事後のことを心配して蓮司に忠告をしたのである。

「賢次、二人はうちの従業員なんだから、そんな心配は無用だって・・・」

このクラブには、VIP用の隠し部屋があり、酔った二人はソファーに寝かされることになった。またしても、明日香のセーターを盛り上げる胸の隆起が、蓮司を誘う。


「明日香ちゃん、水を飲むといい、早く酔いが冷めるからね・・・」

「…、あ、主任すみません…、私たち酔ってしまったみたいで………」

「大丈夫だよ。誰でも、最初は、こういうもんなんだよ。・・・ところで、明日香ちゃん、彼氏はいるのかな?」

「………、……」

「ほんとのこと言ってくれないと、困るんだよ」

「…、それは…、どういう意味なんですか………」

この時、明日香は初めて蓮司の計画に気が付いたと言える。蓮司がきつく迫った。

「明日香、経験があるかと聞いているんだよ!」

「……、います。います。好きな人がいるんです……、だから…」

「いますって・・・、それは、どういう意味で言ってるんだよ!」

蓮司は、隠されていた正体を現すと、明日香の胸をセーターの上から強く揉みしだき、それに飽きると今度は、堅く閉じられた白い両足に手を掛けた。  

「 やめて下さい…、主任やめて……、誰にも言いませんから……、」

「ここまで、付いてきて・・・、それはないだろうが・・・」

 明日香は、必死に直美に助けを求めたのだが、すでに酔いつぶれていたのだ。


 若い女が、男の強い腕力に敵うわけはなかった。両足が難なく押し開かれると、下半身を覆っていた邪魔な衣服のすべてが蓮司の手によって取り除かれ、白い両足の間に隠されていた赤い唇が、蓮司の目の前であからさまにされたのである。     蓮司の望んでいたものが、手に入った瞬間であった。まだ少女の面影を残したそれは、さらに蓮司の欲情を誘うこととなる。明日香は、朦朧とした記憶のどこかで、何かが熱く差し込まれる気配を感じていたが、気が付いた時には、起こったことのすべて忘れていたのだ。記憶が、明日香の身を守ったと言えた。しかし、心の傷は深く残ったままであった。


「なんだよ、だから確認したんだ。やったことが、あるかってな!」

「……、……」

不思議と、涙は流れていなかった。これで、あの人を愛する資格がなくなってしまったのだという、自虐の心が勝っていたのだ。いずれ、女である以上経験することは、頭では分かっていた。しかし、この男ではなかったはずである。頭痛がするのは、甘いワインのせいだけではなかった……。



 *



 直美の告白は、続いていた。

「結局、翌日から私たち二人は会社に行かなくなったの。行かなくなったというより、行けなかった。蓮司がいると考えるだけで足がすくんだのよ。           明日香はあの後、すぐ私のアパートに連れ帰り、お風呂に入れたわ。長い時間出てこなかったけど、無理もない事ね。私は、不思議に蓮司に襲われなかったの。いまから考えると、『私に興味はなかったの?』って、笑い話みたいね。私の男嫌いが始まったのは、男の本性をみたあの時からかも知れないわ……」


「・・・、直美さん、俺はいま心が葛藤していると言っていい。事実を知らなければ良かったと思う心が、半分以上あるんだ。すべて楽しい話ばかりじゃないというのが現実というものなんだろう。だからこそ、心ですべてを受け留める覚悟がないと、両方が不幸になってしまう。直美さんが正直に話してくれたことで、僕は少し前に進めたような気がするが・・・、これは、警察官としての立場だけどね・・・」

正直、達也の胸には苦いものがこみ上げていたのだ。警察官として、悲惨な目にあった被害者に聞き取りをすることなど幾度もあった。しかし、身内に限って、そんな経験が少しも役立にたないことを思い知ったのである。


「達也さん、大丈夫? 顔が真っ青だけど……」

「いや、構わないから、先を続けてくれないか・・・」


「分かったわ。それから……、10日ほど経ったときにね。人事を担当していた、金村翔一さんが突然明日香の家にやって来て、長期欠勤の理由を聞きに来たらしいのね……。でも、明日香は、最初会うことさえ拒んだらしいわ。でも、両親に説得されたみたい…」



 *



『明日香さん、いま私の判断で長期欠勤扱いにしているけれど、理由があったら教えてもらえないかな? いつまでも、このままという訳には・・・。私が君を採用した責任もあるしね』

『……分かっています。でも、わたし…、翔一さんの顔を見るのが辛くて……』

『明日香さん、それはどういう意味なんだ?』

『わたし…、今まで口に出して言えませんでしたけど…、もう、隠す必要もないし。

 翔一さんが、好きだったんです…、だから、翔一さんのために守って来たというか…。 でも、もうどうでも良いんです……』 

初めて明日香が翔一に想いを打ち明けた瞬間であった。

このときの明日香の感情は、現代の若者にとっては到底理解されそうにもないものである。かえって、男には重荷となりかねない。しかし紛れもなく北陸の古都、金沢が育てた明日香の精神性であったのである。


『・・・、ありがとう、明日香さん。実は僕も同じ気持ちだった。一回り以上歳が違う私が・・・、世の中の常識から考えても、許されるわけはないからね』

『そんなこと……、』

『・・・何があったのか、正直に話してごらん・・・』

『わたし、蓮司さんが絶対許せない』

『・・・やっぱり、そういうことだったのか。総務の直美さんも欠勤しているし、蓮司と何かがあったとは、思っていたのだけれどね・・・』

『わたし、このままでは……、訴えてもいいですか? 蓮司さんを……、』

『・・・ああ、君の好きなようにすればいいと思うよ。あんな無節操な人間だからね。会社にとっても良い事は何もない』


歳の差を越えた恋であった。お互いが、相手を思いやり、告白をためらったことで生まれた悲劇であったのだ。この後、翔一が女性に処女性など求めていない。仮にそうだとしても、愛し合う二人にとって大した問題ではないことを話してあげると、安心したように明日香の顔には笑みが戻っていたのであった。

 その時代の持つ価値観ほど、あてにならないものは無いのだ。時とともに変化をし、留まることはないのだから・・・。



 *



「……それからの事は、達也さんが、調べて分かっているかと思うけれど……、結果的に明日香が、金沢を離れたことで、達也さんと巡り合えたわけだし。私は、宮使いに飽きていた頃だったし、あの時が『金村』を辞める良いタイミングだったの」


「じゃあ、紗月が金沢を離れたわけは?・・・」と、声に出して直美に聞こうとしたのだが、達也は、その言葉を慌てて飲み込んだ。いずれ知る時が来るだろう。急ぐ必要はないのだという声が、言葉を押さえたのである。

すでに、午後の8時を回っていた。


「直美さん、もう失礼しなければ・・・、こんな時間まで悪かったね」

「いいえ、少しでもお役に立てればと思ったのですけれど……、この時間から

何処へ……」

「分からない。最終的には明日香の実家に寄ることになるのだろうけど・・・」

直美は見送るため、玄関まで達也の後ろについて来ていた。

「あの~、達也さん……」

「えっ、何ですか?・・・」

達也は振り向くと、直美の顔を見た。その顔は、何かを思い出そうとしている。

「……明日香と電話で話していて、切る直前だったと思うんですけど……」

「・・・、明日香は何て言ったんですか?」

「それが……、街で蓮司を見かけたって……、でも人違いかも知れないって、笑ってたから、本気にはしていなかったの。それで、すっかり忘れていて……、」

「なぜ、それをもっと早く・・・、」

「ごめんなさい、達也さん……、」

「いや、直美さん、あなたが謝ることはない。僕も、強く言い過ぎた・・・」



 達也は『PRADO』に乗ると、アクセルを強く踏み込んだ。

達也は、自分にとっては場違いなこのセレブの住む『太陽が丘』に、二度と戻らなくても済むことを願った。

達也は、県道209号に出ると、山側環状を走り金沢市内に戻った。15分も掛かっていない。目的地は、大手町である。

『金村』は、すでに店を閉めてはいたが、戸を叩き、気が付いた従業員に告げた。

「上条です。社長に重要な用事で来たと伝えて下さい・・・」

取り次いだ女性従業員は、二十歳をいくつか越えたくらいであろうか。まだ成熟した女性ではないが、花開く前の危なげな美しさが眩しかった。                     20年前の明日香の姿が重なる。達也の頬に、思わず悔し涙が流れ出ていた・・・。


金村翔一は、社長室にいた。残務処理中のようであった。

「上条さん、いったいどうしたのですか? こんな時間に・・・」

「明日の朝には、石川から離れてしまいますので・・・、今日のうちにと」

「そうですか、もう少しで帰るところでしたよ」

「僕は、明日香が引き留めてくれたのだと思っています」

「上条さん、それはどういう意味でしょうか?」 


「明日香が短大を卒業し、始めて恋をした人間に、再び私を合わせるためです」

「・・・、・・・・」

翔一は、突然の達也の言葉に声を失っていた。

「あなたは、あれ以来一度も明日香には会っていないと言っていましたが、実際は、明日香が戻って来てから何度も会っていましたね。しかし・・・、それを非難しに来たわけではありません・・・、むしろ感謝をしているのです」

「・・・ええ、確かに会っていました。それは、あなたに申し訳ない気持ちから、 つい・・・。でも、感謝とは・・・」   


「蓮司という存在がいなければ、あなたと明日香は何年後かには結ばれていたはずだと、私は思っているのです。違いますか?」

「ええ、確かに・・・。当時私は、35で明日香は22歳でした。お恥ずかしいのですが、考えてみれば一回りも違う明日香に私は恋をしてしまっていたのですから。

現代女性でありながら・・、私は、明日香の持つ奥ゆかしさに魅力を感じたとしか・・・。しかし、明日香も同じ気持ちであることが分かったのは、皮肉なことに蓮司の卑劣な行為のお陰でね。でも、それからが大変だったのです。蓮司の執着は強くなる一方でした。原因は、兄の私に対する嫉妬心でしょう」  


「しかし、明日香が金沢を離れてからすでに20年も経っていた。当然二人の仲は壊れていたはずです。明日香が金沢に戻って、すぐに二人の交際が始まった理由は何なのですか?」

達也には、別居した直後から二人の交際が始まった理由が知りたかったのだ。

                              

「実は、私はずっと、独り身で過ごして来たのです。金沢時代の明日香を守ってやれなかった自責の念といいますか・・・。いえ、本心は、いつの日か、約束のとおり戻って来てくれるのではと・・・。気が付けば、いつの間にか20年も過ぎていたなんて。明日香は、そんな私に同情したのでしょうね。きっと・・・」

 

「やはり、あなたは・・・、私の想像していたとおりの人でした。私の感謝はあなたのそういう優しい心に対してだったと、思って下さい」

「上条さん、私があなたに感謝されるとは・・・、むしろ非難されて当然ですよ」

「金村さん、別れてしまったとはいえ、20年も寝食をともにした女ですよ。苦労をさせてしまった時ももちろんあります。でも、楽しい想い出も沢山あるのです。

その女の行く末が気にならない男がいるでしょうか?

僕は、あなたに会って安心したのです。あなたなら、明日香のこれからの未来を任せられる人だって・・・。」


「・・・そうですか。上条さん、ありがとうございます・・・。明日香は、こう言ってくれたのですよ。それで、私の決心も固まったという訳です。                            『20年も待たせてごめんなさいね。でも少し落ち着いたら、またあの頃の二人に戻って、失ってしまった20年という時間を取り戻しましょう』って・・・。     私達は、泣きました。手を取り合って涙が枯れてしまうまでね・・・・・・。」


達也との半年の別居後、明日香が離婚を決意した理由がここにあったのだった。



「金村さん、・・・いえ、あえて翔一さんと呼ばせていただいても・・・」

「ええ、構いませんよ」

「翔一さん、僕も男ですから、あなたの気持ちはよく分かります。いくつになっても、恋は恋だと思うのです。年齢は関係ない。まして、それを恥じる必要なんて」



 しかし、翔一の話を聞けば聞くほど、明日香失踪の原因が分からなくなるのだ。

未来ある幸せの渦中にあった明日香が、翔一に失踪の理由も告げずに姿を消すことなどあり得るのかという疑問であった。残された時間はわずかである。

午後10時を回っていた。


「改めて伺いますが・・・、明日香が金沢を離れた本当の理由は、蓮司の呪縛から明日香を逃れさせるためではなかったのですか?」

達也は、真相に迫った。

「そうです、確かに・・・。冷却期間を置けば蓮司の明日香に対する執着も無くなるだろと・・・」

「僕は、明日香の失踪の原因は、偶然にしろ蓮司に会ってしまったことにあるのではと、思えるのですが・・・」

「明日香が?・・・。蓮司に会った・・・? まさか・・・」

「翔一さんは、蓮司が再び金沢に戻っている事は・・・」

「いえ、全く知りません」

「仮に、蓮司がまだ明日香に異常な執着心を持っていて、あなたと明日香の復縁を何らかの理由で知ったとしたなら・・・」

「当然、二人の仲を裂く行動に出る・・・」

「そうです。最初のターゲットは、明日香という事になる・・・」

「達也さん、だとしたら明日香はどうなるのですか?」

「蓮司に拉致されたか、逆に蓮司がこの世から消えることを望んでいるかも知れない・・・」 


 この時すでに、達也は最悪の事態を想定していたのだ。刑事としての勘である。

明日香を拉致したとしたなら、その目的は何であるのか? 当然、金が目的であれば、二人を密かに脅迫すればこと足りるのだ。警察に追われるリスクも少ない。

そして、最悪の事態とは・・・。 


「達也さん、明日香を見つけて下さい絶対に! 」

「翔一さん、僕は明日香が昨日まで石川にいたような気がしていて・・・」

「それには、どういう根拠が・・・」

「明日香は、昨日学生時代の友達と会う約束をしていたのです。『狼煙の灯台』の前で・・・。明日香は、必ず行くと友達の山崎直美さんに伝えていましたから・・・。 僕は、明日香は、何があっても必ず『狼煙』に来ていたはずだと・・・。しかし、それからの足取りが全く分からないのです・・・」




第9話に続く





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