第7話『告白』

 達也は、金沢市西部を走る『山側環状』から国道209号線に乗ると、『医王山山麓』に開発された新興住宅地区域に入った。1000mも続くメタセコイヤの並木道が、ここが選ばれた人間達の棲み処であることを思い起こさせる。季節の彩の中を歩く家族たちの満足げな笑顔が見えるようであった。

直美の住んでいる家はすぐに見つかった。南仏にありそうな瀟洒な洋館である。 しかし、それほど大きなものではない。かえって、広い敷地のせいかこじんまりとして見えるのだ。だが、他の建物と比べると随所に女性らしいこだわりが感じられる。門柱の上に『山崎』と書かれた天然石の表札が出ていた。短大時代から変わらない名字の理由は分からない。ジェラシックストーンの石張りが玄関先まで続いている。

山崎直美は、在宅であった。


 達也は、自分が明日香の元夫であり、明日香の両親に頼まれる形で失踪した明日香の行方を追っていることを、順序だてて直美に説明した。

「刑事さんですってね。明日香には聞いていましたけど」

「ええ、山崎さん、それにしても素晴らしい家ですね。何か事業をおやりですか?」

「ええ、『mon ami』という婦人服のお店を、数店舗ですけれど……」

「それはすごいですね。随分苦労をされたのでしょうね」

「ええ、確かに……。でも、人のためという訳ではなく、自分のためでしたから特に苦労とは思いませんでしたわ。お陰様で、婚期は逃がしてしまいましたけれど…」

直美は、事業家として生き抜いて来た自信のせいか、自分の仕事に対する誇りは、人一倍持っている人間のようである。やはり、その自信が働く女としての自分を輝かせるのであろうか、直美は美しいというより聡明さを持った魅力的な女性であった。


「・・・直美さんと呼ばせてもらっても、よろしいですか? 明日香の20年来の親しい友達ですから、私にとっても名前を呼ばせていただく方がしっくりと来る気がしますので・・・」

「どうぞ、私もあなたの事は、近しい知人のような気がしていますから…」

「では、お互い気を使わないという事で・・・」

「はい、そのほうが……」

「直美さんは、明日香が家に帰っていないことを・・・」

「ええ、もちろん聞いていますわ。ご両親からも電話がありましたし…」

「なんて・・・、答えたのです?」

「申し訳ないけど、思い当たる節はありませんと……」

「ほんとうに、そうでしょうか・・・。これだけ親しい間柄です。直美さんは知っているはずだと、僕は思っているのですが・・・」

「まあ、達也さん。何を根拠に……」

「金沢に帰って来てから、明日香は時折あなたと会っては、色々と相談に乗ってもらっていたのでは・・・」

「それは確かにそうなんですけど…。私の方こそ、仕事の話を聞いてもらうことも多かったんです。20年も会わなかったのに、そんなブランクも感じさせない性格というか……、明日香は私の悩みにも、さも自分の事のように真剣に考えてくれて……。                               そういえば……、短大時代から私たちは三人組でして、仲のいいお友達がもう一人いたのですけど、私と親しい友人関係だったことも今では忘れているのかしらね」

「失礼ですけど、直美さんの方からその方に、連絡をされたことはあるのですか?」

「いいえ、最近まで仕事に追われていて、とてもそんな余裕は……」

「その友達の存在も忘れていたとか・・・」

「そんなことはありませんわ。失礼な言い方ね。………あら、そう言えば…、今日三人で20年ぶりに会う約束をしていた日だったかしら……」

「直美さん、その話が明日香と話題になったことは?」

「……10日ほど前のことだったかしら、明日香は行くと言ってたような気がする」

「直美さん、あなたは何て言ったんです?」

「『どうせ紗月から20年も連絡がなかったんだし、来るわけないから私はわざわざ行くつもりはないわ』だったかしら……。達也さん、さっきから私を責めるような言い方やめてくれません。何か私が悪いことをしたような……」


「そう聞こえてしまったなら、謝ります。でも、その紗月さんでしたか・・・、彼女は間違いもなく約束の場所に行ったと思いますよ。例えあなたにとっては、他愛無い20年前の女友達の約束事であったとしてもね・・・」

達也は、心の中で泣いていたのだ。紗月を知った一人の男として、気持ちを思いやっていた。実生活がどんなに夢見たものとは違い悲惨であったとしても、紗月は誓い合った友情を見失うことはなかったのだ。自分の気持ちをあえて伝えなくとも、直美の成功を喜び、心に寄り添っていたのではないか。その証明のために生き抜いたと考えると、紗月の無念さが心に染みていたのだ。                   しかし、あの『狼煙』に、その友情の証(あかし)を見届けた存在が少なくとも、一人はいたのだと考える方が自然であった。でなければ、あのような清々しい表情など見せるはずもなかったのだから。少しは、心が軽くなる。


「達也さんの自信が何処からくるのか、私にはよく分からないけど…、あながち間違ってはいないかも知れないわね。何だか、そう思えるようになって来たわ」

「僕は、直美さんのように仕事に情熱を傾け、その結果成功を収めた女性も素晴らしいと思いますけど、他人にとっては平凡だと思われる日常生活を誠実に生きて来た女性も、もっと評価されても良いとは思いますが・・・」

「そうかも知れないわね。人の持ってる目標なんて、人それぞれだし、何が正解なのかも分からない……。与えられた場所で頑張ることも必要ね」

やはり直美は、聡明な女性なのだ。人の話に耳を傾ける人間的な大きさがあった。                     



 その時、達也の携帯に着信があった。見知らぬ発信元の番号が表示されている。

「ちょっと、失礼します・・・」

達也は、直美に声を掛けると席を外した。直美の視線が達也の背中を追っている。


「達也さん? 紗月です。携帯の充電が切れてしまって…、今警察の電話を借りて電話してるのよ…」

「で、・・・どうなったんだ?」

「安心して、都築署の刑事さんに、今日はもう帰ってもいいって言われたから 。

改めて、2,3日後に警察に行って詳しく話すことが条件だと言われたけれど…」

「じゃあ、紗月が容疑者でないことが証明されたんだな」

「そうよ。でも、不思議なの…、犯行に使われたナイフから、明らかに私のでない指紋が出たんですって…」

「計画的な犯行なら、普通は、手袋をするし検出されることもないからな」

「刑事さんの話では、そうらしいわね……、可笑しい。達也も刑事だったわね」

「・・・そこは、笑うところじゃないだろう」

「ごめんなさい…。達也さん、それより、今日こっちに帰って来れるのかしら?」

「いや、無理だと思う。まだ何も分かっていないしな・・・」

「私は、運よく宿が取れたから、もう一泊するわね」

「ああ、そうしてくれると安心出来るよ。早朝には、何としてでも行くから」

「良かったわ。一緒に朝食食べられるといいわね。待っています……」


 達也は携帯を切り、直美の方に振り返ると少し照れながら言った。

「失礼しました・・・」

「達也さんのいい人かしら…、おモテになるのね。これは冗談ですけど…」

「いやあ、昔からの知り合いというか・・・」

「嘘ばっかり、顔が赤くなっているわよ」

「そんなことは、・・・」達也は、思わず顔をぬぐう動作をした。癖なのだ。

まだ、恋愛も始まったばかりである。初々しい男と女の姿を、そこに直美は感じたのであろう。


「直美さん、話を元に戻してもいいかな? 明日香が今どこにいるのかは分からないとしても、何があったのか、すべて知っていることを改めて教えてもらえませんか? 失踪の解決は、時間との勝負の場合もありますから・・・」

「……分かったわ。達也さんは、なぜ明日香が金沢に戻って来たか、その理由が分かっているのかしら……」

「僕と離婚したら、実家を頼るしかないと考えたからでは?」

「それも理由の一つではあると思うけど…、正直に言うわね。理由は、ある人との約束を守るためだったのよ。達也さんとの20年に渡る結婚生活の中で埋もれていた記憶が、何かをきっかけに蘇ってしまったんだと思う。金沢時代にやっと思いを断ち切って、出て来たはずだったのに……」

「そんな・・・、そんな話とても信じられない。じゃあ、僕との結婚生活は、カモフラージュの上に成り立っていたってことかな?」

達也にとって、直美の唐突な告白は、到底受け入れることが出来ない内容であった。

これではまるで、明日香に長年裏切られ続け、砂上の暮らしていたようではないかとさえ、思えたのだ。


「明日香が、達也さんを愛していたことは、本当よ。優しい旦那様だっていつも言っていたから。でも、それは、彼女が金沢時代に望んでいた人生ではなかったということね……」

「娘の紀香が、短大に入学するまで、ずっと俺を欺いて来たっていう事なのか?」

「それは分からないけど……、きっかけの一つには、なったかも知れないわね」


 達也の知らない明日香がいた。両親から捜索を依頼された当初は、それほど深刻には考えていなかったのである。そこにどんな理由があるにしろ、明日香を見つけ出し、家に連れ戻すのが目的であった。明日香のほうから離婚を求められ、渋々それに従ったまでのことだ。明日香は自由の身であり、今さら達也に非があったとは思えない。被害者は、むしろ自分の方であったと言えるのである。

しかし、今度はその失踪の原因を追わなければ、明日香には辿り着けそうもない。


「直美さん、ショックの受けついでと言っては何ですが、明日香が『諦めたもの』の正体をもう少し詳しく話してもらえませんか? もうこれ以上のショックは受けようがないと思うのでね」

「………、分かったわ」

直美は、達也の憔悴しきった顔を心配そうに見つめながら再び話始めた。



 *



 時間は、20年前の金沢に遡って行く…………

金沢女子短期大学を卒業した親友三人組は、期待を胸に抱きながらそれぞれの職場で働き始めていた。貴船明日香は『和菓子金村』の販売員として、山崎直美は同じ

『金村』の総務部へ、そして青山紗月は、新金沢信用金庫片町出張所の職員として。


 明日香は、『日本料理 貴船』の一人娘であり、2,3年販売や接客を経験した後、『貴船』に戻りいずれは店を継ぐ約束のもとに働き始めていた。いわば、他人の飯を食うという意味合いがあったのである。

金沢の中流の家庭に育だった直美は、何れ平凡な結婚をし、早く親を安心させることが、孝行になると考えていた。紗月は、実家が氷見の魚業関係者であったが、閉鎖的な街の古い因習を嫌い都会での華やかな生活に憧れていた。直美同様に、早く良い相手を見つけ結婚することが夢であった。これは、地方都市に住む若い女性たちの多くが望むことであり、ごくありふれた夢でもあるのだ。


 社会人となった三人には、学生時代と違って全てが新鮮な経験であった。まだ新人という事で仕事もそれほど厳しくもなく、仕事終わりには、三人で香林坊界隈で待ち合わせ、ショッピングを楽しみ、また美味しい食事をするのが日課となっていた。

 そうして、一年ほどたった頃である。明日香は、実家での接客の経験もあったことから、同期の販売員の中でも頭角を現していた。20代初めの若い娘盛りである。 顧客から「是非、うちの息子のお嫁さんに」と、声が掛かることも増えて行ったのであった。


その明日香に目を付けたのが、『金村』の次男坊、和菓子の原材料の仕入れ主任をしていた金村蓮司であった。蓮司は、明日香が昼食を終え、店の裏庭で休憩を取っていると、連日のように顔を出していた。蓮司は、他の従業員の眼を気にすることもなく、明日香一人を店脇に呼び出すと、交際を迫った。無下に断れる相手ではない。                  しかし、当時の明日香には、意中の男性がいたのである。それは、告白する勇気もなく、密かに胸に仕舞っておいた恋心であった。                    当廻しに断るが、蓮司の誘いは止むことはなかった。手に入れるまでは諦めないという粘着質である。しだいに明日香を見る周囲の眼も変わって行ったのだった。                     蓮司も間違いなくオーナー一族の一人であった。蓮司を応援する従業員もいた。

                                     ついに、明日香も友達の直美も一緒ならという条件で誘いを受けたのである。

「蓮司主任、総務の直美さんと一緒なら、一度だけお受けしますけど……」

「全然かまわないよ。むしろ大歓迎だよ。派手にやろうよ、明日香ちゃん」

蓮司は、明日香の肩に手を乗せると、抱く素振りを見せた。すでに、明日香は

蓮司にとって恰好の獲物であったのだ。


「なおちゃん、蓮司主任から一度だけって約束で誘い受けてるんだけど…、一緒に行ってくれないかな…」                               明日香は、遠慮がちに直美に聞いてみたのだ。直美が断ってくれれば、それを蓮司に正直に話すつもりでいた。

「主任て、あんまりいい評判聞かないけど…、二人だし、お料理を食べ終わったら、すぐに帰って来ちゃおうよ」

利発な直美らしい計画であった。

「そうね…」

明日香は、踏ん切りをつけると、今回限りという約束のもと、蓮司の誘いを受け入れることにしたのである。





 第8話『告白Ⅱ』に続く


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