第6話 幻の『約束』

 達也と紗月は、部屋に配膳された朝食を食べ終わると、白波の立つ景色が窓越しに見える部屋に移るとモーニング珈琲を飲みながら静かに会話を楽しんでいた。

紗月は、珈琲をブラックで飲み、達也は、ミルクと砂糖が必要であった。

「達也って…、子供みたいね」

「子供って、どういう意味なんだよ。さっきのことで、俺が大人の男であることは、

充分証明されたはずだけどな」

肌を合わせた男と女の他愛無い会話であった。そこには、間違いもなく信頼と愛が感じられる。


「紗月、俺たちはこのままお互いをよく知らなくても永遠に愛し合って行けたなら、どんなに幸せかと思うんだ。でもな、いつまでも現実に目を背けて生きて行けないのは分かるだろう?」


「そうね。非日常的な旅の中での男と女の出会いなんて、一時的な感情の高まりでしかないことは分かるけど…、でも私達は違うと信じたいわ」

「じゃあ、紗月は、俺の仕事が警察官だとしたら、どうする?」

「…実は、わたしは……、あなたが警察官なのは分かっていたの」

「・・・、紗月、それはどういうことなんだ?」

「『二見館』でね、あなたがお風呂に入っている時に、上着をハンガーにかけてあげようと思ったの。その時たまたま手帳が落ちて来て……、それが警察手帳だという事はすぐ分かったわ。でも、あなたが警察官であることで逆に安心出来たのよ」

「・・・親不知駅で別れた時には、もう知っていたんだ」

「そうね…」           

「今度は、私の番ね。あなたは、私が横浜の夫殺しの犯人だと思っているの?」

「その前に知りたいのは、紗月があの重要参考人の萩原紗月かどうかという事だよ」

「………もう隠しておく必要も無くなったという訳ね。そうよ。私は逃げている女。あの殺された男からね。実際この手で何回殺してやりたいと思っていたことか……、でも、私にはその勇気がなかっただけだといったら、あなたは困ることになるのかしら?」

「いや、想像するだけでは罪にならないさ。実行犯でなくても、殺してくれと人に依頼する『殺人の教唆』なら別だけどね」

「そう、良かったわ。私は、そんなことしていませんから……。でも、誰が私の代わりに……、」

「犯人に思い当たる人物もいないのかな?・・・」

「夫の仕事関係は全く分からないし、思い当たる人がいるかと聞かれても……」


「分かった。じゃあ、これから二人で近くの警察署に行って早く事情を説明しよう。実際『重要参考人』というのは、限りなく容疑者に近いという意味だからね」   

「何か、怖いわ…」

「身に覚えのない事なら、怖がることはないさ。ここだと、所轄は珠洲署になるかな?」

アリバイは、紗月自らが証明する必要があった。しかし、東京駅を午前中に立っているのは事実なのだから、監視カメラの発達している現在、その証明はそれほど難しい事ではないはずである。


「あら、でも待って!今日のお昼に、お友達と20年ぶりに会う約束をしているのよ」

「紗月、何処で会う約束なんだ?」

「この近くの灯台の前なの。そのつもりで、宿を取ったのよ。………達也がなぜ、そんなに驚いたような顔をしているのかしら?」

「その友達は、短大で一緒だった貴船明日香じゃないのか?」

「達也が、なぜ?なぜ? 明日香を知ってるの⁉」

紗月が、達也を宇宙人でも見たような驚きの顔で、見ている。紗月は、やはり青山紗月であったのだ。写真で見た短大時代の青山紗月と目の前で見ている萩原紗月が

モンタージュ写真のように重なって行く。


「明日香が、今日ここへ来るんだな? 紗月、絶対間違いないんだな?」

「達也、それがどうしたって言うのよ? わたしには、何のことだか分からない!」

「ゴメン紗月、驚かせるつもりはなかったんだ。謝るよ・・・」

「何かわけがあるのね…」

「そうだ、俺たち二人の将来にとっても、大事な事なんだ・・・」

気が付くと、11時をすでに何分か過ぎていた。

「俺は、『PRADO』でとりあえず『道の駅』まで紗月を送って行って、そこで待機しているから・・・、明日香には俺が来ていることは言わないでくれ。詳しいことは、後で紗月に説明するから心配しなくてもいい。俺が愛しているのは、この世で紗月だけだからな・・・」

「分かったわ。達也を信じていいのね」

「ああ、もちろんだ」


『ランプの宿』から『道の駅狼煙』までは、わずかな距離であった。約束の10分前までには着くことが出来た。残雪もわずかでしかない。            紗月は、駐車場から灯台まで400m程続く長い脇道を上がって行った。その先には通称狼煙の灯台である『禄剛崎灯台』があるのだ。

 この灯台は、能登半島の最果ての地に立ち明治の面影を留める白亜の美しいものである。元々禄剛崎周辺は北廻り船などの海難事故が多かったことから、明治16年から建設がすすめられ、完成には2年を費やしたと言われている。

周辺は、海抜50mの断崖絶壁が続き、下には『千畳敷』と言われる海食棚が広がっているのだ。


 駐車場は広いのだが、季節外れのせいか観光客の姿は多くない。赤い小さな車やキャンピングカー、白いワンボックスを含めても、10台に満たない数である。

 達也は、車の中から灯台に続く脇道をしばらく見ていたのだが、明日香らしい女が登っていく様子もない。おそらく早めに着いていて、紗月との懐かしい学生時代の話題で盛り上がっているのだろうか・・・。そうであれば、何も心配はいらない。

明日香は、自分の意思で時期をみて自宅に戻ればいいだけの話なのである。他人から、非難される筋合いもない。

さすがに、1時間も気を張っていると眠気に襲われる。それから、また1時間ほど

たった頃であろうか、運転席側の窓ガラスが叩かれる音で目が覚めた。

紗月であった。

「明日香は? 来たのか?」

達也の一番気になっていたことであった。

「それが、二人とも来なかったの…………」

「二人って?」

「もう一人の親友で、直美って言うんだけど……」

「もしかしたら、山崎直美さん・・・かな?」

「どうして、直美だって?……」

「・・・今さら説明しても、紗月には遅いかも知れないが・・・、俺は離婚したとはいえ、明日香と結婚していた時期があったんだ。でも、それを言い出すタイミングがなかなか・・・」

「信じられない。私が明日香の親友だって知ってて、近づいたのね。…どうして⁉」

「いや、それは違う。出逢った時には、何も知らなかった。信じてくれるか?・・・  俺は、純粋に紗月の存在を愛したんだ。すべては、後で知った事なんだ・・・」


「信じたいとは思うけど……、もう少し達也の話を聞いてからじゃないと……」

「分かった。俺が金沢に行った目的は、行方不明になっていた明日香を捜し出すことだったんだ。両親に頼まれてね。何かの手がかりになればと思って、明日香の短大時代のアルバムを見せてもらっている時に、三人の女性徒が楽し気に写っている写真を見つけたんだよ。それが、青山紗月であり、山崎直美だった。俺は、萩原紗月が青山紗月と同一人物であることは、紗月と話をするうちに自然と知るようになったというわけなんだ。そして、20年ぶりに会う友達が明日香であることもね」


「そうだったの……、達也の言いたいことは分かったわ。なんて偶然が重なったのかしらね。あの時、列車の中に私たちのどちらかが乗り合わせていなくて、季節外れの雪が降っていなければ、……わたしたちは出逢うはずもなかったという事ね…」

「でも、俺たちは、出逢うべくして出逢ったんだ。決して、奇跡でもなんでもない」

「そうね。そうなのね……」


「紗月、聞くけど三人が、20年後に『狼煙の灯台』で会う約束をした理由は何だったんだ?」

達也には、どう考えても三人のまだ少女とも言える女たちが20年後に会う約束をした理由が分からなかったのである。今思えば、遠い少女時代の約束である。そこに深い理由があったなどとは考えられなかった。



 *



 紗月は、遠い記憶を辿るように話してくれたのだ。

「私と明日香が写っている灯台の写真は、直美が撮ってくれたものなの。あれは、 確か明日香が金沢を離れる前日だったと思うわ。離れる理由は、要するに過去との決別だったらしいの。私には、その決別が何を意味していたのかは分からなかったけど……、勤めていたお店で何か厭なことがあったらしいことは、何となく雰囲気で分かったわ。でも、詳しい事はあえて聞かなかったの。


 その時に直美が言った言葉は、今でもはっきりと覚えているわ。


『これで、私達三人もばらばらになってしまうわね。きっと、女の人生なんて男に振り回されて、それで終わりよ。運よく結婚できたとしても、約束された未来なんてない。だって、結婚て、男の作った船に乗るみたいな話でしょ!』

私は直美の言ってる意味が良く分からなかったから聞いたわ。


『直美、それはどういうことなの?』

『紗月、あなたは本当に世間知らずな女だと言っていいわね。いい?鉄で出来ていると思った船に穴が開いていたり、木だから沈まないと信じていた舟が土で出来ていたり、人生は、思い通りにならないって言っただけよ。私たちの仲だって、会わないで5年も経てば、友情なんて霧のように消えてなくなっているはずだわ……』

『直美、私達は絶対違うと思うよ。だったら、それを証明するために、20年後の今日、ここでまた会いましょ。三人で……。私は、友情を信じてるし、三人で約束したことは絶対守るから……』


 ……私は、たぶん…、その時の直美の言葉に、ただ反発しただけなのかも知れない。結婚生活なんて、直美の言った通りだったし……、でもね、三人でした約束だけは守りたかったの…」


「俺は、いま紗月の話を聞いて、改めて紗月を好きになった理由が分かったような気がするよ・・・。これが、本当の意味で相手を知るという事なんだと思う。

しかし、二人は結局来なかったんだな。紗月は、二人に裏切られたとは思わないのか?」


「……わたし、坂を登っている時に感じたの、明日香が先に来て私を待っていてくれたって……、それは不思議な感覚だったわ。口では説明できないことよ。                  実際に明日香は現れなかったけれど、でも、なんか納得できたの。約束を守ってくれたんだって……」 


「・・・、紗月には悪いが、正直俺にはまだ良く理解が出来ていない事だな。紗月が納得できたなら、それが一番なんだと思う。いずれ俺にも、分かる時が来ると思うからな」



 *



 達也は、紗月を珠洲署に送り届けると、応対に出た署員に説明をした。

滅多に殺人事件など扱うこともないのであろう。せいぜいが地域の交通安全が中心であるに違いない。交通事故にしても、せいぜい年に数回であるらしい。

「神奈川県の都築中央署から、重要参考人として捜索依頼が出ていると思うのですが・・・、この方が、その参考人の萩原紗月さんです」

「何ですって⁈・・・」まだ若い巡査は驚きを隠そうともせず、事務机が整然と並べられている部屋の中に飛び込んで行った。次に応対したのが、生活安全刑事課の課長野上修三であった。

「確かに、都築署の方から重要参考人として依頼が出ておりますが・・・、あなたがその萩原紗月さんで、間違いはないと・・・?」

野上は、手配写真と紗月の顔とを見比べながら、質問した。

「はい、私が萩原紗月ですが……、夫が殺されたと知って…、びっくりして……」

「そりゃあ、そうでしょうね。滅多に起きることではないですから・・・」

「・・・課長さん、県警には、すでに都築署の署員が入ったころだと思いますから、こちらの珠洲署の方に来てもらって、萩原さんの話を聞いてあげるよう伝えてもらえませんか? 萩原さんの身の潔白は明らかですから・・・」

達也は、珠洲署の遅い対応に不安を覚えると、具体的に指示を出していた。


「あなた、いったい何者ですか?」野上が、イラツキ気味に聞いた。

「失礼しました。私は、湘南海岸署の上条達也です。たまたま、旅先で萩原さんとご一緒したのが縁でして・・・」 達也は、警察手帳を見せながら自己紹介をした。

「湘南海岸署の警部補さんが・・・、それはまた、ご苦労な事でしたな」

「それと、これから萩原さんが説明すると思いますが、東京駅と糸魚川駅の監視カメラに映った萩原さんの時刻との整合性ですね。この点を都築署の署員に、よく説明してあげて下さい。萩原さんが、潔白であることが分かりますので・・・」

「はあ、警部補はもうそこまで・・・、どちらでお調べに・・・」

野上課長の疑問は、余韻を残すものであった。まさか、ベッドの上でとは言えないのである。


 達也は、紗月に振り向くと、不安げに揺れる瞳を見ながら説明をした。

「俺は、直美さんが明日香の失踪の原因を知っているような気がしてならないんだ。

今夜中には、戻れないかもしれない。そんな時は、また『ランプ』に泊まっていてくれないか? 明日の朝には、必ず迎えに来るから・・・」

「分かったわ。いつまでも待っているから…」

 紗月は、20年来の友達との約束を果たしたことで、安堵を感じているようであった。信じた心が明日香を呼び寄せたのであろうか……。達也にとって真実は、まだ

何も解明されてはいないのである。

 野上は、不思議そうに二人の顔を見比べるが、その経緯など知る由もなかった。

 

 時刻はすでに、午後2時半を回っている。

達也にとっても、最後の夜となるのだ。明日には、休暇も終わってしまう。例え明日香が見つからなかったとしても、その真相を知る権利だけはあると思っていた。

 達也は、『PRADO』に乗り込むと、『のと里山海道』を走り金沢市南部に位置する新興住宅地『太陽が丘ニュータウン』を目指した。上着の裏ポケットに入れておいた直美の『年賀はがき』が役にたったのである。




 第7話に続く









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