第6-1話
朝6時。2回目の目覚ましで緑は目が覚めた。緑はもともと朝が強いほうなのに加えて、今は自分以外のためにも朝食を作らなければならないという責任感もあり、目が覚めるとすぐにベッドから出る。顔を洗って歯を磨くと、食パンの袋と卵2個、ハムとスライスチーズ2枚ずつを冷蔵庫から取り出して部屋を出た。鍵のかかっていない向かいの扉をガチャリと開けると、予想通り電気がついている(お互いの部屋をしょっちゅう行き来するので、緑も仲島も、いつの間にか鍵をかけないようになっていた。もっとも、仲島は緑が越してくる前も部屋の鍵をかけ忘れることがしばしばだったが)。
(まぁたつけっぱなしで寝て…)
中へ入ると、仲島が丸テーブルに突っ伏して寝ている。テーブルの上にスリープモードのノートパソコンが開いたまま置いてあるところを見ると、ここで小説を書いているうちに寝落ちしてしまったらしい。いつものパターンだ。
(こんなとこで寝て…冬になったら風邪引くぞ。ったくもう。)
緑は心の中でぼやきながら、ベッドの上に畳んで置いてあったブランケットをつかみ、そっと仲島にかけた。これもいつものパターンだ。
次に、緑は仲島用の弁当作りに取りかかった。仲島の冷蔵庫からグリーンピース、コーンの缶詰、ソーセージ、卵を取り出すと早速調理をはじめた。今日のメニューはチャーハンだ。包丁で具を切る音や、炒める際のジュウジュウという音にも、仲島は一切反応せずに爆睡している。
6時40分。チャーハンが完成した。次に取りかかるのは朝ごはんだ。自分の部屋から持ってきたハムをフライパンでさっと焼いていったん皿に出す。軽く焦げ目がついたハムからは肉のよい匂いが漂ってくる。緑は次に卵を2つ割り入れた。ジュワッという音とともに、一瞬で透明だった白身が濃い乳白色に変わる。目玉焼きができるのを待つ間、緑はスライスチーズを食パンに乗せてトースターへ入れた。
(そろそろだな。)
トースターの音がチンと響いた瞬間、仲島がブランケットの下でもそりと身動きした。
「仲島おはよ。」
「ん……。」
だるそうに頭を上げた仲島は、ゆっくりと緑の方を振り向いた。
「おはよ……」
「顔洗ってきなよ。目覚めるから。」
「ん………。」
普段の0.05倍速くらいで仲島が目をこすり、立ち上がる。大風をまともに受けたような寝ぐせに、緑は思わずぷっと吹き出した。そんな緑に気づかなかったのか、気づいていても反撃する気力がなかったのか、仲島は緑の横を無言で通りすぎると、バスルームへ入っていった。直後にバシャバシャと顔を洗う音が聞こえてくる。緑はフライパンに意識を戻すと、目玉焼きをくるりとひっくり返した。こうして両面に火を通すことで、トーストの上に乗せて噛んだときに黄身がぽたぽたと落ちてこないようにするのだ。
目玉焼きがちょうどよく焼けたころには、仲島は着替えて寝ぐせも直し終わっていた。緑が目玉焼きとハムをトーストに乗せ、皿に盛りつけている間に、大分すっきりした様子の仲島がコーヒーを淹れる。緑はミルク入りで、仲島はブラックだ。
「ほい、できたよ。コーヒーありがと。」
「あいよ。」
2人で丸テーブルに座ってコーヒーをすする。トーストから香ばしいよい匂いが漂ってくる。
「仲島、寝るならベッドで寝ろよ。ぜってーこんなとこで寝てたら肩凝るしちゃんと休めねぇよ。」
「俺が寝落ちする前に言って。」
「はぁ?んなこと言ったら俺夜中ずっと仲島のこと見張ってなきゃいけなくなんじゃん。」
「俺は別にいいけど。」
「よくねーよ。俺もいろいろやる事あんの。」
「へぇー。例えば?」
「え、だから、ほら…課題とか。」
「1年のこの時期の課題なんて大したもんじゃないだろ。あ、それとも何?西山くんもうついていけなくなってんのー?」
「は⁈ちげーよちゃんとついていってるし!課題のほかにもほら、バイトも探し中だし、それに新歓とかさ…あ!そうだ新歓っていえば、俺今日クッキングサークルの新歓行くから、夕飯1人で食べといて。昼のチャーハン多めに作って夜の分取りけといたから。」
「分かった。いつも飯ありがとうな。クッキングサークルか、西山やっぱ料理好きだったんだな。」
「うん。親が仕事で忙しいときとかは、妹と弟に飯作ったりしてたよ。たまにケーキとか焼いたりもしたし。」
「まじか、すげーな。っつーか妹と弟いたんだ。」
「うん。5個下の妹と、6個下の弟。」
「へぇ。じゃ中2と中1か。飯もケーキも作ってくれるとかいい兄ちゃんじゃん。」
「どーだろ。昔は2人とも兄ちゃん兄ちゃんって寄ってきたけど、今は妹とかマジ冷てーよ。弟はまだなついてくれてるけど。」
「いや、西山みたいなのが兄ちゃんだったら、下の子は絶対頼りにしてると思うよ、心の底では。」
「だといいけど。」
緑は肩をすくめた。
「そのクッキングサークルってどんなの?」
「なんか、みんなで放課後集まって晩飯作って一緒に食べるって感じらしい。たまに土日も集まってお菓子とか作ることもあるんだって。俺フツーに料理好きだし、新しいレシピとか色々知りたいし、面白そーだなって思って。」
「いーんじゃねーの。楽しくて居心地いい場所なら。」
「うん。料理するサークルだしそんな激しい人いないと思うから、俺に合ってそうだとは思ってる。」
仲島がふっと笑って言った。
「激しい人か…。そーいや西山、この前知らずにヤバい新歓行っちゃったもんな。」
「もーそれ言うなって!一気のコールそこら中でかかってるわ脱ぎだすヤローいるわで治安悪すぎて俺マジ引いたんだから!CTCとか名前だけ聞いただけならフツーのサークルだと思うじゃん。」
「クリエイティブ・テニス・サークルのどこがフツーなんだよ。名前からしてふざけてるだろ。『創造的なテニスの形を模索する』とかテキトーなこと言って、まだ何も分かってねー新入生引き入れてんだよ。」
「そんなん俺が知るわけねーじゃん!声かけてきたお兄さんすげー爽やかな感じだったし、『CTC』ってイタリックで書いてあるめっちゃかっけートレーナー着てたし。行ってみたくなんじゃん!」
「そもそもテニス部じゃなくてテニサーだぞ?チャラいの多いに決まってんだろ。西山、CTCって陰で何て言われてるか知ってるか?『チャラい・テニス・サークル』だぞ。」
緑はぶっと吹き出した。
「それはウケる。似合いすぎ。」
「ま、料理のサークルでヤバい噂は聞いたことねーし、今回の新歓は大丈夫じゃねーの。」
「うん、だと思う。っつーかもしこれもヤバかったら俺サークルというもの自体信頼できなくなる。」
仲島は軽く笑ってコーヒーをすすった。
熱いコーヒーとサクサクのトーストを食べながら、日々の何気ないことで笑い合う。2人の日常の、当たり前のひととき。
(なんか、いいな。こういうの。)
朝食を食べ終えると、皿洗いは仲島に任せて緑は自分の部屋に戻った。手早く今日の授業の用意をするとガチャリと重いドアを開ける。その音を聞きつけて仲島がひょいと部屋から顔を出した。皿洗いの途中だったようで、ドアを支える手が濡れている。
「仲島、晩飯もし足りなかったら俺の部屋の冷蔵庫にきんぴらごぼうとミートボールの残りあるから、よかったら食べて。」
「お、サンキュ。今日いつもより荷物重そうだな。5限までとか?」
「いや、4限までだけど、3限の教科書がマジ分厚い。」
「俺も散歩兼ねて送ってこうか?荷物持ってやるよ。」
「いらねーよ別に。こんくらいの荷物持てねーわけねーじゃん。どこの箱入り娘だよ。」
「うわっ、かわいくねー。んじゃま、気をつけてな。行ってらっしゃい。」
「ん。行ってきます。」
ガチャンと仲島の部屋のドアが閉まる音を聞きながら、緑は心の中で溜息をついた。
(ったくもー仲島変なとこで過保護だよな。俺もう大学生で、子どもじゃねーっつの。そーいや教科書販売の日、重いだろうからって大学まで迎えに来たこともあったっけ…。や、マジで重かったから正直助かったっちゃ助かったんだけどさ…。)
寮を出ると、外は清々しく晴れ渡り、空気もぽかぽかと暖かい。街路樹の枝先からは柔らかそうな黄緑色の新芽が吹いている。
(でも、いっつも俺が出るとき見送ってくれるんだよな。わざわざ皿洗いの手止めるほどのことじゃないのにさ。)
仲島のそういう優しさは、こそばゆいけれど嬉しい。胸の奥がくすぐったくなる。
(ああいうのってやっぱり、仲島が俺のこと…好き…だから、なのか…な?)
自分でそう思って自分で恥ずかしくなった緑は赤くなって俯いた。以前告白されてから、とくに返事を求められたり、付き合ってくれと言われたりしていないので、緑の仲島に対する気持ちはお互いの間でも緑の中でもなあなあになっている。
(俺は仲島のことどう思ってんだろ…。そりゃ、好きか嫌いかでいったら好きだよ。仲島なんやかんや言って面倒見いいし優しいし、いつもからかってくるのはムカつくけど、トータルはいい人だし。)
緑の前方を、ヒヨドリのつがいが飛び去っていった。光の加減のせいか、灰色のはずの羽毛が今は濃い青色に見える。
(恋愛感情か…。よくそういう恋愛系の漫画とか映画とかであるのって、その相手が誰か他の人といると嫉妬するシーンとかだよな。うーん、仲島が他の誰かと仲良くしてたとして、俺嫉妬するかな?)
緑は仲島が誰かと楽しくデートしているところを想像しようとした。
(……ムリ。仲島がデートとかそんなキラキライケイケなことしてるとことか想像できねー。ずっと小説書いてるし、人との交流とか俺の知る限り全然ないし。っつーか嫉妬なんてさ、友達にもするもんじゃね?仲良い友達に急に恋人できたら『俺の友達とりやがって!』ってなるだろ。実際俺もそういうことあったし。妹に彼氏できた時も彼氏にちょっとムカついたしなー。あ、ほら、世間のお父さんたちも娘が結婚するの嫌がったりするじゃん!やっぱそーなんだよ!誰でも大事な人とられるのは嫌なんだよ!)
そこでふと緑は考え込むように腕を組んだ。
(ん?ってことは仲島は、俺にとって大事な人の部類に入ってるってことか…?まぁ、間違いではない…のか?えっー、そんなん余計わけわかんなくなんじゃん!大事な人ってそれは恋愛的になのか?友情的になのか?友情…友達?仲島が?えっー、仲島はなんていうか…その…ま、恩師?みたいな?だって仲島いなかったら俺この大学受かってねーし…。)
緑がぐるぐると考え込んでいるうちに、渡ろうとしていた横断歩道の信号が赤に変わってしまった。向かい側で信号待ちをしている人の中に、大学生くらいの男女のカップルが手をつないで立っている。K大はキャンパスがあちこちに散らばっているので、おそらく緑とは違う学部の人だろうと思ってぼんやり見ていると、彼女の方が彼氏の肩にこつりと頭をもたせ掛けた。彼氏はそんな彼女の方を振り向くと、その額に軽く口づけた。
(わ、すげー。なんか恋人どうし~って感じで幸せそうだな。あ……れ、恋愛ってこういう、イチャツキタイ…みたいな気持ち…だよな?……俺、仲島とイチャつきたい?え…イチャつくって、ハグとか…キスと、か…?……そ、それ以上、とか…?え、俺したいの?したいのか?仲島と?俺が?〰〰〰〰〰むぅりムリ無理ムリ恥ずすぎるってそんなの‼えぇっ⁉絶っっっっ対ムリっ‼キスされただけでもあんな恥ずかしかったのにそれ以上とか恥ずかしくて死ぬ……!)
ピッポー、ピッポーと青信号の機械音がして緑ははっと我に返った。
(あ゛あ゛ぁっ〰〰もうわっけ分かんねぇ!いや18になってレンアイッテナンデスカ状態の俺も経験なさすぎなんだろーけど…。あーもういーやっ!今日は新歓も行くんだし、全部忘れるっ!)
緑は思考を振り切るように、ダッと駆け出した。
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