第4-3話
仲島に連れられて彼の部屋に入ると、中はかなりすっきりしていた。部屋の真ん中には茶色く丸いカーペットが敷かれ、その上には同じく茶色の低い丸テーブルが置いてある。緑の部屋と大きく違うところといえば、ベッドの向かいにテレビがあることと、勉強机の横にびっしりと本やノートが詰まった本棚があることくらいで、基本的には引っ越したての部屋と変わらない。片付いているといえば片付いているのだが、本当に仲島がここで生活しているのか疑わしくなるほどあっさりしていた。
キッチンに立った仲島が、顎で丸テーブルを指しながら言った。
「そこのテーブルんとこ座ってて。食えないものある?」
「ひじき以外は何でもいける。」
「ひじきムリなの?」
「うん。」
「へぇ。」
仲島の表情がふっと緩んだ。
「何ニヤついてんだよ。」
「別に。受験勉強以外で西山のこと知れて嬉しかっただけ。」
緑は予想外の返事にかっと赤くなってうつむいた。
「何イミ分かんねーこと言ってんの…。」
丸テーブルがある茶色のカーペットの上に座ると、思ったよりもふかふかだった。近くで見てもホコリなどはついておらず、仲島がきれい好きであることが伺える。手伝おうかときいても断られたので、緑はぼんやりと本棚を眺めていた。不思議なことに、本棚の大部分を占めているのは本ではなくノートだった。かなり年季の入ったものや、雨に濡れたのかしわしわなもの、わりに新しそうなものなど、さまざまなノートが並んでいる。
しばらくすると、キッチンから甘いよい香りが漂ってきた。
「何作ってんの?シナモンみたいなにおいする。」
「お、正解。何作ってるかはお楽しみな。」
「シナモン使ってるもんだろ?うーんなんだろ…。」
「もうできるぞ。」
そう言うと仲島は手早く戸棚から皿を二枚取り出し、フライパンで焼いていたそれを移した。仲島が運んできたものは、きつね色に焼けたほかほかと湯気の立つフレンチトーストだった。シナモンとバターの香りが鼻孔をくすぐってくる。緑はじゅるりと唾が出るのを感じた。
「うっまそっーー‼フレンチトーストか!」
「ああ。はいこれ、ナイフとフォーク。」
「ありがと。」
緑は早速トーストの端を小さな三角形に切ると、ドキドキしながらを口に運んだ。噛んだ瞬間、卵と砂糖のまろやかな甘みがじゅわっと口内に溢れてきた。同時にシナモンの気品ある香りが口にも鼻にも広がってくる。焼き加減もちょうど良く、パンの中心までしっかり卵液が浸透しているのに、外側がベトベトしていない。
「うっっま‼」
緑は目を真ん丸にして叫んだ。仲島は一瞬照れくさそうに目を伏せたが、すぐにいつもの真顔に戻って言った。
「そりゃどーも。俺シナモン好きだから自分のにめちゃくちゃかけたんだけど、西山のに飛び火してなかった?」
「え?いや全然。ちょうどいい量のシナモンだけど。」
と言ってふと仲島のトーストを見やると、表面が茶色いペーストでコーティングされているかと思う程びっしりとシナモンがまぶしてある。
「はぁっ⁈いくら何でもこの量はヤバいだろ!どんだけシナモン入れるんだよ!」
「や、好きだから。好きすぎてわざわざ輸入品のスーパー行って缶買いしてるし。」
「缶買い?」
「ん。」
そう言って仲島が顎で指した方向を見ると、キッチンのシンク横に、サバ缶二つ分ほどの大きさをしたシナモンの缶が置いてあった。
「まじですか…!」
仲島は、緑の反応などどこ吹く風といった様子でシナモンまみれのフレンチトーストを口に運んでいる。その様子を見ていたら、緑は何だか笑いがこみ上げてきた。
「っはははっ。っふ、やっぱ仲島ってときどき意味わかんねーわ。」
「何がだよ。」
「いや、もう…っははっ、まじで…」
緑は気づいていなかったのだが、小刻みに肩を揺らしてくっくっと笑う彼を、仲島は愛おしそうな目で見つめていた。
緑の笑いの波が引いたのを見計らって、仲島がきいてきた。
「そーいや西山はもうサークルとか入ったの?」
「いやー、まだ。友達作るためにもなんか入りたいなーとは思ってんだけど、いっぱいあり過ぎてどれ入ったらいいのか分かんなくて。」
「高校のときの部活は?」
「バレー部。」
「え、そーなんだ。」
「なんだよ。意外ってか?」
「うん。西山がアグレッシブにボール打ったりしてるとことか想像できない。」
「は?これでもレギュラーだったんですけど。」
「まじか!それはスゲーな。じゃ大学でも続けねーの?」
「うーん、続けてもいいけど、せっかく大学生で自分の時間がとれるんだし、取りあえずユル~い何かに入っといて、あとは自分の好きなことに時間使いたいなーと思ってる。」
「いいんじゃねーの。そもそも大学生だからってサークル入る必要はねーし。俺は入んなかったしな。」
「マジ⁈そっか、そういうのもアリなんだ…。え、じゃあ仲島、授業以外の時間何してたの?」
「小説書いてた。」
「小説?」
予想外の答えに思わず緑は聞き返した。
「そ。俺、ガキの頃から小説書くのがすげー好きでさ。考えてみれば幼稚園くらいから小中高もずっーと、受験生のときも書いてて。で、大学生なって、さぁ何しようかなって考えたときにさ、自分の貴重な時間使ってなんかするんだから自分がやってて一番楽しくて、居心地いいことしてーじゃん?俺にとってそれは小説書くことだったから、サークルには入らないで一人でずっと小説書いてたんだ。気づいたらのめり込んでて、学部の勉強もほったらかして書いてたな。まぁ最低限の勉強はしてたけど。」
「そーなんだ…。あ、じゃあ、そこの本棚にあるノートってもしかして全部仲島の作品?」
「そ。高校までのやつ。大学入ってからはずっとパソコンで書いてるから。」
「どれか読んでいいのある?」
「どれでもいいよ。好きな時に好きなもん持ってけ。」
「おぉー太っ腹!」
「いや、別にどれも大した作品じゃないし。」
「えー、でもさ、あんだけ本棚埋め尽くすくらい書いてるってことは、本当に小説書くのが好きなんだね、仲島。」
「…そうだな。なんつーか、もう抜け出せない沼にはまってる感じ。博士行ったのも小説家なるためだし。」
「え?どういうこと?」
「いや、俺の父親、N商事の社長でさ。俺に跡継がせようと…」
緑は一瞬自分の耳を疑った。
「えぇっ‼ちょっ、ちょっと待った‼N商事って、あの⁈政経の教科書に載ってるレベルで有名な傘下にめっちゃ色んな組織抱えてる大商社の、あのN商事⁈」
「うん。そ。」
「えぇっーー‼じゃ、仲島っていわゆる御曹司なの⁈実は坊ちゃんなの⁈」
「んー、ま、世間的な枠に当てはめるとそうなるのかな。」
「まじか……ってか仲島って掘ると色々出てきすぎだろ…。なんか全然知らない人に思えてきた…。」
一瞬二人の間に沈黙が流れる。が、緑がそれに気づいて言葉をつづけた。
「あ、ごめん。俺遮っちゃったな。ついびっくりして…。ごめん、お父さんが社長で、そんで?」
「や、大したことじゃないんだ。俺が修士終わらせたときに会社継がないで小説家なるって言ったらめちゃくちゃモメてさ。ずっと前から継がないって言ってたんだけど…。んでまぁ、継がないならせめて博士行けってなって。俺は行く気なんてさらさら無かったんだけど、考えてみたら博士に行って大学に残った方が色々と便利なんだよ。まず家賃だろ?ここの家賃、バカ安いから大学出てどっか部屋借りるより何倍も得だし、在籍してたら大学の図書館使い放題だから、小説の設定のために色々調べないといけねー時にもめちゃくちゃ便利だし。家電も新しく買わなくて済むし、大学残っとけばこんだけ良い条件揃ってんだから、じゃあ残ればいいじゃんって思って進学することにしたんだ。」
「えぇ…?全然大したことじゃなくねーじゃん…。え、じゃ、博士の勉強はどうしてんの?」
「してない。ってか休学してる。休学申請すれば、授業料はその期間払わなくてよくなるんだけど、在籍はしてるから寮にも住めて図書館も使えるからさ。だから俺、小説家としてちゃんとやっていけるようになるまで、休学とか博士課程とかで何とかして大学に残れるだけ残ってやるつもりなんだ。」
「そ、そうなんだ…。え、じゃあ今は親御さんとはどうなってんの…?あ、きいてよければだけど…。」
「いいよ、そんなの気にしなくて。まぁいわゆる勘当状態だな。いや、もともとあの家にいたいと思ったことなんてなかったからいいんだけど。」
「え!じゃあお金とかどうしてんの?」
「アドバイザーの給料。」
「え、あれで大丈夫なの…?」
本気で心配そうな顔をした緑を見て、仲島はぷっと吹き出した。
「そんな深刻な顔すんなって。大丈夫だから今生活できてんだろ?安心しろ、そんじょそこらのアルバイトと比べたら相当良い給料だから。テストの採点とか手伝ったらプラスで手当つくしな。有休も結構ある。」
「そっか…。」
それでも心配そうな緑の肩を、仲島はぽんぽんとたたいた。
「んな暗い顔すんなって!西山にはこれから明るい未来が開けていくんだから。サークルとか入ったら新たな出会いとかもあるだろうしな?楽しみじゃん!」
出会い、という言葉で緑ははっとした。さっきから驚きの連続ですっかり忘れていたが、まだ緑は仲島に大事なことをきけていないままだったのだ。
(え…?でも今きく…?今?あれきいちゃう?きいちゃいますか?でも恥ずかしいっ…!や、でも今逃したらもうタイミング来ないかも……いやでも…いや……っああああもうっ‼)
緑は半ばやけになって叫んだ。
「あのさ!なんで俺にキスしたんだよ‼」
仲島がびっくりしたようにまじまじとこちらを見る。
「え。」
「やっ、だからっ……こ、この前…その…塾の近くの公園で仲島に合格の報告したじゃん?そ、その時にさ…っな、仲島、俺にき、キス…した…ような、してないような…いや、俺の記憶違いかもしれないけど…。」
恥ずかしさのあまり最後の方は声が尻すぼみになった。
「……あれが挨拶のキスとかじゃないことは状況的に分かるよな?」
緑は耳まで赤くしてうつむいている。
「じゃ、あのキスの意味、本当に分かんない?」
心なしか仲島の声が艶っぽくなった気がする。緑はやはりじっと黙ってうつむいたままだ。
「あぁそっか。ストレートの男子が男子高に三年も通うと、挨拶じゃないキスの意味も分かんなくなるくらい恋愛にうとくなるんだ?」
仲島のからかうような物言いにカッとなった緑は、顔を上げて言い返そうとした。しかしいざ顔を上げると、そこにはドキリとするほど真剣な表情の仲島がいた。
「西山、好きだ。」
その言葉を耳にした瞬間、緑は体中の血が顔面一帯に集まったのではないかというほど真っ赤になった。心臓が飛び出そうなほど激しく波打っている。緑の意識は熱く霞んでまったく形にならず、まるで間欠泉が脳内で噴き出しているかのように思えた。
「西山が塾生だった頃から好きだった。でも、西山はまだ高校生だったし、何より俺自身受験生の集中を乱すようなことはしたくなかった。それに、俺のアドバイザーっていう立場的にも行動を起こすことはだめだと思ってたから、西山の受験が終わって高校も卒業するまで待ってたんだ。公園での事は、そういう障害が全部なくなったタイミングだったし、西山にはもう会えないかもしれないと思ってたから、思い余って…俺自身気づいたら勝手にああなってた。」
首も耳も真っ赤にして下を向いたままの緑を真っ直ぐに見つめながら、仲島はつづけた。
「俺に気つかう必要は全くねーから、正直に答えてほしい。…あの時、嫌だった?」
(…え⁈そんなん分かるわけねーじゃん‼い、嫌も何も、そもそもびっくりして頭まわってねーわ‼)
緑の沈黙が、二人の間の緊張を高めていく。耐えきれなくなった緑は口を開いた。
「や、だから…その…嫌とかなんとか思う前に混乱して…脳が処理できなかったっていうか…」
(いや、ダメだ!仲島あんな真剣でいてくれてんのに、ただ恥ずかしいからってだけで俺が逃げちゃ…)
「いや、その、分かんないっていうので片付けようとしてるんじゃなくて、その、だから、えっと……」
何とか答えようと気持ちを手繰っていくうち、ふいに脳裏にあの瞬間が蘇ってきた。近づいてくる黒い瞳。そっと緑の唇を包み込んだ、温かくて柔らかく、微かに甘いそれ―
「びっ、ビックリしたけど…い、嫌、では…なかった…と、思う…。」
緑の羞恥心が極限まで達したのと、仲島の顔がぱぁっと輝いたのが同時だった。
「今はそれで充分。」
緑がちらりと見上げると、仲島は、まるで花が咲いたような満面の笑みを見せていた。
「え…?」
「嫌じゃなかった、で十分。」
「………」
「本当はさ、俺、めっちゃ不安だったんだ。だって西山からすれば、それまでフツーに数学教えてもらってたアドバイザーにいきなりキスされたわけだし、ドン引きされたんじゃねーかな、嫌われたんじゃねーかなって。」
「…全然そんなこと心配してるようには見えなかったけど。」
「大丈夫なフリしてたんだよ!内心バックバクだったんだからな!だから西山からチョコのお礼メール来たときもキスのことには触れなかったんだよっ。返信が怖かったから…。」
いつになく感情をあらわにする仲島を、緑はしばらく呆気に取られて見ていたが、突然ぷっと吹き出した。
「っはは。仲島、ついさっきまであのこと全く覚えてませんみてーな態度してたのに、ホントはめっちゃビクビクしてたんだ。」
「当ったり前だろ。誰だって自分にとって大事なことほど怖いもんじゃん。って、まあ、真っ赤になって何も言えなくなるような誰かさんに比べたら?俺の方がよっぽど余裕あると思いますけど。」
ふん、といつものすまし顔に戻って仲島が言う。
「はぁっー⁈なっ…」
「ほらほら、お互いとっくに食い終わってんだから皿洗うぞ。」
言い返す前に遮られた緑は少し不満だったが、皿洗いを申し出た。
「作ってもらったんだし、俺皿洗いくらいするよ。」
「お、まじ?ありがと。んじゃ洗ったやつ俺に渡して。拭いて戻してくから。」
狭いキッチンに二人並んで皿を片付ける。緑は、自分が渡した皿を手際よくしまう仲島をこっそり盗み見ながら、ふと、こういうことがいつの間にか日常になっていくような気がした。
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