第4-1話
無事K大に合格した緑は、うすい黄色に塗られた重そうなドアの前に立っていた。これから自分が四年間住む部屋のドアであり、K大で一番古く家賃が安い寮のドアでもある。緑の実家からK大までは片道三時間半かかるため、さすがに通うのはあきらめて寮に入ることにしたのだ。本音を言えば下宿がよかったのだが、四つ下の妹と五つ下の弟がいることを考えると、寮の方が家計への負担が少ないと思い、緑は自分から入寮を言い出した。
今日は入学式の五日前。一週間分の荷物をスーツケースに詰めこんで、緑は一人で寮までやって来た。残りの荷物は追々送ってもらう予定でいる。両親に引っ越しの手伝いに行こうかとも言われたが、親元を離れ独り立ちした気分に浸りたかったので断った。緑は先ほど寮の管理人からもらった鍵をポケットから取り出すと、期待に胸を膨らませながら差し込んだ。
(見取り図はホームページで見たけど、写真とか載ってなかったからな…。中どんなのなんだろ…。)
鍵を抜き取りドアを開けてみると、中は案外広かった。入ってすぐの所にはひと一人立てるくらいの小さな玄関があり、その左には縦長の白い靴箱が備え付けてある。緑はわくわくしながら靴を脱ぎ中へ入った。床には全面紅色のごわごわしたカーペットがしいてあり、足の裏が少し温かく感じる。玄関のすぐ右手には小さなキッチン、左手にはユニットバス。それらを過ぎるとだだっ広い正方形の空間が広がっており、奥にはベランダに通じる大きな窓、左側にベッドと壁面収納のクローゼット、その反対側に机と椅子がおいてある。
(基本的なものは全部そろってるんだな。どれも年季入ってる感じするけど、結構キレイじゃん。よかった。)
緑は荷物をベッドの脇におくと、ベランダに出てみた。
(うわぁっ…!)
寮が山の上にあるせいか、視界を邪魔するものが何もない。この棟の下方から山の斜面に沿って所狭しと立ち並ぶ家々やビルのずっと向こうに、柔らかい春の陽ざしを反射して白く輝く海が見える。数えるほどしか雲のない、抜けるような青い空が頭上に広がり、緑はとても穏やかな気持ちになった。
しばらくベランダで心地良いそよ風に当たったあと、緑はスーツケースを広げて荷物の整理に取りかかった。それほど量がないとはいえ、このがらんとした部屋のどこに何を置いていくのか一つひとつ決めていくのは骨が折れた。
やっと荷解きに一区切りついて、緑は先ほど整えたばかりのベッドの上に仰向けに横たわった。
(はぁ~…結構疲れた。)
何となくポケットからスマホを取り出し、横になったままぼんやりとロック画面を眺める。ロック画面の写真は、卒業式で仲の良かった友人三人と撮ったものだ。校門前で卒業証書を片手に満面の笑みでピースしている。三人のうち二人は別の大学に行き、あとの一人は同じ大学だが別の学部に行くことになった。
(最近入学手続きやら引っ越し準備やらでバタバタしててあいつらと全然会えてねーな。久しぶりに遊びてー…。……って、会えてないと言えば、だ。)
仲島とも、公園で合格の報告をしてから一度も会っていない。連絡はした。どうやって連絡先を入手したのかと言えば、あの時もらった板チョコに書いてあったのだ。緑がその包装紙をはがしているとき、賞味期限のあたりに小さくメールアドレスが書かれてあるのに気がついた。それを通して板チョコのお礼は伝えたが、まだ肝心なことは訊けないでいた。
(だって!様子見で板チョコありがとうってだけ言ったら、「どういたしまして」的な内容しか返信ないんだもん!仲島があのことに全っ然触れねーのに、いきなり「あの時なんでキスしてきたんだよ」とか俺がきけるわけねーだろっ!)
緑は一人赤面すると、スマホをベッドに投げ出してゴロリとうつ伏せになった。
(正直、俺自身まだ頭がついてきてない…。)
あの瞬間を思い出すたび、全身が沸騰したように熱くなって何も考えられなくなる。仲島の柔らかい唇が自分の唇をそっと包み込んだときの、驚きと困惑と微かな甘さが蘇ってきてたまらなく恥ずかしい。
(脳内再生するだけでこんな恥ずいのに、それを文章にして相手にメールで送るとか、シンプルにムリ…。俺にはレベル高すぎ…って俺がショボすぎるだけか…。)
緑はむくりと起き上がると、悶々とした気持ちを追いやるように、残りの荷解きにとりかかった。
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