第一幕の終演

 その女性が進み出た時、冬貴妃様が立ち上がった。

小猫シャオマオ、小猫。あなたなのね」


「貴妃様、申し訳ありません。申し訳ありません」

 小猫はその場にひざまずくと、床に頭をこすりつけた。


「顔を見てみたいわ。お願い、頭を上げて」


 横にいる程陽さんが優しく肩を叩いた。それに促されて、小猫はようやく少しだけ顔を上げた。だが、まだ体は震えている。


「ごめんなさい。私のせいだわ。気づいてあげられなかった」


「冬貴妃様のせいではありません。みんな私が悪いんです。大恩のある冬貴妃様の食事に毒を入れるなど、万死に値します。お願いです。この場で首を刎ねるように陛下にお申し出ください」


 そこで、趙良様が小猫の前に出た。

「私が身柄を押さえた時、二人は自決しようとしていました。それをこの場に出てくるように説得できたのは、ただただ、冬貴妃様にお詫びがしたい。小猫のその一念でした。その言葉に嘘はなかったと私は信じています」


「また、会えてよかったわ。死んでしまったかと思った」


「私は貴妃様を裏切ったんです。憎んではおられないんですか」


「どうして憎む必要があるのです。あなたに本当に殺す気がなかったことは、私のように頭の鈍い女でもわかります。それにあなたは、あの子の生まれ変わりだもの。話したことがあるでしょう。あなたは実家にいた使用人の子にとてもよく似ているの。流行り病で死んでしまったけど、本当によく尽くしてくれたのよ」


 趙良様は小猫の肩に手を置いた。

「さあ、冬貴妃様に自分のしたことを話して差し上げなさい」


「はい。氷水ビンスイを誘い出して殺すと、私はその足ですぐにお屋敷に戻りました。氷水のことは、体調が悪くて寝ていると言い訳しました。たまに私に仕事を押し付けてサボることがあったので、誰も不審には思わなかったはずです。

 それから部屋に隠してあった毒を袖に忍ばせて、それを配膳の隙に冬貴妃様の料理に入れました。もちろん毒味されるのをわかった上でのことです。

 毒味薬も殺してしまうつもりでしたが、直前で気が変わりました。イジメが始まる前に一度だけ……たった一度だけですが、普通に話をしたのを思い出したんです。彼女は母親からの手紙を楽しみにしていると言っていました。

 せめて命だけはと思い、毒を入れた料理をすぐに吐き出すように酢を入れました。イジメていた侍女たちを全員殺してやりたいと思っていたこともありましたが、今はそれでよかったと思っています」


「わざと失敗するように毒を入れたということですね」


「趙良様のおっしゃるとおりです。私たちの目的は、私と氷水が自殺をするだけの理由を作ることでした。主人を毒殺しようとした。それはどう考えても死罪です。

 生きて捕まれば、陰謀を疑われて拷問もされるはずです。拷問を恐れて自殺するなら行動に不自然さはない……程陽様と私はそう考えました」


「なんだ、つまらぬ。結局、黒幕などはいなかったということか」

 皇帝が失望したように言った。


「でもまあ、それなりに楽しい見せ物ではあった。趙良、おまえの女装姿も見ることができたしな。褒美は約束どおりに与える。酒でも飲んでから、話を聞こう」


 観衆の緊張が一気に解け、あたりがまた、ざわつき始めた。

 皇帝陛下は不満だったようだが、ほとんどが安堵の声だ。


 後宮に平和が戻った。これで安心して眠れる。さすがは趙良様だ。


 貴妃様たちも料理や飲み物に、ようやく手をつけ始めた。これで終わった。室内の空気は、はっきりとそう語っていた。


「これで終わりだと思いますか」

 天佑さんが、文月にそっと囁いた。


 もちろんわかっている。美人街に行った帰りに、文月を襲ってきた相手は程陽さんではない。あれは間違いなく、春貴妃様のお屋敷にいた宦官だった。

 それに程陽さんは春貴妃様と同じ梁の国の出身だ。天佑さんが黒幕のことを話さないのも、そのためだと思えば納得がいく。


 だが、それを本当に暴く必要があるのだろうか。

 春貴妃様はかわいそうなお方だ。それに事件がここで終われば、天佑さんは罪に問われない。後宮に平穏な日々が戻り、事件を鮮やかに解決した美貌の名探偵の記憶だけが残る。


「趙良様のなさることに間違いはないと思うけど……」


「あえてこれで終わりにする、という選択肢もあると思います。趙良様が自分の身の安全だけを考える方なら、むしろそうするでしょう。ですが、あの方は何年も先のことまで考えています。ここで陰謀を見逃してしまえば帝国の将来に暗い影を落とすはずです。そのことに気づいていないはずはありません。

 趙良様がわざわざこのような見せ物ショーを計画したのは、本当の黒幕を名指しするためだと思います。もちろんそうなれば、私も処刑されることになります。でも、趙良様なら必ずそうするでしょう」


「天佑さん……」

 文月は突然に悟った。


 天佑さんはかつて敵だった天才軍師と、心の中で競おうとしているのだろう。

 軍師の戦いは、相手の思考を読み合う勝負だ。戦国時代、斉の国に孫臏そんぴんという軍師がいた。彼は敵の軍師の思考を完璧に読み、追撃した敵将が立ち止まる場所まで予測して、罠にかけて殺した。



 ざわめきは、やがて火が消えていくように収まった。

 まだ趙良様が皇帝の言葉に返答していない。観衆がそれに気づいたからだろう。


 待ち構えていたように、趙良様が口を開いた。

「皇帝陛下。今夜の推理ショーは、まだ終わってはいません。むしろ、これからがクライマックスです」


「ほう……」


「事件の概要は今、明らかにしたとおりです。でも、それだけでは解けない謎が残ります。まずは毒薬の入手経路です。事件に使用された毒薬は過去に皇族の暗殺にも使われたこともある特殊な物でした。希少なだけではなく非常に高価で、普通の人間が手に入れることは、ほぼ不可能です。

 また、仮に手に入れたとしても、それを後宮の中に持ちこむための手段がありません。宦官には外出が認められていますが、後宮に戻る時には裸にされて髪の中まで調べられます。物品の検査を免除されているのは、皇后様と四人の貴妃様だけです」


「つまり、この中に事件の黒幕がいるわけか」


「はい。しばらくの間、この部屋を閉め切ってもよろしいでしょうか。これから推理ショーの第二幕を始めさせていただきます」

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