皇帝との謁見

  ※  ※  ※


「今まで、どこにいたのだ。中常侍が心配していたぞ」


 玉座は三段ほど高い位置にある。

 趙良は皇帝に恭順を示すために腕を組み、膝をついて深く礼をした。


「すべては捜査のためです。事件の痕跡は後宮だけにあるわけではありません。それをひとつひとつ、注意深く調べておりました」


 文月を皇后様に託して後宮を出てから、既に三日が経っている。

 もちろん趙良も遊んでいたわけではない。その間に後宮から脱出した男女の尋問や外で待ち構えていたゴロツキの調査をした。宰相から借りた人手を使い、それこそ徹底的に。三日でも短いくらいだが、それを皇帝に説明しても意味がない。


「それで、今日は何を言いに来たのだ。まさかもう音を上げたのではないだろうな。天下の大軍師の名が泣くぞ」


「そうではありません。今日は陛下にご提案があって参りました」


「なんだ? 何でも言ってみるが良い」


 趙良は顔を上げた。ここからが勝負だ。

 大切なことは、事件の解決だけではない。

 問題は事件が解決した後に恨みや疑念を自分に向けないことだ。謎を解いて功を誇っても、そのせいで粛清や暗殺の憂き目にあったのでは意味がない。身を守るためには特別な仕掛けがいる。

 

「事件の謎は全て解明しました。ですが、ただそれを陛下に報告しただけでは芸がありません。それに密室で事件を終わらせたのでは、容疑者として疑いをかけられた方々も納得しないでしょう。

 これだけの陰謀であれば、後宮の方々にも説明する機会が必要です。そこで、たとえば陛下のご臨席のもとで、私の推理を披露するというのはいかかでしょうか。もちろん皇后様や四人の貴妃様、それに中常侍殿にも参加していただきます。場所は皇后様のいる小宮殿。近衛部隊から選抜した精兵で警備すれば、誰も妨害することはできません」


「その場で事件の解明をして、黒幕を名指しするわけか。なるほど。面白いな……いや、待て。実に面白い。さすがは趙良だ。こんなことは中華の誰であっても思いつくまい」

 皇帝はすぐに食いついてきた。

 いつの間にか玉座からも身を乗り出している。


「そのような趣向であれば、皇后や貴妃たちの退屈もまぎれるだろう。もちろん名指しされる犯人は別だろうが……いいぞ。これはいい。それで、事件の黒幕とやらは誰なのだ」


「今は申し上げられません。この場でお教えしたのでは、余興の楽しみが半減してしまいます。

 陛下も想像してみてください。集まった容疑者たちの疑心暗鬼からくる緊張感と反目。名指しされた犯人の絶望と悲嘆。全てが解明された時の爽快感。それらの楽しみを全て犠牲にしても構わないのなら、今すぐにでもお話ししましょう」


「なるほど。おまえの言うとおりだ。だが、名指しされた犯人の処罰はどうする。皆が知ってしまえば内々に済ますことはできぬぞ。その場でわしに処刑でもさせるつもりか」


「それを決めることをできるのは中華で皇帝陛下だけです。私は陛下が古来まれな名君であると信じております。厳正に罪を処断するも良し、慈悲を示して感服させるも良し。思うがままにされれば良いのです。

 この余興の真の主役は陛下です。今回、私がご用意するのは三千年以上続く中華の歴史でも類のない見せ物ショーとなることでしょう。皇帝陛下なら、その締めくくりにふさわしい判断をされることと確信しております」


「ふふふ、あまり持ち上げるな。だが、確かにその程度の趣向がなければ面白くはないな。いいだろう。おまえに全てを任せる。最高の余興をわしに味あわせてくれ」


「はい。謹んでお受けいたします」


 これでいい。

 事件を容疑者全員が参加する余興にしてしまい、処罰はその場で皇帝に決めさせる。それこそが趙良の真の狙いだった。事前に打ち合わせをすれば、当然ながら趙良にも意見を求められる。その時はよくても、後々どんな災いが降りかかるかもわからない。



 皇帝との謁見を終えると、趙良は宮廷内の一室に入った。

 これからまた、女装をしなければならない。

 実行は明日の晩と決まったが、それまでに後宮内の容疑者たちにも伝える必要がある。その手配も仙月としての自分の仕事だ。


「先生、それで皇帝陛下は承諾してくださいましたか」


 李光が待ちかねたように声をかけてきた。

 確か今年で十八才になったばかりのはずだ。色は白く、双眸は澄み切っていて美しい。女装させて後宮に連れて行くことも考えたが、女性の声を出せなかったから断念した。


「ああ、推理の披露は明日の晩に決まった。皇后様や貴妃様たちも同席する。その時にはおまえにも手伝ってもらうぞ」

 趙良は服を脱いで李光に渡した。


「それにしても、こんなにお痩せになって……役作りもいいですが、あまり減量すると体を壊してしまいますよ」


「それも明日までの辛抱だ。終わったら、おまえにもうまい物を飽きるほど食わせてやる。……そうだ。今日は胸をもっとキツく縛ってくれ。この間は作り物の胸が落ちそうになった。おまえは気が優しすぎて、大事な時に手を弛めるのが欠点だ。軍師になりたかったら、少しは非情になることも学んだほうがいい」


 下帯一枚の裸になった趙良は、両手を上げて脇をあらわにした。

 胸の場所に木型を当て、伸縮性のある布で縛って固定していく。これはこれで難しい作業だ。半日、いや長い時は一日中そのままにしておくのだから、ちょっとしたズレでも偽物だと露見する可能性がある。

 だが、もっと神経を使うのは喉の部分だ。

 そこには木型ではなく薄い金属板を使う。喉仏を押さえ、気道を圧迫する。力任せに縛ると喉から血が出るし、ゆるければ呼吸の調整程度では声が変わらない。


「先生はお優しいですよ。常に最善の中の最善を考えておられます」

 

「何が優しいだ。今回も自分の保身のために、推理を見せ物ショーにしてしまった。陛下は残酷な裁定をされるかもしれない。それをお止めしないと最初から宣言したようなものだ」


「それでも、です。……高貴なご婦人方の前では、陛下もいつもよりは手心を加えられるでしょう。先生がそれを考えていないとは思えません。それに自分を愛せない者が他人を幸せにできるでしょうか」


「おまえも言うようになったな」


「いつまでも先生の前で泣いていた小僧ではありません。あっ、ちょっと待ってください。今から喉の所をやります。少しの間、しゃべらないでいてください」


 冷たい金属の板が喉を圧迫する。

 やがて位置が決まると、李光は慎重に薄い布を巻いていった。金属板が動かないように、だが呼吸に無理のないように。李光の手は鮮やかに動いていく。


「どうです、苦しくはないですか」


「うん……なかなかだ。上手くなったな。声の方はどうだ?」


 試しに仙月の声色を作ってみると、李光が笑みを浮かべた。


「ええ、間違いなく仙月様の声です。いつも不思議なのですが、どうして先生はこんな声が出せるんでしょうか。僕はどんなに練習してもダメだったのに……」


「おまえは琵琶を知っているか」


「はい。それはもちろん」


「私はあの音色が好きでな。どこにでも持ち歩けるよう、特別に小さな琵琶を作らせたことがある。だが、その音は普通の琵琶と同じではなかった。弦が同じでも、響く場所が小さければ高い音が出る。人間の喉も同じだ。女は男よりも響く場所が小さい。だから高い声になるのだと思う」


「もっと喉を締めつければ、僕にもできるでしょうか」


「さあ、どうだろうな。声真似には他にもコツがある。それに私はおまえの声が好きだ。喉を潰すようなことを弟子にさせる気はない」


 それに、そのおかげで文月と出会うこともできた。

 いちいち女装をするのは面倒だが、また文月と会えると思うと後宮に行くのが楽しみでもある。皇后様の所にいるのは気苦労だろう。声をかけたら、どんな顔をするだろうか。


 入念に化粧をし貴婦人の鮮やかな服に袖を通すと、そこにはもう大軍師の趙良はいなかった。最後にカツラをつけ、髪を整える。


「これで完璧です。どこの誰が見ても先生だとは思いません」


「完璧か……」


 その言葉が戦国時代の偉人、藺相如の故事から生まれたことを趙良は知っていた。文月も憧れていた人物だ。


 先人に嫉妬するなど、自分らしくもない。

 趙良は気を取り直して仙月という人間になりきることにした。後宮の事件に挑む中華で最初の女探偵。その突拍子もない設定が、趙良には奇妙なほどに心地よかった。


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