6 春と夏の貴妃

春貴妃様

 貴妃様の序列は春夏秋冬の四段階になっている。

 最も格上は春貴妃しゅんきひ様だが、この方に実態としての権勢があるかというと、そうでもない。


 皇后様は別格として、皇帝陛下の寵愛が最も深いのは冬貴妃様だ。実際に皇子様も産んでいる。春貴妃様には子がいなかった。かつては絶世の美女と呼ばれた春貴妃様も最近ではめっきり影が薄くなったとウワサされている。


「どうして今頃になって、終わったことを調べているのかしら」

 面会に応じた春貴妃様は、気乗りのしない声で言った。


「さあ、私には調査の意図まではわかりかねます。中常侍様に雇われた、ただの探偵ですから」


「探偵? 何、それ」


 今更それを聞くのは、後宮内の情報を自分から集めていない証拠だ。

 他の貴妃様には仙月様のことを、わざわざ説明する必要がなかった。これほど情報に鈍感なのは、春貴妃様が初めてだ。


「探偵とは、報酬をもらって事件の捜査をする人間のことです。私は中常侍様に事件の背景を調べるように依頼されました。侍女の単独の犯行か、それとも命じた者がいたのか……まだ、捜査の途中ですが、この事件には裏に誰か指示した者がいた可能性があります」


「ふん、つまりあなたは中常侍の手先というわけね。あの曹高が考えそうなことだわ。どうせ貴妃の誰かを犯人にして、陥れようとでもしているのでしょう。下劣な宦官めが。呪われればいい」


「あの……」


 気がついた時には、文月は口を挟んでしまっていた。

 中常侍様は恩人だ。なんの取り柄もない田舎者の自分に、貴重な本を読ませてくれた。尊敬する藺相如様や李牧様、それに愛する趙良様にも。本を通じて会わせてくれた。あの方にはどれだけ感謝しても足りない。


「恐れながら、それは違うと思います」


文月ウェンユェ、控えなさい」


「構わないわ。退屈しのぎに聞いてあげましょう。あなたは、あの地虫のような男の何を知っているの? いや……男ではなかったわね。『男であった物』とでも言えばいいのかしら」


「中常侍様は優しい方です。いつも私のことを気づかってくれて……つまらない侍女のために、大切な本を取り寄せてくれたりするんです。私を孫のように思っているとも言ってくださいました」


「なによそれ、面白くもない。誰だって気に入った毛並みの猫がいれば、かわいがることもあるわ。気が向けば頭を撫で、腹が立てば蹴りつける。人とはそういうものよ。それと、何が違うのかしら?」


「中常侍様は違います。いつも後宮内の安寧あんねいのことを考えていらっしゃいます」


「安寧……、安寧ね。なるほど、あの曹高が言いそうなことだわ。あの曹高がそのために何をしたか、あなたは知ってる?」


 春貴妃様は滅亡した前の王朝で皇帝の寵妃だったお方だ。

 現在の皇帝陛下が後宮を手に入れた時、是非にと望まれ、最上位の貴妃として迎えられたと聞いている。


「中常侍様は後宮内で血が流れるのを防ぐために、趙良様と後宮を明け渡す交渉をしたと聞いています。そのために大勢の妃嬪や宦官が命を救われました」


「そう、その通りだわ。前の陛下の皇子や皇女を全て犠牲にしてね。私の産んだ娘もあいつに連れていかれたわ。前の皇后様と一緒に、屋敷に押し込めて殺したのよ。

 曹高は私の娘を助けると約束したわ。そのために新しい皇帝に身を捧げて命乞いをしろと……でも、娘は帰ってこなかった」


「前の皇后様は中常侍様の制止も聞かず、自害なされたと聞いています」


「制止? バカを言わないで。それならどうして背中から刺されているのよ。私は見たのよ。娘の姿をひと目でも見たかったから、忠実な宦官に案内させてね。

 死体はすぐに埋められたらしいけど、曹高はその場所さえ教えてくれなかったわ。葬儀も何もできなかった。まるで、最初から何もなかったみたいに……私は曹高を許さない。いつか絶対に殺してやる」


 春貴妃様は文月を睨みつけた。

 怒りが、憎しみが美しい顔をまるで鬼のように変えている。

 文月は、自分が決して触れてはいけない物に触れたことを知った。実際にその場にいたわけでもない癖に。他人の弁護をしようなんて十年、いや百年早い。


「出過ぎたことを言いました。申し訳ありません」


「助手の無礼をお許しください。この娘は、後宮が変わる前のことは何も知らないのです」


「……ふっ。そんなことくらい、わかっているわよ。別に、この子が憎いわけじゃないわ。本当に憎いのは娘を殺されて、それでも何もできなかった自分のことよ。

 ご寵愛を得て、地位を固めてから復讐しようかと思っていたけれど。もう、陛下の足も遠のいてしまわれた。今更騒いでも、どうなるものではないわ」



 春貴妃様のもとを退席してから、文月は事情聴取のために借りた部屋に入った。

 また、殺風景な宦官の部屋だ。

 話を聞こうとするなら、その方が集中できていい。仙月様はそう言う。


 最初の侍女を呼ぶ前に、文月は勇気を出して仙月様に声をかけた。


「申し訳ありません。私のせいで、仙月シェンユェ様に恥をかかせてしまいました」


「いいのよ。どうせ、どうにもならないことだから。春貴妃様は自分の身を嘆く代わりに、あなたに怒りをぶつけたのよ。かわいそうなお方だから、そのことだけは理解してあげて」


「それで、あの……春貴妃様のおっしゃったことは本当なんでしょうか」


「あなたは歴史を知っているでしょう。天命を受けて新しい王朝が生まれる時、皇帝の姓も改まるのよ。政治は綺麗事だけでは済まないわ。ただ、中常侍様の働きがなければ後宮が焼かれ、何千人もの女性や宦官が死んだことは間違いないでしょうね。

 それを功績と考えるか、罪と考えるかは受け取る相手次第だわ。春貴妃様はそれを罪だとお考えになった。あなたは、あなたの立場で判断なさい」


 仙月様は、なぜか寂しそうな顔をしていた。

 たぶん趙良様なら同じ顔をする。文月は何の脈絡もなく、そう思った。

 自慢でも後悔でもない。それはまるで、歴史の中で大きな罪と功績を重ねてきた過去の英雄の姿を見ているようだった。

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