5 顔のない侍女

冬貴妃様

 冬貴妃様はお美しい。

 国中の美女から選ばれたのだから当たり前だが、他の方とは違う特別な雰囲気がある。

 たとえば、池に咲く蓮の花のように。清楚で均整のとれたたたずまい。水のように静かで自分からは主張しないが、見る物の心をつかんで放さない。そういう女性だ。


 冬貴妃様は、元々は地方の裕福な商家の娘だったらしい。

 三年前、皇帝陛下が天下を取ったのとほぼ同時に後宮に入った。その時、よわい十六歳。昨年の春には早くも皇子を産んでいる。現在、最も皇帝の寵愛の深い女性だと言っても過言ではない。


 早朝に時間を取ってもらったにも関わらず、冬貴妃様はキチンと化粧をして迎えてくださった。


「よくぞいらっしゃいました。仙月シェンユェ殿のことは中常侍様から聞いています」


「朝早くから申し訳ありません。ここに控えるのは、私の助手で文月ウェンユェと言います。秋貴妃様の侍女だった娘ですが、捜査に私情は挟みませんのでご安心ください」


「そう、可愛らしい子ね。……文月、こんにちは。あの恐ろしい事件を解明して、早く私を安心させてちょうだい」


 冬貴妃様はとろけるような笑顔を文月に向けた。

 男性なら、これだけでイチコロだろう。心の中に趙良様がいなければ女の身でも危ない。


「は、はい。必ずや期待に応えてご覧にいれます」


「そんなに緊張しなくてもいいのよ。貴妃などとは呼ばれていても、私も元はただの商家の娘よ。陛下のお子を産む栄誉に恵まれただけで、別に私が偉くなったわけではないわ。でも、期待はしています。仙月シェンユェ殿と共に、私を助けてくださいね」


 文月は恐れ入って、深く、深く頭を下げた。


「さてと、事件のことで私にお話があるんでしたね」


「はい。私は今、事件に関わった二人の侍女について調べています。冬貴妃様にも、何かご存知のことがあればお聞かせください」


 冬貴妃様は表情を曇らせた。

氷水ビンスイ小猫シャオマオのことね。二人とも、とてもいい子だったのだけれど。どこで道を間違ってしまったのかしら」


 氷水は背の高い方、小猫は小柄な方の侍女だ。

 ただし墓地に埋められていた小猫の死体は、顔を潰して偽装した他人の物だった。それをまだ、冬貴妃様は知らない。


「死体の確認をしたのは貴妃様だと記録にありましたが……」


「ええ、でも。恐ろしくて。遠くからチラリと眺めただけです。それに小猫シャオマオの顔には布が掛かっていましたし……」


「それでどうして、二人だとわかったのです」


「一緒についてきた侍女が代わりに近くで見てきてくれました。それに二人とも私が贈った髪飾りをつけていたそうです。ひとりひとり違う物なので、記録を見れば誰の物かはすぐにわかります」


「その髪飾りは、どうされたのですか」


「髪に刺したまま、一緒に埋めてやるように命じました。罪を犯したとは言っても、私の侍女たちです。みすぼらしい死装束だけでは、あまりにもかわいそうで……」


 そんな物はどこにもなかった。

 冬貴妃様が嘘をついているのでなければ、誰かが盗んだことになる。


「最近、二人に変わったことはありませんでしたか」


「そう言われても……。小猫シャオマオは少し要領の悪いところもありましたが、素朴で真面目な子でした。私の実家にいた使用人に似ていたので、何かと目をかけてやったつもりです。

 氷水ビンスイとはあまり話す機会はありませんでしたが、テキパキと仕事をこなす優秀な侍女でした。二人とも仲が良さそうだったのに、どうしてあんなことになったのかわかりません」


「仲が良さそう、ですか……」

 仙月様がポツリとつぶやいた。


「ええ、まるで姉妹のように。何かと氷水ビンスイ小猫シャオマオの面倒を見てやっているようでした。私はそれが嬉しくて……だから使いにやる時も、なるべく二人で行かせるようにしていたくらいです」


 文月はあぜんとした。

 それがどれだけ残酷なことだったか。この方は知らないのだろう。

 主人の意向であれば逆らうことは許されない。イジメの話が本当なら、小猫は地獄のような苦しみの中にいたことになる。


「ああ、かわいそうな小猫シャオマオ。あんなに恐ろしいことをしたからには、よほどの理由があったのでしょう。私に相談してくれればよかったのに……。もう、いいでしょうか。あの子のことを思い出すと、今でも胸が苦しくなるのです」


「はい、結構です。冬貴妃様にとって、おつらいことを聞いてしまったことをお詫びいたします。どうかお気を悪くされないでください。

 この後でお屋敷を調べたいのですが、よろしいでしょうか。それと、侍女や宦官に話を聞かせていただくことをお許しください」


「私にできることなら、何でも協力させていただきます」

 冬貴妃様は自分の侍女たちの方を向いた。


「……いいですね。これから仙月シェンユェ殿の言うことは、私の言葉だと思いなさい。どんなことでも包み隠さずにお話しするのです」



 冬貴妃様との面談が終わった後で、仙月様はまず例の侍女の部屋に向かった。文月が秋貴妃様の屋敷で使わせていただいている部屋と、そっくり同じだ。薄気味悪いから、事件のあった日のままにしているという。

 もちろん、ひととおりの調査は終わっている。事件に使用した毒の瓶も捜査に当たった宦官が持ち出した後だ。


「あったわ……探していたのは、これよ」

 小猫の使っていた部屋で、仙月様は引き出しから蓋のついた陶器製の容器を取り出した。蓋を開けてから、自分の鼻に近づける。


「何ですか、それ」


「臭いを嗅いでみればわかるわ。後宮の薬師くすしが処方する塗り薬よ。別に珍しい物じゃないけど、置き薬にしては少し量が多いとは思わない?」


「あっ、そうか。つまり……」


「そう。これがイジメがあった証拠よ。これだけの量を処方したなら記録が残っているはずだわ。ここの仕事が終わったら、薬師のところに寄りましょう。

 でもその前に、侍女たちにはしっかりと話を聞かなくちゃね。隠れて小猫シャオマオをイジメていたり、死体から物を盗んだり。ここの使用人には色々と問題がありそうだから。今回は私も同席するから、徹底的に調査してやりましょう」


「はい、仙月シェンユェ様」

 文月はしっかりとうなずいた。

 物事を明らかにする。仙月様が言った探偵の仕事の意味を、文月はようやく理解できたような気がしていた。

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