謎の麗人


 留守を任されている宦官にいとまを告げようと立ちあがろうとした時、ちょうど中常侍様が戻ってきた。背の高い女の人を連れている。


「楽しそうだな。私も混ぜてもらえるかね」


 まだ笑っていた明鈴が、まるで雷にでも撃たれたように体をこわばらせた。

「い、いえ。中常侍様。申し訳ありません。とんでもない不作法を致しました。お願い、文月ウェンユェも謝って。半分はあなたのせいなんだから」


「えっと、すみません。私が変なこと言ったせいなんです。趙良様のことを考えていたらつい、ぼうっとなって……」


「趙良。今、趙良と言った?」

 それは中常侍様と一緒に入ってきた女性の声だった。


「ええ、まあ」


「教えなさい。その男について、あなたは何を知っているの?」


「何をって、それは。趙良様のことでしたら、普通よりはかなり詳しい方だとは思いますけど……」


「ふざけないで!」


 ひ、ひい。

 心臓がバクンと跳ねた。

 

 一瞬目をつぶり、また恐る恐る目を開いて様子をうかがう。

 これは何かを問い詰める目だ。気のせいじゃない。星のように澄んだ瞳が、まっすぐに文月を見つめている。


「もう一度だけ言います。正直に答えなさい。あなたは趙良という人間について何を知っているの?」


 どう答えたらいい。

 ファンです。愛してます。いつも趙良様だけのことを考えています。

 いいやダメだ。そんなことを言っても本気にしてくれそうにない。この人は絶対にキレる。


 いや、待て。冷静になるんだ。

 それ以前の問題として、この人はいったい誰なんだろう。

 綺麗な人だ。それは間違いない。すらっとした長身に水鳥の刺繍の入った服を身につけている。晴れ渡った空のように鮮やかな青は、後宮ではあまり使わない色だ。それが色白の肌によく映える。

 後宮では服の色で、だいたいの階級がわかるようになっている。

 皇帝は黄色、妃嬪たちは赤。その色は他の階級の者が使うことが許されない。文月のような宮女は茶色に染めた服に黒い襟と決まっている。


 美しさだけなら貴妃様たちにも負けない。いや、もしかしたら貴妃様たちより美人かも……いや、いけない。それを判断するのは宮女ごときではない。皇帝陛下だ。後宮では口にしただけでも不敬になる。

 そうだ。ぼうっとしている場合じゃない。何か言い訳しないと。


「いいえ、その。違うんです。あなた様のお姿を見て、まるで本で読んだ趙良様みたいに綺麗だなって。女の人には珍しいくらいに知的で凛々しくて……」


「あなたには、この私が男に見えるのですか?」


 ひ、ひぇえ。助けて。

 また失言した。目が怖い。今度はたぶん致命的だ。

 文月は必死に助けてくれそうな人を探した。明鈴は……ダメだ。たぶんドツボにハマる。こういう時は中常様、やはり中常侍様だ。

 

「まあまあ、お待ちください。仙月シェンユェ殿。この者の言うことに、それほど深い意味はないはずです。

 この娘がさっき私がお話しした文月ウェンユェです。記憶力がとびきり良く、字も書けます。少しばかり世間知らずなところはありますが、性格も悪くはありません。十分に仙月シェンユェ殿のお役に立てると思いますが……」


「あの、文月ウェンユェは歴史オタクなんです。特に戦国時代の英雄が大好きで、藺相如りんしょうじょ様とか李牧りぼく様とか。自分で名前を書いた木の札を抱えて寝たりするくらいの変人で……だから悪気はなかったんだと思います。今は趙良様にハマっていて、それで綺麗な人はみんなそう見えちゃうんだと思います」


 なにこれ。フォローになってない。

 文月は愕然とした。ええいもう、ヤケだ。


 心を落ち着けて、すうっと息を吸う。


「……後に皇帝となる蕭秀が連戦連敗し、追い詰められて遂に死を覚悟した時、その地で神童と名高い趙良という少年が目の前に現れた。皇帝に会った時は十四歳。白皙の美少年で、その美しさは女性も羨むほどだった。星のように澄んだ瞳に秀でた眉。カラスの濡羽のように艶やかな黒髪。だが、そんな外見にもかかわらず、その知謀は千年の時、千里の先を見通すようであった……」


「なんなの、それは」


「さっき読んだ歴史書の一節です。その……仙月シェンユェ様のお顔が、その本に書かれている趙良様のイメージにピッタリだったんで、つい失礼な事を言ってしまいました。申し訳ございません」


 仙月様は驚いたような表情になった。

 よしっ、ハマってくれた。唯一の特技をスルーされたら、もう後がない。


「あなたは読んだばかりの本の内容を全部、覚えているというの」


「はい。記憶力だけはいいんです。興味があることなら、いくらでも覚えられます」


仙月シェンユェ殿。文月ウェンユェの言うことは本当です。歴史書を取り寄せてたまに読ませてやっているのですが、驚くべきことに、本に書いてある一字一句まで完全に覚えているようなのです。

 私も最初は信じられませんでした。試しに本を隠し、目の前で暗唱するように言いつけると、文月ウェンユェは一刻でも二刻でも平然として唱え続けるのです。途中、一度だけミスを見つけましたが、それは最初に読ませた写本の方の誤字でした」


「なるほど……曹高様がおっしゃるのであれば、間違いはないでしょう。わかりました。この娘を私の助手として雇うことにします。私からも後で挨拶に行きますが、曹高様からも秋貴妃様に話を通しておいてください」


 はいっ?

 助手とか雇うとか。展開が早すぎてよくわからないが、とりあえず面倒事に巻きこまれていることは間違いないらしい。


「あの……私はどうなるんですか」


「あ、ああ。そういえばまだ、説明していなかったわね。曹高様、事情は私がこの娘に直接話します。しばらくの間、二人だけにしていただけますか」


仙月シェンユェ殿がそうおっしゃるのであれば、席を外しましょう。明鈴メイリンも一緒に来なさい。文月ウェンユェはかわいい孫のようなものです。あまり驚かせないように頼みますよ」


文月ウェンユェ。よくわからないけど、失礼のないようにね。ファイトだよ」


 キョトンとしている文月を残して、中常侍様と明鈴はさっさと部屋から出て行ってしまった。

 お願い。見捨てないでよ。

 未練たらたらで念じてみたが、さっきまで二人が温めていた空間はとっくに冷たい空気に入れ替わっていた。


 







 

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