死者の声

 二人の死体を墓地に埋め直してから、文月は昨日、中常侍様と会った建物に戻った。

 中常侍様が取り仕切る宮殿のように巨大で立派な建物だが、正確には個人のお屋敷ではない。

 後宮内に自分専用の屋敷を持てるのは皇后様と四人の貴妃様、その下の十八人の貴人だけだ。ここはあくまで後宮の事務全般を扱う政庁のようなもので、皇帝陛下が後宮へと渡る入口にもなっている。

 だからここで働く人数もケタ違いに多い。宴会で踊りや音楽を披露する専門の宮女なども含めると、千人以上の人間が働きながら寝泊まりしている。


 文月は仙月様に割り当てられた部屋に初めて入った。

 広さだけなら侍女の部屋の数倍はあるが、今はやけにガランとしている。

 机や椅子、調度品を隅にまとめて置いてあるだけで、部屋の中央はまるで空っぽの倉庫のように何もない。


 仙月様はそこに、二人の宮女を連れてきた。

 例の死体とほとんど同じ背丈、肉付きの女性だ。文月の記憶ともぴったりと一致している。


「あのう、すみません。私たちは何をすればいいんでしょうか」


「これから私の言う通りに動いてちょうだい。えっとその、背の低い方のあなた。これをかぶって。目の所に穴が空いている方が前よ」

 仙月様は紫色の布袋を宮女に渡した。


「こんな物、どうしてかぶる必要があるんですか」


「答えてあげてもいいけど、私の時間を好奇心のために使うなら、謝礼の話は無かったことにするわよ」


 それで二人の宮女はピタリと黙った。


 もちろん文月にはわかる。

 これは顔を潰された方の死体の役だ。次に、まだ戸惑っている宮女に食事に使う箸を両手で握らせる。これは短剣の代わりだろう。二人は向かい合って立つように指示した。こうしてみると、その差は歴然だ。顔のない死体の身長は、もうひとりの女の鼻のあたりまでしかない。


「文月、傷の位置を指示して」


「はい。えっと、そこはもう少し上で……そう。そのあたりです」


「傷口の角度からすると、短刀の位置はこうなるはずね。肋骨の間を斜め上から心臓にむけてブスリ……」


 仙月様は袋をかぶった宮女に持たせた箸の先を、もうひとつの死体の傷口のあった場所に当てさせた。そこに角度をつけると、背の低い宮女はバンザイをしてから短刀を振りおろす形になる。


「これをどう思う?」


 問われるまでもなかった。

 どう考えても不自然だ。調査報告ではお互いに胸を刺し合って自殺したことになっているが、この角度では自分の持っている短剣も見えない。


「これだと狙いも定まらないと思います。もっと大きな……たとえば男の人ならできると思いますが」


「死体の傷口はひとつだけ。それも見事に心臓を貫いていたわ。

 背の低い女性が向かい合って相手を刺すつもりなら、もっと下を狙うはずよ。つまりこの二つの死体には第三者による殺人の疑いがあるということね。顔を潰されていたことも含めて、このことは記録を取った宦官に問い詰めてみるわ。

 さあ。あなたたちは、もういいわよ。約束した謝礼は後で宦官に届けさせるから、さっさと仕事に戻りなさい。ここであったことは他言無用よ。もちろん、長生きしたくなければ別だけどね」


「は、はい。誰にも言いません。失礼します」


 死体役を演じてくれた宮女たちは、逃げるように出て行った。

 最近あった事件、他殺の可能性……とくれば、例のウワサの件と関係があることに容易に想像がつく。事件の再調査をしているなどと口を滑らせたら、どんな災難に巻きこまれるかもわからない。



 文月は、ガランとした部屋で仙月様と二人きりになった。

「あの、これからは……」


「もちろん容疑者を当たるわよ。一人ずつ」


「一人ずつ?」


「そのことは、こっちで話しましょう」


 仙月様は調度品の置いてある部屋の隅まで歩くと、文月にも椅子をすすめた。

 ここは部屋の出入口からは遠い。盗み聞きをされないための用心だろう。声も急に小さくなる。


「記録上、自殺として処理されていた宮女二人が、誰かに殺害されていたのは間違いないわ。だとすると、理由は何だと思う?」


「えっと。口封じ、ですか」


 それを聞いて仙月様は微笑んだ。

 あまりの美しさに、心臓がドキッとする。

 趙良様、ごめんなさい。今、あなた以外の、それも同性の人にトキメイてしまいました。


「いいわよ。だとすると、そんなことを命令できる人間は誰かしら?」


「かなり高位の方に限られると思います。皇后様や貴妃様のお屋敷にいる侍女や宦官は主人に絶対服従ですから、何かあっても外には漏れません。その……ウワサの、更にウワサですけど。以前に病死で処理された侍女の中には、上の方の命令で殺された人間も混ざっているって聞いたことがあります」


「皇帝陛下の寵愛が深い冬貴妃様に毒を盛る可能性が高いのは、このことで利益を得る人間ということになるわ。そうね。まずは寵愛を争う女性たち。皇后様、そして四人の貴妃様……」


「待ってください。毒を盛られた冬貴妃様は違いますよね」


「そうかしら。私はそうは思わないわ。毒殺は失敗したのよ。同情を買って得をしたのはむしろ冬貴妃様よ。それに、このことで皇后様か誰か別の貴妃様に罪を着せることができれば、ライバルを蹴落とすことだってできるわ」


「でも、ただの侍女の犯罪だってことで処理されて、闇に葬られるところだったじゃないですか」


「……結局、そうならなかったのは知っているでしょう。私が呼ばれて捜査をすることになったのには理由があるのよ。詳しくは、あなたの安全のために教えられないけど。事件が終わって趙良様に会うことができたら、教えてくださるかもね」


 文月はゴクリと唾をのんだ。

 この意味はわかる。わざわざ趙良様の名前を出したということは、これ以上は聞き返すなということだ。

 仙月様は趙良様の意思で動いている。そう確信したのはこの瞬間だった。これからどんなことがあっても仙月様について行こう。それが趙良様につながる世界で一本だけの細い糸だ。この糸が切れてしまったら、もう二度と近づくことはできない。


「これから皇后様のところに行くわよ。失礼のないように身支度をしなさい。いいわね。皇后様とは私が話すから、決して口を挟まないこと。その後でお許しをいただくから、私がお相手をしている間に皇后様の侍女から情報を集めてちょうだい」


 正直、恐ろしい。

 皇后様は後宮での絶対者だ。その皇后様を仙月様は、容疑者の一人だとはっきりと名指しする。明鈴なら気絶してしまうだろう。でも、全ては趙良様のためだ。たとえ殺されたって逃げるわけにはいかない。


「はい、仙月シェンユェ様」


 文月はその時、平穏な宮女としての生活を失う覚悟を決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る