3 死者の声
後宮の墓地
翌朝、朝食が終わるとすぐに宦官が迎えに来た。
明鈴が好きそうな背の高いイケメンだ。なにより、すっとして姿勢がいい。
「荷物は後で別の者が取りに来ます。私は
それだけ言うと黙って前を歩き始めた。それが意外に速い。
いけない。
文月はあわてて追いかけた。
後宮では万事がゆっくりとしている。相手の反応を確かめてから行動する癖がついてしまったせいで、どうしても反応が遅れてしまう。
しばらく歩いてから、宦官は急に足を止めた。
「申し訳ありません。歩くのが速すぎましたか」
「い、いえ。大丈夫です」
嘘だ。本当は息が上がっている。
「これからは、もう少しゆっくりと歩きます。実は半年前に宦官になったばかりで、まだ後宮の作法に慣れていないのです。どうにも武官だった頃の癖が抜けません」
「前は武官だったんですか?」
文月は驚いた。
そういえば最近、新しい宦官がまとめて入ったと聞いたような気がする。
「はい。以前は梁の国に仕えていました。敗残の身の成れの果てですよ。そのままだと死罪になるところを、中常侍様に救っていただきました。宦官が足りないので、捕虜の中から容姿の優れた者を選んで連れて来られたのです。
男でなくなってまで生きる価値があったかのどうか。まだ、判断できないということは、つまりは生きたかったのでしょう。私は事件が解決するまでの間、
「守る?」
「事件の裏になんらかの思惑があるなら、探偵の方々が狙われることもありうる。それが中常侍様のお考えです。いざという時は、お二人の盾になるよう命じられています。そのつもりで気兼ねなくお使いください」
ゴクリ。
文月は溜まっていたツバを呑みこんだ。
大変なことに関わってしまったのだ。いまさらながらにそれを思い知らされる。
「お名前をお聞かせください」
「天佑とだけお呼びください。子を残すことのできないこの身に、家名は必要ありません。宦官は人ではない。虫ケラのようなものですから……」
「そんなことありません!」
思わず大きな声が出てしまった。
「天佑さんは人間です。優しい人です。私にはわかります」
「あなたに、男であることを失った人間の何がわかるというのです」
「わかります。男とか女とか、そんなこと関係ありません。天佑さんはノロマな私に気をつかってくれました。守ってくれると言いました。それだけで感謝してます。絶対に虫ケラなんかじゃありません」
「あなたは変わった人ですね」
天佑さんは少し笑ったようだった。それが、ドキリとするほどカッコいい。
案内された場所は後宮の西の端にある共同墓地だった。
ただの土の広場のように見えるのは、何度も掘り返されているために草が埋もれてしまったからだ。まともな葬儀すらしてもらえない、下級の宦官や引き取り手のない宮女の遺体が埋められる場所だ。
「遅かったわね」
仙月様は墓地の一角に立っていた。
すっとした立ち姿は、朝の空気を引きしめるほど美しい。かたわらに、ずんぐりとした体格の二人の宦官を従えている。
「すみません。その、今日からよろしくお願いいたします」
「挨拶はいいわ。それよりこれからは、事件のことだけを考えるようにしなさい。あなたがぼんやりしがちなのは知っているけど、捜査中に別の事を考えているようでは助手の役には立たないわ。
最初にまず、この事件について、あなたの知っていることを話しなさい。自分の想像は加えないように。事実だけをお願い」
「はい、
その質問は予想していたから、すでに頭の中で整理が終わっていた。
「事件があったのは四日前の夕刻のことです。冬貴妃様のお屋敷で突然、騒ぎが起きました。その晩にお食事の毒味をしていた侍女が突然、嘔吐したのです。すぐに吐き出したために大事には至りませんでしたが、試しに残り物を犬に食べさせたところその場で死んだそうです。
その騒ぎの中、配膳に関わった二人の侍女が屋敷から消えました。通報を聞いた宦官が後宮内をくまなく探しましたが、すぐには見つからず、二人は翌朝になって別の場所で死体になって発見されました。翌日にその侍女の部屋を調べたところ、犯行に使われた毒薬が見つかったそうです」
「だいたい正確のようね。次に、この事件に関係して流れているウワサについて。知っていることを話してちょうだい」
「あの、それはちょっと恐れ多くて……」
「気にしないで、何でも思ったとおりに言いなさい。私は探偵として、真実にたどり着く必要があるわ。私は犯人を探し出して報告するまでが仕事。それをどう扱うかは依頼主が考えることよ」
「親友の明鈴から聞いたんですが、皇后様が後ろで手を引いているってウワサがあるようなんです。皇帝陛下のご寵愛の深い秋貴妃様を亡き者にするために命令したんだろうって……」
「それも予想通りね。私も皇后様の嫉妬深い性格については知っているわ。この状況で秋貴妃様に毒が盛られれば、誰でもそう思うでしょうね」
「あの……もしかして、本当に皇后様が命令したんでしょうか」
「そう決めつけるのは早いと思うわよ。動機はあるかもしれないけど、皇后様は現時点では容疑者のひとりでしかないわ。
いい、印象で犯人を決めつけてしまうのは禁物よ。一度そう思いこんでしまうと、その容疑者を犯人にするために都合のいい理由ばかりを探すようになるの。それはもう、推理とは言わないわ。まずは先入観を捨ててしまいなさい。……ところで、私がどうしてあなたをここに呼び出したか。その理由はわかる?」
想定外の質問に文月は一瞬、たじろいだ。
後宮の外れにある墓地。それに何の意味があるのだろう。最初にここにいたのは仙月様と二人の宦官。
思い出せ。昨日、仙月様は推理について教えてくれた。二人の宦官は土を掘るための
「まさか、犯人の死体を掘り起こしたんですか」
「いいわよ。その調子で自分で考える癖をつけることね。この先に、二人の死体を掘り出して置いてあるわ。来なさい。一緒に確認しましょう」
そう言うと、仙月様は返事も待たずにさっさと歩き始めた。
あわてて追いかけようとしたが、このあたりに死体が埋まっているのかと思うと足がすくむ。
「ひゃっ」
左足がずぼっと深く入った。あわてて引き抜く。
「
「あ、ありがとうございます」
「さあ、どうぞ。つかまって」
天佑さんが手を差し出してくれる。
宦官は女性みたいに柔らかい手をしている人が多いが、彼の手は大きく堅かった。イケメンで親切。宦官でなければ、女の子が放ってはおかないだろう。
ただ、今はそんな事を考えている場合じゃない。
そうだ。
仙月様が立ち止まったそのすぐ前には、
ひっ、ひい。
文月は思わず悲鳴を上げそうになった。筵の下から蝋のように変色した死人の足が出ている。
「
「は、はい。わかりました」
そんなこと嫌だ。
うなずきながらも、心の中では反対のことを叫んでいる。
怖い。恐ろしい。気持ち悪い。そんな物を見てしまったら、まともに夜も眠れなくなる。頼めば一緒に寝てくれるはずの明鈴とも、当分は離れ離れだ。
「
でも、仙月様は容赦がなかった。
最初からいた二人の宦官が、死体に掛けられた筵を同時に取り去る。
「うっ」
思わず文月は腰を曲げ、口に手を当てた。
夏場ではないからか、死体はあまり腐食はしていなかった。だが、ひどい。片方の死体だけ顔がぐちゃぐちゃに潰れている。鼻は折れ、歯の抜け落ちた口はただの穴にしか見えない。瞼はもう、どこにあったのかもわからないほどだ。
「まさか、死体を見るのは初めて?」
「い、いえ。でもこんなのは……」
「ひどい? でも見なければ、そのひどい事が最初からなかったことになってしまうのよ。その方が本人にとって無念だとは思わない。
顔の損傷は記録にはなかったわ。死体の見分をした宦官が、わざと無視したんでしょう。説明できないとは記録に残さない。役人の世界にはよくあることよ」
「本当にそうでしょうか」
自然と言葉が出た。いや、出てしまった。
「どういう意味?」
「その……死体の検分が終わった後で、こっそり掘り起こして顔を潰したってことはないんでしょうか」
疑問があると、口にしないではいられない。
余計なことは言わないで、黙っていた方がいいよ。そう、明鈴に何度注意されたかわからない。
でも、考えるのをやめることはできない。それが自分だ。だから戦国時代の偉人の考え方も理解する事ができた。趙良様を好きになることもできた。
「どうして、そんなことをする必要があるの?」
「春秋時代の
仙月様は、ドキリとするほど美しく微笑んだ。
「あなたを助手にしたことに間違いはなかったようね。なかなか面白い着眼点だわ。その調子で思ったことは、なんでも言いなさい。
でも、今回は違うわね。死んでから傷つけた場合はこんな風に内出血はしないわ。これは死ぬ前か、死の直後にやったものよ。
記録によれば、二人の胸には互いを突いたような刺し傷があったそうよ。さあ、
「趙良様……それが、趙良様のためになるんですね」
文月はこみ上げてくる吐き気を必死に我慢した。
罪人とはいえ、二人の女性の無残な姿は見るに耐えなかった。だが、それでも文月は自分の頭の中に、永遠に消えることのない画像を刻みつけようと目を見開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます