同郷の友

   ※  ※  ※


「今夜は久しぶりに一緒に寝よう」


 夜遅く。文月の部屋に、明鈴が枕を抱えてやって来た。後宮に入る時、郷里からわざわざ持ってきた籾殻もみがらの枕だ。

 もちろん同郷の文月も同じ枕を使っている。他の宮女はだいたい木の枕だ。貴妃様は極彩色の陶器の枕を使っているが、あんなに硬い物の上に頭をのせて、よく眠れるものだと思う。

 明鈴は先に布団にすべりこむと、枕をポンとたたいた。


「ほら、文月ウェンユェも早く」


「ちょっと待って。もうすぐ終わるから」


 文月は体重をかけて服を押しこめてから、つづらに蓋をした。

 明日からは仙月様のそばで寝起きすることになる。部屋はそのままにしてくださると言うけど、頻繁に着替えを取りに戻るわけにもいかない。部屋着や寝巻き、替えの下着なんかも合わせるとそれなりの量になる。


 後は……。

 文月は文字の書いてある木の札を、両手にひとつずつ持って眺めた。

 藺相如様、李牧様。二人とも戦国時代に実在していた大好きな推しだ。同時にそれは初恋の人物でもある。


文月ウェンユェ、どうしたの? 荷づくりだけで夜が明けちゃうわよ」


「これ、持って行くのやめようかなって……」


「いいんじゃない。悩むくらいだったら、やめとけば」

 明鈴がアクビをしながら腕を伸ばした。ろくにこっちを見てもいない。


 ううっ。ちょっとカチンときた。

 他人には価値がないかもしれないが、この木の札は文月にとっては宝物だ。さみしい時、悲しい時。どれだけ勇気づけられたか知れない。

 

「ちょっとそれ、ひどいんじゃない。この二人は、ただの英雄じゃないのよ。あの藺相如様と李牧様なのよ。何度も説明したでしょう。藺相如様は『完璧』の語源になったくらいの偉大な方で、秦王から脅迫された時には……」


「ああ、あの。いつも文月ウェンユェが言ってる戦国時代のナントカ様のことね。そうか。ようやく、不毛だって気づいたんだ。良かったじゃない。ずっと心配してたんだよ。

 ふふん、そうすると……もしかして。あの麗しい仙月シェンユェ様に恋しちゃったってことかなぁ」


 文月はドキリとした。

「バ、バカ。変態。仙月シェンユェ様は女性よ」


「それ、あなたが言う? 同性に憧れる方が、死んじゃった人間にみさおを捧げるよりも、ずっとマトモだと思うけど。いくら偉大な人だって、もう死体だよ。骸骨だよ。それに比べたら仙月シェンユェ様は天女だわ。私だってクラッときちゃった。すごく綺麗で、おまけに凛々しくて……。

 あんなに素敵な人と一緒にいられるんだから、それで十分じゃない。文句を言ったら、もったいなくてお化けが出るよ」


「だから、そうじゃないの。その、やはり浮気はダメかなって。私は趙良様だけをお慕いするって決めたから。だからお願い。これ。もらってちょうだい。これで二人のことはキッパリあきらめる。明鈴、親友でしょう」


 明鈴は黙りこんだ。

 やがて、あきらめたようにふうっと息を吐く。


「まあ、いいか。趙良様なら、どこかに実物がいるだけ戦国時代の幽霊よりはマシかもね。でも……これ、汚くない。ヨダレとかついてそうだけど」


「汚くなんかないわ。ただ、肌着の中に入れて寝てただけよ」


「うえっ、汗臭そう」

 明鈴はあからさまに嫌そうな顔をした。


「お願い、明鈴。自分の気持ちに区切りをつけたいの」


「……わかったわ。預かってあげるから、袋に入れてから渡して」



 それから二人で狭い寝台に身を寄せ合って横たわった。

 暦はまだ秋になったばかりだが、河北の夜は冷える。寝具を扱う宦官が冬用の布団に替えてくれるのは、まだ十日も先だ。


「まだ、起きてる?」

 ようやくウトウトとし始めた頃。横で、明鈴の声がした。


「うん……」


「ようやく、ここまで来たね」


「えっ?」

 

「私たちの目標のことよ。忘れたわけじゃないでしょう。それともまだ、仙月様のことを考えてぼうっとしているの」


「そんなことないよ。ただ、明日からのことが怖くて、楽しみで、不安で、待ち遠しくて……この気持ち、明鈴にもわかる?」


「ふふふ……。何それ、全然わからないよ。でも、これがチャンスだってことはわかる。文月ウェンユェ仙月シェンユェ様と話していた時、私にも中常侍様が声をかけてくださったんだ。だから自分のことを少しだけ話してみた。

 どうせ皇帝陛下のお手がつく見込がないなら、早めに後宮を出ていい人と結婚したいって……もちろん遠回しに、うまくだよ。そうしたら中常侍様は考えておこうって言ってくださったの。偉い人の言葉だから、そのまま信用はできないけど。文月ウェンユェはどう思う?」


「中常侍様は小さい約束も守る方だよ。私のお願いも聞いてくれたし……」


「それは文月ウェンユェが特別だからだよ。どうしてかな。私の方がずっと気配りしてるつもりなのに、そういうことに無頓着な文月の方が、なぜか愛されるんだよね。世の中ってホントに不公平だわ」


「そんなことないよ。明鈴の方が私よりもずっと仕事ができるし、ぼうっとして転んだりしないし……秋貴妃様からも信頼されてるじゃない」


「それがダメなのよ。なまじ便利に使われちゃったら、後宮を出られなくなるわ。気がついたらあっという間に大年増になって、年寄りの後妻にでもされるのがオチよ。私はイケメンでお金持ちの男性の正妻になるの。それで自分で産んだ子どもを跡取りにして、一生安楽に暮らすんだ。

 文月ウェンユェは本に埋もれながら、写本をして暮らせればいいんでしょう。まあ、そっちは半分叶ってるみたいなものだから、後は趙良様か……。

 お互い、目標の実現のために助け合うんだからね。自分だけ抜け駆けするのはなし。約束だよ。だから文月ウェンユェは、仙月シェンユェ様のお仕事を頑張って。偉い人とのコネができれば、きっと趙良様にも近づけるよ。応援してる」


「うん、ありがとう」


 仙月様との約束を知らなくても、明鈴はちゃんとわかってくれていた。

 目を閉じると、故郷から都にのぼる途中にあった大河が目に浮かんだ。泥で濁った海のように広い水の上を、大きな船で渡った。

 ピチャリ。

 その時、大きな魚が跳ねた。

 音も色も風も。全て覚えている。文月はその懐かしい光景に身をゆだねながら、いつの間にか静かに眠りについていた。

 





 

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