▄︻┻┳═一   十二発目     ≫【残り火】

“ピッ……ピッ……”

 規則正しく鳴る機械音。

 同調している心臓の音。

 薬の匂いが微かに漂ってくる。

 首から下の感覚がなく、まぶたは重たく開こうとはしない。瞼の裏に映った血管を眺めては呼吸をする。少し息苦しい。まるでマスクをしているかのような感覚が口元にある。

“ピッ……ピッ……”

 規則正しく鳴る機械音。

 同調している心臓の音。

 薬の匂いが微かに漂ってくる。

 瞼の裏を見ていたのに、急に周りが明るくなってきた。次第に強さを増している。たまらず瞼に力を入れた。

「う……こ、ここは……」

「あら、目が覚めたのね」

 目を開けるとそこは病室だった。しかも見たことある場所だ。

 起きあがろうとして手に力を入れるけど、体が数センチ浮いたところで力尽きた。そばにいた女医じょいが私の体を支えて「今は大人しくしてなさい」と優しく声をかけた。いわれるがままにベッドで横になる。

 いたるところに包帯が巻かれていて動きが制限されている。右腕、左腕、右脚、左脚。四肢のすべてに痛みがある。

 私は助かったのか。

 自分の置かれている状況を冷静に整理する。あのとき私は……負けた。不甲斐ふがいないほどの完敗だった。それから真っ逆さまに海に落ちたけど、そこからの記憶がない。

 重たい首を少しずらしてその女医に目線を送る。

「だれが助けたの」

「それが妙な話、あなた、私の病院の目前で倒れていたのよ。ずぶ濡れだったしひどい外傷もあったから私がオペしたってわけ」

 ぼんやりとする頭。心あたりがあるかどうか考えても答えは出なかった。頭を戻して天井を眺める。病室内は虫の羽音が聞こえるくらい物静かで、猿飛とやりあったことをつい思い出してしまう。頭が痛い。杭を打ちつけられたみたいだ。

「これ飲んで。痛み止めよ」

 錠剤を摘んで私の口元に持ってくる。手が動かないから仕方がないけど、この年になってそれは恥ずかしい。喉奥に薬を置いて水とともに流し込む。ふっと息を吐くといくぶんか体が楽になった。

 周りを改めて確認する。カレンダーはどこだろう。ベッドからだとなにも見えない。というか首が動かせない。大人しくフォリアを頼る。

「私、何日寝てたの」

「三日よ。怪我の状態から察するに、多分すぐに運んできてもらったのね。不幸中の幸いだわ」

 それを聞いてふーんと受け流した。自分のことにも関わらず、話のすべてが他人のことのように思えてしょうがない。生きているという実感もまだ完全ではない。今日はもうなにもできそうにないと諦めて布団を少し手繰り寄せた。腕に痛みが走り、いまさらに生きていると感じたのだった。

「ありがとう、フォリア」

「どういたしまして」

 ふと隣にある机の上を見た。そこには私がいつもぶらさげている十字架のネックレスがあった。それを見た瞬間、私の右目から熱いものが流れた。

 そして気絶するように眠りについた。


 朝なのか昼なのか、それとも夜なのか。地下にあるこの病室はほぼ隔離部屋と変わらず、時間感覚を狂わす。壁にかけられてある時計は九時を指しているが、それは午前なのか午後なのかさっぱりわからない。

「おはよう。朝食持ってきたわよ」

 ドアを開けてフォリアが入ってきた。暗殺系統“ドラッグ”、医療や薬学に精通していて、さまざまな薬を研究している。猿飛に使った睡眠薬もフォリアから買ったやつだ。スレンダーな体つきに高めの身長。髪は黒髪ストレートのショートヘア。クールな見た目だが女の色っぽさを身にまとっている。大人な女性の条件を詰め込んだ、まさにできる女だ。

 上半身を起こして、癖で軽く背伸びをしてしまった。痛っ……。肺やら内臓がひどく痛む。まだ完全に治ってないみたい。

「あら、もうそこまで動けるのね。でも無理は禁物よ。はい、あーん」

「自分でできる……うっ……!」

 腕を持ちあげようとすると骨が限界に達したらしく、ズキンッと痛みで知らせてきた。フォリアは「いいつけを破った罰よ」とスプーンを私の唇に押しつける。仕方なく口を開けてフォリアのそれを受け入れた。

「ふふふ、可愛いわね」

「うっさい」

 頬を赤く染めて不貞腐れながら食事を取る。ドロドロに溶けた得体の知れないもの。流動食ってやつか。三日も寝ていてなにも食べていないせいで、食べた物が胃の中に落ちる感覚が懐かしく感じる。じわじわと広がる温かさがお腹に伝わって、これが食事なんだと若干の感動を覚える。

「そういえば、私の銃は」

「もちろんちゃんとあるわよ。ロッカーにしまってある」

 相棒の安全を確認すると胸がストンと軽くなった気がした。

 思いのほか食欲があり、プレートに乗った物はすべて平らげた。食事をしたおかげで気持ち的にも楽になった。ふっとため息をついた。暖かい空気が喉を通る。そしてそのあと、フォリアから私の体に関して詳しいことを聞いた。

「右橈骨とうこつ肋骨ろっこつの骨折。左足首の捻挫ねんざ。左前十字靭帯ぜんじゅうじじんたいの損傷。打撲多数。それに脳震盪のうしんとうも起きてたみたい。特に腹部外傷がちょっと面倒ね。逆によくこれで済んだよねっていいたいくらいよ」

 フォリアからの説明を受けてその部位を触ったり動かしたりすると、やはり痛みがある。全身に打撲があるせいでちょっとした寝返りも痛くてつらい。

「全治どのくらい」

「ざっと三ヶ月かな。打撲や下半身はすぐ治るけど、内臓と骨折したところはちょっと時間かかるわね」

「そっか」

 完全に動けるまで約三ヶ月。その間暗殺の依頼があったとしても満足に動けない。それどころか今残っている猿飛の暗殺が長引いてしまう。あの様子だと、USB目当てになにしでかすかわからない。ことが起きるまえにさっさと暗殺してさっさと報酬をいただく。ってまえの私だったら考えていたのかな……。漠然と今後の暗殺のことを考えていた。もちろん学校のことも。

 学校の諜報活動がうまくいくと思った矢先に、いじめを受けて、はめられて停学処分。そのあとの暗殺は失敗に終わり私は瀕死ひんしで拾われた。なにもかもがうまくいかない。

 暗殺なら、殺すだけなら私の得意分野だったのに。学校のやつらを嘲笑って結局このありさま。うつむいて静かにシーツを握りしめた。

「お元気ですかな」

「ま、マスター……」

 ドアが開き、微笑んでいるマスターが入ってきた。その顔を見ると日常に戻った気がしいて、あのレモネードが出されるんじゃないかって思った。

 フォリアが椅子を用意してそばに座らせる。そして彼女は食器を持ってそのまま病室を出ていった。

「だいぶやられましたな」

「うっさい」

 布団にくるまって体を休める。マスターはいつもの調子で私と会話をする。たわいもない話がすぎたあと、マスターが懐から手紙のようなものを取り出す。

「こちらリリィ様あてなのですが、僭越せんえつながら私がお読みします」

 コホンと咳払いをすると鬼灯の笑みを浮かべて意気揚々と話し始めた。

「エージェントリリィに“リミット”を通告する。期間は一週間。なお“ブラックリスト”に関わる任務は例外とし、そのほかの依頼にこれを適応する。以上」

 そういうとマスターはスッと立ちあがって帰ろうとする。その背中を呼び止めたが、体を起こして大声をあげたせいで体が痛み咳き込んでしまった。

「花は咲かねば首を切られる。表でも裏でもリリィ様は失態しったいを犯しました。枯れた花を挿す花瓶なんてございませんよ」

 マスターは振り向きもせず、言葉だけを残して去ってしまった。あまりに現実的すぎる言葉。自分では理解をしていたつもりだったが、他人にいわれるとその重みが格段に増す。

 “リミット”とは依頼をかけ持ちしすぎないようにするために作った組織の規則である。元は低能力者を手元に残さず、暗殺者の上澄みを抽出するためのものだったらしい。宣告を受けた者は期限以内に指定された依頼をこなさなければならない。できなければ契約は破棄され、当事者はこの世から抹殺される。

 その内容を知識として知っていたけど、実際に宣告を受けた人なんて聞いたことがなかった。それが公にされるされないにしろ、私の組織というのは人殺しに躊躇ちゅうちょない人材が集まる。シティで信頼されているゆえんだ。

 突然受けたリミット宣告に全身の血の気が引いて放心状態になってしまった。トンッと閉じたドアの音が私の脳内でこだまする。それが徐々に雑音になって私を責め立てる。


『こっちくんなよアジア人』

『この裏切り者一家が』

『意気地なし』

『親が親なら子も子か』

『無能』

『ビッチ』

『才能ねぇな』


『イギリスに帰れよ』


 私はこの地球上から居場所を失った。



——某廊下

「ちょっとかわいそうじゃない? 今度こそあの子死ぬわよ」

「これもあの方がお決めになったことです」

「そう、じゃあ私の医療費は?」

「もちろん、リリィ様が死んだらお支払いします」

「ならいいわ」


 * * *


「えーということで、里中さんはインフルエンザということでしばらくお休みです。ちょっと窓がないけど、明後日には取りつけられる予定です」

 明らかに違う教室の雰囲気。がさつな応急処置で外からの情報はすべからく遮断された。そして教室にできたもうひとつの穴。俺のふたつ隣の席にはだれも座っていなく、空虚な空間を作っていた。写真を撮ってネットにアップする。他クラスの人が集まって騒ぎ立てる。みんなこの非日常に歓喜して、口々に語彙を失った言葉を述べていた。

 そしてだれも里中さんのことを気にする人はいなかった。

「先生、里中さんって本当にインフルなんですか。もしかしていじめ……」

「大丈夫だよ柊木くん。すぐよくなるから」

 頭に手を乗せて軽く撫でると先生は行ってしまった。ざわめく教室にひとりだけ馴染めない俺。最近感じるこの違和感はなんなんだ。これがいじめなのか。悪いことをしたときのような焦りと、胸を掴むような息苦しさがある。先生ならなにか知っているかもと思ったけど、流されてしまった。教室の片隅で佇む俺。先生の出ていったドアを眺めていた。


「ビッチがこれやったらしいよ」

「あいつ先生とできてるんだって」

「俺この前AVで見たぞ」

「昨日テレビやってたひったくり犯って里中さんらしいよ」

「ハーフって嘘らしいぜ。問題起こして飛ばされたって先輩がいってた」


 猛暑に締め切った部屋にいるみたいに空気が淀んでいる。どの空気も湿って粘りっこく、体にまとわりついてくる。まだ廊下にいたほうがマシな気がした。

 廊下に出て窓の外を眺める。下には中庭があって、上に目をやると青々とした空が当たり前にあった。それを見て里中さんをのことを考える。インフルなんて絶対嘘だと、理屈なしにそう確信している。今どこでなにをしているのだろうか。寂しくはないだろうか。戻ってきたいと思うだろうか。心に溜まっている不安と疑念を肺から出して中庭に落とす。あの教室もこの中庭みたいに苔が生えそう。

 しばらくぼーっとしていると後ろから声をかけられた。

「よう、大丈夫か」

 それは笹原だった。

 笹原も俺と同じらしく教室から出てきたらしい。

「しょうもねぇ嘘いってなにが楽しいんだ」

 ポケットに手を突っ込んで壁にもたれかかる。そしてしばらく沈黙した。それだけ笹原も本音からそう思っているのかな。思考を重ね、言葉を選ぶ。まとまった文章を言葉に出すのは気まずくて少し踏みとどまる。それでも今聞きたい。

「なぁ」

「あのさ」

 ふたりの言葉が重なった。

「なんだよ空」

「そっちこそ」

 どっちが先に話すかの心理戦になってしまい、お互い口を閉ざす。気まずさに負けて、もったいぶるように言葉をこまだしにして伝えた。それがちゃんと伝わるかわからない。けど綺麗な文章にするほど頭は整理されていない。

「そのさ、里中さんってなんでいじめられてたんだ? 転校してきたばかりだし、噂も信憑性しんぴょうせいに欠けるっていうか」

「俺もさっぱりだ。ただ、女ってのは嫉妬深いからな。もし噂がデマなら、だれかの逆鱗に触れちまったのかもしれない」

 そういうと笹原は俺の頭をコツンと叩いた。

「いつまでも落ち込んでるな。なにもかもわからないんだからさ」

 乾き切った笑顔が俺を慰める。笹原も今の状況に思うものがあるんだろうな。グーっと背伸びをして固くなった体をほぐす。教室に戻るとき、後ろを振り返って俺を呼ぶ。まあ笹原がいうように、今はなにもわからない。ただ里中さんがいじめられたって事実があるだけ。現行犯を捕まえられなかった俺のせい。窓を閉めて一瞬外を見た。そこには分厚い雲が青い空を遮断しゃだんしていた。



 里中さんがいない学校生活は思いのほか違和感がなくて、むしろ悪口が耳に入る以外心に負担がなかった。それは一年生のころと変わりなく、心拍に異常がない。まるで荒れることのない海にいるかのように。

「空、おそーい」

 すみれにせかされて教科書とノートを用意する。

 廊下を歩いていても同じで、周りの景色が異常なほど正常だった。逆に今までがおかしかったかのと自問してしまう。里中さんがいないだけなのにこうも雰囲気が変わるものなのか? 焦点のあっていない半目で一点を見つめる。「大丈夫?」っと鈍感な顔ですみれが覗き込む。キョトンとしている彼女は普段と変わらなすぎて安心した。「なんでもないよ」と誤魔化すと「そっか」と口角をあげて目を細めた。

 廊下の角を曲がって階段をあがる。そのとき、上から見覚えのある人が降りてきた。俺の体は勝手に反応した。追いかけないと!

 すみれに先に行くように言葉を放り投げてその人を追う。

「待って!」

 呼び止められた人はゆっくりと振り返って、俺に汚物を見るような目線を送る。

「あんただれ……ってこのまえの店員じゃない。なんなの、私急いでるんだけど」

「ちょっとだけでいいから話を聞いて。里中さんが学校を休んだ。なにか心当たりがあるんじゃないか」

「し、知らないわよ……」

 いらつきを見せている桂さんはため息をついて目を合わせてくれない。髪の毛をいじり、奥歯に物の挟まったようないい方をした。絶えず視線をずらし、落ち着かない様子だった。

 さらに、噂のことや今日の教室の様子を詳細に伝えた。するとさっきまでの態度とは一変して、眉尻を釣りあげて叫び出した。

「うるさいわね! 私が元凶だといいたいの? 人を犯人に仕立てあげて探偵気取りですか?」

 勢いに押されて一歩さがる。ダッダッダッと足を踏み込んで俺に近づいてくる。一歩、また一歩と後退りをすると壁に当たった。行き場のない俺をさらに責め立てるように、先の尖った爪で俺を指さした。

「二度と私に近づかないで。気持ち悪い」

 そういうと桂さんは髪の毛をなびかせて颯爽と行ってしまった。周囲の目線が集まった。桂さんは明らかに怪しい様子だった。けど今は俺が好奇の目にさらされて、野次馬によって俺が変態になってしまった。接触も虚しく、相手を刺激して終わっちゃった。彼女がいじめの原因とは限らないが、この学校に充満している噂がさらに飛躍してしまう予感がした。そうなってしまえば里中さんは完全に孤立してしまう。不登校や転校をするかもしれないし、最悪の場合自殺なんてことも……。

 渋々教室に向かった。なにもできないどころか悪化させてしまった。無力な自分が悔しかった。もっと早く気づいていたら。無関心な自分が情けなかった。見て見ぬ振りをした自分が憎かった。

 無能なんだと客観的に思い知らされた。

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