▄︻┻┳═一   十三発目     ≫【牡丹開花】

 ベッドから自力で起きあがるのはもうだいぶできるようになった。病室も薄暗い閉鎖されたところから陽の光が入る場所に移った。久々の陽光に目の奥が痛む。しかし自然の暖かさは枯渇した体に染み込む。じわじわと体が温まっていく感じが懐かしい。冬眠明けは多分こんな感じなんだろうな。

 そのとき、フォリアが部屋に入ってきた。こいつの世話になるのは何回目かな。今回みたいな緊急オペが必要なレベルは初めてだけど。いや、二回目かな。まあフォリアも私もケガに慣れたんだろうな。シティで暗殺をするということは、それだけ危険が付き纏っているということ。狙撃がうまくいかないことだってある。接近戦になって暗殺というよりただの殺しになることだってしばしば。そんな世界に私らは慣れてしまった。こんなことを考えるのは陽光のせいだな。つい感傷に浸ってしまう。

昏睡こんすい状態から一週間、目をさましてから四日。まったく、若い子の生命力は計り知れないわね」

 体を舐め回すようにじろじろと見てきた。私がそっぽを向くと「ふふふ」と笑みをこぼす。しかしフォリアのいうとおり、まだ完全ではないが体の自由が効いてきたと感じている。それは嬉しい。嬉しいけど素直に喜べない。ぽっかりと穴が空いたように空虚な感情が心を埋める。

 リミット宣言、暗殺の失敗、未熟な自分。焦りなんてとうになくて、むしろ穏やかなほどだった。明日いきなり「死んでください」っていわれたら「はい」って何事もなくいい返しそう。どうせならこのまま、太陽の光を浴びながら寝ているうちに死にたい。もう生きるとか死ぬとか、学校とかシティとか、暗殺とかどうでもいい。父さんと母さんに会いたい。

 俯く私を察したのか、フォリアがそっと手を握ってきた。

「マスターも意地悪するわね。こんな少女にリミット宣言なんて。いなくなっちゃうまえに、解剖でもしちゃおうかしら。女子高生の臓器なら高く売れそう」

 そういうと握っていた手を放して、私の顔に手を当ててきた。服の下にもう片方の手を入れてお腹をさする。その感覚が全身に伝わって傷口に触れる。ビクッと反応して、「やめろ」といさめて服を正す。まったく、金と薬のことしか考えてないんだからこいつは。

「冗談よ。はい、これ今日の朝ごはん」

 味の薄い病院食が今日も出された。健康を考えれば至極しごく当然だけど、やっぱり物足りない感覚はある。マスターの作った料理が食べたい。私の故郷に合わせて作られたシェパーズパイをもう一度食べたい。しかし、普段は一日一食か多くて二食。ここでは三食出てくるし、こっちのほうが贅沢な気もする。

 自分でスプーンを持って自分で食べる。口にすればするほど、あのバーで飲食したものが脳裏に浮かぶ。生きることに固執はしないけど、最期くらいはあそこで飲みたいかな。

「あら、あなたって左利きだっけ?」

「両利き」

 会話をして食事をする。自分だけ食べていて、それを見られるのはちょっと気まずい。私の体の具合を確認しているのか、はたまた単に好きで眺めているのか。変態のフォリアならどっちもありえる。と思った瞬間、「だれが変態ですって」っと横から言葉を投げかけてきた。この組織にいる人間は全員エスパーなのかよ。図星を隠すためにご飯を頬張る。どうせならお前もなにか食べたり飲んだりしろよ。

 食器を鳴らして口に入れる。水の入ったコップを持って喉を鳴らす。ひっそりとした空間には私とフォリアのふたりしかいない。時計の針もここでは音を立てない。響いているのは私の音だけ。

“カチャン”

 食事の途中でスプーンを置いた。

「お腹いっぱい?」

 下を向いている目は焦点が合っていない。こうも静かな空間にいるせいで、さまざまなことを考えてしまう。思考から漏れ出した言葉をプレートに吐き出した。

「私、なんで生きてるんだろう」

 弱気なセリフ。私が嫌いだったセリフ。弱気なんて自分の妄想でしかないし、仕事にも支障が出る。状況を理解して自らの力不足を認めるのと、考えなしに落ち込むのはまったく別物。って言葉ではわかっているのに気分が落ち込む。自分から消しそうな命の灯火。今もなお、風前に立たされている。

 私がそんなことをいうのが意外だったのか、一瞬驚いていた。それでもすぐにいつもの顔の戻った。

「どうしてそう思ったの?」

「私にはどこにも居場所がない。才能もない。生きて苦しむくらいなら死んで楽になりたい」

 コップに映った私の瞳は青くもなく赤くもなかった。口にした言葉を自分の耳で聞くと、余計に胸が苦しくなった。そしてまた暗い深淵しんえんに花を落としていくのであった。

 フォリアは私の頭に手を置いて軽く撫でると自分の額と私の額をくっつけた。

「ありがとう教えてくれて。でもねリリィ、死なないで」

 それは個人的な感想でしかなかった。主観でしかなかったのに、言葉が見つからなかった。死なないでってどういう感情でいっているのかな。私にわかるわけがない。考えることすらしたくない。七面倒くさい。

 フォリアはゆっくり立ちあがると白衣のポケットに手を突っ込んでドアのほうへ向かった。途中なにか思い出したようで、顔だけ振り向いて言葉を添えた。

「今日はいい天気ね。外で散歩でもしたい気分だわ。松葉杖まつばづえが必要ならナースコールでもしなさい」

 そういうとそのまま部屋から出てった。

 いい天気……か。窓の外を見ると青々とした空が広がっていた。私の目の色はきっと空に奪われたんだろうな。こんなに青いなら、海との境界もなくなりそう。なにかに取り憑かれたように呆けて外の景色を眺める。今なら鳥が飛んだだけでも感動して涙が出そう。それほど疲弊ひへいしているのがわかった。涙なんていつ流したんだろう。記憶にない。

 鳥が飛んでくるのを待ったけど、一向にこない。そっか。ふっと息を吐いて布団の中に入った。



 眠りから覚めて外を眺める。もうすでに陽は落ちていて、真っ暗になった窓ガラスには金髪の患者しか映ってなかった。外の世界は今どうなってるんだろう。そんな幼稚な好奇心が私の体を動かした。

「リリィ、今日の晩ごはん持ってきたよ……ってあれ。まったくやんちゃな子なんだから。いってらっしゃい」


   ◯


 細々とした月が出ている。髪をさらう風が少し冷たくて体が震える。月に照らされた木々がカサカサと不気味に揺れる。行くあてもなく、気が向きままに歩いていった。都市部はうるさくて目もつらい。体が自然と川に沿って夜の散歩を堪能していた。夜道を歩くのは慣れているはずなのに、どうしてこうも心がざわつくんだろう。まるで夜の学校に入ったような不気味と好奇心が入り混じる。

 青い影が道を埋め尽くす。その影を一歩ずつゆっくりと踏んでいった。川のせせらぎがBGMになって心を落ち着かせる。静かなのは病室も同じだが、開放感に浸って温度を感じている。そのおかげか、余計なことを考えることはなかった。ただ単純に目に見える世界を記憶に残す。

 ぎこちなく歩く姿はひどく滑稽で影がゆらゆらと揺れていた。ナースコールするのが七面倒で松葉杖を持ってこなかったけど、やっぱり長距離歩くと左足にガタがくる。

 少し休憩しようと川に沿って設けられたフェンスに体重をあずける。そこには桜の木が植えられてあった。今はもう咲いていないが数週間前は一面が桜色に染まっていた。それに確かに覚えている。この木はあのとき咲き倦ぐねていたやつだ。一本だけ取り残されていた孤独なソメイヨシノ。今度は周りから置いていかれず美しい青柳あおやなぎ色の葉を身にまとっている。

「綺麗になったな」

 その枝に手を伸ばして葉を愛でる。あのときと同じように……。

「里中さん……」


 * * *


 自転車を押して夜道を散策いていると桜の木の下にいるひとりの人影が目に入った。それは見間違いではなかった。あのときと同じように、腕を伸ばして桜の木を愛でている。登下校で見慣れたこの道に、久しぶりに会う人物がいる。学校にこなくなってからたった一週間くらいなのに、まるで数年間もあっていなかったような感覚に襲われた。

 太陽に照らされた制服姿の彼女と月から逃げるように隠れる病院服の彼女。同じ場所、同じ人物、同じ四月。なのに印象がまるっきる違う。彼女の痛そうな姿は遠目から見てもわかる。外側だけじゃない、内側の意味でも。放っておけない。俺の体が無意識に動いて、つい声をかけてしまった。

 「里中さん……」

 彼女はひどく驚いていた。いや、怯えていた。なにも命を取ろうというわけでないのに、生死の間にいるような瞳をしてた。

 そばにいくと月明かりに照らされて里中さんの顔がはっきりと見えた。いつもと変わらない無表情だった。けど全身がボロボロだ。顔には絆創膏が貼ってあるし頭には包帯もしている。腕や足にも包帯が巻いているらしく、動きがぎこちない。服の隙間からは痛々しい肌が見えていた。どうしてこんに……。

 息をのんだ。目を泳がした。声が消えた。

 どこから聞けばいいのか、そもそも聞いてもいいのか。彼女を想うばかり、踏み込めない。

「さ、里中さんはここでなにしてたの?」

「別に」

 会話が持たなくて、気まずい空気が流れる。久々だというのに、聞きたいことが山ほどあるのに、また傷つけてしまうんじゃないかと気後れして言葉が喉を通らない。しばらくの間、川のせせらぎを聴いていた。

 耐えかねた里中さんはなにもいわずに帰ろうとする。なにかいわないと。ひとことでもいい。彼女にかける言葉を頭の中で探す。しかしケガを庇うように歩く彼女の姿が目に入ってしまい怖気づいてしまう。情けないな俺は。手を差し伸べることも、会話をすることすらできない。悔しくて手を固く握りしめた。

 そのとき、里中さんがバランスを崩して横に倒れる。

「危ない!」

 間一髪のところで里中さんを抱きとめた。歯を食いしばる表情。俺が触れる手にも敏感に反応して小刻みに震えている。巻かれている包帯と傷ついた顔。この傷がいじめと関係あるかわからない。けどいじめている人が面白半分で里中さんの心を傷つけているのなら……黙っていられない。脊髄せきずい反射で里中さんの目を見た。

「里中さん、少し話がしたい」

「私は帰る」

 手を振り解いて立ちあがろうとしているけど、足に力が入っていない。また俺にもたれかかる。

「嫌ならせめて送らせて。なんでかわからないんだけど、このままだともう二度と会えない気がするんだ」

 彼女は目を細めた。

 ほんの少しだけ体温を感じた。彼女はまだ生きている。その微々たる希望が俺の心を宥めた。この体温を守らないといけない。もしかしたらお節介になるかもしれない。けど、やらない後悔よりやった後悔のほうが何倍もマシだ。目の前で苦しんでいる人がいるなら、なおさら手を差し伸べなきゃいけない。昔からこういう性格なんだ。

 木下で桜を愛でていた“景色”は今でも昨日のことのように覚えている。そのときは単に綺麗だなってしか思わなかったけど、今は違う。無表情でなに考えてるかわからないし、話したことすらあまりない。正直いってまだ接しにくいって感じる。けどあのときの“景色”が里中さんの本当の姿なんだと思う。学校の雰囲気とはまた違あの感覚が。それがあるから、それをまた見たいから俺を突き動かす。

 里中さんを立たせると、自転車まで彼女を支えて歩く。ケガ人が自転車に乗るのは大変だし、振動が傷に響くかもしれない。家がどこかわからないけど、歩いて帰らせるのもそれは違うと思う。気をつけて運転しないと。

 里中さんは少しためらっているように見えた。荷台に手を置いて考えるように俯いている。

「嫌なら無理しな……」

「話って」

  透き通る声が響いてきた。その声は心臓に届いて鼓動を大きくする。ひと言、たったひと言だけだった。それでも彼女はまっすぐと俺の目を見ている。月明かりに照らされたサファイアのような青い目がそこにあった。

 学校のときみたいによくわからない質問をされたり怒鳴られたりするかと思っていた。その予想は大きく外れてちゃんと返事が返ってきた。というより向こうからきっかけを作ってくれた。顔が熱くなるような、胸が躍るような。純粋に嬉しかった。それならあそこへ行こう。

 自転車を支えて荷台に座るのをサポートする。しかし手をついたまま固まっている。あ、ケガしているからうまく座れないんだ。それもそうか、自転車って思いのほか高さあるし。

「里中さん、俺の首に手まわしてくれる?」

 戸惑い気味で腕を持ち上げて中腰になった俺の首に手をまわす。よし、これならいける。背筋を伸ばして、腰と太もも、それとつま先に力を入れる。彼女の傷に触れないように踏ん張ってすっと持ち上げる。横向きの彼女と顔が近い。驚いてキョトンとしている。直視できない……。

 抱き抱えたまま荷台にゆっくり座らせる。「問題ない?」って聞いたら、コクリと頷いてくれた。ついでに俺が着ていた上着を彼女に羽織らせる。これで寒くないだろう。俺も自転車に跨ってスタンドを戻す。

「しっかり掴まってて」

 足に力を入れてペダルを踏み込む。じわじわと走り出した自転車は速度を上げていく。途中段差があってガタンッと揺れた。その拍子に里中さんは俺の背中にしがみつく。背中越しに伝わる彼女の体温が温かくて、四月の夜も寒さを感じない。心がじんわり暖かい。

 小さいころ、すみれと二人乗りしていたから運転自体は慣れている。久々でちょっと怖いけど。横目で景色を眺めると、足を揃えて横向きに座る姿が月光で影になっているのが見えた。か細い月が俺らを照らしている。

「綺麗な月だ」

 自転車は軽快な音をたてて暗闇に消えていった。



 しばらく漕いであるところにやってくる。そこは俺が昔によく遊んでいた公園だ。敷地は大きくないがベンチやブランコなど必要最低限の遊具が置いてある。

 自転車を傍に置いて里中さんをおろす。そしてゆっくりとベンチへ歩いていった。

「大丈夫だった? 人を乗せたのなんて久々だったから」

 里中さんはまたコクリと頷く。

 夜の公園って少し不気味で変な気配を感じる。ちょっとした遊具の音も敏感に聞こえてくる。草の上を歩く足音が知らないうちに増えているんじゃないかって思うときがある。けど今日はそんなこと思わなかった。ひとりじゃないからかな。それより知り合いがこの公園にいることが不思議だ。いつもは俺ひとりでくるから新鮮味がある。すみれとか海ときたことあったっけ? あったとしてもだいぶ昔なんだろうな。

 公園の奥にあるベンチにたどり着く。埃を払って座り込むと疲労と安堵あんどからくるため息が出てきた。

「ここ、あまり人がこないんだ。俺はたまにこうやってベンチに座って、物思いにふるんだ」

 なびく風が木々を揺らし葉を鳴らす。周りの住宅からはポツポツとあかりが灯っている。しばらくの間、環境音をBGMにして日常の非日常に浸っていた。里中さんはここにきてもずっと下を向いたままだった。まあいきなりだったもんね。彼女から了承を得たとはいえ、突然こんなところにつれてこられたら気が向かないのも仕方がない。

 ここにきたせいか、自分の想いが整理される。いいたいことあるなら今しかない。意を決して単刀直入に話を進める。

「里中さん、学校でいじめられてるでしょ。今日もそうだったんだけど、根も葉もない噂が出てるんだ。里中さんが学校こなくなった今でも。もちろん、その噂を信じているわけじゃないよ。でもちょっと不安でさ」

 本人がどこまで知っているかわからない。もしかしたら伝えるのは酷かもしれない。それでも俺の本心をしっかりと伝えた。

 彼女は特に驚いた顔はしていなかった。さっきと同じように瞼を軽く閉じて焦点のあっていない目を地面に向けていた。勇気を振り絞ったはずなのに、その悲しげな表情にまた怖気ついてしまった。そして俺も万策尽きて同じ体勢をする。

「私は……」

 独り言のように里中さんがボソッと口を開いた。生気をしなった言葉は地面にたらたらとなだれ込む。それを取りこぼさないように耳を立てた。

「私は別になにかしたいわけでもない。いわれるままに生きていた。それなのに、罵られて居場所を追い出されて……。別にいいんだよ。花が咲かねば首を切られる。私の役目はもう終わった。ただそれだけのこと。これで楽になれる」

 初めて聞く本心にひどく怯える。生々しい内容を聞いてしまった罪悪感が頭を埋め尽くす。里中さんはまるで俺たちとは住む世界が違うようなものいいだった。俺とはまた別な悲しみを持っている、そんな気がする。

 いじめにあっていることは知っていた。彼女が苦しんでいるんでいるのもわかっていた。つもりだった。心の叫びを聞いて、それはどれも上辺うわべでしかないと思い知らされた。彼女のことを理解しているつもりだったけど、その闇の深さに溺れてしまう。これじゃあ傍観者と変わりない。同情と反応をするロボットと変わらないじゃないか。俺は……受け止め切れるのか。

 ひと通り話終わった里中さんは死に急ぐようにすっと立ちあがりフラフラと歩き始めた。その背中は亡者のそれだった。行かないで、逝かないで。必死に手を伸ばしても届かない。今の俺がどんなに言葉を並べたって突き放してしまうだけだとわかっていた。

「里中さん……」

 これが最期の別れになってしまうのか。これでいいのか俺は……。

 

 遠ざかる背中に制服の里中さんが重なった。

 俺はあの日の“景色”をもう一度見たい。


「なら俺が受け取るよ。咲くまで一緒にいる」


 相手のことも、自分のことも、気遣いという言葉を一切投げ捨てて心のままに伝える。その瞬間、彼女は振り向き、あの日と同じ突風が俺らの間をかけていった。逆光で顔が見えない。どういう気持ちだろうか、どんな表情をしているだろうか。

 上着のポケットに手を突っ込んで俺を凝視する。暗い陰の中で彼女の青い瞳が光っていた。髪をかきあげてゆっくり近づいてくる。足を引きずって入るけど、さっきよりも確実な足取りだった。

 俺との距離はおよそ一メートル。ここでようやく彼女を認識できた。相変わらずの無表情でなにを考えているのかわからない。無言の圧力に負けそう。じっと、ただじっと俺を見つめている。

「期待してる」

 リンッと鈴の音が聞こえた。唐突にいわれて頭が追いつかない。俺に戸惑う暇を与えないかのように風が流れる。

 白く輝くブロンドの髪がサラサラと流れ、海や空を吸い込むような青い瞳がキラリと輝いている。

 仏頂面なのはいつもと同じ。しかし身にまとっているのは希望を表すガーベラの花。死にたがりな姿はもうそこにない。彼女の意志が俺の中に浸透していく。そして力強く頷いた。彼女の期待を胸に刻むように。

 緊張が解けたのか、里中さんはよろめいて倒れそうになる。優しく受け止めて声をかけると「大丈夫」と返事した。時間も遅いしそろそろ帰ろう。一時はどうなるかと思ってたけど、里中さんと話ができてよかった。それと同時に自分がなすべきこともわかった。今までの自分とは違う。胸に残った言葉がある。結果で示せ。

 きたときと同じように自転車まで手を握った。自転車に乗ってペダルを漕ぎ出す。希望に満ちた明日を目指して俺らは風を切る。


 * * *


——某病室

「本当にいいのね」

「ああ、お願い」

 暗い地下の病室にいるのは患者と医者じゃなく、ふたりの暗殺者。フォリアに頭をさげて暗殺の手助けをしてもらうことにした。それを期待していたように、怪しい笑顔で奥の棚からなにか取り出す。それを楽しげに持ってきて机に置いた。これは……錠剤じょうざいか? 小瓶こびんの中に薬のようなものが入っている。手に持ってじっと見ていると解説が始まった。

「これはパエロニア0514、私が作った鎮痛剤ちんつうざいよ。効果の持続は短時間だけど、これを飲めば骨が折れたって気にならないはず」

「はず?」

 なんかいい方が怪しかったぞ。こいつの薬でひどい目にあったことあるからな。ちゃんと聞かないと暗殺に支障が出る。目を細めてフォリアを睨む。彼女はすっと椅子に座って足を組んだ。そして大きな身振りで続きを説明した。

「それは試作品でね、まだ実験用マウスにも使ってないの。副作用もなにが起こるかわからないし、最悪死ぬわね」

「上等、死ねばもろとも」

「あらあら、やけに強気ね」

 フォリアは口元に手を当てて目をとろけさせている。こんな大事なことしれっといったなこいつ。まあでも、リミットを宣言されてるし、この体でどこまで暗殺できるかわからない。どっちみち死ぬ運命なら少しでも泥臭く足掻こうじゃないの。私は存外優しくないんでね。

 小瓶をパーカーのポケットに入れて、呆れ半分でフォリアに言葉を残す。これが最期かもしれない。

「フォリアが調合したんだろ。なら信頼している」

「リリィからそんな言葉が聞けるなんて。なにかあったの」

「別に」

 暗い廊下にはドアから漏れる一筋の光と暗殺者の奇奇怪怪ききかいかいな会話がジトッと広がっていた。

 私の目は熱くなり、枯れた花びらは地面におち、新たな花を咲かせた。


 * * *


 帰宅すると自室に篭った。そしてすかさずスマホを取り出してバイブを鳴らす。里中さんのために俺ができること。

“おう、どうした。こんな急に”

「笹原、ちょっと話があるんだけどいいかな」

 約束を果たすために、やれることは全部やらないと。それが悪い結果になったとしてもやらなければならない。英雄気取りと笑う人がいるかもしれない。そんなのはわかっている。だからこそ成し遂げたいんだ。里中さんとの学校生活を取り戻すために。

 笹原は俺の話を真面目に聞いてくれた。ひとどおり話し終わると、笹原が渋った声をあげた。

“うーん、なかなかひと筋縄ではいかないぞそれ”

「わかってる。だから笹原に協力してほしいんだ」

 しばらく電話越しの音は聞こえなくなった。回線の問題でもなさそう。まあ無理もないよね。いきなりこんなこといわれてもふたつ返事で「いいよ」なんて答えられない。でも俺ひとりじゃあ到底できそうにない。学校中に広まった里中さんの噂はそれだけ根深い。頼れるのは笹原だけだ。この想いを伝えるために、ひとりごとを大きな声でいった。

「里中さんが苦しんでるんだ。それを見過ごすわけにはいかない。今動かなければ手遅れになると思う。もう二度と、里中さんに会えなくなる。そんなの俺は嫌だ」

 ブツブツと途切れる笹原の環境音。声を聞かせてくれと耳にスピーカーをあてる。ひとつ分の小節がすぎいたあと、ようやく口を開いた。

“お前がそんなに熱心になるなんてな。どうしてそこまでするんだ”

「里中さんは、俺の友達だからだ」

 笹原の渋るような声が聞こえる。そして観念したようにため息混じりの言葉をいう。

“わかったよ。お前の頼みだからな、やるだけやってみるよ”

「ありがとう笹原」

 張り詰めた重い空気は笹原の笑い声で吹き飛んだ。いつもと同じチャラい話し方でだべりだした。それがどんなに気を楽にさせて、心強く感じるか。いい友達を持ったなと改めて思う。

「あ、笹原。もうひとつお願いがあるんだけど」

“お、なんだ? なんでもいってくれ”

「すみれにも協力してもらいたいんだけど、笹原が頼んでくれないかな」

“はぁぁ!?”

 突然の叫び声にスマホを落とした。スピーカーもキーンとハウリングする。動揺しているのかキレているのか区別がつかない笹原はひたすらなにかいってる。さっきまでの頼りがいのある笹原はどこにいったのやら。とりあえず宥めないと。

 聞いてくれそうになったタイミングで改めて説明した。

「女子の協力も必要だし、それに笹原、最近すみれと会話したか?」

“ギクリ”

「大丈夫だって。いざとなれば俺の名前使えばいいし」

“そういう問題じゃなぁぁぁい!!”

 結局、笹原は承諾して後日直接頼むことにした。連絡先を持っていないらしい。俺も同伴しろとしつこくいってくるので、さりげなく後ろに立っていようと思う。

 俺の目は熱くなり、芽から一気に開花する。

 


 本当の真実に辿り着くその一歩手前まではすべて誤りである。

 “開花”、私はその言葉に強く反応した。

 “開花”、俺はその言葉に強く反応する。

「私は……」

「俺は……」


「「まだ枯れてない!」」

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