▄︻┻┳═一   十発目     ≫【錆びた記憶】

 某病室。

「あら、橈骨とうこつにヒビが入ってるわね」

 薄暗い病室でさっき撮ったレントゲンを見せられた。簡単にどういう状態なのか女医じょいが説明してくれた。

 猿飛との交戦後、知り合いに傷を見てもらっていた。あのときは感じなかったが、次第に痛みが増していき目視できるほど腫れあがっていた。おそらく猿飛の一撃をガードしたときに受け流しきれなくて、右腕がやられてしまったのだろう。

「これはしばらく安静にしないといけないね。ちょっと待ってて、今包帯持ってくるから」

 腫れている右腕をしばらく見ていた。情報の詰まったUSBはすでに私の懐にある。あとはいつもどおり暗殺をするだけ。簡単なことだ。あばよくば猿飛が持ってくる六〇〇万もあわせて回収できるかもしれない。

 戻ってきた女医が包帯で簡易的な処置をする。たまに動かしたときに痛むが大した問題じゃない。

「やめておきなさい。この腕じゃあライフルは撃てない」

 私の心を読むようにその女医はいってきた。それもまだ依頼が完遂かんすいしていないのも知っていたかのように。

 彼女は大袈裟なくらいの処置を施し、私に替えの包帯やら薬を渡した。

「あとで請求しておくわ。臨時出勤は高くつくわよ」

「あいよ」

 病室のドアを開けて、その天使な悪魔の巣から出ていった。片腕が使えないのは少々つらいが、私ならできる。私なら必ずできる。

 月明かりに誓うように、天を拝んだ。


   ◯


「痛い痛い! 助けて! この女に殺される!!」

 つい、反応してしまった。 

 以前からわざとぶつかられたり悪口をいわれたりと、地味な嫌がらせを受けていたが今日は違った。

 学校に行けば上靴はないし、トイレに行ったら水をかけられた。決まってあの女とその取り巻きが近くにいる。人を嘲笑うかのような甲高い声は私をいらつかせる。

 しかし今日はそれだけにと止まらず、帰りのときまでしつこくついてきた。なにが原因で私をうらんでいるのか知らない。面識のない彼女らに興味などないが、ここまで献身的にちょっかいをかけられるとむしろ称賛しょうさんの価値がある。

 これがシティなら彼女らはもうここにいないだろう。しかしここは学校。私には“ブラックリスト”の情報を集める任務がある。夜に猿飛とやった傷を引きずってでも今日は行かなければならなかった。


 どうして私は普通じゃないんだろう。


 私をいじめてくる主犯が「ビッチ」といいながらついてくる。気にせず帰ろうとしたが、彼女がカバンを振りまわし、包帯をしている腕を殴ってきた。激痛が走る。骨のかけらが肉に刺さる感覚が伝わってきた。それでも声をあげなかった。痛みに慣れているのもあるけど、反応すれば負けだと六割意地で我慢していた。

 甲高い声をハモらせて彼女らは笑い転げる。いいからどこかに行ってほしい、そう願っても周りには人がいない。そして主犯の女がもう一度カバンをぶつけてこようとした。

 反射的にそれを受け流しカウンターをしてしまった。みしみしと聞こえる彼女と私の腕。一瞬にして凍りついた現場をさらに冷やすように彼女らが悲鳴をあげる。その声に反応してさっきまでいなかった虫がわらわらと現れる。そしてそれらは私に目がけて飛んできた。

「なにやってるんだ君!」

「うわ、ひっどーい」

「動画撮っておこ」

 あっという間に人だかりができてしまい、嫌な注目を浴びてしまった。この状態では弁解べんかいもできないし、なにをしても裏目に出てしまう。だから大人しく手を放した。そしていわれるがままに先生に連れていかれた。


 生徒指導室の長机に対面になる形で学年主任が座る。気だるそうに頭をかきながらそれっぽい言葉を私にいう。

「暴力はいけないよー。なんでこんなことしたんだ? どうせしょうもない理由なんだろうけどさ」

 失礼な態度とあまりに正直すぎるいい言葉はここまでくると呆れてものもいえない。なにを答えるわけでなく「すみません」とひと言いってこの場を早く終わらせようとした。

「イギリスだかなんだか知らないけどホームシックを原因に人を傷つけるもんじゃないよ。言葉で伝えなさい言葉で。キャンユースピークジャパニーズ?」

 くっそむかつく……! なんだこいつは。先生って立場の者がそんな偏見と差別をしてていいのか? ここが生徒指導室じゃなかったら殺っていたぞ。これだから嫌いなんだよ。シティの人間も大概だけど、意味がない規律とただ歳食った人の言葉に従う表社会と比べたらまだマシだ。せっかく今日はジェラルトンに作ってもらった装置を試そうと思ってたのに。

 落ち着け……落ち着け私。ゆっくり目を閉じてナイフに触れている左手をゆっくりと膝の上に戻した。

「せんせぇ、そんなに責めないでくださいぃ。アマリリスちゃんにも事情があったんですよぉ。私は気にしてないんでぇ」

「お前は本当に優しいな。おい里中、こいつに免じて今日はもう帰っていいぞ。友達同士仲良くな」

「はーい」

 そういうと学年主任はたらたら面倒くさそうに文句を垂らしながら生徒指導室をあとにした。だれが友達だ。こんなやつ名前も知らない。まあいい私も帰ろう。

「ざまぁ」

 席を立った瞬間、その言葉が私の背中に突き刺さる。一瞬たちどまったけどそのままドアを開けて外に出た。そうでもしなければあの子はいない。


 夕日に染まる廊下は影を濃くしていた。

「七面倒くさい」

 あのいじめっ子も偏見の塊の学年主任も、好奇の標的に群がる虫も、なにもかもが七面倒くさい。だからこの世界が嫌いなんだ。シティで暗殺業をしているほうが何倍もまし。私の居場所は数年前からそこなんだ。

 廊下に響くのはひとりの足音のみ。外の音はおろかチャイムすら聞こえない。それは私がこの学校に取り残されたのか、それとも拒否されたのか。

 大きなため息をついて玄関に行く。靴が残っていることを信じて。


 * * *


「なにぼーっとしてんだよ。さっさとバイト行くぞ」

 暗い返事をしてとぼとぼとバイト先へ向かう。

 この前学校で聞いた不穏な会話は今でも覚えている。「ビッチ」と比喩するトゲのあるバラのような声はさっき里中さんに関節をきめられていた人の声と類似していた。それに見間違いかもしれないが、微かにその子が笑っているように見えた。パンドラの箱と思って詮索せんさくしないようしていたけど、このまま黙ってことが過ぎるのを待つしかないのだろうか。俺になにかする資格はあるのだろうか。

 悩んでいると笹原が唐突に話し始めた。

「さっきいた生徒覚えているか? あのやられていたやつ。実はあいつと同じ中学でよ、名前は確か……かつら支那しなだっけな。あまり話したことないけど」

 話によると桂さんは中学校時代から面倒見がよく人気もあったらしい。おしゃれさんで見た目も可愛いため、高校に入ってもみんなから慕われていたそうだ。男子から告白されるのは日常茶飯事……ってモテる女って本当にいるんだな。

 そんな彼女を里中さんが……それとも……。

「まあ俺らには関係ないけどな。女ってなに考えてるかわからんから」

「だから笹原はすぐ振られるんだね」

「恋愛経験ゼロのお前にはいわれたくない!!」

 俺と笹原は冗談を交えてだべりながらバイトへ向かった。


   ◯


 今日はレジ打ちだけど、暇なほど客が少ない。ラッシュ時に多くの注文をさばきお客様に笑顔を見せるのも大変。けどこう暇疲れする日は不快な疲労がたまっていく。そのせいで体がぐったりとしてしまいそう。

「空、お前今暇だろ。荷物運び手伝ってくれ」

 段ボールを抱えた笹原が奥から俺を呼ぶ。レジ打ちをもうひとりのクルーに任せてそっちへ向かう。

「うわっ重いなこれ」

「はは、お前もまだまだだな柊木君よ」

 たわいもない雑草のような話を続けながら働きアリのようにせっせと荷物を運ぶ。

 種類別にわけて置き、今のうちにできそうな部分は開封して棚に陳列させる。こういう単純作業やボチボチやる作業が好きで、よく学校でも生徒会の手伝いで資料の帳合ちょうあい作業をしていた。裏方にいるのが性にあってるみたいだ。

「柊木君、ちょっとレジ頼める?」

 はいと大きく返事をし急いでレジに行った。

「すみませんお待たせしました。ご注文のほうは……ってあれ、君は」

「いきなり君よばわりとかきも。まあいいわ、これのセットお願いします」

 トゲのあるバラのような声、ギャルっぽい彼女はうちの制服を着ている。前髪は綺麗に揃えて残りの髪はポニーテールにし、右側に触角しょっかくを出している。これは紛れもなく野次馬の中心にいた人物で、笹原が教えてくれた桂という人だ。

 さっきの騒動が嘘のように平然としている。好奇心と正義感を押さえ込んで淡々と注文を後ろに流す。

「以上でよろしいですか」

「大丈夫です……って笹原、あんたここでバイトしているのね。陰薄くて気がつかなかったわ」

 裏から戻ってきた笹原がちょうど俺の後ろを通った。あまりしゃべったことがないといっていたが、桂さんの反応はまるで幼馴染みで俺とすみれに似たなにかを感じた。

「おう……桂か」

「それだけなの!? 元カノに対する反応も薄いのね」

 顔を赤く染めて半分キレ気味に「は? 関係ねぇし!」と声を荒げた。桂さんは口では強くあたっていたけど、その目に寂しさを感じた。今ほかにレジ待ちの人がいないとはいっても勤務中だし、ふたりの間に入って仲裁ちゅうさいしないと。

 まあまあと笹原にフライを任せ、桂さんにはおびとして俺が代金を肩代わりした。

「いいのよ別に。ただの照れ隠しって知ってるから」

 どこか懐かしむように触角を指で絡めている。まさにいまどきの女子高生って感じだな。

「代金ここに置いておくわ。どうしても奢りたいならそこの募金箱にでも入れてちょうだい」

 そういうとプレートを持ってスタスタと行ってしまった。

 笹原からの情報で作られた印象と、実際に桂さんと話した数秒の印象とではまるっきり違った。口調がきつくても柔らかい声がする。彼女の優しさが会話をしていて伝わってきた。とてもいじめをする人には見えない。どれが真実で、どれが本当の桂さんなのか。それをレジにいながら思考する。

 カウンター席でひとりスマホを見ている彼女は哀愁を帯びていた。たまに感傷に浸るように窓の外を眺める。そして小さくため息をつくいていた。


 フライのほうへ行って、笹原の様子をうかがった。いつもなら愚痴をこぼしながら仕事をしているが、今はそれすらない。チャラさもなにもない笹原はただ真面目に仕事をしていた。

「笹原、桂さんこと聞いていいか?」

「あいつが心配なんだろ。まったくお人好しなんだから」

 そういうと少し考えたあとポツポツと話し始めた。

「付き合ったのは中学三年のときだ。俺にしては長く続いたほうだったかな。あいつさ、面倒見はいいけどちょっとメンヘラっぽいっていうか。束縛があってよ。俺はそれがどうしても慣れなくてさ」

 中学三年の春に笹原から告白して付き合ったらしい。だれもが認めるお似合いカップルだったそうだ。しかし笹原は周りから冷やかしを受けるのが好きじゃなかった。嫌がらせのつもりじゃなく、ただのふざけでふたりを茶化していたんだろうな。それが嫌いなのは俺もよくわかる。小学校のときからすみれのことをいわれていたから。

 一途な愛は笹原には重く、さらにケンカをしても「熱いねぇ」と周りから冷やかされた。そんな状況に耐えきれなくなって、冬休みまえに別れたそうだ。

「それから避けるようになって、高校も一緒のとこにきたけど結局あまり話さなくて。桂は吹っ切れて付き合うまえみたいに接してくれたんだが、俺だけがなんだか気まずくてよ。情けないよな」

 過去のできごとを話し終わった笹原は痛々しい笑いを見せて無理やり元のチャラさを出してきた。去年同じクラスだった俺が知らなかった事実。それを聞いてしまったらあとには戻れない、そう直感した。

「あ、島塚さんには絶対いうなよ。それにお人好しも発動禁止だかんな」

 笹原は指をさして念入りに確認させた。そしていつものようにだべりながら仕事をするのだった。


   ◯


 昨日のことが気になって寝つけなくって机に突っ伏していた。朝から大きなあくびをしていると後ろのドアが開いて笹原が入ってきた。手には学校近くのパン屋の袋がぶらさがっている。

 いつもと変わりなく「よう」と声をかけられそれに反応する。朝の忙しない教室はBGMとなって俺の耳に入ってくる。なにをするわけでもなくただぼーっと袖についているボタンを眺めていた。そしてピタッと教室のざわめきが止んだ。

「うわ、きたよ」

「昨日はやばかったな」

「し、聞こえちゃうよ」

 さっきまで聞こえていたBGMは教室の音量に反比例して耳の裏にひどくこべりつく。今日もまたこの調子でいくのかと思うと心が痛む。だからといって俺にできることはない。時間が解決するのをただ待つのみだった。

「それではホームルーム始めます」

 そうして悪夢の一日が始まった。


「おいマジかよ」

「でもこれ同じ顔だよな」

 クラスの男子がなにやら奇妙な盛りあがりをしている。

“ピロリン”

 不意に鳴ったスマホを確認すると新着のメッセージがあった。そこはクラスの男子のみで構成されているグループでしょうもないことばかり話しているところだ。ある男子生徒がスクリーンショットとそのサイトのURLを添付していた。その画像はデリヘルの風俗嬢の写真で、朝からくだらないとそのときは思った。しかしその画像の人物はなんだか見たことがある。金髪で瞳が青くて……。

 ふと画像とその思い当たる人物を目で何度も見比べた。

「え、まさか……」

「おい空、これ見たか?」

 真剣な眼差しの笹原が俺のところにやってきてスマホの画面を見せる。黙って頷くと笹原は俺を教室から連れ出してトイレに向かった。


「これってどう見ても里中さんだよな。」

「も、もしかしたら似ている人かも……」

 改めて画像を見ながら俺に聞いてきた。引きつった顔をして曖昧に答える。確かに加工はされてるが、この髪の色と顔立ちはそうそういるもんでもない。しかしそれでもにわかに信じられなかった。信じたくなかった。

 サイトを開き笹原が内容を読みあげる。

「現役ハーフ高校生、学校には秘密。六十分コース一万五千円、内容からしてもそうだし、見ろよここ」

 そういうと笹原は画像を拡大した。里中さんと思わしき人物の後ろに上着がかかっている。そこに目を凝らすと……。

「うちの……制服……」

 半信半疑だった俺を確信にさせてしまうほどその制服は鮮明に写りすぎていた。心臓がひどく痛む。

 始業式に出会った彼女は、

 桜を愛でる澄んだ瞳の彼女は、

 学校でも凛とした彼女は、


 だれなんだ。


“キーンコーンカーンコーン”

 俺らはチャイムにせかされて教室に戻った。頭の整理がつかず、呆然と椅子に座っているだけの俺は植物同然だった。考えたくない、考えがまとまらない、なにを考えているんだっけ。そんなような無意味の産物を繰り返し頭の中でこねくり回していた。里中さんが風俗嬢……ということは今までの噂も本当……。まさか転校してきた理由も実は……。

 妄想に妄想が重なって収集がつかなくなっている。授業中にも関わらず男子グループはその話題で大盛りあがり。中には財布を取り出し中身を確認する不埒ふらちなやつもいた。

 女子グループはおそらく知らないだろう。そうであってほしい。バカな男子がうっかり口を滑らせなきゃいいのだが。

「じゃあこの問題は……里中、黒板に答えを書いてくれ」

 里中さんは静かに椅子を引いてトトトっと軽い足音で歩いていった。そして淡々と答えを書いているさまにクラスのみんなは無反応だった。一部の男子はやらしい目で見て胸を揉むジャスチャーをしてふざけあっている。女子はあからさまに無視をするようにノートを取ったり髪の毛をいじっていた。そんな里中さんを同情という卑怯ひきょうの眼差しで見ていた。俺にできることなんてなにもない。

 そして花は蕾に戻っていった。

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