▄︻┻┳═一   一発目     ≫【四季の始まり】

 桜の咲く季節きせつきたつのは植物しょくぶつだけじゃない。


 俺はしっかりと覚えている。大人になってもきっと忘れないだろう。

 私はしっかりと覚えていたい。大人になっても忘れたくない。


 高校の春、あれは確かに運命的な出会いだった。


 桜の花びらを身にまとい、暖かな太陽に照らされている彼女のこと。

 血でまみれた冷たい私に、桜をでるように手を伸ばしてくれた彼のこと。


 それは超えてはいけない境界線きょうかいせん。普段関わることがなく、耳にすらしない。神様はそれを因果いんが摂理せつりといって均衡きんこうたもつ。そんなことはいわれなくてもわかっている。しかしそれでもあきらめきれない。諦めてはいけない。


 俺は

 私は

 もう一度あの“景色けしき”を——


 * * *


 光りかがやく都心から少し離れたところ。やみに包まれたそこはしおの香りが感じられ、明かりは少なく、手元を見るのでやっとだった。そこにはまだ工事中のビルがあり、中はガレキが散乱さんらんしている。解体作業中らしく、とてもこなっぽい。

 深夜にこんな場所に忍び込むのはヤンチャな子どもか“危ない大人”くらいだろう。ゆえに人の気配けはいはなく殺風景さっぷうけいだった。

 金髪きんぱつで青い目の私は一度見られれば印象にも残る。髪をたばねて帽子ぼうしをかぶり、黒い服で目立たないようにしている。

 整備途中せいびとちゅうのエレベーターは電源が落とされていて使えそうにない。荷物にもつを持って階段をあがるのは骨が折れるがいたかたない。


 六階につき、ぱふぱふと粉をふみながらポイントにいく。足跡にあわせて紫陽花あじさいが咲いてはちて咲いては朽ちてを繰り返す。それが私の象徴しょうちょうだというのなら、あながち間違いではないのかもしれない。月明かりに照らされた小さく深い自分の影は“いびつ”な形をしていた。

「同じだな」

 大きな窓が今日のポイント。すぐに準備をする。

 肩にかけていたケースを床においてジッパーを開ける。

“カチャ”

 幾度いくどとなくかえされた動き。こいつを組み立てるのはもう体に染みついていて、半ば無意識におこなっている。

 ものの数分で準備は完了し、私と相棒あいぼうの姿は月にばれてしまう。冷徹れいてつ重々おもおもしい形状けいじょうつつ、ボルトアクション式にしてはめずらしいストレートストック、銃身じゅうしん銃床じゅうしょう接触せっしょくしないためのフリーフローティング構造こうぞう。そう、AWM—L115A1が私の相棒だ。

 スコープをのぞきターゲットを確認する。優雅ゆうがにタバコを吸ってふかしている。最期さいご慈悲じひとして吸い終わるまで待ってやってもいいが、私は存外ぞんがい優しくない。

 風向ふうこうは南南西、風速三メートル。ターゲットまでの距離きょり、六〇〇ヤード。

 まばたきをするようにスコープのつまみを調整ちょうせいし、呼吸こきゅう同時どうじにボルトハンドルを引く。そしてトリガーに指をえるとスコープに反射する目が次第しだいに赤みを帯びる。

「さよなら」


“カランッ”


 重い轟音ごうおんに続いて床に響く薬莢やっきょうの音。二、三度はねてズルズルっと止まった。銃声じゅうせいはいまだにビル内をこだましている。

「こちらリリィ、任務完了」

 人は私を“青いガーネットブルーカーバンクル”とよぶ。


   ◯


——新宿某所しんじゅくぼうしょ

「見て、あの子可愛かわいくない?」

「うわっ超美人びじんじゃん。誘ってみるか」

 人でにぎわうこのまちでは昼間ひるまからスカウトやナンパは珍しくない。やることのない大学生にはいいひまつぶしになるだろう。“もしかしたら“を期待きたいしているかもしれない。

「君かわいいねぇ。もしかしてモデルさん?」

「俺たちと遊ばない?」

 街に出るときは基本的きほんてきにパーカーとジーンズ。あまり目立ちたくないからだ。ファッションに興味きょうみがないのも花のない見た目の理由だろう。

「ほらあの……そうだ最近できたスイーツなんとか? れてってやるよ」

「スイーツキャッスルね。もちろん俺らのおごりだからさ」

 三月も終わりというのに今日は少し寒い。それなのに女子高生じょしこうせいたちは薄着うすぎでスカートたけを短くする。それで寒そうに震えている。どれもこれも興味はないが。

「おい、無視むししてんじゃ……」

 急に肩をつかまれて引っ張られる。なんだこいつら、ずっと近くにいたのか。

 彼らは私の目を見つめて固まっている。ナンパするなら気のいため言葉や女子が好きそうなものをいってみたらどうだ。見つめてるだけじゃどうにもならない。

 父親ゆずりの青い目、海や空を飲み込むような青い目。そう、私はハーフなんだ。

 日本人の母とイギリス人の父。小麦色こむぎいろの髪の毛も相まって、たまに彼らのように異物いぶつを見る目でみられることがある。それももうれてしまった。

「「し、失礼しましたぁぁ!!」」

 失礼しました、ね。厄介事やっかいごとまれなくてすんだものの、少し注目ちゅうもくびてしまった。パーカーのフードを深くかぶって足速あしばや帰宅きたくする。

「でさぁ、あの映画すっごく泣けてさ」

「本当に? じゃあ今度彼氏と行こうかな」

 前から歩いてきた高校生が私の隣を通り過ぎていく。おそらく私と同い年だろう。別にあこがれているわけではない。ただ私と住んでいる世界が違うだけ。物珍しく見ているだけだ。



 さわがしい街とは正反対せいはんたいおごそかな雰囲気ふんいきのあるマンション。ここが私の家だ。フロントには二十四時間三六五日、黒いスーツを着たスタッフの人がいる。

 ポストに入っている手紙の束を手繰タグり寄せて持ち帰る。手紙といってもチラシしかないようだ。

 エレベーターを待っていると、清掃員のおばさんが話しかけてきた。

「おじょうさん、これよかったらもらって。差し入れらしいんだけど私食べれなくって」

 渡されたのはマカロン。押しつけるように渡されたが、別に断る理由もなく素直に受け取る。

 そこにちょうどよくエレベーターがきた。ドアが閉まる瞬間、おばさんと目があったので軽く会釈えしゃくした。

 右手にはチラシ、左にはマカロン。エレベーターの角に身をあずけて、ぼんやりとカウントアップを眺める。


 二十四階のランプがともりエレベーターが止まる。周りにはだれもいなく外の雑音すら聞こえない。右手のチラシを左手で持ち、カードキーをポケットから取り出す。ドアの鈍い金属音が廊下に響く。

 やっと家についた。面倒事めんどうごとがあったのも理由だけど、プライベートな空間にほっとしている自分がいる。

「ただいま」

 もちろん返事へんじはない。ここにひとりで住んでいるからだ。1LDKのバルコニーつき。家賃やちん想像そうぞうにお任せする。

 リビングにあるのはテーブルとソファ、そして空気清浄機とベッド。料理はしないし、ゲームや音楽の趣味もない。ゆえに暮らすうえで必要最低限な物しか置いていない。

 もらったマカロンと手紙をテーブルに置き、ため息まじりにソファに座る。

 そしてくじ引きのようにチラシを手に取り、ひとつひとつ中身を確認する。

 新しい化粧水のチラシ、専門学校の勧誘かんゆう、クーポン券などどうでもいいものばかりだ。

 そして最後のひとつ、大学のオープンキャンパスの案内の中に白い紙切れが入っていた。名刺めいしほどの大きさで、普通の人なら印刷ミスか間違って混入こんにゅうした物と考えるだろう。

 いつものようにジッポーを取り出し、直接ちょくせつ火があたらないように下から炙った。するとただの白い紙切れは次第に意味を持ち始めた。

“K”

 紙切れに浮かんだのはその文字だけだった。

「了解」

 私はさっそく服をいだ。



『夕飯までに帰ってくるからな』

『パパいってらっしゃい』

『気をつけてくださいね』

『もちろんだとも、それじゃ——』



 時計の針は夜の十時過ぎを指している。私は布団ふとんにくるまって寝ていた。変な夢のせいだろうか、少し頭痛ずつうがする。

 体を起こしてベッドに座り、リモコンで部屋の電気をつける。相変あいかわわらずなにもない部屋。ピッという音でさえ響きそう。

 スマホの充電じゅうでんが九十六パーセント。今日は特に使ってないから減ってなかった。ベッドの横にはサイドテーブルがあり、役目を待っている充電ケーブルが写真立ての前に置かれていた。

 その写真を見て少し眠気が覚めた。

 下着したぎしかつけていないとはいえ、やっぱり今日は冷える。完全に目を覚ますためにシャワーを浴びる。


 火照った体が冷えないようにバスタオルで包み、ドライヤーで乾かす。かがみに映る自分の目を見て少し視線しせんをずらす。ずかしいとか自分が嫌いとかそういう意味ではない。ただ無関心なだけで、その動きもまばたきと同じだ。意味なんて持ちあわせてない。

 髪を乾かし終わるとバスタオルを巻いたまま私室に向かう。この部屋を借りるときにベッドルームと説明があったが、あそこでは寝たくない。そういう意味でも改めて現実げんじつに引き戻された私は冷たい廊下をスタスタと歩いていく。


 ドアを開けると奥のほうに机があるのが見える。両端りょうたんにはクローゼットやダンボール箱など“仕事道具”で空間を圧迫あっぱくしている。まるで屋根裏部屋やねうらべや物置ものおきのみたい。

 バスタオルを洗濯カゴに放り投げクローゼットを開ける。パーティ用の高級ドレス、オーダーメイドのスーツ、ブランドのコート。どれもこれも私物だがすべて仕事のため。

 その都度つど必要な物を買い、着こなす。高級品やブランド品にひかれはしないが、暗殺において有効なのは知ってる。そういう界隈の依頼がくるからだ。

 適当に手前のドレスを引っ張り出す。黒ベースで胸元が大きく開いる。ワンポイントで金色の装飾そうしょくほどこしてあるのが特徴だ。

 なんなくそでに手を通して、次はメイクをする。今日は“あそこ”に行くし、目元を軽く整えて口紅だけ少し濃いめのものを使う。使い込まれた化粧けしょうポーチから色を選んで取り出す。鏡で確認しながら仕上しあげていく。小指で口紅をひいたら終わり。

 手首を返して腕時計うでどけいを見る。そろそろ行かないと。

 手提げの小さなカバンを持ち、マカロンを口に運んで家を出る。


   ◯


 夜になっても静まることを知らない新宿は大人たちで賑わをみせる。あちらこちらでキャッチやぱらいの声が聞こえた。おそらくだれひとりとして私を未成年みせいねんと思わないだろう。

 今日はうんがよく、まだだれにも声をかけられていない。酔っ払いやいとなみ目的の男と話すのは七面倒くさい。からまれるまえに先を急ぐ。

 風俗街ふうぞくがいを抜け、細い路地ろじを通り、建物の階段をくだる。まるで秘密基地ひみつきちのように普通の人には到底とうていたどり着けない場所にそれはある。

“Kalmia”

 それは私が目指していた会員制バー、カルミア。ドアの前に立つとカギが開く音がした。そのままドアノブを回して中へ入っていく。

「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」

 カウンター席とテーブル席があるこのお店はレトロな内装で、部屋に流れるレコードがその雰囲気を醸し出している。カウンターの右から三番目が私の定位置ていいち

 白髪はくはつ眼鏡メガネをかけているこの人がカルミアのマスター。歳は教えてくれないが見た目や執事しつじのような話しぶりからして相当いってると思う。

 店内は私とマスターだけだった。マスターはレコードをB面びーめんに変えた。

「ホワイト・レディで」

「少々お待ちください」

 年季ねんきの入ったシェイカーを取り出すと手際てぎわよく作りはじめた。

 ホワイト・レディはドライジン、ホワイトキュラソー、レモンジュースをそれぞれ二対二対一の割合わりあいで入れ、氷とシェイクしてできるカクテルのことだ。

 こおり気泡きほうのような白いにごりは照明しょうめいてららされると宝石ほうせきのように輝き出す。アルコール度数どすうも高く、目でもしたでも楽しめる一品いっぴんだ。

「お待たせしました」

 さっそくグラスを手に取り、そのふち口紅くちべにをつけた。

「マスター、これ……」

「どうかなさいましたか」

 うつむきながら小刻こきざみに震えた。耐えきれない感情がそうさせる。

「……じゃん」

「はて?」

 こぶしを強く握ったせいでグラスが割れてしまいそう。マスターは聞き取れなかったらしく、耳をかたむけていた。

 それならと大きくゆっくり息を吸って……。

「これレモネードじゃん!!」

 出されたのは黄色い半透明はんとうめい液体えきたい酸味さんみ甘味あまみがちょうどいいレモネード。グラスもトール・グラスで幼稚ようちなストローまでついていた。

 大声で文句をいったのにもかかわらずマスターはいたって冷静れいせいで、聞き流すような笑いをこぼしていた。そしてなにごともなかったようにグラスを拭いている。

「リリィ様はまだ未成年でございます。ここは日本ですよ」

「七面倒くさい」

 不貞腐ふてくされた私は頬杖ほおづえをついて幼稚なストローでちびちびと飲んだ。

 その間もマスターは執事のような微笑ましい顔をしている。

「こちら“おつまみ”でございます」

 そういって目の前に一通の手紙を差し出してきた。白い入れ物には“青いろう”でふうがされている。シーリングスタンプだ。

 物珍しさも感じず、すんなりと開けると中には紙が入っていた。真っ先に目に入ってきたのは一〇〇万という数字だった。ざっと目を通してテーブルに置く。そして人差し指で優しくくちびるに触れてそのまま紙の末端まったんに押しつけた。

 紙を戻してにこやかなマスターに返した。

「今回の報酬ほうしゅう、やけに少なくない?」

獲物えものが獲物でしたので」

 一〇〇万円という数字に納得はしてるがどこかに落ちない。元はもっとあたろうに、私が所属している“組織そしき”にいくらか持っていかれたのだろう。こうして暗殺業あんさつぎょうができるのもその組織のおかげだし、いまさら文句もんくはいえないのだけど。

 ちょうどそのころ、店内の音楽が止まった。静かな空間にはカランッと氷が溶ける音とチックタックと鳴る古時計の音色のみが広がっていた。

「それで? これだけじゃないでしょ」

「さすがリリィ様。さっしがよろしいですな」

 新しいレコードを準備しようとしたマスターを呼び止めた。ニヤリと笑ったのが背中からでも伝わってくる。

 手際よくレコードに針を落とすと、怪しく振り向いた彼の手にはまたも手紙が握られていた。今度は“黄色い蝋”で封がしてある。

 無言むごんで手渡され、怪しみながらも中を確認する。その際、マスターはもったいぶるように説明をした。

「あのかたから直々じきじき命令めいれいを受けました。手はずはすでに整っております。明日には荷物がとどくことでしょう」

特殊とくしゅな物資が必要ってこと? イエローだから諜報ちょうほうかな」


「リリィ様には高校こうこうかよってもらいます」


「え?」

 そんなバカな。おそるおそる中身を確認すると、そこには大きく“東京都立とうきょうとりつ八重桜やえざくら高等学校こうとうがっこう入学にゅうがく手続てつづき”と書かれている。

 マスターがいったことは正しく、書類しょるいにはすべての手続きが完了していることが記されていた。あとは登校とうこうするだけとのこと。

 マスターのほうを見ると、私を嘲笑あざわらってピエロのような顔をしている。

「し、七面倒くさい……」



 このときはまだ、これが世界の均衡をくずすトリガーになるなんて思いもしなかった。私が高校に通うこと自体じたいが。

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