第2話 「美桜は、指を、突っ込んだ」

 夜のアトリエで、美桜みおは死んだ猫のまぶたを引きはがした。おとといまで、美桜が可愛がっていた猫。今は死んじゃっている猫。

 にごったゼリーみたいな猫の目に――


      ぎちゅ、ぐちゃ、ぬろり。


 ――美桜は、指を突っこんだ。


 指に力がこもり、一気に血まみれの目玉を猫の死体から取り出す。白い繊維みたいなものが目玉にくっついて、床まで垂れさがった。

 視神経だな。あの先には、何が詰まっているんだろう……。

 あたしがそう考えた時、美桜が猫の目玉を、彫刻の猫に埋め込んだ。

  

 嫌な音とともに、木の猫が動きはじめた。目からまだ白い視神経をひきずったまま、生きているように体を伸ばした。そして獲物をねらう姿勢になったとき、ほわりと白い煙が猫をおおった。


 煙があったのは、ほんの数秒。

 あとには、完璧な猫の彫刻が虚空に向かってジャンプしかけていた。

 美桜によって美しく作られていた彫刻が、完璧を超えていた。

 

「きれい」

 思わず声を上げた。

 その瞬間、邪悪な小人があたしを見た。灰色のかすんだ眼が、あたしをとらえていた。


 あたしは小さく叫んで、がくがくする膝で逃げ出した。

 そのまま自分の家に戻って、部屋に飛び込む。

 吐き気がする。体中がひっくり返り、内臓が外に出てしまったような気がする。

 布団と毛布を身体に巻き付けても、ふるえがとまらなかった。

 

 ふるえながら、あたしは思った。

 あの小人は“取引だ”と言った。美桜は小人の言うまま、猫の死体から目玉をえぐり出した。

 つまり美桜はこれまでにも、あの小人と“取引”をしている。

 どこからみても完璧な彫刻をさらに磨きぬくために、美桜は、あのいやらしい小人と取引をしているのだ。


 あたしは、勉強机の上に置いた少女像を見た。

 もしかしたら――。

 ひょっとして、あるいはおそらく多分――ぜったいに。


 ぞべっとした声が、床から聞こえた。

「取引だ。にえがあれば」


 見ちゃいけない、そう思いながらあたしは床を見た。

 そいつは。

 当たり前みたいな顔をして、部屋にいた。カタカタとあたしの歯が鳴る。


「どっか行って」

 ぎ・ぎ・ぎ、と黒い小人はあたしの少女像をみて笑った。

「ひどい、ひどい。贄もない」

「にえ?」

「対価だ」

「……ねこの目玉?」

 あたしがいうと、小人は金属がきしむような声で笑った。


「あの彫刻は、出来できがいい。だから猫でじゅうぶんだ。この人形は出来できが悪い。だから人間だ」

「人間?」

「おまえだ。おまえの身体を寄こせ。髪がほしい。取引だ」

「かみ? あたしの髪がほしいの?」


 邪悪な小人は、自分の頭をひくひくさせた。すっかりはげて、皮膚はデコボコ。気持ち悪い。

 小人が言った。

「髪を切れ。像に髪を刺せ。像がよくなる」



 なぜ。

 そんなことをしたのか、いまでもわからない。

 でもあたしは、美桜が猫の目玉をえぐりだしたのを見ちゃったし。

 美桜の作った彫刻の猫は、たまらなく美しかったし。

 あたしは美桜になりたいし。


 ハサミでちょっと髪を切った。黒くて太くて、つやつやした髪。

 それを机の上の少女像に刺した。

 数秒後。

 ふわっと白い煙がたった。少女像のおかっぱ頭が揺れた。

 煙が消えると、あたしは息をのんだ。少女像は絶妙な角度で髪を揺らし、ケタ違いに魅力的になっていた。

 ほんの髪の数本で。


 数本で??

 あたしはふと自分の頭に手をやった。

 ずるっと、髪が抜ける。指に絡みついたのは、白くひねこびた髪の毛。

「なに、これ!」

 鏡を見ると、あたしの頭にあるのは、見たこともないちぢれた白髪。それも、ほろほろと抜け落ちていく。あたしは悲鳴を上げた。


「きっきっき」

 笑い声のほうをみるとさっきまでデコボコのハゲだった小人に、見事な黒髪が生えていた。小人はしゅっと消えた。

 あたしは茫然と少女像を見る。

 わずかに上を向き、髪を風になびかせて微笑みながら歌う少女像。その形は、みちがえるように美しくなっていた。

 「髪ぐらい……いいか」

 つぶやくあたしの頭からは、ほろほろと白髪が抜けつづけた。



 そして、あたしと邪悪な小人の“取引”がはじまったんだ。 

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