第2話 水面下の殺意 

 俺はミラノ・マルペンサ空港に到着した。数時間前までいた砂埃と独特の香辛料の臭いの国から、うって変わってなんとも清々しい。暑さに変わりはないが、なぜだかイタリアの方が少し寂しい気がした。すり寄ってくる土産物売りも、チップを要求してくる子供もいない。


 依頼人・論田眞子との待ち合わせまでまだ少し時間があったため、俺はスケジュールを確認して時間をつぶしていた。今回の依頼内容は、論田がフィレンツェから少し郊外に行った場所でB&B(ベッド・アンド・ブレックファスト:朝食付きの宿泊施設)を始めるための下準備である。候補地の確認から、宣伝のための観光地案内情報に食事情報、現地スタッフの雇用条件確認など多岐に渡る。滞在時間に限りがあり、行く先も多いためかなりの過密スケジュールである。ひとまず今日の宿泊先はフィレンツェ駅近くにあるホテルなので、一旦そこで荷物を置いてからの行動になる。


 人混みなど眼中にないかの如く、まっすぐに向かってくる人物が見えた。通行人がのきなみよけていく様は、まるで王、いや王女の行進のようだ。


論田眞子は開口一番、


「遅い、なんで待ち合わせ場所でまってないのか。」


 俺は指定の待ち合わせ場所にいたつもりだが、そういう問題ではないのだろう。


「ネコちゃんのいる喫茶店にいくぞ、案内よろしく。」


 いきなりの予定変更であるが、まあ、なんとなく予想はしていた。お互い空港についたばかりであり、ちょっと休憩しがてらミラノ中央駅付近にある猫カフェへ向かうことにした。基本はプラスに考える、この思考こそが重要だ。


 猫カフェには、10匹近くの保護猫が店内で放し飼いにされており、客の持てなしをしてくれる。論田は店に入るなり、注文は後回しで1匹づつ猫を抱っこしてはその感触を楽しんでいた。俺は今後のスケジュール確認をしたかったのだが、どうやらそれどころではないらしい。


 ひとしきり猫を堪能した論田は、店員にワインリストをオーダーした。いきなりここで飲み始めるのかと思ったが、寝酒用にワインが欲しいとの要望であった。気に入ったブドウを使ったワインがないとわかると、諦めたのか一旦ホテルへ向かうこととなった。


 論田の要望で「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」にほど近い場所にあるホテルに滞在する。余談であるがこの大聖堂は映画「冷静と情熱のあいだ」のロケ地として有名である。観光地の真ん中であり、かつ世界遺産の中で生活するような体験ができることから、この場所を宿泊地に選んだ。これから宿泊施設を経営するための生きた情報収集をしたいという目的もある。


 俺たちはタクシーに乗り込み、ホテルを目指すことにした。するとタクシーの中で、

 「にゃぉーん」

と猫の鳴き声が。はっ、として論田の方をみると論田の膝の上に子猫がいた。


「えっ、なんで猫が?論田さん、まさか猫カフェから連れてきちゃった?」

「タクシーに乗るときに一緒に乗ってきたの。昔から猫に好かれるのよ。」

「旅のお供ね。というわけで猫同伴でよろしく。」

「見たところ雑種ね。ペルシャ猫の血統入ってそう。」

「よーし、おまえは「ペル」だ。うちの「ベル」と紛らわしいけどまあいいでしょう。」


 こうして予定外の珍客を加えイタリアの旅は始まった。


遡ること数時間、フィレンツェ郊外。


 謎の日本人の接客をまかされたジュリアは困惑していた。


「ブルーさん、あの日本人が「くさなん」ってオーダーしてきたんだけど、なんの料理のことかわかる?」

「えっ、なんだろう「草餅」かなー?」

「よくわかんないから、メニュー指さして確認してみたら。」

「そっか、ひとつづつ確認してみる。」


 意思の疎通が図れたのかわからないままに、ジュリアはカルボナーラとコーヒーを運ぶと、謎の人物は黙々と食べ完食した。ジュリアはほっと胸をなでおろしたのもつかの間、謎の人物は店内を歩き回り何かを探しているようであった。トイレでも探しているのかなと思っていたが、他の客から注文が入り気を取られた間に居なくなっていた。ブルーはそんなジュリアを気にしながらも、立て続けに入る注文の調理に追われて厨房から動けずにいた。


 ブルーは論田に頼まれて、明日の朝からフィレンツェを案内する約束をしていた。他にも通訳兼ガイドを頼んでいるらしいが、生きた情報を求めて急に連絡してきたのだ。ブルーは明日休みをとるこのもあり、いつも以上に働いていた。真面目な青年である。


イタリア某所・深夜


 薄闇の中で、その人物は何度もキッチンナイフを振り下ろす動作を繰り返す。昨日はナイフを突き刺す角度が少し甘かったのか、納得のいかない様子でキッチンナイフを見つめていた。


「次の標的は予定を繰り上げ早めざるを得ないな。」

「国家警察が動いて、さらに日本の探偵まで雇うとは。」

「予想以上に動きが早い。」

「薬の量も意識が残る程度まで減らさないと。」

「明日の夕方には下見にいって仕込みをしておこう。」


そう独り言をいうと、ナイフを念入りに研ぎ始めた。研がれているナイフの柄には、「Blu」という文字が刻まれていた。










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