第6話 紫綾
「このMr.ブラックマンとやらをどうしろっていうんだ」
「このネタをね、メインチャットに自分が新しく知った都市伝説として書き込んでみたらどうでしょう」
不二男は『Mr.ブラックマンに関する噂』というタイトルで、このMr.ブラックマンの情報を、都市伝説の体でメインチャットに書き込み始めた。
それに対するチャットの反応は「何それ? 初めて聞いた」という数十秒後の返信だった。
不二男は更に小説の情報を小出しにする形で、チャットにMr.ブラックマンの話を書き込み始めた。友達からの又聞きという体裁で。
するとこのチャットにMr.ブラックマンの話に興味を持ち始めた人間達が次次と書き込み始めた。その中には「あたしもそれ知ってる」というものもあった。
一〇分ばかり、このチャットでMr.ブラックマンに関する質疑の応対が始まった。自分もそれを知っている、という書き込みも増え始め、おかしなディテールが付け加わりそうになったが、不二男はプロットを基にして丹念にMr.ブラックマンの初期イメージを守り続けた。不二男は新しい都市伝説の情報を発信し続けた。
「まるで盆栽みたいだな」ブラインドタッチでディスプレイを睨んで書き込み続ける不二男の様子を見ながら昭義は呟いた。「盆栽は、より自然な作品を作り上げようとするならば、より手を加えて、管理し、加工しなければいけない。Mr.ブラックマンも初期設定のままでより自然な存在として社会に定着させようとするならば、一生懸命、こちらが修正して設定を整えなければならない。そっくりだ」
気がつくとチャットの流れはMr.ブラックマンに関する情報で数百行が埋まっていた。
そうしている内に信一が、このサイトの異変に最初に気がついた。
ディスプレイの隅に『都市伝説ライブラリーの更新』というお知らせが通告されたのだ。
アーカイブを見ると『Mr.ブラックマン』の項目が追加され、今まで不二男が発信していた情報が整理され、説明として並んでいた。
管理人に新しい都市伝説として認定されたのだ。
「これはどういう意味なの」と信一。
「あかがねだいちと同じ舞台に立てたという事さ」不二男は一息つき、通りかかったウェイターにアイスコーヒーを注文した。
「これであかがねだいちがどうにかなるのか」昭義が、不二男のしたこのMr.ブラックマンの書き込みにいまいち真意をつかみかねて訊ねた。
「僕がやった事はワクチンの投与みたいなもんですよ」不二男は疲れきった様に深く息を吐いた。チャットの画面は勝手に流れていく。「これで僕達は正義の味方という都市伝説を作りえた。もしかしたら都市伝説のMrブラックマンはあかがねだいちを倒そうとする僕達に力を貸してくれるかもしれない」
「あかがねだいちを倒す?」昭義はちょっと驚いた。「何でそういう話になっているんだ」
「少なくとも真帆ちゃんをだいちから助け出さないといけないでしょ。乗り込むしかないでしょうが。話して解る相手とは思えない」
「警察の手に任せるとかじゃないのか」
「警察じゃあかがねだいちの異界に入れない。あかがねだいちの正体を知った僕達が行くしかない」不二男は信一を見つめた。「Mr.ブラックマンの都市伝説化が僕達が異界に入る鍵みたいなもんですよ。いつの間にか僕も巻き込まれた形になってるけど、新しい作品のネタ収集だと思って、行くしかないな」
不二男はウェイターから冷たいアイスコーヒーを受け取った。
「それに、これでMr.ブラックマンが大ヒット間違いなしのネタだと証明されたみたいなもんじゃないですか。オリジナルの著作権を申請出来るかどうかは怪しいけど」
不二男はガムシロップもミルクも入れず、直接グラスに口をつけて、アイスコーヒーを飲み干し始めた。
「ああ、こんな時間か!」昭義は腕時計を見て驚いた。「俺はあかがねだいちの原稿を受け取れなかった事を編集長に伝えなければならん!」
「乗り込むのは明日にしましょう。鈴木さんはあかがねだいちに原稿を渡してもらいに行く、と編集長に伝えておけばいい。……大丈夫、この子についていけば、今度はあかがねだいちの家に行けるはずです」
不二男は信一を見た。
水兵服の少年は覚悟を決めている様だった。
「今夜は眠れないかもしれない。だけど頑張って眠るんだ。明日には真帆ちゃんを必ず助け出そう」
不二男は信一を奮い立たせた。
「けど、その前に一人、巻き込んでおいた方が心強い味方がいるな」
「坊さんとかを呼びに行くのか」
「いえ、鈴木さん、個人的に頼もしい人物を一人知っているんです。信一君、君もこれから一緒に行こう。……あ、それから鈴木さん、僕のレシートも打ち合わせという名目で経費で落ちませんかね」
不二男のセダンに乗って、信一はケニヤ出版から少し離れた所にある大きなマッサージ店を訪れた。
「僕はここの馴染みなんだ。ホラー漫画家なんかやってるとね、仕事や取材とかで変なものを背負ってしまったりする事があるんだ。そういう時はここに来るのさ。そういうのをほぐしてくれるのが上手な人がいる。身体の疲れも、因縁のしがらみも」
エスニックなイメージの店内に入るとアロマが香った。
不二男は受付で簡単な手続きをすませる。
予約は車に乗る前にスマホですませていた。
その時に『しゃーや』とかいう人を予約していたようだけど、と信一が思い出した時、彼女がやってきた。
ペール・ブルーの清潔そうな作業着を着た彼女の名札には『玉川紫綾』と書かれている。
「紫綾さん」と不二男は親しげに話しかけた。
「鈴木さん。今日はどうしたのですか」
紫綾と呼ばれた美女はそれで初めてそこに立っている人物が不二男だと気づき、その次についてきた真一を見て視線が止まった。
視線、というか顔の向きだ。
紫綾は眼が見えないのだ、と信一は気づいた。
いや、視線の感覚はそれだけじゃない。
彼女は『みえるひと』なのだ。真帆と一緒にいる時にさんざん感じたアレだ。
「君……」紫綾は自分に『みえて』いるものに集中した。「変な黒い糸が絡みついてるわね。悪縁ね。その因縁は断ち切っておいた方がいいですわ」
紫綾は右手をはさみにして、信一の方に近づいた。
「ちょっと待って!」不二男が軽く叫んだ。「今日はそれはなしだ。明日、僕達が行きたい場所に行けなくなったら困る」
紫綾は手を止めて、彼へ振り返った。
信一は彼女が完全な盲目でないのにあらためて気がついた。
「悪縁の場所にわざわざ行く。どういう事ですの」
受付前でちょっとした騒ぎになりかけ、他の客や従業員に注目され始めたのに気がついて、不二男は「後は君の仕事部屋で」と場所替えを促した。
紫綾のマッサージルームは三階だった。エレベータで昇ると気持ちのいいアロマが香る。
「紫綾はマッサージとアロマセラピーの達人なんだ。君もお金が払える年になったら、彼女の世話になるといい」
エスニックな装飾品が所狭しと置かれたマッサージルームの寝台にうつ伏せになり、リラックスするバスローブの上半身をはだけさせた不二男は裸の背中を紫綾の手によるオイル・マッサージを受けていた。
部屋にはパステルカラーの紫の太い蝋燭によるいい香りが満ちている。
信一は洋服のままで部屋に置かれた藤製の椅子に座っている。眠くなりそうなリラックス感覚のおこぼれを味わっている、が……。
「今日は指に迷いがあるね」
「……だって、その子についている悪縁はとても禍禍しいですもの。それは切れる内に切っておいた方がいいわ」
「残念だが今はまだ切るわけにいかないんだ。……信一君。君がこれまでの全てを話してやってくれ」
突然に指名された信一は、慌てた様子を隠せずにこれまでの全てを、自分と真帆があかがねだいちの家を訪れた時から話し始めた。
かなり端折って説明したが、情報量は多かった。
それを聴いていく内に紫綾の手は止まりがちになり、マッサージがおろそかになった。
それに不二男は不満を訴える事はなかったが正直、勿体ないな、と思った。
明日、真帆を救いにあかがねだいちの家に乗り込むのだ、という所で話が終わった時、紫綾のマッサージは完全に止まっていた。
「……それを私に話すという事は、明日は私もつき合えと言うのですね」
「そうなんだ。君のその『はさみ』は強い武器になりそうな予感がするんだ」
「明日の私は休日、というのもこの為の宿命だったのですね」紫綾は観念した表情を見せた。
「らしいね」
「数日前、その子と同じ因縁の糸を切ったのも宿命らしいですわね」
「おい。その話は初めて聞いたぞ」不二男はその因縁の糸を切ったのは鈴木昭義じゃないか、と彼の風貌を説明しようとしたが、紫綾は人の顔を見分けられないほどの弱視だと思い出し、口をつぐんだ。
しかし、その男の縁を切った日を詳しく聞いて、これで昭義が突然、あかがねだいちの家へ行けなくなったのに説明がついた。
「意外と身内で固まっていた感じだな。これも紫綾の言う宿命なのかな」
「どういう事なの」
「僕達は運命に導かれた勇者一行かもしれない、という事さ」
信一の疑問に不二男が子供が好きそうな言葉を使った時、紫綾の美しい顔は真面目な面持ちになった。
「信一君、君は真帆という女の子が好きなのですか」
「え」紫綾にいきなり振られた話題に固まる信一。
「どうなのですか」
問い詰めに信一は自分の心を探った。
好きか。嫌いか。
親友であるという以上には考えた事のない感情だ。
だが、信一は勇気を振り絞り、意を決してうなずいた。
「……好きです」
「解ったわ」少年の声を聴いた紫綾は深く息を吐いた。「その言葉だけで私は行く価値があります」
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