第5話 Mr.ブラックマンに関する噂

 俺がブラックコーヒー飲むのが珍しいか。

 この黒尽くめも似合わないか?

 宗旨変えしたんだ。

 Mr.ブラックマンに助けられたから。

 その夜、俺はバイトが長引いて、終電に間に合うよう急いでた。

 そしたら新宿で道にたむろしてる、ヤバそうな連中と眼が合っちまってな。

 よりによって周りは他に人いなくて。

 シカトして早足で通りすぎようとしたら、向こうの気に障ったらしくて。

 囲まれたんだよ。

 一〇人くらいでさ、かなうはずなくって、逃げるに逃げられなくって。

 覚悟決めて「ヘルプ、Mr.ブラックマン」って三回呟いたんだ。

 お前、ホントに知らないの? Mr.ブラックマン。

 二メートル近い引き締まった黒人でさ。

 黒のパーカーと黒のスエットでフードを深く被って、シューズも黒。

 サングラスと唇は血みたいに真っ赤。

 噂通り、三回呟いたら、そこの曲がり角から現われたんだ。

 Mr.ブラックマンにはナイフなんか刃が立たなくて。

 身のこなしは黒豹の様で。

 俺の周りのヤツらが向かってっても、あっという間に叩きのめして。

 気がつきゃ、いつのまにかブラックマンの姿はない。

 俺以外にはうめきながら地面でうずくまっているヤツらだけ。

 そして俺は駅まで逃げたんだ。

 ……だから俺はブラックコーヒーを飲むんだ。

 Mr.ブラックマンに助けられたら感謝を態度で示さなきゃならない。

 服は黒以外、着ちゃいけない。

 コーヒーはブラック以外飲んじゃいけない。チョコもブラック。

 黒髪じゃなきゃ黒に染めなきゃならない。

 ……俺の話、バカみたいか?

 でも、そうしないとしないとヤツから電話がかかっくるんだ。

「お前の魂はくだらない。ブラックの資格はない」って。

 すると突然、髪が白髪に、眼と唇は血のように真っ赤に張れあがる。

 一生、元には戻らねえ。

 ……この話、バカみたいか?

 笑うなら笑えよ。

 俺はブラックマンの恩をちゃんと感じてる。

 コーヒーは絶対ブラックで飲みつづける。

 俺は下らなくなんかねえんだ。


 あたしの弟、最近コーヒーを飲むようになったんですよ。

 しかもいきなり濃いブラックのコーヒーを。

 学校でMr.ブラックマンって噂話にはまった影響らしいんですけどね。

 弟も、あたしが通ってたのと同じ小学校に通ってるって、前に言いましたよね。

 最近、世田谷区内のあちこちの小学校で、兎とか鶏とかの小屋が荒らされ、殺さちゃう事件が起きてたらしいんです。

 誰かが夜中に忍びこみ、ナイフとかで殺してるらしくって。

 警察とか動いてたらしいんですけど、証拠とか見つかってなかったらしいんですよ。

 あたしの弟って単純っていうか、卑劣な事が大嫌いな性格じゃないですか。

 その時、学校で兎小屋当番だったし、犯人捕まえるって、夜中に学校行って小屋を見張るって決めたんですよ。

 深夜、家族全員、てっきり弟は部屋で寝てるんだと信じてました。

 けど本人は、兎小屋のそばで一人、バット抱えてうずくまってたんです。

 変な男は本当に学校に来ました。

 鉄柵を乗り越え、学校に入ってきて、小屋へ歩いてきたんです。

 コートを着て、手に何か持っているんです。

 男が持ってた物が強い炎を噴き出しました。

 日曜大工とかに使う携帯用ガスバーナーが青い火をまっすぐに噴き出し、姿が闇に浮かび上がったんです。

 暗く冷たい眼をした、高校生くらいの少年でした。

 彼がガスバーナーで小屋の金網を焼き切ろうとした時、弟は飛び出してバットで殴りかかったんです。

 しかし、少年によけられ、弟は蹴りとばされました。

 少年は元々感情なんかない様に、弟の待ち伏せなんかに全く驚かず、倒れた弟を踏みつけながら、顔にバーナーを近づけてきました。

 弟は夢中で「ヘルプ、Mr.ブラックマン!」って叫んでたって言います。

 ブラックマンっていうのは弟が信じてる不思議な黒人で、助けを呼ぶと何処からともなく現われるけど、後で感謝の証にブラックコーヒーを飲まなきゃ呪われるっていう、子供が話してる噂話なんです。

 だからショックで記憶が混乱してるだけで、本当は弟を助けたのはたまたま通りかかったちゃんとした大人だと思うんです。

 炎は大きな黒い手に遮られたって言ってるけど、バーナーを掌で遮れるわけないじゃないですか。

 黒い腕一本で宙高く少年が投げられたというのも、見間違いに決まってますよ。

 ましてや気が遠くなっていくのに、黒尽くめの黒人が少年を地面の影へ引きずりこむのが解ったなんて。

 朝になって、弟が兎小屋の前で倒れてたのはちょっと騒ぎになったけど、兎は無事だし、弟はあれなりに人望あるし、変な奴から兎小屋を守ったって主張は通りました。

 勿論、弟が言うブラックマンなんて大人の誰も信じてませんけど。

 それからすぐ、近所の不審な高校生の部屋から警察がナイフとか押収して、学校に落ちてたガスバーナーと指紋が一致しました。

 けど高校生は弟を襲った夜から行方不明になってて、警察は学校荒らしの犯人として探してますが、今も見つかってません。

 学校の子供達はブラックマンの仕業と言い、弟は今日もブラックコーヒーを真剣に飲んでます。

 あたしはブラックマンなんて信じてません。

 でも行方不明の犯人はもう現われない、そんな確信が心の何処かにあるんです。


 B組のさぁ、コスプレで踊りに行くの好きな子、いたじゃん?

 ガッコ休んでるけど入院したって話だよ。

 ハロウィンにキモいコスプレパーティ行った日からヘンになったって。

 夜中、部屋に怪物が来たって家族に言ったんだってさ。

 ホラービデオで有名な怪物とか殺人鬼とかのヤツらが、自分を誘いに来たって真剣な顔で言ったんだと。

 パーティに来てたゲストがコスプレじゃない全員本物で、彼女を気にいって部屋まで来たって。

 ……多分、彼女、そのパーティでヘンなクスリやってたんだよ。

 世田谷のドラッグ売ってるヤツとつきあってたらしいし。

 それでやっぱ妄想入ってたんだよね。

 そん時の彼女は怪物の仲間にならなきゃ殺されるって信じたみたいで。

 心ん中でMr.ブラックマンに助け求めたんだって。

 彼女、Mr.ブラックマンも信じてるのよ。

 名前を三回呼ぶと助けてくれるっていう、黒いパーカーの奇妙な黒人。

 するとブラックマン助けに現れたって言うけど、ドアに鍵かかった部屋にどうすりゃいきなり来れるんだか。

 ブラックマン、怪物全部にあっという間に倒しちゃったって言うけどね。

 チェーンソーを素手で掴むなんて出来るわけないじゃない。

 まあ、妄想の世界なら何でもアリだろうけどね。

 彼女、結局クスリの幻覚相手に一人で騒いでたわけよ。

 だって悲鳴で家族が駆けつけた時、部屋には彼女以外の誰もいない。

 強盗入ったみたいに家具散らかってたのは、彼女が自分で荒らしたわけよ。

 壁一面のチェーンソーや鉤爪みたいな傷だって何処かに隠した刃物でつけたのよ。

 ともかく彼女、その夜には家族が強引に入院させられたって。

 何処の病院かはあたしも知んないよ。

 ……ねえ、もし現実にそんな怪物とか現れたらどうする?

 あたし?

 聞いといてなんだけど、あたしには考えさせないで。

 ホラー映画だと、信じた人んとこに現れるのってありがちじゃない?

 そしたら、あたしもブラックマンまで信じたくなっちゃう。

 他に助かりそうな方法思いつかないもんね。


 誉めてくれたけどゴメンね。この黒髪は染めているの。

 本当はもっと茶色っぽいのよ。

 あたしがMr.ブラックマンに会ったのは半年くらい前になるわ。

 その日はなんとなく高い所から一人で風景を見下ろしたい気分。

 東京タワーの展望台でしばらく過ごして夕陽を見て、

 降りる時に乗ったエレベータも一人きりで、

 考えてみればこの時、空気がなんか変だった事に気をつけるべきだったと思う。

 その女の人はドアが閉まるギリギリで乗りこんできた。

 エレベータって閉じた世界みたいで薄ら寒い。

 動き出した密室で、あたしは彼女に、子供の時の忘れていた記憶を思い出した。

 口裂け女なんて、嘘だと思っていた。

 一人きりの子供を襲うとか。

 一〇〇メートルを三秒で走るとか。

 ロングコートに長い黒髪。

 美人なんだけど白いマスクで口元を隠して、

 そこにいる彼女は酷く恨みがましい眼をしていて、

 左手がマスクを外すと、唇は左右に長くスパッと裂けていた。

 子供の時に聞いた話とは違って、右手に大きなカミソリが輝いている。

 彼女があたしに何したいのか気づいて、ゾッとした。

 東京タワーで時時出る行方不明者の原因は彼女なんだって。

 このエレベータは口裂け女とワンセット。

 多分、このエレベータは下まではつかない。

 運が悪い人は乗ってしまうんだ。

 降りられないエレベータの扉は彼女の背後。

 金縛りにかかったあたしは祈る事しか出来なかった。

 何の神も信じていないのに、何故か心で叫んだ。

「ヘルプ、Mr.ブラックマン!」

 その途端、カミソリを振り上げた彼女の手首をたくましく黒い手が掴んでいた。

 その噂は口裂け女よりも嘘っぽいと思っていた。

 黒づくめの服装で、赤い唇とサングラス。

 開いた扉の向こうから現われたたくましい黒人が、背後から彼女を羽交い締めにする。

 動き続けているエレベータの、扉の向こうは闇。

 多分、このビルのどの階でもない真っ暗な闇の中へ、Mr.ブラックマンは口裂け女と一緒に消え去り、扉がまた閉じた。

 気がつけば、今のが夢だった様にエレベータは普通に一階へ着いていたの。

 でも夢だったなんて思えない。

 普通に人ごみを歩き出しても、寒寒しい現実感が消えなかった。

 何処からともなく現われる謎の黒人なんて、その日まで信じる気はなかったわ。

 けれども今は噂そのままに、彼好みに髪を黒くしているの。

 Mr.ブラックマンに助けられたら、恩を返さなくてはいけないというから。

 そうしないと今度は助けてもらえないかもしれない。

 今もエレベータが怖いのよ。


(以下もMr.ブラックマンの小説は幾つか続く)

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