第4話 みえるひとの為の都市伝説ライブラリー
「いや、なんか鈴木さんが面白そうな話をしているな、と思って、聞き耳立ててたんですよ」
テーブルで信一の横に座り込んだ富士男はバッグからノートPCを取り出し、三人で見られる位置に置いて、ブックマークしていたサイトを開いた。
それはちょっとトンデモ入ってる系の色色な陰謀論が語られている個人サイトだった。
『サブリミナル効果』の項から入って、ジューダス・プリースト裁判の記事をクリックする。
ジューダス・プリースト裁判。
一九八五年・一二月二三日。米国・デトロイト州・リノ。
ベルクナップとダンスという二人の若者が部屋でマリファナを吸い、ビールを飲みながら、ヘビーメタルバンド『ジューダス・プリースト』のアルバムを聴いていた。
『ベター・バイ・ユー.ベター・ザン・ミー』という曲を聴いていた時、二人は突然「
五年後。彼らの両親がジューダス・プリーストとCBSレコードを相手取って訴訟を起こした。
二人が聞いていた曲には息子たちが自殺前に叫んだのと同じ「ジャスト・ドゥ・イット」という言葉が逆回転で挿入されており、これが自殺教唆のサブリミナル効果となってショットガンを自分に向け撃った、と主張したのだ。
サブリミナル効果。
意識と潜在意識の境界領域より下に情報的な刺激を与える事、欲求や行動にその影響が表れるとされている効果のことをいう。
結果として、このジューダス・プリースト裁判では二人の行動はサブリミナル効果として認められなかった。
「これが?」突然、この記事を紹介した不二男に、昭義は不審な眼をしてみせた。
「漫画家としての勘なんですが『ガカンマ!』という呪文や叫びが、『ジャスト・ドゥ・イット!』という逆回転の言葉と関係ありそうな気がしませんか」
「……要領を得ないな」
「裁判の結果はともかく、無意識は時間の順序に関係なく、逆回転の言葉の意味をちゃんと理解しているという事なんですよ。大体、時が未来へ続くと誰が決めんですか。時間が過去から未来へ進むと思っているのは単なる経験的観察によるものなんじゃないですか」
熱弁する不二男に、信一はきょとんと置き去られていた。
「太陽は朝に昇って、夜には沈むし、時計はちゃんと時を刻むじゃないか」至極単純に昭義は反論した。
「熱い湯はいつかは冷める。逆はない。しかし、それは観察と経験の確率的な結果であって、冷めた湯がいきなり沸き立つ可能性はゼロじゃないんです。太陽や時計がない、時を刻む物がない世界にいたら、時間は無意味じゃありませんか。時間は連続した意識によって、過去から未来へと順序よく流れていると思わされているんじゃありませんか」
「……時間というものの実態は、意識と観察がなければ無意味だと言いたいのか。それがあかがねだいちの『ガカンマ!』という叫びとどう関係するんだ」
「その『ガカンマ』というのは時間を超えて『これは漫画家の作品である』という呪文、メッセージじゃないんですかね。それを叫ぶ、叫ばせる事によって、自分の作品世界、異界である事を主張する。あかがねだいちというのは昭和時代から存在する漫画家なんですよね。彼は異界という自分の作品世界を作り上げている、都市伝説という『情報』から生み出された令和の妖怪的存在じゃないんですか。異界は彼自身であり、その漫画作品もそう。彼はそれを持続する事によって何十年も生きるんです。生きている事になっているんです」
「令和という現在の情報が、過去に遡って昭和時代にも彼の居場所を作り出していると言いたいのか」
「そうです! この宇宙が『一四〇億年前に誕生した』という情報を持ってたった五分前に誕生したのだとしても、僕達は一四〇億年前に誕生したという事実しか発見しえない。あかがねだいちというのは令和に流行った都市伝説という情報で生み出された、時間を超えたクリーチャーなんです。……彼を退散させられる呪文というのがその説を補強します。いかにもカシマレイコの噂のパクリとしか思えない、彼を退散させられる呪文は、彼の弱点に関する情報が後付けさせられたという何よりの証拠です」
「そこまで言い切っていいのか……。大体、都市伝説から発生した実体なんてのは……」
「それをこの少年が体験してきたというのでしょう。そして行方不明になった少女と同じ漫画があかがねだいちによってコミック・ニンフォに連載されている」
信一はいきなりわけの解らない議論を始めた二人が、ようやく自分の所へ戻ってきてくれた事に安堵した。クリームソーダは既にアイスが融けている。
「あのぉ……」信一は申し訳なさそうに大人二人の議論に口を挟んだ。「つまり異界は僕達の世界の時間と同じには流れてなくて、あかがねだいちは異界と一緒に都市伝説によって生み出された怪物なんですか」
「そうだ! そういう事だよ! ……信一君だっけ、君は都市伝説としてのあかがねだいちの情報を何処から手に入れたんだい」
信一はノートPCを見て「『みえるひとの為の都市伝説ライブラリー』というサイトです」と答えた。
不二男はPCのブラウザに『みえるひと』『都市伝説』『あかがねだいち』という検索ワードを打ち込んだ。
すると『みえるひとの為の都市伝説ライブラリー』という検索結果が一点だけヒットした。
それを開くと、信一にはなじみ深いサイトが現れた。
リアルタイムチャットが併設されている事典式の都市伝説紹介サイトだった。この瞬間もメインチャットに書き込み続けられている、閲覧フリーの活きのいいサイトだ。
あかがねだいちのページはアーカイブの五十音式の目録の最初の方にあった。
アイコンをクリックすると、あかがねだいちの記事が並んだページに飛んだ。
画像のない、文字だけのサイトだった。
見出しの後に並んだ情報は現在、こちらが知っている事しか書かれていない。そのページのチャットは動いてなかった。
「このページがあかがねだいちの本体なのかな」
「さあ、どうかな」
昭義の疑問に、不二男は慎重に答えた。
「このページを消去すれば、あかがねだいちは消えるんですか」
信一が訊くと、不二男は難しい顔をした。
記事の最後は退散させる呪文の書き込みだった。例のカシマレイコのパクリだ。チャットの最後の書き込みもその辺りの情報交換だ。
「もっと具体的な必殺の弱点を書き加えたり出来ないかな」
不二男はこのページに直接アクセスする方法を探した。すると編集画面はロックされていた。会員制でもないらしい。ダイレクトにメールを送る方法もない。
「管理人に連絡とれないかな」
どうやら編集は管理人にしか出来ないらしく、連絡を取る方法も解らない。アングラなサイトだ。
管理人だけが集めてきた情報を書き加えて更新させられるシステムらしい。
「ウイルスを送りこめないか」昭義は物騒な事を言う。
「恐らくチャット画面が管理人と閲覧者達の情報を共有する唯一のインタフェースなんだ。ただ弱点の情報をチャットに書き込んでも、それが他の閲覧者に支持されなければ記事として追加されない。あかがねだいちの新しい弱点にはならない」と不二男。
昭義と不二男はPC画面とにらめっこしながら、うーん、と長い時間唸った。
メインチャットには都市伝説に関する他愛のない匿名の情報交換が、数十秒に一文の割合で流れていく。
「正義の味方の都市伝説って、何処かに書き込んでないかなぁ」
信一がそう呟いた瞬間、不二男の眼がキラリと光った。
「そうだ。都市伝説といえば!」
突然、不二男がドキュメントからテキスト・ファイルを展開した。ワープロ画面が立ち上がる。
「何だ。『Mr.ブラックマンに関する噂』……?」
「いやぁ、新しい連載のネタとして、プロットを持ってきたんですよ。都市伝説ネタで、悪人だらけの都市伝説に正義の味方が現れたら面白いんじゃないかって」
不二男のPCに展開したもう一つの画面をスクロールさせると何百行かのテキストが並んでいる。それは『Mr.ブラックマン』という怪人に関する情報が一人称の小説として並べられていた。
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