第16話
「いててて・・・」
近所の小さな児童公園のベンチに腰掛け、俺はまだ少し痛む胸の辺りを摩りながら、さて、これからどうしたものかと考える。
逃げるようにして、アパートを飛び出して来たものの、やっぱりあそこは、『よぅ、久志。わざわざバスタオル、悪かったな』と、何事も無いように振る舞った方が正解だったのではないだろうか。
しかし、もう今更戻るのも億劫だ。しかも、慌てて飛び出して来たので、本当に久志に気付かれなかったかどうかも怪しい。
ひょっとして気付かれていたとしたら、尚更今帰ることは出来ない。
久志が俺の帰りを待ちきれずにアパートを離れるまで、このまま何処かで時間をやり過すしかないのだろうか。
三月初旬、陽が落ちた後の公園は、ベンチに腰掛けて過ごすにはまだまだ寒い。だからといって、缶ビールと総菜の入った買い物袋をぶら下げたまま、何処かの飲食店に入るのも何だか変な気がしたし、コーヒーショップに独りで行っても大して長い時間潰すことは出来ないように思えた。
そんな事を考えていると、ポケットの携帯電話が振動し出し、驚いて取り出し、画面を確かめる。
発信元は・・・、そうだよな・・・。
久志だった。
俺はそのまま画面を見詰め、電話に出ることはしなかった。そして、十数回目のコールで振動は途絶え、画面には『着信一件』『メッセージ一件』のお知らせサインが表示された。
メッセージの録音再生。
『あ、もしもし、僕、土屋だけど、まだ遅くなるかな?今、ヒロのアパートまで来てるんだけど、気付いたら連絡ちょうだい。バスタオルとか持ってきたからさ、もう少し待っているよ・・・。じゃ、電話待ってる・・・』
聴き終って思う。
待ってるのかよ・・・。バスタオル置いて、帰ってくれてもいいんだけど・・・。
いやぁ、困った。
兎に角、今部屋に帰ることが出来ないことは決定事項になった。
久志にとっての『もう少し』が、十五分なのか三十分なのか、それとも一時間なのかは分からない以上、予想できる最大限の時間を取らないといけない。
それより寧ろ、こちらから折り返し電話をして、今日は遅くなる、若しくは帰らないと伝えたらどうだろう。そうしたなら、久志は諦めて直ぐにでも帰るんではないか・・・。
いや、無理か。俺がそんな見え透いた嘘を、上手に吐けるとも思えない。
それに、『遅くなるって、何時頃?』とか、『じゃあ、明日又来るから、何時に来ればいい?』と切り返されたらどうする。それこそ言葉に詰まって、直ぐに嘘がバレてしまう。
嘘がバレた時ほど気まずい空気はない。
電話でなら尚更だ。相手の表情が見えない訳で、おかしな空気を取り繕うことすら儘ならないだろう。
こちらから折り返しの電話を入れるのは、却下だ。
今後の久志や雅美との関係を考えると、おかしな対応も取れない・・・。
?・・・
おや?
俺は不思議な気分になる。
久志や雅美との付き合いっていうのは、ついこの間、そう、ほんの二週間前に始まったばかりだ。
確かに高校生時分の演劇部での関わりがあったとはいえ、それはこちらから望んだわけでもなく、どちらかというと、無理矢理に引っ張り込まれた環境だったわけで、その後の高校卒業までの間、特に彼らと親しく付き合った記憶はない。
なのに、どうしたというのだろう、このたった二週間のうちに、俺はあいつらのことが旧知の仲、然も青春時代の喜びや悲しみを共に分かち合った親友のような気分になっている自分に、驚きと気恥ずかしさを隠せない感じなのだ。
これは、俺が失恋し、自爆事故を起こし、病院のベッドに横たわって、心も身体も弱り切っていたからなのだろうか。
だから、彼らの情に絆されて、こんな気分になっているのかもしれない・・・。
そうだ、きっとそうなのだ。そうに決まっている。
変な話、元々ガチの体育会系の俺が、あいつらと馬が合う訳がない・・・。それは向こうだって同じ事だろう・・・。
いや、違う!
俺は公園を飛び出し、自分のアパートに向かって猛ダッシュしていた。
勿論、本当にダッシュ出来たのは最初の五十メートルくらいだが、それでも自宅アパートまでの数百メートルを、肋骨と脇腹の痛みに耐えながら、今出来る限りの走力を振り絞って走った。
アパートのエントランスに飛び込み、階段を目にした俺は、躊躇うことなく最初の一段に足を掛け、そして三階まで一気に駆け上がる。
息が切れる。
痛む胸と脇腹に手を当てながら、それでも、一秒、一歩でも早く部屋に辿り着きたい。
待っててくれよ、まだ、そこに居てくれ、久志、頼む。
久志に会って、何をどう言おうかなんて考えることはない。
正直に俺の思っていることを話せば良い、それだけだ。
息を切らし三階まで辿り着き、階段室から自室へと続く廊下へ飛び出した俺は、直ぐ様に自室の扉前を確認する。
果たしてそこには、ドアに背中でもたれ掛かり、何かを待ち侘びるように佇む長身の男、久志が居た。
「久志っ」
俺が息を切らしながら、叫ぶように久志の名前を呼ぶと、少し驚いたようにこちらに顔を向けた久志の表情が、一瞬でパッと明るく、そして嬉しそうな表情で一杯になる。
もう俺に迷いはなかった。
「悪りぃ、待ったか?」
「あ、ううん・・・いや、ちょっとだけ・・・」
「何なんだ、ハッキリしないやつだな。ま、いいや。取り敢えず、入れよ」
俺は鍵を開けたドアノブを回し、久志を部屋に促したのだった。
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