第12話
久志が酔い潰れてしまって、俺たちは居酒屋を出て、久志を介抱するために、その居酒屋から最も近い俺の部屋に戻っていた。アルコールのお蔭で、俺の身体の痛みもふっ飛んでいて、久志に肩を貸して歩くのも、大して苦にはならなかったが、きっと明日の朝は酷い筋肉痛に襲われることは請け合いだろうと思った。
俺と雅美は部屋のちゃぶ台に差し向いに座り、久志は俺のベッドで完全にグロッキー状態だ。
この期に及んで、目の前のちゃぶ台には、角ハイボール缶が並び、既に雅美はその一本のプルタブを押し開けていた。
「ねぇ、土屋って、もう完全に寝ちゃった?」
雅美は俺の背後のベッドで横たわっている久志を気に掛けているのか、そう言って久志を覗き込むように様子を伺う。
俺も久志の方に顔を向けて確かめると、どうやら完全に寝入ってしまっているようだった。
「ああ、完全に逝っちまってるな」
「そっかぁ、じゃあ、そろそろ本題に入りましょうか」
急に真顔になる雅美に、俺は驚いて眉間に皺を寄せたが、雅美の言葉の意味がよく分からず、何と言葉を発して良いか分からない。
全く酔ってないのか、雅美は?それに『本題』って、何だ?
俺は変な緊張感で、背筋をピンと伸ばしてしまう。この反射的な身体の動きも、俺がバカみたいだ。
「あのさぁ、ごちゃごちゃ説明するの面倒臭いから、ぶっちゃけ、訊くわね。あんたさ、土屋のこと、どう思ってる?」
いきなり何の質問なんだ?
答えに窮すると言うよりも、質問の意図が分からない。抑々、居酒屋で雅美が作ったハイボールのせいで、脳細胞の恐らく八割は活動を停止している。
何となく只ならぬ雰囲気で、一瞬背筋は伸ばしたものの、アルコールにヤラレタ頭は、どう頑張っても活性化しそうにない上に、更には目の焦点も合わないときては、雅美の表情を読み解くことさえ不可能なのだ。
もっと言ってしまえば、自分自身の表情筋をコントロールすることも出来ていないであろうことは、何となく自分でも分かっていて、恐らく俺の頬は、引き攣りながら、不自然極まりない可笑しな笑みを浮かべているに違いなかった。
ダメだ、俺ももうこれ以上、頭が回らない・・・。
でも、何か、答えなきゃ・・・。
雅美が「高柳、高柳ィ・・・」と、俺の名を呼んでいるのは聞こえるのだが、意識が次第に遠退いていく。雅美がまだ何か言っている。「まったく・・・、二人とも・・・私の気も・・・」
どうやら昨夜はちゃぶ台を前にして、そのままそこで横たわり、力尽きてしまったらしい。仰向けの状態で見える天井が、いつもよりやけに遠く感じる。
僅か二週間のうちに、二度も意識を失うとは思ってもいなかった。
二度とも然るべき原因があり、その結果としてそんな事が起こった、そういった自業自得的な反省もあるには在るのだが、二度目の今日は、ちょっと反省とも違った、何とも心地好い一面もある。
目が覚めると、狭いアパートの部屋には、何とも美味しそうな匂いが立ち込め、そしてカチャカチャと食器か何かがぶつかる音、そしてキッチンでせわしなく(それでいて何とも
キッチンで料理をしているのは恐らく雅美だろうと予想はついた。やはり女っぽいところがあるもんだな、何となく想像はしていたけれど・・・。
そうして暫くその心地好い空気感を味わった後、ゆっくりと寝返りを打ちながら半身を起こそうとする。
「いててて・・・」
「あっ、起きたの?大丈夫?」
ちゃぶ台の向かいから声がする。少し慌てた様子の女の声だ。キッチンの方からではない。
ん?そういえば、寝返りを打ち、起き上がろうとした時に、ちゃぶ台の脚の向こうに見えたのはスカート姿の女性の足・・・。
ということは、この声は雅美の声で、キッチンで女性の雰囲気を醸し出しているのは・・・久志?
俺の予想も大したことはない。全くの見当外れも甚だしい。
俺は痛みに少し顔をしかめながら上半身を起こすと、やはり目の前には携帯電話を片手に持った雅美が居た。
俺は「おはよう」と言ってから、キッチンの方へ目を向ける。
背が高く細い男の後ろ姿がそこには在った。
「ああ、土屋が朝ご飯作ってくれてるわよ。もうすぐ出来るって。あ、それから、勝手にシャワー借りたわよ。それにバスタオルも」
「あ、ああ。全然構わないよ・・・」
何となくぼんやりとそう答えた俺だったが、少し考えると、それは非常事態級に大変な出来事のような気がして来て、胸の鼓動は高鳴り、何故だか俺が赤面してしまう。
え?この狭い1Kのアパートの部屋で、若い男女三人が居て、その内一人の女性がシャワーを浴びた?俺は寝ていた。久志は?
この狭い空間を、雅美は裸、若しくはそれに近い下着の格好でうろついた?
俺は・・・寝ていた・・・。
ふと雅美の方に視線を戻すと、彼女の長い髪はまだ少し濡れているようだった。昨夜のうちにシャワーを浴びた訳では無さそうだ。
俺の頭の中はおかしな妄想と後悔でぐちゃぐちゃとして、胸の奥はドキドキとザワザワが混在し、こめかみのあたりからは汗が滲み出そうな感覚なのだが、その妄想自体がとても恥ずかしく、雅美に対しても失礼な気がして、必死で平静を装う。
「バスタオル、洗濯機の中に入れておいてくれた?」
「いや、それは流石に・・・。ちょっと借りて帰って、洗ってからまた返しに来るわよ。私も暫くこっちに居るからさ・・・」
俺は「別に良いのに・・・」と言いかけて、直ぐに訂正して言い直す。
「あ、ああ、そっか。うん、そうしてくれ」
俺が変なテンションになっていることに気付いたのだろう、雅美の表情も少し強ばった照れ笑いのように見えた。
「あれ、ヒロ、起きてたの?」
何とも良いタイミングで、久志がキッチンから顔を出し、「もう出来たから、直ぐ運ぶね。部長、ちょっとだけ、運ぶの手伝ってくれるかな?」、そう言って雅美をキッチンへと促す。
俺は「じゃ、俺も・・・」と、起ち上がろうとして、再び「いてて・・・」と声を上げてしまい、雅美から「いいわよ、あんたは座っときなさいよ」、そう言われて座り直すのだった。
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