第5話
「ところで、今何時だ?」
もう既に真っ暗な窓の外を見ながら、俺は久志に訊ねた。
「ええっと、もうすぐ七時半だね。なに?お腹空いた?何か買って来ようか?」
「あ、いや、そういう訳じゃないんだ・・・」
そう答えたものの、思い直す。
「いや、そうだな、少し腹減ったかもな。まだ売店って開いてるんだっけ?」
「ああ、看護師さんの話だと、面会時間の夜九時まではやってるって」
「そっか。悪いけど久志、何か適当に買ってきてくれるか?サンドイッチと牛乳みたいなので良いや。ええっと、俺の財布は・・・」
「良いよ、財布は。僕、買ってくるからさ。サンドイッチで何か食べれないの、ある?卵がダメ、とか、トマトは苦手とかさ」
「いや、特にそんなのは無い。何でもいいよ。あ、フルーツサンドは止めてくれ。食べた気にならない」
「分かった。じゃ、行ってくる」
そう言って久志は病室を出て行った。
俺には少しの時間が必要だった。今この現状に至るまでの経緯を確認したい。そして、俺の身体の実際の状態と、この先、いつまでここに居ることになるのか・・・更には、何故久志だけがここに居るのか?うちの両親は?加奈子は?・・・いや、それは無いか・・・。
それにしてもだ。気を失っていたので覚えている訳はないのだが、一体誰が俺を病院まで運んだのだろう?救急車だったとして、通報してくれた誰か若しくは救急隊員か警察官は、うちの両親や、付き合っている(昨日までだが)彼女、学校関係者、或いはアルバイト先には連絡していないのか?
いや、久志が居ることに不満な訳ではない。疑問なのだ。
この状況を、俺の両親、アルバイト先の店長、大学の指導教官は知っているのだろうか?
何となくではあるが、俺の関係者で、久志以外は、今の俺の状況を知らないのではないかという気がしていた。
それと、医者も看護師も俺には何の説明もしなかったが、恐らくは、付き添いとしてここに居た久志には、何かしらの説明はしているのだろう。それも訊き出さなければならない。
あ、携帯電話と財布、それに免許証、保険証もだ。
俺のRZはどうなったのだろう?
そういえば、ここは一体どこの病院なのだろう?所在地は?
窓の外を眺めようにも、既に外は暗くて、ガラスに反射した室内が映し出されているだけだ。
そもそも、僕はどの辺りで転倒したのだろうか。確か地元の市内を抜け、隣町の海を見下ろすあの右カーブだったような気がする。
それ以上は覚えていないが、だとしたら、この病院も地元では無いかも知れない。
そして、この状況を必要なところに知らせなければならない。
考えるべきこと、知るべきこと、やるべきこと、それらが多すぎて、一人では対処の仕様が無く、頭で考えるだけでは、却って混乱してしまう。
先ずは携帯電話か。
兎に角だ、久志が戻ったら、一つずつ訊き出し、解決していくしかなさそうだ。
「お待たせ。買ってきたよ。ミックス卵サンドと牛乳。あと、一応お茶のペットボトルも」
そう言いながら病室に戻って来た久志に、先ずは「サンキュー」と言ってそれを受け取り、早速、順番に聞き取り開始だ。
「なぁ、久志。先ずは、ここはどこだ?いや、病院っていうのは勿論分かってる。どこの病院だ?」
「南部病院だよ。まぁ、落ち着いてよ。食べながら話せば良いよ。お腹、空いてるんでしょ?慌てたって、仕方ない。どうせ今日はもう、病院から出られないんだ。訊きたいこと、いっぱいあるだろうからさ、食べながら一つずつ話していこう」
そうだった。つい今しがた、自分でもそう思っていた。同じことを久志に言われて、少し変な気分だ。
「そうだな・・・」
俺は促されるまま、サンドイッチの袋を破り、牛乳のパックにストローを刺す。
「何から訊きたい?」
「そうだな、先ずは俺の携帯と財布は?あるのか?」
「ああ、あったよ。そこの棚の引き出しに入れておいた。ほら、これ、そこの引き出しのカギ」
そう言って久志は僕に、蛇腹状のブレスレットに付けられたカギを差し出した。
俺はそのカギを左手で受け取り、身体をひねって、ベッドの右脇に置かれた棚に腕を伸ばそうとするが、如何せん、身体が言うことを聞かない。
「っててて・・・」
「おいおい、無理しちゃダメだって。ごめん、僕が開けてあげれば良かったね」
俺が久志に再びカギを渡すと、久志はベッドをぐるっと半周して、棚の引き出しを開けてくれた。
久志が僕の携帯電話を取り出し、それを受け取った俺は、慌てて液晶パネルをタップして、携帯電話が生きていることを確認した。
携帯電話の電源は入りはしたが、液晶画面はバキバキにヒビが入っていて、充電は残り7%だ。
「充電器、ある?」
「ああ、あるよ」
久志は持っていたバッグから充電器を取り出し、俺に差出す。
「サンキュー。ところでさ、このこと、あ、俺が事故って、病院に担ぎ込まれたことって、誰が知ってる?お前以外で」
俺は充電器を携帯電話にセットしながら訊ねる。
「ああ、君のとこのご両親には連絡しておいた。それから、バイト先、駅前のドラッグストアだったよね?そこにも、一応、電話しておいたよ」
なんだ、気が利くじゃないか。
ん?でも、だったら何でうちの両親、いやどちらか片方の親でも居ないんだ?意識不明で病院に担ぎ込まれるほどのことだと言うのに・・・。
それと、何で、久志が俺のアルバイト先を知っているのだろう?久志とは高校を卒業してから、お互いに地元に残っているとはいえ、この約二年の間、会うことは愚か、電話やメールのやり取りもしていなかった筈だ。
いや、そういえば、いつだったか、駅前で一度だけ偶然会ったことがあるか。確か、去年の夏頃だったか・・・。
しかしそれも、たまたま俺が大学の講義の帰りに駅から出てアルバイト先に向かうところを、久志に呼び止められ、『やぁ、久しぶり』などと、ただ挨拶を交わしただけのような気がしたが、ひょっとして、その時にアルバイト先のことを話していたのだろうか?
そんな話、した覚えはないのだが、実際に久志が知っているのだから、そうなのかも知れない。
「そっか、ありがとな。ところで、うちの親、何か言ってたか?」
「ああ、『命に別状は無さそうです』『今、休んでいます』って言ったら、明日の朝一で保険証とクレジットカード持って、こっちに来るって、そんな言ってた。今日のところは、僕に宜しく頼むって」
「そっか・・・」
何なんだ?うちの親は・・・。
「どうした?来てもらった方が良かったかい?」
「いや、そういう訳じゃないんだけど・・・」
「ごめん、僕がつい『大丈夫ですよ』って、言っちゃったからかも知れない・・・」
久志が本気で済まなそうな顔をするので、こっちがドギマギしてしまう。
「いやいや、久志、お前が悪い訳じゃない。寧ろ、何から何まで、ありがとう、ってくらいのもんだ。それに、アルバイト先まで連絡して貰って・・・。ところで、俺のアルバイト先って、前に話したこと有ったっけ?」
一瞬、久志の表情が強ばったように見えたのは、俺の気のせいか。それでも直ぐに久志は頬を緩ませ、「ああ、いつだったか、聞いた気がする。何となく覚えていたって言うか・・・」、そう答えた。
俺はその言葉に、ほんの少しだけ違和感を覚えたが、それ以上深く考えることもしなかった。
「それとさ・・・あ、やっぱり、いいや・・・」
俺は思わず加奈子のことを訊きそうになってしまった。それは流石に久志に訊いても分からないだろうし、そんなことを思った自分が馬鹿みたいに思えて、俺は口を
「え?どうしたの?『それとさ』って今言いかけてたけど、何?」
「いや、良いんだ、気にするな。何でもない」
「そう言われると、却って気になるよ。何でも訊いてくれて良いし、何か僕に出来ることなら言ってよ」
何故か食い下がる久志に、俺は正直に話す気にもなれず、本来思っていたことを悟られないように違う話題を振る。
「うん、そうだな・・・。あのさ、俺、事故ったじゃん?久志、お前が通報してくれて、救急車?呼んでくれたのか?」
「うん、そうだよ。たまたまあの道を車で通りがかったら、見たことのあるバイクがクラッシュしてるのを見付けてさ、慌てて救急車と警察呼んだんだ。ビックリしたよ。初めはさ、洋明、全く動かないからさ、死んじゃったんじゃないかと思って、どうしよう、って。でもさ、こうして元気に目を覚ましてくれて、僕・・・僕・・・ほんと・・・」
何故だか久志は言葉に詰まって、更には目に涙を浮かべているようにも見える。
一体どうしたというのだろうか。
「おいおい、お前が泣くこと無いだろう」
俺が思わず発した言葉に、久志は俺が思いもしなかった反応をする。
瞳に涙を浮かべて今にも泣き出しそうだった表情が、今度は何やら怒ったように眉間に皺を寄せ、どういう訳だか僕を非難するかのような視線をこちらに向けるのだ。
俺は今、何か久志の気に障るようなことを言ったのだろうか?
・・・?いや、何も言っていないはずだが・・・
黙ったまま僕をジッと見詰める久志の視線に耐えかねて、俺は目を逸らしながら言う。
「でも、取り敢えずサンキューな。久志が居てくんなかったら、今頃俺、どうなっちゃってたか分かんないし。兎に角、久志は俺の命の恩人な。ほんと、ありがとう」
言いながら、僕は久志の表情を伺うのだが、今のところ、久志の表情が元に戻ることは無い。
実際のところ、もっと気心の知れた仲の友人であれば、『お前、何怒ってんだよ?』とか、『お前、ちょっと意味分かんないぞ。バカなのか?』などと軽口も叩けるのだが、久志に対してはそうもいかなかった。
確かに高校三年間、彼とはずっと同じクラスだったが、特に仲が良かった訳ではない。勿論、だからといって仲が悪かったということも無いのだけれど、俺がバスケ部でバリバリの体育会系だったのに対して、久志は演劇部所属の、どちらかというと文科系の人間だったはずだ。
ただ、それでも接点はあった。
そう、あれは高校三年、最後の文化祭だった。
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