第3話
翌日、昼前に目が覚めた俺は、加奈子の兄を装い(彼女に兄は居ない)、彼女の勤めるバス会社に電話をした。
「もしもし、私、そちらでお世話になっております松下加奈子の兄、松下洋明と申します。お忙しいところ、申し訳ございませんが、身内に不幸がございまして。加奈子は今そちらに在勤中でしょうか?」
「いえ、こちらこそ、お世話になっております。あら、お身内に・・・。ご愁傷さまでございます。お悔やみ申し上げます。ええっと、松下加奈子さんは・・・。あ、本日加奈子さん、非番でお休み頂いて居りますね。ええっと、直接電話はされてみましたか?」
「あ、いえ、今日は仕事かと思いまして・・・。仕事中に個人の携帯に電話するのも、あれだと思いましたので・・・。ありがとうございます。直接連絡してみます。失礼いたします」
俺は電話を切り、「ふぅ」と、溜息にも似た息を吐く。
勿論、加奈子に直接電話を掛けることもしない。
昨夜のあのスーツの男性は、加奈子が前に言っていた、会社のツアーコンダクターの先輩社員なのだろうか?恐らくだが、そんな気がした。
二ヶ月ほど前だろうか、加奈子と映画を見に行った帰りに立ち寄ったバーで、加奈子は映画の話よりも会社の先輩社員の話を多くした。
そして、その先輩社員が如何に仕事ができるか、更にインセンティブでいくら稼ぐか、彼の趣味である車にどれだけのお金を掛けているか、それからファッションセンスの良さと、小洒落た会話の
当たり前だが、俺としてはあまり気分の良いものではなかった。それでも俺は加奈子の話をちゃんと聞いてあげようと努力もしたし、実際に嫌な表情はしなかったと思う。
それに、今現在、学生である俺と、その社会人何年目かは知らないが、その出来る先輩社員とを比べられたところで、そんなものは俺にとって何の意味もない、そう思っていた。
ただし、加奈子にとっては『そんなもの』ではなかった、らしい・・・ということなのだろう。
今日の講義は、俺だけ休講だ・・・。
俺は愛車の古いヤマハRZに跨り、行く宛もなく、スロットルを回し続けた。
どこを目指していた訳ではない。
気付くと俺は、海岸線の国道を、ひたすら北向にバイクを走らせていた。
まだ風はかなり冷たい。
ポツリと降り始めた雨が、いつの間にか、大粒の雨に変わり、俺は寒さに震えながら、それでもスロットルを開き続ける。
偶然というのは、起こるものだ。後で思い返すとそれは、奇跡なんかではなく、必然、若しくは初めから決まっていたことだったのかもしれない。
目を醒ました時、俺は病院のベッドの上だった。
思い出した。
寒さに震え
そこまでの記憶しかない。
勿論、頭にはフルフェイスのヘルメットを被っていたので、頭に傷を負っている訳では無さそうで、特に包帯などは巻かれていない。
ただ、右手の甲と右ふくらはぎと脛の間の部分が焼けるような痛みがある。その右手に目を遣ると、確かに包帯でグルグル巻きになっていた。多分、右足もそんな状態なのだろう。
目を醒ました俺が、ゆっくりと身体を動かそうとすると、そこに居た誰かが「ヒロっ」と、小さな叫び声を上げる。
「ヒロっ、目ぇ覚めたか?動かないでよ。今、看護師呼ぶから」
そう言われた声には、何処か聞き覚えがある。少し高め、そう、綺麗なテノールの男性の声。誰だっただろう。その声は、懐かしく、心地良い声だ。
俺の枕元に在るのであろうスピーカーから女性の声がする。
「はい、ナースステーションです。どうされました?」
「ヒロがっ、高柳洋明が、目を醒ましましたっ」
「分かりました。すぐ伺います。お待ちください」
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