55話「黒い影」
その後もラツァテの都市をいくつかの区画に分けて、エルクス王国が置かれている現状と皇国への移動についての説明を何度か行った。
どの区画でも、キースの話を聞こうと集まってくる住民はそれなりのものだった。
キースの話を実際に聞いて、家族がすでに皇国に居る場合や若い人を中心に、すぐにでも移住したいと考える人と、既に高齢となりこの国で最期まで過ごしたいという人やエルクス王国民として、戦争していた国で過ごすことに抵抗のある人もいるようだ。
「反応を見る限り、多く見積もって三人に一人くらいはこの移住案に乗るかってところかもしれないな」
キースとしては、自分が投降を勧めた兵士たちとその家族を再会させることが一番の狙いであり、その上で自分のことを慕ってくれていた者や一部の住民を一緒に引き抜ければ理想的だと考えていた。
だが、想像以上に貴族達への不満や戦争相手国と隣接する国で高い緊張感に縛られ続けていたことや、キースが皇国侵入を防いだという話が街の中に知れ渡っている。
そんな人が提案してくれる案ならばと、かなりの住民がこの案を前向きに捉えてくれているようだ。
キースが着々と説明を進めていると、レックたち鎧騎士部隊がラツァテの街に到着。
一旦キースとレックは合流し、街を出る準備が整った住民たちからすぐに移動をさせていくことにした。
「いいか! ここで俺たちの取る行動次第で、皇国に対する印象が決まるぞ!」
レックが率いた兵士たちに、そんな言葉を発している。
こう言った際の対応の仕方についても、どんな対応するべきかしっかりと理解した上で兵士たちの指揮を執っている。
「な、何をしているんだ!」
住民たちの普段と違う様子を察したのか、ラツァテの街に配属されている貴族派閥の兵士たちがキースとレックの部隊を見つけて声を上げた。
「何って、この街の住民の中で皇国側に移りたい者たちを引き抜いているだけだが」
「そ、そんなことが許されると思っているのか!」
「実際のところ、お前らの主から許されたからここに居る。文句があるなら、すぐにでも確認を取ってみるんだな」
昨日、皇国で決まったことなので貴族派閥の兵士がその事実を知るわけもなく、二人の言葉を聞いてあからさまに混乱している。
更にはレックが引き連れてきた鎧騎士兵の数が圧倒的過ぎて、この街に居る貴族派閥の兵士だけではどうにもならないことは明確な状態。
現状の自分たちではどうすることも出来ず、兵士たちは二人から告げられた事実を確認することと目の前で行われている行動にどう対応するかを確認するべく、将校の元へと向かって行った。
「上の連中に確認しに行ったな。陛下が昨日決まったことを連絡しているはずだが、やつらの目が無いうちに今のうちに出来るだけ住民を出していこう。何をやらかすから予想できないからな」
レックの言葉にキースも頷き、引き続き住民の回収を行っていくことにした。
「よし。俺の引き連れてきた兵士たちを、俺が指揮する部隊とキースが指揮する部隊に分けよう。分担した方が間違いなく話が早い」
「確かにそうかもしれないけど、兵士のみんなからしたら自分に命令されるのは嫌じゃないかな?」
「そんなことはない。ロアやミストだけでなく、この兵士たちの中にもキースに助けられた者はいる。それに、訓練場の見学に来ただろ? その時に俺とこうして対等に話しているところを見て、そう言う立場のやつなんだって理解してるから、兵士たちは何も思わねぇよ」
そんなレックの言葉を聞いていた兵士たちも、後ろで頷いてくれていた。
「ということで、二つに分けることとしよう。この街はキースがよく分かっているだろうから、どう分けるべきか教えてくれ」
「レックはこの入り口周辺に集まってくる住民の回収をお願いしてもいい? 先ほどまでの呼びかけで、準備が出来た住民からここに集まるように言ってあるから」
「よし、分かった。集まってきた住民を街から野営地に向かって出発させればいいな?」
「うん。自分は街の奥から回収していくから、余裕があるならここから少し先に進んだところの区画に居る住民で準備に手間取っている人が居たら、サポートをしてもらえば」
「おう。街の奥から回収するなら、そこからここまでの道に案内役を設置しておくことも忘れずにな。なんせ俺らはこの街の構造を知らんからな……」
それぞれの役割を決めると、部隊の半分をキースが引き連れて先ほどまで呼びかけを行っていた区画まで戻り、移住希望者の回収とサポートを行っていく。
「一世帯につき、一人の兵士が護衛についてください! 人数が多い場合は、二人以上で護衛してもらって大丈夫です。そのあたりの判断は各自にお任せします!」
キースが最低限の事だけ言うと、兵士たちは各個人で素早く判断して住民たちの回収を行っていく。
住民を回収した兵士たちは、そのままゆっくりと案内役の兵士を目印にレックが待つ街の入り口に向かってもらい、残った兵士たちを率いてキースは次の区画へと進んで行く。
「ん?」
次の区画に向かう途中で、やや暗めの通りに差し掛かった時だった。
何やら建物から建物へと、黒い影が素早く通りかかったのにキースが気が付いた。
「キース様、どうかなさいましたか?」
「いや、何でもない」
後ろからついてきている兵士たちは、その黒い影に気が付かなったのかキースの反応を不思議そうに見ている。
更に歩みを進めると、その黒い影はキース達と同様にまた建物から建物へ、素早く後に付いてきている。
明らかに気のせい、と言うわけではなさそうだ。
元々それほど素早い動きが出来ない鎧騎士とはいえ、レックに鍛え上げられた優秀な兵士たちが察知できないくらいには素早い動きをしている。
キースとしても、素早い剣技を身に付ける際に鍛えられた視力と察知能力で辛うじて気が付くことが出来たレベル。
(あんな動きをするような相手、この国の中に居たか……?)
明らかに異常な俊敏さだが、影の大きさと動き方からして人以外の動物と言う可能性は無いように感じた。
しかし、エルクス王国にあれだけの動きが出来るような人物が居れば、一度は必ず貴族たちに取り立てられるはず。
仮に、キースが解任された後に取り立てられたとしても、実力者の噂なら必ず耳に届くはずだが、そんな話は一度も聞いたことが無い。
考えれば考えるほど、相手の詳細が分からない。
ただ、跡をつけてきている以上はこちらに何かの目的があるということに間違いないだろう。
いつ正体を現すのか。そして、飛び掛かってくるつもりなのか。
動きをかろうじて反応出来ただけなので、奇襲されたら防衛態勢に入る前に懐まで飛び込まれる可能性が高い。
「……やるしかないか。みんな、ちょっと自分よりも距離を取ってくれるか?」
「は、はい!」
キースは腰に下げていた剣を引き抜いて、おそらく黒い影の正体が隠れているであろう建物を注意深く見た。
やはり、建物の陰で全体的に暗くなっていてこちらの目には何にも確認できない。
「そこにいるんだろ? ずっと跡をつけてきてるのは分かってる」
キースが建物にそう呼びかけると、兵士たちはどよめきたった。
だが、その呼びかけに応答することはない。
「っ!」
完全な静寂が暗い通りを包み込もうとした瞬間、黒いローブに包まれた小柄な体がキースの元に向かって飛び込んできた。
ローブから出る小さな手にはナイフが持たれている。
そのナイフは、キースの首元を狙って飛び込んでくる。
しかし、キースも出てくると予測していたので、相手の狙いをすぐに察知して剣身でその攻撃を受け止める体勢に入った。
しかし、そのナイフはキースの剣身に当たる直前でぴたりと止まった。
「……まだダメだったか」
ナイフをローブにしまいながら、黒いローブに包まれた人物はそんな言葉をつぶやいた。
そんな小さな声を聞いて、キースは思わずハッとした。
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