その3
まず、最初に厳しい目を向けたのは、他でもない相撲協会である。大方の予想どおり、協会はシコ娘たちが実在の力士の
だが、シコ娘はアニメやゲームのような商業コンテンツではなく、ある意味では力士を美少女化して楽しむという遊びでしかない。相手は趣味に興じる個人であり、相撲協会はこの遊びが盛り上がるのを、ただ指を咥えて見ていることしかできなかった。
旧態依然とした組織で、時代遅れの諸問題も多かった相撲協会に対しては、良い印象を持っていない若い世代も多く、力強い突っ張りも
しかし、この状況を原作者の
多治氏にとっても、自身の投稿作品という枠組みを超えた巨大なコンテンツとなったシコ娘だが、そこには原作者としての責任もあったに違いない。
多治氏はこの問題について投稿サイト上に自身の考えを投稿した。
「お久しぶりです。
実在の力士の四股名を使用するのはいかがなものかという相撲協会様のご意見についてですが、読者の皆さまがおっしゃっているように、実際の四股名を使用しているという点は、シコ娘をシコ娘足らしめる重要な要素のひとつです。ですので、作者自身としましても、この要素を削る気は毛頭ございません。また、シコ娘は個人が趣味で執筆した非営利の作品に過ぎず、読者の方々がおっしゃるように、そもそもこの問題を憂慮する必要などないのかも知れません。
しかし、一方で私は、このような相撲協会様のご意見を無視するのは、傲慢なのではないかと感じています。なぜならば、そもそもシコ娘という作品が他でもない相撲という競技を題材にしているからです。
いわば、他人のふんどしで相撲を取っている作品なのです。
ですから、相撲協会の方々が問題視される点を、私は無視致しません。私は相撲が好きですし、相撲をリスペクトしているのです。
そこで私は、シコ娘は実在の力士の四股名を持つという設定はそのままで、実際に作品中に明記している四股名に関してはすべて削除させて頂くことに決めました。
もちろん、これは私の勝手な決定であり、自作に対する決定です。シコ娘のスピンオフを執筆されている方々やファンアートを描いて頂いている方々に、同じ決定を強要するようなことはございません。無論、これが多くの方々を混乱させるだろうことは承知しています。
公開当初、作品がこれほど皆さまに支持されるとは思ってもいませんでした。ですから、このような問題が起きるなんて想像だにしていなかったのです。
どうか、このような決定をさせて頂くことを、ご理解下さいますようお願い申し上げます。これからもシコ娘をよろしくお願い致します」
この投稿がアップされたときにはすでに、実際に作中で四股名が登場する該当箇所はすべて削除されていた。作中でウルフちゃんが四股名で呼ばれることはなくなったし、呼出しや行事の呼び上げのあったシーンは四股名が出ないような形でリライトされていた。
シコ娘は実在の力士の四股名を持った美少女である。この設定だけが残り、明確なキャラクター名は消えたのである。
結局は、シコ娘ユニバースの皆がこの決定に従った。
まるで、横綱は横綱らしい相撲を取らなければならないという不文律を力士たちが守るように、シコ娘ユニバースにおいて、四股名を明記することはタブーであるという暗黙の了解ができあがったのである。
シコ娘は常に愛称で呼ばれる存在となったのだった。
一方、とある相撲部屋の後援会からは、また違った内容の苦言が呈された。作品の世界観が、土俵上は女人禁制であるという伝統を侮辱しているのではないかという内容である。
これに対してはフィクションの作品に対してあまりに無粋な物言いではないかという意見が大半を占めた。多治氏がシェアドワールド宣言をしたときに使った「創作は自由です」という言葉を引き合いに出すフォロワーも多くいた。
SNS上ではこの後援会に対して多くのバッシングがあった。また、後援会事務局では、連日、苦情の電話が鳴り止まないという実害も発生した。
このようなファンの行き過ぎた行為を危険視したシコ娘プロジェクトでは、シコ娘ユニバースに関わるすべてのファンたちに対して、相撲のように礼節を重んじよというメッセージを掲げた。
実はこの騒動、後援会はこのような苦言を呈しておらず、昨今の美少女ブームに
炎上した相手にはなにをしても許されると言わんばかりのネット特有の歪んだ正義によって、後援会はとんだとばっちりを受けた。しかし、後援会の大人な対応によって事態はすぐに沈静化した。
シコ娘に対するバッシングをしたのは相撲関係者にとどまらなかった。
シコ娘が青少年に与える悪影響は計り知れないと声を上げたのは、教育関係者や各市町村の教育委員会である。
しかし、その大半が実際のシコ娘の内容を読まずに勝手な憶測で意見しているのは明らかだった。ほとんどの場合、シコ娘というタイトルから卑猥な内容を連想しての意見だと考えられた。
例えば、「学力が全てじゃない。心力向上の学校教育」などの著作で知られる教育評論家の
「半裸の女性が相撲に似た競技をする漫画らしいが、右オツ、左オツ、モロ出しなど、使われる語句から卑猥な内容が容易に想像できる。教育上あまりに不適切」
しかし、残念ながら、このような語句が原作の中で登場したことは一度もなかった。そもそも、シコ娘を漫画だと思っているあたりから、実際の原作を読んでいないことは明らかだった。
さすがの多治氏もこれを看過することはできなかったらしく、珍しく皮肉の効いた内容の意見を投稿サイトに書き込んだ。
「どうも、お久しぶりです。多治唐男です。現在、拙作シコ娘に対して、不適切な語句が多数使用されており、青少年の教育上よくないという貴重なご意見を頂いているらしいのですが、まずは拙作シコ娘を読んで頂いて、その語句が使用されている該当箇所を教えて頂きたく思います。該当箇所を削除するか修正致します。これをご覧になった教育関係者の方々、どうぞよろしくお願い致します」
なぜ越前氏がこのようなことを言い出したのか、シコ娘プロジェクト、及びシコ娘フォロワーのSNSでは考察が飛び交った。
どこからか伝え聞いた言葉を聞き間違えたまま覚えたというのが大方の予想で、おそらく「右オツ」「左オツ」は「右四つ」「左四つ」の誤りで、「モロ出し」は「もろ差し」の間違いだろうということだった。
ちなみに、どの言葉もれっきとした相撲用語である。「右四つ」は双方が右手を下手に差して左手を上手にしている状態であり、「左四つ」は逆に双方が左手を下手に差して右手を上手にしている状態、「もろ差し」は自身の両手をどちらも下手に差している状態を言う言葉である。ちなみに自身が「もろ差し」の場合、相手の状態を「外四つ」と呼ぶ。
これを受け、SNS上は荒れに荒れた。
「モロ出しはまだしも、右オツってどういう意味で聞き間違ったんだ。オツってなに?」
「おっつけのオツだと思ったのでは」
「おっつけのオツだと全然卑猥じゃない。オッパイのオツだろ」
「右オツは右乳、左オツは左乳って思ったんだろうな」
「右オッパイと左オッパイが一緒に出たらそりゃモロ出しだよな」
「俺ももろ出しってあると思ってた。廻しが取れて負けるやつ」
「相撲において局部が見えて負ける決まり手は不浄負けと言います」
「真ん中の足が勇み足」
「それだと勇みチン」
「越前育郎オツ」
この問題について、ヲタク文化に詳しいサブカルチャー評論家のダイナスティ
「本当はこういうことを言う人が一番いやらしいんですね。卑猥なことを考えていないとこんな聞き間違いなんてしないですから。例えば、同じ形の山が二つあったとして、これが女性の乳房を想起させるから卑猥だと言うのなら、その人がそういう卑猥な目で山を見ているからに他ならないんです。普通の人の目には山はただ雄大です」
のちにコピペが氾濫する二子山理論である。
なお、前出の越前氏の発言は現在では削除されている。
シコ娘を卑猥と断じる人々は他にもいた。フェミニスト団体である。特に積極的に声を上げたのは、これまでもアニメ、ゲームに対して厳しい意見を発し続けている某団体で、ネット上では「またか」という声も多く見られた。
団体の主張はこうだった。
「年端のいかない少女がスポーツブラとパンツという恰好で相撲を取るという描写が極めて性的で、女性蔑視にあたる。また、意図的に性的な女性キャラクターを土俵に上げ、相撲という神事を軽んじるための材料に仕立て上げるのは極めて悪質である」
これには多くの人たちが反論した。フェミニスト団体に対しては、日ごろから良くない印象を抱くアニメファン、ゲームファンも少なくなかった。
彼らはこの言い分に対して、水中のスポーツである水泳など、水着の着用が必要不可欠である競技を除いたとしても、ビーチバレーやマラソンなど、薄着で挑むスポーツは存在するとし、スポーツブラとパンツだからという理由で、それらのキャラクターを性的と呼ぶのはおかしいと主張した。
シコ娘プロジェクトの意見交換の中には、女性同士がくんずほぐれつするのが性的なら、レスリングも柔道も性的。柔道なんて胴着がはだけるし、相当スケベだろ、と興奮気味に述べる者がおり、それはさすがにお前が最もスケベと
フェミニスト団体の主張の後半に関しても多くの反論があった。以下は多くの賛同を得た意見の抜粋である。
「土俵に女性を上げなかったら怒り、上げても怒る。もうどないせぇちゅうねん」
シコ娘に対して苦情を上げたのはなにも相撲協会やフェミニスト団体のような組織ばかりではなかった。純粋な正義の行動として声を上げる個人もおり、その矛先のほとんどは、原作者の多治氏か、シコ娘プロジェクトへ向けられた。前者に向かった者は多治氏のフォロワーたちから、後者に向かった者はサイトの住人たちからの総叩きに遭った。
多治氏に直接苦情を上げる人々の中には、前出の教育評論家のようにシコ娘の原作にまったく目を通していないと思しき者も多かった。
「百歩譲って競技がスポブラパンツで行わなければならないとして、じゃあ、なぜ巨乳である必要があるのか」
多治氏はこの意見に対して、既視感たっぷりの返信をつけた。
「どうも、お久しぶりです。多治唐男です。現在、拙作シコ娘に対して、不適切な描写が多く見られ、女性蔑視にあたるという貴重なご意見を頂いているらしいのですが、まずは拙作シコ娘を読んで頂いて、その描写が使用されている該当箇所を教えて頂きたく思います。該当箇所を削除するか修正致します。これをご覧になった方々、どうぞよろしくお願い致します」
実際、原作シコ娘の作中では巨乳という単語は一切出てこない。それどころか、胸の大きさに言及する描写も存在しないのである。
確かに、シコ娘にはモデルとなった力士の体格によって胸の大きさが変わるという暗黙のルールが存在した。例えばハワイ出身のコニーちゃんなど、巨漢力士をモデルにしたキャラクターは巨乳シコ娘、ウルフちゃんやマインちゃんのような小兵力士がモデルのキャラクターは貧乳シコ娘といった具合だ。
しかし、この暗黙のルールはシコ娘フォロワー、特にイラスト投稿サイトの創作者たちの中で自然発生的にできあがった後付けの設定であり、これが生まれた背景に原作者は一切関わっていないのである。
多治氏に向けられた批判的なコメントはこれにとどまらない。
「シコ娘というタイトルや、数ある相撲用語の中からガチンコという言葉を敢えて選ぶあたりに、作為的なものを感じずにはいられません。炎上狙いとは言いませんが、卑猥な内容を想起させる語句を使って注目させようという意図がなかったとは言えないのではないでしょうか」
これに対しての多治氏の答えは短かった。
「タマタマです」
この、ほとんど茶化したような内容の返信には、この手の苦情はもう真剣に取り合わないという氏の意思が感じられた。
スピンオフ作品第一号を生み出した
「物書きを続けていると、いろんないちゃもんを受けますよ。ガチンコがダメか……。パチンコ業界再編したら言い分くらい聞いてやろうって感じすね」
こういったやり取りがあったのは、多治氏の作品に寄せられる批判的コメントが、小説の中身も読まずに憶測で語ったものや、作品を批判したいがためのこじつけのような論理など、お門違いな意見が相当数あったからに他ならない。
また、作品自体に全く関係のないブームそのものに対する批判的意見も少なくなかった。
しかし、シコ娘というコンテンツは、始まりこそ多治氏の作品であれ、氏が意図的に仕掛けたブームなどではなく、ネット上を発表の場にするクリエイターたちの間で発生したインターネットミームなのである。多治氏からすれば、ブームに対する批判的意見を個人的に受けなければならない謂われはなく、この状況にはさすがに辟易していたようだった。
また、この手の批判的意見は、シコ娘プロジェクトにも多く寄せられていたが、こちらもそういう外野の意見をまったく相手にしようとはしなかった。
アンチが沸き、賛否巻き起こることこそがブームの成熟と呼ぶならば、シコ娘というブームはまさに最高潮へ向かっていると言ってよかった。
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