第19話
もう何が何だか分からなかった。頭がおかしくなりそうだった。もう駄目だ。どうすれば良いんだ。何が何だか分からない。俺の周りで何故こうも問題が持ち上がる?俺が一体何をしたっていうんだ。
牛山と別れ、アパートに帰るとこんな夜中だというのに姉もまだ起きていた。
「どうしたの?ひどい顔してるわよ」
それはお互い様だった。俺は何とか声を出した。
「酒を飲み過ぎたんだよ」
「そう」
「・・・いや、何かあった」
「そう」
「恋って難しいものだな」
「何一丁前なこと言ってんのよ」
確かにその通りだった。俺は恋を語れるほど恋とは何たるか知らない。恋とは何か。おそらく永遠に解けない謎だ。
全く俺はこれからどうすれば良いんだ?とにかく明日彼女と会うことになっているから、まずその問題に取り掛かろう。一つずつ解決していくしかない。
「なあ、何でミサトはここまで気まぐれな人間に育ったんだよ」俺は常々思っていたことを姉に言った。
「あたし小さい頃からスナフキンに憧れてたのよ」
「スナフキンはここまで気分屋じゃないよ」
「とにかく縛られるのが嫌なのよ」
「他人の迷惑も考えてくれよ」
「これからそうするわ」
本当だろうか。人はそう簡単に変わるものではない。誰かが言ってたが、習慣が人を作るのだ。姉は三日坊主的な傾向があるし、変わろうと思ってもなかなか変わらないのではないかと思う。でもまあ、変わろうと思っただけ一歩前進か。
「ちょっと夜風に当たってくる」
そう言って俺はアパートを出た。
秋の夜特有の涼しい風が俺を出迎えてくれた。酔いの残った体には気持ちが良い。家から持ってきたいろはすを飲みながら、アパートの周囲を散歩した。
色んな考えが浮かんできた。もう全てを捨ててどこか遠くへ行こうとか、そんなことを漠然と思った。でも俺はどこへ行っても細かいことを悩み続けるような気もする。お前は考えすぎている、と、高校2年生の時に担任の先生に言われたことがある。確かにその通りなのかもしれない。人は実はそこまで何も考えずに日々を過ごしているのかもしれない。俺はいつも考えすぎているのか?分からない。皆どうやって日々暮らしているのだろう。日常を過ごしているのだろう。俺にはこの世界は難しすぎる。難しいと考えているから難しいのかもしれない。単純なことを勝手に複雑化しているだけなのかもしれない。生き方とは選択の結果だ。俺は勝手にハードモードのボタンを押してしまったのだろう。自分で選んだ道だ。苦しむのは自分のせいだ。
本当にそうか?
自分の性格や性質は、全て自分の選択の結果に由来しているのだろうか。環境や周囲の人々の影響を多分に受け、俺は自分を形成しているのではないか。自分の選択は本当に自分の意思で行われているのか?自由意志なんてもの、本当に存在しているのか?
俺は俺をどう規定している?
習慣が人を作るという。習慣とは誰が形成する?自分?しかし他者の影響が多分に含まれている気がする。習慣とは、自分だけでなく色んな人の刺激を受けて成り立っているものなのではないか。
そもそも自分とは何だ。どこからどこまでが自分なのだ。
酔いの回った頭には難しすぎる問題だった。頭の良い哲学者ですら不明瞭な問題なのだから、酔った俺に解けるはずはなかった。段々頭が痛くなってきたので考えるのをやめた。ただ、夜風に吹かれていようと思った。
時には何も考えないことも重要だろう。
夜道を歩きながら、曲名が全く思い出せない歌を口笛で吹いていると、後ろから声がした。
「『およげ!たいやきくん』。名曲だ」その男はそう言った。
俺はその声に聞き覚えがあった。当然だ。先日散々迷惑をかけられた。
「まだここら辺をうろついてたんですか、洲鳥さん」
そう、声の主は洲鳥だった。俺は振り返った。
その顔のあちこちには絆創膏や湿布が貼られていた。
「病院、行った方がいいですよ」
「医者にどう説明していいか分からなくてね。診察券もなくしたし。君の方こそ警察に僕を突き出した方がいいんじゃないか」
「姉がやめてくれって言うので。事が大きくなるのをとにかく恐れるんですよ」
「ミサトは意外とビビりだからな」
「知った風な口きくのはやめてください」
「強気だな。僕を軽蔑するかい?」
「もはや無関心ですよ。何でまだここにいるんですか。姉のことまだ諦めてないんですか」
「実を言うと未練がないではない。でもまあ、ミサトに接近するのは君や那村が許さないだろう。いや、誤算だったよ。那村が帰国してるなんて」
「何故殴られたんですか」
「ミサトの同情を惹きたかったのさ。僕も殴られれば、ミサトが僕を可哀想だと思って、ヨリを戻せるのではないか、と思ったんだ。ナイチンゲール症候群というか、看病しているうちに愛情が戻ってくるのではないか、と思ってね。まあ、今思えばとんだ計画だ」
「全くですよ」
「明日には名古屋に行くよ。父親が暮らしてるんだ」
「愛知の人なんですか?」
「いや、生まれも育ちも違う。というか名古屋には行った事がない。父は引っ越し好きの風来坊なんだ。僕と同じでね」
両親ともどもこういう性格なのか。もう関わり合いになりたくない。洲鳥一族には。
「君にはもう会うことはないかもしれないね」洲鳥は言った。
「そうであることを願いますよ」
少しの間沈黙が流れた。そして洲鳥が口を開いた。
「すまなかったね、色々と」いつになく真剣な口調だった。
「俺は死ぬまであなたのことを許しませんよ」
「ああ。それでいい。それほど酷いことを僕は君の姉さんにした。君にも迷惑をかけた。とても許されるようなことではない」
彼は俯き、独白した。
「僕はたぶん弱い人間なんだ。人を支配しようとしたがる。僕はいつも自信満々だが、本当は誰かとの繋がりを求め虚勢を張ってただけなのかもしれない。僕は母によく殴られていて、母は結局男をつくって出ていった。父はひとり残された。僕はそのどちらにもなりたくないと思っていた。でも結局両親と同じことをしていたし、結果そうなっていた」
何と答えるべきか分からなかった。
「許して欲しい言い訳にこの話をしているわけではない。僕はただ、全てを君に知って欲しかったんだ。僕はくだらない人間だよ。簡単に暴力を振るう最低な人間だ。自覚していてもやめられない。病気なのかもしれない。
僕はいつも未来に怯えていたのだろう。本当は自分に自信なんて、なかったのかもしれないな」
彼の言葉をどう受け止めたらいいか分からなかった。
「とりあえず父に会って相談しようと思う。カウンセリングに通うことになるかもしれないな。那村もサポートしてくれるらしい」
彼は変わろうとしているのだと思った。今回の事件を機に、自分を変えようとしている。それは良いことだと思った。
「君には迷惑をかけた。すまない」
彼はもう一度謝った。彼は頭を下げた。
「それでも、俺は許せないと思います」
「それで良い」
彼はそう言った。そして俺に別れを告げ、夜道に消えていった。
もう二度と、会うことはないのだろう。
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