第9話
「僕はさ、君の姉さんが大好きなんだよ、実際。本当に。結婚を視野に入れるくらいには好きだった。彼女も僕を好きだったと思うよ。僕ほど良い男というのはこの世にそう存在してはいないからね」
段々頭がくらくらしてきたが、姉の失踪の原因を探らなくてはならない。もう明らかであるような気がするけれど。
「なぜなのだろう。僕の素晴らしさに怖くなってしまったのだろうか?まあ、良い。取り返すまでさ。で、君はミサトの居場所について心当たりはある?」
俺のアパートに一度来ていたことを言うべきだろうか?何となく言わない方が良い気もする。
「正直心当たりは多くありません。一応、僕と暮らしていた時よく行っていた場所は幾つかありますが」
「じゃあそこへ向かおう。僕らは運命の糸で繋がれているんだ。連絡は取れなくともきっと会える」
頭痛がしてきた。やはり連絡はするべきでなかったか。いや、どちらにせよこの人は俺に接触してきたはずだ。
「そういえば僕の住所はどこで知ったのですか?」
「ミサトが持っていた君からの手紙だよ。ミサトが連絡を手紙でしか受け付けない時があったろう?その時期に君から届いた手紙で、僕の部屋に忘れていったやつがあったから、それで君のアパートを知ったんだ」
確かに姉が今日から連絡は手紙でしか受け付けない、と、海外に行って1ヶ月経った頃に言っていた。おかげで家族からの連絡も手紙で送らねばならず、親父からのメールを手紙に手書きし(姉は手書きでしか受け付けないと言っていた)、送っていた時があった。そのブームはすぐに去ったようで、電子メールで送ってもいいとメールで連絡が来た。いつもの姉の気紛れである。
「じゃあ、行こうか」
まず、俺の心当たりのある場所へ行くことになった。
2、3ヶ所、バスを使って姉が好きそうな場所を訪ねてみたが、やはり姉はいなかった。何となくではあるが、俺がこの人と行動している限り姉は現れないような気がする。夜が更けていき、今日はもう解散しようということになった。
「仕方がない。僕は彼女をまだ愛しているから、きっと僕の元に帰ってくるだろう。愛とは信じることだ。僕は彼女を信じる。色んな男を知り、僕の素晴らしさに気づくだろう。その時をちょっと待っておくかな。迷惑かけたね。こんな遅くまで一緒に探してもらって」
「いえ。僕も心配ですから」
「あと、さ。一つ質問しても良いかな」
「良いですよ。何ですか?」
「君は何を隠しているんだい」
どきりとした。空気が一瞬で冷え込んだみたいだった。
「どういう意味ですか」
「ちょっと聞いてみたかっただけだよ。気にしないでくれ。答えたくない事情もあるのだろう。でも秘密はいつか君を殺すよ。秘密を抱えて生きていけるほど人間は強くない」
この言葉の真意を俺は図りかねたが、何故か聞き返すことができなかった。
「じゃあ、また。何かあったら連絡してくれ。僕も連絡するから」
「わかりました」
「君とはまた喋りたいね。次はお酒でも飲みながら。お酒は飲めるんだろ う?」
「強くはないですけど」
「結構。できれば今度はミサトも一緒だと良いがね。一体どこにいるのだろうか・・・」
アパートに戻ると俺は自分がひどく疲れているということを認識した。おそらく姉の彼氏だという男と突然会って話したため、緊張していたのだろう。部屋に着いた途端、溢れんばかりの疲労感が俺を襲ってきた。大学に行くよりも疲れた。やはり大学にいった方が良かった気もする。でも、まあ、結局は姉が心配で講義に集中できなくて、途中で帰って姉を探しに行きそうだが。
夕食を食べる体力もなく、俺は何とか風呂に入ると、すぐさまベッドに入った。眠気は待っていたぞとばかりに俺にしがみ付き、眠りの奈落へと誘った。
翌日。朝起きると彼女から電話とメールが来ていたことに気づいた。昨日俺が眠った後に来ていたようだ。
明日の夜、会えるかな。
明日とは今日のことだろう。姉のことも相談したいし、俺はご飯でも食べに行こうかと返信をした。
大学の講義が終わる頃には夕方になっていた。急いでバスに乗り、アパートに帰った。シャワーを浴び、着替えを済ませると、彼女からメールが来た。
いつもの公園で待ってるね。
まさかもう着いてしまったのだろうか。まずいなあと思い、すぐさま家を出た。
夜の住宅街を走っていると、どの家からも家族の談笑が聞こえてきて、自分は何て孤独なのだろうと思う。幸せがそこここにあるのに、今俺はそれを持っていないのだという気がしてくるのだ。勿論、俺には俺を好いてくれる人がいて、幸せなのだが、何故か夜の住宅街ではそうした変な心持ちになってしまうのだ。
待ち合わせの公園に着くと、やはり彼女はすでに来ていた。
「今回も俺の負けだな」
と冗談を言ったのだが、彼女は伏し目がちで、俺に何も言ってこなかった。笑いもしなかった。
どうしたのだろう?
「今日はちょっと言いたいことがあって君を呼んだの」
言いたいこと?嫌な予感がした。
夜の闇が全身を包んでいくような感覚があった。
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