第26話 落下

 「ヒミコ……!」

 

 オランは泣いていた。

 黄金に輝く瞳から、涙が止まらなかった。

 ヒミコとシンゲンの記憶を見て、2人の感情が流れ込んで来た。

 まるで、自分の記憶であるかのように錯覚してしまいそうだった。

 気が付いたら、オランは自然と空中浮揚の技を発動していた。

 今、オランとヒミコは、ゆっくりと天を舞っていた。

 遠い昔の、あの晩のように。

 

 「オランさん」

 

 ヒミコは微笑んでいた。

 微笑みながら、涙が溢れて、涙の粒が次々と天へと舞い上がっている。

 

 「オランさん。初めて会った時に、ちゃんと話せば良かったですね」

 

 「本当だよ、もう」

 

 「ごめんなさい。どうして本当の事を言わなかったのでしょうか、私」


 オランとヒミコは、また額をくっつけた。

 しばらく2人で目を閉じた。

 そして、オランが言った。

 

 「ヒミコの中には、八岐大蛇としての人格もあるんだね?」

 

 「はい……というよりも、八岐大蛇としての人格が本来の私です」

 

 2人とも、涙は止まっていた。

 ゆっくりと下降しながら、ヒミコが語り始めた。

 

 「私は、元々は八岐大蛇です。カガミ様の言葉で、自分を無理やり人間だと思い込んでいたに過ぎないのです。シンゲン様が命を落としたとの報せを受けて、私の、人間としての心は砕けました。そこから、本来の私の、魔族としての心が目覚めたのです」

 

 「……」

 

 「ややこしいので、本来の私の心をオロチと呼びますが。シンゲン様が亡くなられた後、しばらく私とオロチとの精神のせめぎ合いが続きました。でも、とうとう私は、完全にオロチに人格を支配されました。そして暴れ回るオロチを……いえ、私を、カガミ様が封印したのです」

 

 「それから500年間、封印されていたの?」

 

 「はい。つい最近、封印が解けました。その時に身体を支配していた人格はオロチでした。力を失っていたオロチは、竜の血を求めて恐竜達のいる大陸へ向かったのです」

 

 「……それじゃあ」

 

 「そうです。恐竜の魔物達を襲って食べていたのは私です」

 

 オランはごくりと息を飲んだ。

 だが、すぐに言葉を発した。

 

 「……いや、ヒミコじゃないよ。オロチだ」

 

 「恐竜の魔物達にとっては、そんな事関係ありません。それに、私もオロチも同一なのです。オロチの人格も、私の心であるという事には変わりはないんです」

 

 「……」

 

 確かにそうなのかも知れないとオランは思った。

 それでも、ヒミコとオロチを同じには考えたくなかった。

 今話しているヒミコと、さっきまでいたオロチは、全く別だ。

 全く別の存在だ。

 なんとかしなくちゃと思った。

 ヒミコはこれからも、あの地上最強のレックス率いる恐竜軍団に追われ続けてしまう。

 話せば分かってくれるだろうか。

 いや、無理だ。

 オロチは、レックスの仲間を襲い過ぎた。

 あの仲間想いのレックスの事だ。

 決して許しはしないだろう。

 どうすれば良いのか。

 

 「……恐竜の魔物達に宿る竜の血は、絶大なパワーを秘めていました」

 

 ヒミコは説明を続けた。

 

 「オロチが人格を支配している時も、精神の奥深くで、私は起きていました。オロチが竜の血を取り込む度に、力が漲って来るのを感じていました」

 

 「……」

 

 「竜の血を取り入れて、徐々に力を取り戻して行ったオロチは、少し油断したようです。カルノタウルスの魔物を見て襲い掛かったものの、予想以上に強い相手だった為に、深傷を負ったのです。結果的に戦闘には勝って血も取り入れたのですが、オロチは激闘によって弱っていました。今度は私が、その隙を突いて、人格を支配したのです」

 

 「……」

 

 「私が人格を支配した時、既に身体は傷だらけでした。更にラプトルの魔物にも襲われ、必死で逃げている時に、私がシンゲン様から頂いていた黄龍水晶が光ったのです。そして、シンゲン様から直接教えて貰っていた勇者を呼び出す秘術を使いました。そして、オランさんと出会ったのです」

 

 「……そう、なんだ」

 

 これが、運命というものなのかとオランは思った。

 まるで仕組まれたかのように、出会うべくして、自分とヒミコは出会っているように思えた。

 

 「そして、オロチの人格がまた出て来たのは……私がオランさんの父親の名前を聞いたからです」

 

 「え……!?」

 

 「オランさんが、父親の名がエンキド=コモドスと言った時。それを同時に聞いていたオロチが、無理やり扉をこじ開けるように精神に浮上して来たんです」

 

 「え、どうして……!?」

 

 「コモドスというのは、500年前の……うっ」

 

 話の途中で、突然ヒミコが顔を歪めた。

 

 「うっ……くっ!」

 

 「ヒミコ!」

 

 酷い頭痛に襲われているような、苦しそうな表情を浮かべているヒミコを見て、オロチが浮上して来たのだとオランは思った。

 そして、必死に考えた。

 どうしよう。

 どうすれば。

 どうすれば、ヒミコを救えるーーー。

 

 「オラ……さ……」

 

 「ヒミーーー」

 

 この時。

 ぎゅっと閉じられていたヒミコの瞼が上がる瞬間。

 その瞬間の動作が、オランにはゆっくりと見えた。

 瞼が半分上がりかけて。

 紅い瞳がちらりと見えた。

 その時。

 

 オランの身体は、勝手に動いていた。

 

 この時のオランの頭の中に流れる時間感覚は、通常の何百分の1秒の速度で流れていた。

 今まで生きて来た中で、見た事、感じた事が、光の速度で流れ、頭の中で渦を巻き、そして溶け合った。

 全ては、ヒミコを救いたい一心だった。

 この状況を、打破する手段が何か無いかと、脳が必死に記憶を辿っていた。

 そして。

 オランの脳は、昔、自身に受けたある攻撃に行き着いた。

 それは、オラン自身は覚えていない技だった。

 覚えていないが、オランの身体と精神が記憶した技。

 オランが卵から孵った翌日。

 僅か生後1日で、その身に受けた技であった。

 

ーーー

 

 〜〜〜(マイアよ、少しこの子を気絶させるが良いか!?)〜〜〜

 

ーーー

 

 カメジの声が聞こえた気がした。

 瞬間、オランの右手が、勝手に動いていた。

 人差し指と中指の2本を、立てていた。

 その2本の指先から、ばちりと、静電気が疾った。

 そして、その2本の指先で。

 ヒミコの左のこめかみを、とん、と突いた。

 突いたその瞬間に、指先から、オーラが解き放たれた。

 ピシィ、と、一瞬だけ細い閃光が疾り抜けた。

 

 「うっ」

 

 ヒミコの身体が、びくんと震えた。

 直後、がくんと、頭が垂れ下がった。

 ヒミコの身体から、力が一気に抜けた。

 オランと繋がっていた手が離れた。

 ヒミコの身体が落下を始めた。

 それを、オランが止めた。

 ヒミコの身体を、抱き締めていた。

 オランとヒミコの体勢が、頭を下に向ける形になった。

 2人は地上に向かって落下を始めた。

 落ちながら、オランは必死に念じた。

 つい先程のように空を舞えるように。

 先程まで発動していたあの空を舞う技が、再び発現するように。

  

 しかし。

 落下速度は、ぐんぐんと増していく。

 

 眼下には、芝生に覆われた丘が広がっていた。

 丘の上に、ぽつんと小さな家が見えた。

 その隣に、木造の小屋があった。

 その小屋の真上に、オラン達はいた。

 オランは、ヒミコの頭を守るようにして、ぎゅっと強く抱き抱えた。

 落下の衝撃を、全て自分で受け止めなくてはと思った。

 自分が、ヒミコにとっての外殻となる。

 ヒミコだけはなんとしても、守る。

 自分はどうなってもいい。

 ヒミコだけは、守る。

 

 小屋が、もうすぐそこに迫っていた。

 

 「おおおおおっ!」

 

 オランは吠えた。

 全神経が、防御に注がれた。

 オランの無意識が、身体と精神に命令していた。

 皮膚がすこしでも堅くなるように。

 皮膚の下の肉が堅牢な鎧となるように。

 肉に包まれた骨が、岩のように頑強になるように。

 なんとしても。

 なんとしてもヒミコを守り抜く。

 その強い信念に起因するオーラが全身から溢れ出して、ヒミコを包んだ。

 

 オランの身体と、小屋の屋根が接触した。

 派手な音を立てて、小屋の屋根が崩れた。

 小屋は、馬小屋だった。

 室内には枯れ草が積み重ねられていた。

 小屋の屋根を突き破ったオランは、その枯れ草の山の中に吸い込まれるように落ちた。

 枯れ草の山が、弾け飛んだ。

 

 側にいた焦げ茶色の毛並みをした馬が、甲高い悲鳴を上げた。

 隣で寝ていた山羊が、飛び上がった。

 

 少し離れた所に建っていた家の扉が、がちゃりと開いた。

 身長は低いが屈強な身体付きの、壮年の男が出て来た。

 縮れた灰色の髪の毛と、縮れた灰色の髭を、豊かに蓄えていた。

 鉱工族ドワーフの男だった。

 

 「なんだ!?」

 

 叫びながら、ドワーフの男は潰れた馬小屋に駆け出した。

 馬と山羊が一頭ずつ、興奮した様子で丘を駆け下っていった。

 

 丸太が転がり、屋根が崩れ、今にも壁が倒壊しそうな馬小屋の前に立った。

 ドワーフの男の視線は、すぐに枯れ草の中に注がれた。

 何かが見えた。

 尻尾だ。

 何か、爬虫類のような灰色の尻尾が見える。

 小さい。

 そして、その近くに。

 脚が見えた。

 人間の脚のように見える。

 

 ドワーフの男は駆け寄った。

 枯れ草を、掻き分けた。

 

 「……!?」

 

 ドワーフの男は、眼を丸くして見開いた。

 なんだこりゃ。

 どういう事だ。

 どういう状況だいったい。

 いきなり、トカゲの魔物と、人間の女が空から降って来やがった。

 

 「おい!」

  

 とりあえずドワーフの男は、声を掛けた。

 反応は無かった。

 死んでいるのか?

 いや、微かに息はあるようだ。

 いったいこれはなんだ。

 なんなんだこいつらは。

 

 気を失っているオランとヒミコを、ドワーフの男はじっと見下ろしていた。


 

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