第24話 ヒミコ①
東の海に、縦長の形をした島国があった。
国の名は、ホンニ。
他国とあまり関わりを持とうとしない、閉鎖的な国である。
ホンニには、普通の魔物や魔族とは一線を画す強さと凶悪さを持った3体の災厄がいた。
数年振りに眠りから覚めた八岐大蛇は、多くの都を蹂躙し破壊の限りを尽くしていた。
そんな八岐大蛇の前に、立ちはだかった1人の男がいた。
男の名は、カガミ=モチダ。
激闘の中で、カガミはモチダ一族に伝わる秘剣技を持って八岐大蛇を倒した。
その秘剣技は、その強大過ぎる威力ゆえに、受けた者は肉体どころか魂までもが完全に消滅してしまうと言われていた破壊の技であった。
カガミはその技を放ち、そして手応えを感じた時。
八岐大蛇の全てを、完全にこの世から消し去ったと思った。
だが。
八岐大蛇は、完全には消滅していなかった。
白い煙が立ち込める瓦礫の中で、何かが淡く光っているのをカガミは見つけた。
近くに行ってよく見てみると、それはカガミも初めて目にする物であった。
それは、言うなれば人魂という言葉が最もしっくり来た。
淡く光る炎のようなものが、ゆらゆらと揺れていたのである。
カガミは手で触れてみた。
そして、直感した。
この炎は、八岐大蛇だ。
この炎は、言うなれば八岐大蛇の魂。
生命の核とも言える物。
カガミは、再び剣を抜き、この魂も完全に消し去ろうとした。
だが。
剣を振り下ろすのを、自分が躊躇している事に気付いた。
なぜ、躊躇しているのか。
あれほどの化物である。
完全に、消滅させなくてはならない。
だが。
この、無防備で、弱々しく揺れる炎を見ていると、何とも言い難い切なさを感じたのである。
更に。
この炎が、八岐大蛇だと気付いた時。
カガミの心の奥底に、ある思いが生まれていたのである。
この八岐大蛇が、もしも味方になったら。
それは、非常に心強い戦力になるのではないか。
そして、カガミは、試してみる事にした。
カガミは、両手で包み込むようにして、その炎に触れた。
そして、炎に、念を送り込んだ。
おい。
八岐大蛇よ。
分かるか。
感じるか。
お前を、生かしてやる。
その代わりに。
生まれ変われ。
生かしてやるから、生まれ変われ。
これからは、人の為に生きろ。
その力を、人々を守る為に使え。
我一族の為に生きろ。
我一族に、忠誠を誓え。
忠実な
良いか。
出来るか。
出来ないのであれば。
去れ。
ここから、立ち去れ。
俺に、見つからない場所へ行け。
俺の、目の届かない所に。
だが。
出来るのなら。
人として、生きろ。
俺が、面倒をみてやる。
お前も龍だろう。
ならば、広い意味では俺たちは仲間だろう。
俺たちのように、人々の為に生きろ。
出来るか。
出来るのなら。
お前は今から。
人だ。
そう、強く念を送った後。
カガミは、その炎から手を離した。
直後。
その炎が、激しく震えた。
立ち去るかーーー。
一瞬、カガミはそう思った。
その時。
その炎が、突然、眩く発光し始めた。
柔らかな、黄金の光を発していた。
そして、一際眩しく輝いた後。
徐々に、その光が弱まっていき。
光が、消えた。
そこに。
裸の人間の赤ん坊が、大泣きしていた。
カガミは、その赤ん坊を抱き抱えた。
そして、優しく微笑みながら言った。
「お前、
ーーー
その日の晩。
屋敷で剣の修行をしていた6歳の男の子、シンゲン=モチダは、父親が布に包まれた赤ん坊を抱いて帰って来たのを見て眼を丸くして聞いた。
「親父殿。その赤子はなんですか?」
にやりと笑って、カガミは答えた。
「ああ。八岐大蛇だ」
「はい?」
「今日からここで一緒に暮らす事になった。妹みたいなもんだ。良かったな。シンゲン」
「……」
シンゲンが、父親の腕に抱かれている赤ん坊の顔を覗き込んだ。
その時、赤ん坊の眼が、ぱちりと開いた。
つぶらな黒い瞳で、真っ直ぐにシンゲンの透き通った黄金の瞳を見つめていた。
「抱いてみるか」
そう言って、カガミは赤ん坊をシンゲンに渡した。
腕の中で、赤ん坊は真っ直ぐにシンゲンを見つめ続けている。
星空のような黒くきらきらとした瞳と、シンゲンの黄金の瞳が空中で交わった。
シンゲンの顔に、微笑みが浮かんだ。
「この子の名前は?」
赤ん坊を見ながら、シンゲンが聞いた。
「ん? そうか。名前か。う〜ん……」
「……」
「ヤマタ……ヤマタノ……う〜ん……ヤマタイコ! そう! この子の名は、ヤマタイコだ!」
「それは姓ですか?」
「む? う、うむ。ヤマタイコは姓だ。名前は……ひ、秘密…‥秘めた……子。いや……秘密ってのもあれかな……緋……美……緋巳子……まぁいいや、ヒミコ! ヒミコだ! この子の名前は、ヒミコ=ヤマタイコだ!」
「ヒミコ……」
シンゲンが呟いた時。
赤ん坊は、にっこりと笑った。
その日から、ヒミコはモチダ家の一員となった。
カガミとシンゲンのみならず、屋敷の使用人や村の人々から沢山の愛情を受けて育った。
ヒミコの正体を知った村の人々は、初めこそ抵抗はあったものの、カガミ=モチダがそう判断したとならば、という事で、すんなりと受け入れた。
この村に住んでいた異国の民、スムクリ=ムーンウォーカーも、若干の懸念は抱えていたものの、ヒミコの成長を暖かく見守っていた。
ヒミコの幼少期の成長速度は、周囲の人々を驚愕させた。
とにかく、成長が速いのである。
ヒミコは1歳になる頃には言葉を完璧に覚え、外見も3歳児か4歳児に見えた。
そして、子供らしからぬ言葉遣いと礼儀正しさで、モチダ家の家事をせっせとこなし、周囲の人々の事を常に気遣うその姿は、見方によっては村の人々の奴隷のようにも見えた。
小さな少女があまりにも献身的に働くその姿は、周囲の人々が罪悪感を感じてしまう程であった。
ある時、見かねたカガミが、ヒミコに言った。
ーーー
「ヒミコよ。
確かに俺は、人々の為に尽くせと言った。
モチダ家に忠誠を誓えと言った。
だがな。
もうちょっとこう、気楽になって良いのだぞ。
もっと、肩の力を抜いてくれ。
家事なんてほどほどで良いから。
ちょっと使用人の手伝いをしてくれれば、それで良いのだ。
もっと、普通の子供達みたいに、遊んで、笑って、走り回って、お菓子をねだり、我儘を言っても良いのだぞ。
ヒミコよ。
お前は、優しい子だ。
もっと自由に生きても、罰は当たらぬ」
ーーー
カガミがそう言った時。
小さなヒミコは、きちんと正座をして、はきはきとした声で、こう応えたのである。
ーーー
「カガミ様。
恐れながら申し上げます。
私は、既に自由に生きております。
あの日、カガミ様が申された言葉に縛られている訳ではございません。
私は、私の意志で、このように生きているのです。
私がモチダ家に尽くしたいから、尽くすのです。
私が人々の役に立ちたいから、いらぬお節介をつい、やいてしまうのです。
私は、私の意志で、人々を想い、そして。
モチダ家に、仕えているのです」
ーーー
ヒミコは、嘘は言っていなかった。
これは、本当にヒミコが想っている事だった。
本心だったのである。
モチダ家の為に尽くす事を、苦痛と感じた事は一回もなかった。
人々の為に働き、そして、感謝の言葉を貰った時は本当に嬉しかった。
そんな言葉を、ヒミコが真剣に言うので、カガミは困ってしまった。
「む。う〜む。そうか。しかしなぁ。いやでも、なんか、欲しいものぐらいあるだろう。やって欲しい事でも良い。そう。何か、願いだ。叶う叶わないは考えずに、何か願いを、言ってくれ」
「これ以上、何を願えと言うのでしょうか? 強いて言えば、モチダ家が、この村の人々が、いつまでも幸せに生きる事を願います」
「む。う〜ん」
カガミは頭をぽりぽりとかいた。
ヒミコは背筋を伸ばして、黒く透き通った瞳で、真っ直ぐにカガミを見ていた。
その時。
部屋に、7歳になったシンゲンが、ふすまを開けて入って来た。
そして、カガミに言った。
「ならば親父殿。ヒミコにこう命じてください。モチダ家や人々の事を全く考慮せずに、自分の幸せ、自分の欲望のみを考えて、願い事を考えてみよと。今は思い浮かばなくても、はっきりとした願い事が出来たら、遠慮せずに口に出して言えと」
「む?……う〜ん。まぁ、そうだな」
カガミは困惑した。
まぁ、確かに良い案だと思った。
しかし。
自分の息子ながら、なんだこいつはと思った。
何というか、冷静というか利発というか。
シンゲン、お前本当に7歳か。
そして、シンゲンはヒミコに向き直り、優しく言った。
「……だそうだよ。ヒミコ。親父殿の命令だ。願い事を考えてごらん」
しばらく、ヒミコは眼をぱちくりと瞬かせた後。
「承知致しました。今は思い浮かびませんので、考えておきます」
ヒミコは、深く頭を下げた。
「では、私は掃除がありますので」
ヒミコが立ち上がろうとした時。
「待って」
シンゲンが呼び止めた。
そして、ふすまの後ろから、お盆を取り出した。
お盆の中のお皿に、団子が山のように盛られていた。
みたらし、餡子、ごま、揚げなど、様々な種類の味の団子であった。
「一緒に食べよう」
シンゲンはそう言うと、ヒミコの隣の座布団に腰を下ろした。
畳の上に、そのお盆を置いた。
「いえ。私は結構です。シンゲン様だけでお召し上がりください」
表情を変えずにヒミコが言うと、シンゲンは僅かに微笑みを浮かべて言った。
「命令だヒミコ。僕と一緒に食べよう」
「……」
命令と言われてしまえば、ヒミコは断る事が出来なかった。
シンゲンは、甘いタレがたっぷりとかかったみたらし団子を一本手に取った。
それを、ヒミコに渡した。
手に持った団子を、ヒミコは、じっと眺めた。
ごくりと、喉が鳴った。
シンゲンは自分の分の団子も一本手に取り、先に食べた。
自分が先に食べないと、ヒミコは決して食べない事を知っていたからである。
シンゲンが一本食べ終えた頃。
ようやく、ヒミコは団子をひとつ食べた。
僅かに、ヒミコの頬がほんのりと桃色に染まった事に、シンゲンとカガミは気付いた。
それを見て、シンゲンは嬉しそうに微笑んだ。
そして、思い出していた。
10日程前。
屋敷の使用人が団子を作り、それを村の人々に振る舞った。
ヒミコは、自分は団子を食べずに、村の人々にせっせと配っていた。
シンゲンは、高い樹の上からその様子を見ていた。
ある老夫婦が、配られた団子を、ヒミコに分けた。
あなたも食べて、と言って。
ヒミコは受け取った包みを懐にしまって、また仕事に戻ろうとした。
その途中。
誰も見ていない道端で。
ヒミコは、分けて貰った団子を懐から取り出して、しげしげと見つめた後。
小さな口で、少しかじった。
その時の。
あの、幸せそうなヒミコの顔を、シンゲンは忘れる事が出来なかった。
初めて見る表情だった。
普段は、微笑む事はあっても、決して笑わないヒミコが、にっこりと笑って、頬を染めて、幸せそうに団子を頬張っていたのである。
見ているこちらまで、幸せになるような、春の日差しのような、太陽のような笑顔だった。
そうか。
ヒミコは、団子が好きなのか。
シンゲンも微笑みながら、そう思ったのである。
そして、今。
ヒミコは、表情を変えずに、団子を食べていた。
「美味いか? ヒミコ」
シンゲンが聞いた。
「はい」
「我慢しないで、笑って良いんだよ」
「……いえ。我慢しているわけではありません」
「そうか」
「はい」
「僕は、ヒミコの笑っている顔が、好きなんだけどな」
「……」
ヒミコの顔が、急激に紅く染まっていった。
そして、下を見て、無言で俯いてしまった。
そのやり取りを、カガミも無言で見つめていた。
そして驚愕していた、というより、衝撃を受けていた。
シンゲンよ。
お前は、女心を弄んでいるのか。
どういう時に、どのような言葉を投げかれば女が悦ぶというのが、本能的に分かるのか。
それとも、計算して言葉を選んでいるのか。
おい、シンゲンよ。
お前、あまり女をたぶらかすでないぞ。
女は。
恐ろしいぞ。
父親が妙な心配をしている事などいざ知らず、シンゲンは団子を食べた。
ヒミコが一本食べ終える度に、シンゲンはまた一本団子を差し出した。
ヒミコは、差し出された団子を無言で食べた。
その日から。
ヒミコは、よく笑うようになった。
そして、3年が経った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます