第21話 鉄拳

 「おいなんだこりゃ!」

 

 玄関ホールに続々と恐竜の魔物達が集まって来た。

 その中にいた、パキオ=パキケファロが声を上げた。

 玄関扉が破壊され、その周囲に赤い血が飛び散っている。

 そして床に出来た巨大な破壊跡が一際目を引いた。

 レックスが床を殴った跡である。

  

 「爆発魔法でも使われたのか!?……ん!?」

 

 爆発跡の中心にぽっかりと空いていた穴にパキオが気付いた。

 あれは、なんだ。

 穴か!?

 

 「王子!」

 「テイラー王子!」

 

 騒乱の中に、そんな叫び声が飛び交っているのをパキオの耳が捉えた。

 玄関扉の方を見ると、リンクスが必死で誰かに魔法を掛けていた。

 周りに、緑色の魔力が漂っている。

 治癒魔法だった。

  

 「王子!」

 

 何が起きているのかを悟って、パキオは駆け出した。

 そして、倒れている王子を見た。

 治癒魔法により傷は塞がっているが、腹部から肩に掛けて裂傷の跡が残っていた。

 胸の一部分が、紫色に腫れていた。

 毒だ、とパキオは直感した。

 テイラーの横に、ラプトル隊のプートンが寝転がっていた。

 こちらも、傷口は塞がっているようだが、いくつもの紫色の腫れが、胴体部に列に並んでいる。

 噛み跡だと、直ぐに分かった。

 

 「何か手伝えるこたぁねぇか!?」

  

 駆けながら、パキオが叫んだ。

 

 「地下室から薬草を取って来て!」

 

 手当てをしている最中のリンクスが叫ぶと、パキオは頷いて再び駆けて行った。

 リンクスは再び両眼を閉じて、意識を集中した。

 右の掌をテイラーの腹部に当てて、左の掌をプートンの腹部に当てて、2名同時に治癒していた。

 リンクスの全身から揺らめいていた緑色の淡い魔力が、更に勢いよく舞い上がった。

 腫れ上がった傷口から、紫色の煙のようなものが立ち昇っていた。

 リンクスは目を開けると、その煙を確認した。

 

 そして、側でその様子を見ていたプテラ=プテラノの眼に、魔力の光が灯った。

 すると、そこに魔法の風が発生した。

 傷口から立ち昇る紫色の煙が、風に乗って外へと流れて行った。

 プテラが、風魔法を発動させたのである。

 そして、叫んだ。

 

 「八岐大蛇ヤマタノオロチの毒だ! 吸ってはならんぞ!」

 

 反射的に、その場にいる者が息を止めた。

 走っている最中のパキオの身体が、びくりと震えた。

  

 「や……八岐大蛇だと!?」

  

 パキオの頬に、汗が伝い落ちた。

  

ーーーー

 

 「王妃様!」

 

 そう叫びながら、王妃室の扉を、シソジィ=アーケオプテリは勢い良く開けた。

 ティコを抱き抱えて立っているスーが、真っ直ぐにシソジィを見た。

 シソジィは、自分のやるべき事をよく分かっていた。

 本音を言えば、テイラー王子に付き添っていたい所だった。

 だが、リンクスが王子の治療に当たっている以上、そこに自分がいてもしょうがなかった。

 王子の事はリンクス達に任せて、自分は真っ先に王妃室に向かって走ったのである。

 

 「ぼっちゃんが負傷しました! リンクスが治療に当たっております!」

 

 「分かったわ」

 

 スーは凛としていた。

 まったく取り乱す事無く落ち着いていた。

 母の腕の中で、ティコが泣き叫んでいた。

 スーは、ティコを抱き上げて、目を真っ直ぐ見ながら静かに言った。

 

 「泣き止みなさい、ティコ。貴女は王女でしょう」

 

 数秒して、ティコはゆっくりと泣き止んでいった。

 やがて、澄んだ瞳同士で、真っ直ぐに母と娘は見つめ合った。

 

 「良い子ね」

 

 にこりと、優しい微笑みを娘に向けた。

 その光景を見ていたシソジィには、スーが輝いて見えていた。

 このような緊急事態にも関わらず、ある種の感動を覚えていた。

 なんと。

 なんと気高き王妃である事か。

 そして、言葉はまだ理解出来なくとも、母親の気持ちを悟った姫。

 なんという血筋であろうか。

 シソジィは、ごくりと息を呑んだ。

  

 ふいに、スーがシソジィに視線を移した。

 

 「宮殿に残っている幹部は?」

 

 「アーロとブラキオスです! リンクスは、負傷者の応急処置が済み次第、敵を追う予定です」

 

 「分かったわ。私も玄関に向かいましょう」

 

 そう言って、ティコを抱いたまま、スーは部屋を出た。

 その後に、シソジィが続いた。

 

ーーーー

 

 雨の降りしきる暗い森の中を、ラプトル隊が陣形を組んで高速で疾走していた。

 デノニクを頂点にして、そこから三角形を描いた陣形である。

 三角形が、形を崩す事無く森の中を高速で移動していた。

 

 デノニクは、前方を走る人影の後ろ姿を完全に捉えていた。

 時間の経過と共に、確実に距離が縮まって行く。

 標的の後ろ姿が、太い樹の陰に隠れて一瞬見えなくなった。

 

 デノニクは、速度を上げた。

 その太い樹を、通り抜けたまさにその瞬間。

 

 デノニクの左横から、大きく口を開けた蛇竜が恐ろしい速度で突っ込んで来た。

 目を見開くよりも早く、デノニクは走っている勢いをそのままに前方に転がった。

 地面を転がっているその時、デノニクがさっきまで走っていた空間を、蛇竜が高速で疾り抜けて行った。

 デノニクは転がった勢いを利用して流れるように立ち上がると、体勢を整えながら振り向いた。

 

 長く巨大な、蛇竜の胴体が目の前にあった。

 棘状の鱗がびっしりと生えている為、胴体に触れるだけで肉が抉れてしまいそうだった。

 そして、その蛇竜の上下の顎は、デノニクの左横にある樹の幹に食い込んでいた。

 本来デノニクに噛み付く予定だった顎だが、避けられた為に樹に噛み付いてしまったらしい。

 

 デノニクは、蛇竜の尻尾の方へ視線を走らせた。

 胴体が暗い森の奥まで伸びている為、尻尾の先は見えなかった。

 尻尾の方向を辿れば、そこに本体がいるはずであった。

 デノニクは、目の前にいる蛇竜の尻尾の方向に疾り出そうとした。

 

 その時。

 デノニクのうなじが、僅かな風圧を感知した。

 寒気のような、電流のような、ざわざわしたものが疾り抜けた。

 産毛が、静電気を帯びたように逆立った。

 もうその瞬間には既に、デノニクは自分の右手方向に真横に転がっていた。

 直後、デノニクが立っていた場所に、また新たな蛇竜が突っ込んで来た。

 蛇竜は、デノニクを噛む代わりに、地面を噛み砕いていた。

 衝撃で落ち葉や土が弾け飛んだ。

 

 次の瞬間には、樹に噛み付いている蛇竜の頭に、2人のラプトルの魔物が飛び付いていた。

 飛び付くと同時に、足の鉤爪を一閃していた。

 蛇竜の顔に、いくつもの深い切り傷が刻まれた。

 

 次の瞬間。

 その蛇竜が、何かに引っ張られるように、後ろ向きに突然動いた。

 2人のラプトルの魔物は、反射的に後ろ向きに跳躍して蛇竜から距離を取っていた。

 蛇竜はそのまま、ひゅっと、暗い森の陰へと引っ込んで行った。

 

 デノニクを背後から襲った蛇竜も、ひゅんっと音を立てて、後ろ向きに高速で引っ込んで行った。

 厄介だな、とデノニクは思った。

 普通の蛇ならば前方向にしか進まないのだが、今相手にしている蛇竜は、体勢を変えずに後ろ向きにそのまま引っ張られる動きをする。

 伸びたバネやゴムが、勢いよく縮むように。

 

 そして、この樹々が生い茂る森の中。

 死角だらけのこの場所で、四方八方から、蛇竜が飛び出して来る。

 圧倒的に敵が有利だ。

 そう思ってた時。

 デノニクの足の裏が、妙な振動を感じ取った。

 

 反射的に、デノニクは横っ跳びに跳躍していた。

 次の瞬間、先程までデノニクが立っていた場所の地面が盛り上がり、土の中からまた新たな蛇竜が天に向かって飛び出して来た。

 胴体が長い。

 まるで、垂直にそびえ立つ塔のようであった。

  

 「む!?」

 

 その蛇竜が、先程までの蛇竜とどこか違う事にデノニクが気付いた。

 鱗の色が違った。

 先程までの蛇竜は、緑と黒が混ざったような鱗の色をしていた。

 だが。

 今、地面から出て来たこの蛇竜は、鱗の色が艶のある紫色をしていた。

 その紫を見た瞬間。

 デノニクの背に、戦慄が疾り抜けた。

 

 垂直にそびえ立っている蛇竜は、周囲の樹よりも高く伸び上がっていた。

 そして首をもたげて、頭を、地面の方向に向けた。

 蛇竜の喉元が、何かが込み上げて来るようにもこりと動いていた。

 

 「毒だ離れろ!」

 

 デノニクが怒鳴った。

 その直後、紫色の蛇竜は、口から紫色の霧を勢い良く吐き出した。

 その霧は降りしきる雨と混ざって、その周囲一帯に紫色の雨が降り注いだ。

 

 デノニクの怒声で、ラプトルの魔物達は全員後ろに跳躍していたが、毒霧の範囲は広かった。

 デノニクを含むラプトル隊の半数以上が、紫色の雨を身体に浴びた。

 

 「くっ!」

 

 デノニクの身体に、無数の針で突き刺されたような鋭い痛みが疾った。

 毒が、皮膚に染み込んだ痛みだった。

 次の瞬間、紫色の蛇竜が、もう一度顎を開いた。

 また毒が来るーー。

 デノニクがそう思った、その時。

 

 ひゅんっ。

 という風切り音がした。

 蛇竜の喉元に、黒い影のような飛行物体が高速で突っ込んでいた。

 その突っ込んで来た飛行物体は蛇竜の喉元に突き刺さって体内に潜り込み、蛇竜のうなじの所から、鱗を突き破って勢いよく出て来た。

 その飛行物体は、翼竜ディモン=ディモルフであった。

 ディモンは自分の身体を魔法で硬質化させ、蛇竜に身体ごと突進し、潜り込み、貫通し、喉元に風穴を開けたのである。

 ディモンが、空中を旋回して、再び蛇竜の方を向いた。

 

 すると。

 喉元にぽっかりと穴の空いたその蛇竜が、ひゅっと下方向に引っ張られた。

 引っ張られると同時に、その蛇竜の頭部が、形を変えた。

 頭部が、ぷくっと風船の様に膨らんだのである。

 膨らんだ頭部が、地面の穴に引っかかって止まった。

 その瞬間。

 パァン、

 という高い音が鳴り響いた。

 紫色の風船と化したその頭部が、いきなり爆発したのである。

 爆発に伴い、紫色の棘の群れが、弾丸の如き速度であらゆる方向に飛び散った。

 周囲にいたラプトルの魔物達の身体にその棘が次々と突き刺さった。

 

 「ぐあっ!」

 

 ラプトルの魔物達の、痛みに喘ぐ声が森の中に響き渡った。

 

 「くそっ!」

 

 甚大な被害を被った仲間達を見て、デノニクに焦りが生じた。

 デノニクには棘の鱗は刺さっていなかった。

 蛇竜が爆発した瞬間、デノニクは咄嗟に樹の後ろに隠れたのである。

 自分の盾となってくれていた樹に、無数の紫色の鱗が突き刺さっていた。

 

 だが。

 攻撃を防ぐ事が出来たのはデノニクだけだった。

 棘の鱗が突き刺さったラプトル達は、なんとか立ち上がろうとした。

 だが、身体が痺れ、震えて、上手く立ち上がれなかった。


 頭の無くなった紫色の蛇竜が、地面の中に、ひゅっと、引っ込んだ。

  

 空中を舞っているディモンが、ラプトル隊が次々と倒れて行くその様子を見ていた。

 紫色の鱗はディモンのいる高さまで飛んで来たが、ディモンは身を翻して奇跡的に躱していた。

 そして、ディモンはラプトル隊に群がる緑色の小さな集団を視界に捉えた。

 コンピー隊だった。

 コンピー隊が、倒れているラプトルの魔物達に群がり、最低限身体の痺れだけは無くなる治癒魔法をそれぞれ掛けていた。

 傷は塞がらなくとも、動けさえすれば、出来る事は無数に広がる。

 

 「コンピ! 助かる! 一旦態勢を立て直……!」

 

 デノニクは、コンピに向かって叫んでいる最中に地面から不吉な振動を感じた。

 そして、自分の後方から禍々しい気配を感じた。

 身体を捻って、後ろを見た。

 

 音が、近付いて来ていた。

 樹々が破壊される音。

 大きな樹が倒れるような重量感のある音。

 そして、凶悪な気配。

 やがて。

 1番近くにあった太い樹が、ばきっ、と音を立てて砕けた。

 すると、上顎と下顎が見えた。

 蛇竜が、樹を噛み砕いたのだと分かった。

 

 デノニクの眼が、丸く見開かれた。

 ざわりと、戦慄が全身を駆け抜けた。

 

 その蛇竜は、今まで現れたものと明らかに違っていた。

 まず、身体が今までの蛇竜に比べて遥かに巨大だった。

 頭も、顎も大きい。

 デノニクの身体が、その蛇竜にとっては飴玉のようなサイズだった。

 更に、びっしりと生えた棘のような鱗が、鎧のように大きく発達していた。

 そして、その蛇竜の両目の上の辺りから、捻れた2本の角が背の方に向けて生えていた。

 まるで、龍の姿だった。


 その蛇竜が、顎を開いた。

 喉の奥から、何か凄まじい力を秘めたエネルギーが発射されそうな気配がした。

 

 まずい。

 やばいのが来る。

 デノニクがそう思った瞬間。

 

 デノニクの背後から、螺旋状に回転した水の光線とも言うべき水流が、空中を疾り抜けて来た。

 その水流が、蛇竜の口の中に勢いよく突き刺さった。

 蛇竜の真正面に立った怪獣が、水流を吐き出していた。

 その怪獣は、スピノサウルスの魔物。

 スピノピ=スピノスであった。

 スピノピは、縮小化の魔法を解除しており、今は体長15メートル以上はある巨体を誇っていた。

 

 そのスピノピが、今現在蛇竜に当てている攻撃は、スピノピ独自の技であった。

 背に生えた帆から吸収した周囲のエネルギー(水や炎)を、体内で増幅し、口から破壊力のある武器として放出する技である。

 このような雨の日であれば、帆に雨が当たっている限り、破壊力を維持しつつ、魔力が切れるまで、水撃を放出し続ける事が可能だった。

 

 口の中に水撃を当てられている蛇竜が、力に押し負けるように後ろに下がった。

 だが、その時。

 

 スピノピの左右から、2頭の蛇竜が森の奥から高速で突っ込んで来た。

 右から来た蛇竜は、スピノピの喉元に。

 左から来た蛇竜は、脇腹に、それぞれ噛み付いた。

 

 スピノピの喉元が、蛇竜の上顎と下顎によって、ぎゅっと締め上げられた。

 蛇竜の牙が、皮膚を突き破って肉に喰い込んだ。

 水撃が、止まった。


 次の瞬間には、先程まで水撃を受けていた大きな蛇竜が、顎を開いて、真っ直ぐにスピノピに向かっていた。

 

 その蛇竜の大きな顎が、スピノピの頭に喰らい付こうとした、まさにその瞬間。

 牙が届く寸前。

 蛇竜の動きが、ぴたりと止まっていた。

 

 筋肉質の逞しい手が、蛇竜の片方の角を掴んでいた。

 その手が、蛇竜の動きを止めていた。

 

 スピノピの隣に、もう一頭の怪獣が現れていた。

 ティラノサウルスの魔物。

 レックスであった。

 縮小化の魔法を解除して、体長12メートル程になったレックスが、右手で、蛇竜の右の角を掴んで、凄まじい力で蛇竜の身体を止めていた。

 

 「やっと会えたな。オロチさんよ」

 

 言うと同時に。

 レックスは左の拳を握り締めて、振り上げていた。

 びきりびきりと、腕に血管が浮き出た。

 そして。

 その左の拳が、蛇竜の脳天に襲い掛かった。

 

 地上最強の魔物、レックス=ティーレックスの怒りの鉄拳が、神の鉄槌の如く打ち下ろされた。

 鉄拳は、見事に蛇竜の脳天を直撃した。

 そして、そのまま、蛇竜の頭ごとレックスの鉄拳が地面にめり込んだ。

 次の瞬間。

 爆発音のような音と衝撃波が発生し、地響きが森中に鳴り響いた。

 蛇竜の頭が、潰れて弾け飛んだ。

 

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