第20話 襲撃
「なんだ、騒がしいな」
玄関ホールに到着すると同時に、レックス=ティーレックスが呟いた。
「また、ラプトル隊の連中が騒いでいるんじゃないっすか?」
レックスの足下で一緒に歩いているコンピ=コンピーが言った。
コンピの後ろには、小型恐竜コンプソグナトゥスの魔物の集団、いわゆるコンピー隊が、ずらずらと20人ほど並んでいた。
更にレックスの隣には、プテラ=プテラノとシソジィ=アーケオプテリがいた。
「お」
レックスが、ある1点を見つめて声を出した。
そこには、何故か天井を向いているリンクスと、その脚にしがみついているオランが見えた。
そしてその前に、デノニクとテイラーがいた。
レックスに気付いたデノニクは軽く会釈をした後、直ぐに視線をオランに戻した。
オランは依然としてリンクスの太腿に顔を強く押し付けている。
デノニクは僅かに笑みを浮かべていた。
そして、心の中でオランに語りかけていた。
オランよ。
やはりお前は、俺が見込んだ通りの男だ。
お前が、普通の小さな子供みたいに甘えるなんて、らしくないと思ったんだ。
お前は、こんな状況でもヒミコを救おうとしているのだな。
ヒミコとはまだ付き合いが浅いだろうに。
優しい奴だ。
お前は、俺達が、ヒミコに制裁を加える事に我慢が出来ないのだろう。
だが、先に俺達に手を出して来たのは、ヒミコなんだ。
確定したわけではないが、おそらくそうだ。
俺達だって、仲間の無念を晴らさないといけないんだ。
仲間の仇を取らないといけないんだ。
理由はどうあれ、お前はその邪魔をしようと思っているわけだ。
子供の癖に、なかなか漢気がある。
お前はきっと、大物になる。
だが。
今回は、邪魔はしない方が良い。
お前の為にも。
「オラン。王が来たぞ。しっかり遊んでもらえ」
なんとも穏やかな声で、デノニクが言った。
その声を聞いて、オランは、全てを悟った。
終わったと思った。
デノニクの声と口調から、分かった。
この男は自分の狙いに気付いたのだ。
気付いた上で、その事には触れて来ないのだ。
レックスと一緒に留守番する以上、隙を見て雷跳を発動させるのはほぼ不可能だからだ。
こうなったらもう、祈るしかなかった。
逃げて、ヒミコ。
遠くへ。
捕まらずに。
どうか逃げ切って。
「おい、えらい懐いてるじゃねぇか」
レックスがリンクスを見ながら言った。
リンクスはようやく顔の向きを直した。
そして、火照った顔で言った。
「レックス様。オラン君の事を真に分かってあげられるのは、私だけですよ。私、残った方が良いと思います」
きりりとした表情で、リンクスが言った。
「いや、駄目だな。お前にはどうしても行って貰わねばならん。お前ほど治癒魔法を扱える者はここにはいねぇんだ」
きっぱりと、レックスは言った。
リンクスは目を伏せた。
ここでようやく、オランはリンクスの脚から顔を離した。
ちらりと、レックスを見上げた。
そんなオランを、レックスは温かい眼差しで見下ろしていた。
ふと、レックスの胸の中に、懐かしい思い出が蘇って来た。
今のオランの姿が、昔のテイラーの姿と重なったのである。
テイラーが、今よりもまだ小さかった頃。
こうやって、母親の身体にしがみつきながら、自分を見上げていた。
今のオランは、その時のテイラーと、全く同じ格好をしている。
「ふっ」
思わずレックスは微笑んだ。
「安心しろ。俺だって心得ているからよ。甘えん坊の扱い方は」
「あん?」
レックスの言い方に、側で聞いていたテイラーは少し苛ついた。
何か言おうとしたが、外の雨の音が更に激しくなったのが気になった。
玄関ホールの中に、ざあぁという強い雨の音が響き渡っている。
「嵐か? どんだけ降ってんだ」
言いながらテイラーは玄関扉の方へ歩いて行った。
「お。もう出発ですかい?」
ラプトル隊の内の1人が言った。
「いや。少し雨の様子を見るだけだ」
テイラーはそう言って、玄関扉の前に立った。
ざあぁ、という音が、宮殿の内部にまで鳴り響いている。
雨が、玄関扉を強く叩いている。
テイラーが、右手で、ドアの取手を掴んだ。
この時。
ふと、なんとなく、オランは玄関の方を見た。
テイラーが、扉を押して開けている、後ろ姿が見えた。
テイラーは、扉を開けた。
半歩、外に出た。
激しい雨が、全身を叩いた。
その瞬間。
「!」
テイラーの眼が、丸く見開かれた。
玄関扉を開けた先。
長く続く石畳の上。
玄関から、5メートルほど離れた所に。
ふりしきる雨の中で。
何者かが立っていた。
人間の少女の姿をしていた。
黒髪の人間の少女が、幽鬼のようにぼーっと突っ立っていた。
前髪が、顔の上半分を隠している。
かろうじて見えている口元が、不敵な微笑みを浮かべていた。
両方の脚が、どこか変だった。
足首の少し上のあたりまで、石畳の中に埋れていたのである。
まるで、両脚を、石畳に思い切り突き刺したかの様であった。
(ヒミコだ)
テイラーは直感でそう思った。
そして、身体中の細胞が、けたたましく警報を鳴らすように一切に騒ぎ出していた。
雨に濡れた少女の、石畳に突き刺さった両脚が、脈打つように、びくん、びくんと、震えた。
テイラーの身体中に生えた、産毛という産毛が、危険を察知して一切に逆立った。
何か攻撃が来る。
身体が、本能が、必死でそう叫んでいた。
その時。
テイラーのすぐ目の前の石畳が割れた。
割れた石畳から、凶悪な影が飛び出して来た。
影が凄まじい速度で、テイラーに向かって一直線に襲い掛かった。
「ちぃぃぃっ!」
食いしばったテイラーの口から、声が漏れた。
この時のテイラーの反応速度は、まさに神が与えた天賦の才と言えた。
テイラーは恐るべき反射神経で、身体を後ろに倒すように仰反らせ、敵の突然の攻撃の直撃を避けたのである。
直撃は避けたが、その影はテイラーの身体を掠めていた。
地面から飛び出して来たのは、巨大な蛇であった。
尋常の蛇ではない。
頭の大きさが、テイラーの身体と同じぐらいある。
口には恐ろしい牙がびっしりと生え、棘のような鋭利な鱗に覆われた、竜のような蛇であった。
蛇竜である。
その蛇竜が通り過ぎる時、牙がテイラーの胸を掠めていた。
そして蛇竜の棘状の鱗が、テイラーの腹から肩にかけての肉を、ずたずたに引き裂いていた。
テイラーが後ろに転倒した。
玄関扉が、内側に弾かれたように突き破られた。
玄関ホールに、蛇竜が突っ込んで来た。
あまりにも、一瞬の出来事だった。
テイラーが扉を開けてから、後ろに倒れて来るまで、ほんの一瞬であった。
だが。
ホールにいた恐竜の魔物達が驚愕に硬直していたのは、何分の1秒にも満たないほんの刹那だった。
瞬間的に、全員が、敵の襲撃を受けたのだと理解した。
そして、我等の王子が、敵の攻撃で負傷したという事を、全員が悟った。
大気が震えた。
恐竜の魔物達が一斉に臨戦態勢に入った。
その瞬間。
突っ込んで来た蛇竜が、その身体をくるりとUターンさせた。
蛇竜が牙を剥き出して、倒れているテイラーに向かって再び突撃したのである。
この時。
ホールにいた魔物達全員の意識と視線が、テイラーに集中していた。
レックスも。
デノニクも。
そして、リンクスも。
リンクスの身体が、オランから離れていた。
誰とも接触していないオランも、テイラーと蛇竜を見ていた。
Uターンした蛇竜の牙が、テイラーに届く寸前。
一番近くにいたラプトルの魔物が、テイラーの前にその身を投げ出した。
自らの身体を盾にしていた。
盾となったラプトルの魔物の身体が、蛇竜の顎に挟まれた。
上顎と下顎の牙が、深々と身体に食い込んでいた。
その蛇竜の刺々しい胴体が、仰向けに倒れているテイラーの身体の上に乗っかった。
玄関ホールにいる恐竜の魔物達が、一斉に玄関扉の方に駆け寄ろうとしていた。
その瞬間。
オランが立っている場所の真下の床に、ヒビが入った。
そのヒビは刹那で広がり、床が一瞬だけ盛り上がった。
直後。
床を突き破って、もう一頭の蛇竜が飛び出して来た。
オランの近くにいた、リンクス、デノニク、レックスは、テイラーの方に意識が向いていた為、2体目の蛇竜に僅かに反応が遅れた。
その蛇竜が、大きく
そして。
ばくんっ、と。
オランを口の中に含んだ。
ごくんっ、と、飲み込んだ。
直後、蛇竜は、ひゅっと、消えるように、吸い込まれるように、飛び出して来た穴の中に引っ込んで行った。
レックスは、右手の拳を握って振り上げていた。
そして振り下ろした。
その刹那の内に、レックスの頭の中は、この状況を冷静に整理し、分析していた。
こいつは。
この蛇野郎は。
全員の意識がテイラーに集中したその一瞬を突きやがった。
こいつの狙いは。
真の狙いは。
始めからオランだったのだ。
「オラァッ!」
レックスは吠えながら、蛇竜が引っ込んで行った穴を、全身全霊を込めて殴った。
ただ、力任せに、シンプルに殴った。
レックスの拳と床が接触した瞬間、凄まじい衝撃波と轟音が発生した。
まるで、何かが爆発した様だった。
宮殿全体が、地震に襲われたかのように震えた。
レックスの拳の衝撃で、殴った場所の周囲一帯が吹き飛んでいた。
近くにいたデノニクとリンクスは、防御の構えを取りながら、後方に飛び退いていた。
拳で殴り付けた場所周辺が、爆発跡のように、すり鉢状に抉れていた。
その爆発跡の中心に、潰れた蛇竜の頭があった。
レックスは拳を開いてその頭を掴んだ。
次の瞬間。
ぶちっ、と音がして、頭の潰れた蛇竜は、何かに引っ張られるように、穴の奥へと引っ込んで行った。
レックスの掌の中に、頭部から引きちぎられた肉片が残されていた。
「ちぃっ!」
レックスが舌打ちをした。
オランを強奪されたようだ。
玄関の方を見る。
最初に突っ込んで来た蛇竜に、幹部達が群がって攻撃を加えていた。
滅茶苦茶に切り刻まれ、潰された蛇竜の顔が、ちらりと見えた。
次の瞬間、その蛇竜も、何かに引っ張られるように玄関の外へと引っ込んで行った。
レックスが動き出した瞬間。
隣にいるリンクスの全身から、ドス黒いオーラが迸った。
心が怒り一色に染まっていた。
リンクスが身をたわめた瞬間。
「リンクスッ!」
大気を震わせる凄まじい怒声をレックスが発した。
リンクスの身体が、ぴたりと止まった。
「冷静になれ! お前は負傷者の手当てをしろ!」
我を失いかけていたリンクスは、はっとなった。
そして、自分の役目を思い出した。
そうだ。
自分の使命は、怪我した仲間を治療する事だ。
「デノニク! 奴を追え!」
レックスが指示する前に、デノニクは走り出していた。
デノニクとラプトル隊が、流星のように次々と玄関を走り抜けて行った。
その上を、翼竜ディモン=ディモルフが超高速飛行で通過した。
ラプトル隊とディモンが宮殿の外に出た瞬間。
デノニクは、森の中に飛び込むひとつの人間の影を捉えた。
左腕に、何かを抱えていた。
オランだった。
ぐったりとして動かないオランを、その人影は雑に抱えて走り出した。
デノニク達にとって、オランを誘拐された事よりもテイラーが怪我をした事の方が重要だった。
我等の王子が負傷した。
改めてそう認識すると、ラプトル達に沸々と怒りが湧き上がった。
その怒りのエネルギーを、脚に宿らせて爆発させた。
ラプトル隊が一斉に全速力で影を追った。
風のような速度であった。
ヴェロキラプトルは、全ての恐竜の中でも走る速度はトップクラスである。
神速とも言われているその脚を、全力で動かしていた。
ラプトル隊が森に入ると同時に、空中を疾っているディモンは高度を上げた。
森の木々よりも高い場所を飛び、上空から人影を追った。
脚の速い者達が先に宮殿を出て、その後を、スピノピとコンピー隊が追った。
「アーロ! ブラキオス! 宮殿を守れ!」
走りながら指示するレックスに、アーロとブラキオスの巨漢2人はこくりと頷いた。
「リンクス! 全員治したら追って来い!」
リンクスも、こくりと頷いた。
そして、レックスが玄関を通り抜ける時。
血に塗れて床に倒れる、息子と眼が合った。
そんな息子に、レックスは走りながら声をかけた。
「テイラー! 早く来ねぇと俺が奴を殺しちまうぞ」
「くそが。こんな傷、秒で治るわ」
浅い呼吸で腹部を上下させながらも、テイラーは強気に答えた。
レックスは、僅かに笑った。
「早くしろよ!」
そう言いながら、レックスは玄関を走り抜けた。
ふりしきる雨の中を、全速力で走った。
ぴかっ、と、空に閃光が疾った。
数秒後、どこか近くで雷が落ちる轟音が鳴り響いた。
そんな雨の中。
宮殿の近くの、高く聳えた崖の上。
そこに立つ、ひとつの影があった。
黒いタキシードを着た細身の男だった。
ヴァン=ドラキュリアである。
雨に濡れながら、唇が微笑みの形に釣り上がっていた。
ふと、天を覆っている黒く厚い雲を見上げて、呟いた。
「太陽が出ていなくて良かった」
微笑みながら、追う者と追われる者が入って行った森に、視線を落とした。
「レックス軍団、対、
ざあぁぁ、という雨の音に混じって、眼下の宮殿の内部から僅かに届く混乱の叫び声を、ヴァンは微笑みを浮かべながら聞いていた。
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