第18話 雨

 翌日。

 雨が降っていた。

 オランがガララパゴス諸島を飛び出してから、5日目の朝である。

 オランは今、朝食に出された干し肉や果物、木の実を頬張っていた。

 昨日からほとんど何も食べていなかった為、がっつくように手が進んだ。

 

 「いっぱい食べてね」

 

 頬を膨らませて一生懸命食べているオランを愛おしそうに眺めながら、リンクスが言った。

 オランは、食べながらこくりと頷いた。

 

 いつの間にかオランの部屋となったこの来賓用の部屋には、オランとリンクスしかいなかった。

 他の幹部達は、今は話し合いをしている真っ只中であった。

 今朝、リンクスは昨夜の出来事と話し合いの議題を聞かされた。 

 その後、オランの世話を任されたのである。

 

 「ふぅ」

 

 満腹になったオランは、一息ついた。

  

 「もういいの?」

 

 リンクスが、しゃがんでオランと視線を合わせて聞いた。

 

 「うん。美味しかった。ありがとう」

 

 「ふふ。お腹空いていたんだね」

 

 「うん」

 

 「ねぇねぇオラン君。昨日の夜寝てる時、何か感じた?」

 

 「え? 何かって?」

 

 「昨日ね、私とオラン君が寝てるこの部屋に、部外者がこっそり侵入していたんだって」

 

 「え……そうなの?」

 

 「うん。気味悪いよね」

 

 「う、うん。それ、すごく危なかったんじゃ」

 

 「そう。そうなんだよ。本当に危なかった。そいつはかなり出来る奴って事だよ。この私が枕元に立たれて気が付かないって、相当の事だからね。自分で言うのも何だけど」

 

 「部屋に入っただけだったの? そいつは何がしたかったの?」

 

 「なんか、オラン君を一眼見たかったらしいよ。そいつはその後、王をトレーニング場に呼び出して、何やら話したんだって。やっぱり、オラン君の魔邪羅化を察知してやって来たんだって」

 

 「……そう」

 

 急に、オランの胸に切ない気持ちが広がった。

 やっぱり自分のせいだ。

 自分に関わる者は、ろくな目に合わない。

 自分の世話役を引き受けているせいで、この優しいリンクスは危ない目にあったのだ。

 

 「ああ、大丈夫大丈夫」

 

 オランの表情から何を考えているのか察したリンクスは、にこりと笑いながら言った。

 

 「オラン君の世話は、私が好きでやってる事だし」

 

 「で、でも、昨日、部屋に入って来た奴に殺意があったら、リンクスだって危なかったでしょ?」

 

 「確かに危ないけど、相手が殺意を持ったら流石に起きていたよ(たぶん)」

 

 「どうして?」

 

 「どんなに優れた暗殺家でも、目標を殺すその瞬間だけは、殺気は抑えても殺意はあるからね。その僅かな揺らぎや気配を、自分で感知するんだよ。私達幹部にはそれが出来るの」

 

 「どうすればそういう事が出来るようになるの?」

 

 「これはもう修行と戦闘経験を積むしかないと思うな。命のやり取りを繰り返し行う内に、そういう感覚が研ぎ澄まされて行くの」

 

 「リンクスは誰とそんなにいっぱい戦ったの?」

 

 「いろいろだよ。この大陸には、いろいろな奴が来るし。それに、肉を獲る為の狩りも立派な戦闘経験になるよ」

 

 「狩り?」

 

 「うん。オラン君がさっき美味しそうに食べた干し肉あったでしょ。あれ、何の肉か知ってる?」

 

 「知らない」

 

 「あれはね、野生の恐竜の肉なんだよ」

 

 「野生の恐竜…‥?」

 

 「そう。オスクロ火山が噴火した時、生き物全てが魔物化したわけじゃないのは知っているでしょ?」

 

 「うん」

 

 「この大陸にもね、魔物化しなかった恐竜や他の動物達がいっぱいいるの。そして私たち恐竜の魔物達はみんな、野性の恐竜や動物をとても尊敬しているの。本能に、敬意の心が刻まれている感じかな」

 

 「ふぅん」

 

 ガララパゴス諸島で、ジョースも似たような事を話していたのをオランは思い出した。


 「だから私達はみんな、狩りをしてその肉を食べる時は、心から感謝して食べるの。そんな敬意の表れなのか、狩りの時には魔法を一切使わずに仕留めるというのが、いつの間にか習慣になっていたの」

 

 「そうなの?」

 

 「うん。誰かに強制させられているわけじゃなく、あくまで自主的にね。獲物となっている相手が、魔法を使わずに肉体のみで迎え撃って来るから、それに応えようって思うんだよ。もちろん私もね」

 

 「……」

 

 「野性の恐竜って、すごく強いからね。だから私達は、狩りは命懸けでやるの。この大自然は、食糧だけじゃなく戦闘経験までも恵んでくれるんだよ。そういう狩りを繰り返すうちに、私達は自然と強くなっていくの」

 

 「そうなんだね」

 

 「この大陸には、野性の生き物でもすっごく危険で強いのはいっぱいいるからね。沼や川には巨大ワニのデイノスクスがいるし、森の中には大蛇ティタノボアもいる。密林の更に奥地にはギガノトサウルスっていう超大型肉食恐竜もいる。こいつらは魔物も平気で餌にするからね」

 

 「そういう強い生き物に襲われても、魔法を使わないの?」

 

 「基本的にはね。でも、やむを得ない場合は、魔法を使うよ。それに、たまに野生動物でも魔法を使ってくるのがいるから、そういう時も使うかな」

 

 「ふぅん」

 

 「それが私達の生活なんだよ。大国の都会みたいな便利さと派手さは無いけど、幸せなの。でもね、そんな生活を邪魔しに来る連中が少なくないの」

 

 「竜の血を狙う奴ら?」

 

 「そう。500年前は、ヒューム達が主だったらしいんだけどね。ヒュームがほとんど姿を消してからは、魔族や、他の大陸の魔物、あと稀に亜人も来るようになった」

 

 「そいつらは野性の恐竜は狙わないの?」

 

 「そうなんだよ。野性の恐竜の血を得ても、あんまり効果が無いんだって。あくまで、竜の血を引く魔物である亜竜の血が欲しいんだってさ。多分、魔物化した際に、血の成分が少し変わるんだろうね」

 

 「そもそも竜の血って何?」 

 

 「古代竜の血の事だね。古代から生存し続けている規格外の生命力を持つドラゴンの血だよ。私たち恐竜族は、みんな古代竜ラゴスクナリアの子孫って言われているの」

 

 「ラゴスクナリア……」

 

 「うん」

 

 「どうしてみんな直接、古代竜を狙わないの?」

 

 「とても敵わないからだよ。誰も。レックス王でも敵わない。古代竜の怒りというのは天災そのものだからね」

 

 「あの王様でも敵わないんだ……」 

 

 「そう。王は、地上最強の魔物って呼ばれているけどね。確かに噴火後に現れた魔物の中では最強の部類だよ。でも、世の中には更なる大いなる存在がたくさんいるからね。

 特に魔族にはでたらめな強さを誇る種もいるし。中でも、【往古エンシェント】って呼ばれている奴らは、太古から同一個体で存在していて、生き物としての次元が違うんだ」

 

 「凄いね。そういう長く生きてる者達は何歳ぐらいなの?」

 

 「さぁ。何千歳とかじゃないかな」

 

 「わぁ」

 

 途方もない話だ、とオランは思った。

 

 「まぁそれでも、我らがレックス王は四天王に匹敵する強さを誇っているから、とても心強いよ」

 

 「……四天王?」

 

 「四天王というのは、4人の半端じゃない強さを持った魔物の事だよ。4人全員が噴火後に誕生した魔物なんだけどね。

 500年前、モチダ達にとって最大の弊害となったのがこの四天王だったらしいよ。モチダ達との戦いが終わった後は、それぞれ悠々自適に過ごしているんだって。今もね」

 

 「今も生きてるの?」

 

 「噂ではね。普通の魔物よりも何倍もの寿命を持っているらしいから。今はみんなお爺ちゃんやお婆ちゃんなんじゃないかな。多分」

 

 「ふ〜ん」

 

 お爺ちゃん。

 そう言われて、真っ先に思い浮かんだのはカメジの顔であった。

 ご自慢の白く長い顎髭を、よく撫でていた。 

 長く伸びた真っ白な眉毛の奥には、とても優しい眼差しが覗いていた。

 オランは、カメジの事が好きだった。

 無性に会いたくなった。

 いつもの、優しくて暖かく、聞くと心から安心出来る声を聞きたかった。

 

 「……」

 

 「どうしたの?」

 

 急に、切ない顔をして黙りこくったオランを見て、リンクスも表情を曇らせた。

 

 「今、島に戻ったら……やっぱりみんな、僕を追い出すのかな……」


 「う〜ん。そうだねぇ。魔物である以上、黄龍を見たら最大級の警戒心を抱くのが遺伝子レベルで刻まれてしまっているからねぇ。戦闘に自信のある魔物ならともかく、一般的な魔物が黄龍を間近で見てしまったというのは、相当怖い思いをしたんじゃないかな」

 

 「それは、どうして?」

 

 「モチダ一族は黄龍に乗って移動していたんだって。まぁつまり、黄龍が現れるという事は、魔物にとっては自分達の生活と命が終わる事を意味していたんだよ。

 だからいつしか魔物達は、生存する為に、黄龍への警戒心が本能の一部になったんだと思う。何しろ魔物とヒュームの闘いは1000年以上続いたからね。

 オラン君の島の住民達は、本当に怖い思いをしたんだと思うよ。だから君が目を覚ました時に、キツく当たっていたんだと思う」

 

 それを聞いて、オランは目を伏せた。

 あの時の光景を思い浮かべた。

 住民達の、自分を見る眼。 

 あの怒りに満ちた眼は、裏にある恐怖に押し潰されない為の防衛だったという事なのだろうか。

 それほどまでの恐怖を必死で堪えて立ち上がっていた彼等に、自分は襲い掛かったのだ。

 あの時、島の住民達はどんな想いだったのか。

 そして、あの時のピンキーは。

 ……。

 帰れるわけがなかった。

 この自分が、島に帰れるわけがなかった。 

 この、呪われた自分が。

  

 申し訳なさや悔しさ、悲しさや寂しさが渦巻いてきて、一気にオランの胸をいっぱいにした。

 ぽろぽろと、オランの両眼から涙が溢れ出した。

 

 「オラン君」

 

 リンクスの優しい声に、オランは反応しなかった。

 頭の中に、母親の姿がよぎっていた。

 母が心配だった。

 大丈夫だと、自分に言い聞かせた。

 大丈夫。 

 母さんなら大丈夫だ。 

 長老とアミダが、守ってくれているはず。 

 それに、ジョースもいる。 

 大丈夫だ。

 

 右手の甲で、オランは涙を拭った。

 潤った眼で、リンクスをまっすぐ見た。

 もう涙は溢れていなかった。

 

 「君は強いね。オラン君」

 

 リンクスが、にこりと笑いながら言った。

 

 「ねぇオラン君」

 

 「?」

 

 「君は、魔物を見ると、本能的に憎悪を抱くって言ったね?」

  

 「うん」

 

 「私はどう? 私の事も、嫌い?」

 

 「……」 

 

 あれ? と思った。

 そういえば、リンクスには嫌な感情が湧いて来ない。

 それどころか、ここにいる恐竜の魔物達には、憎悪を抱いていない気がする。

 テイラーと初めて会った時は、向こうの敵意に反応して嫌悪を感じたが、今は全く抱いていない。

 そしてこのリンクスは、雰囲気がどことなくジョースに似ている。

 そのせいかリンクスの事は、心から信用出来た。

 

 「ううん……僕、リンクスの事、好き」

  

 「!」 

 

 オランが上目遣いに言い放った瞬間。

 リンクスの心臓が、どきりと跳ねた。

 体温が急激に上がった。

 鼓動が一気に速くなった。

 まずい、とリンクスは思った。

 自分の理性が薄れかけている事を感じた。

 冷静にならなくては、と思った。

 だが、急激な熱が瞬く間にリンクスの内部を満たした。

 呼吸が荒くなる。

 このままでは本当にまずい。

 冷静にならないと。

 ああ。

 でも。

 やばい。

 ちょっと。

 ちょっと待って。

 いや、なにこの子。

 可愛過ぎるんですけど。

 

 「オ、オラン君……」

 

 リンクスは右手で自分の胸を抑えていた。

 

 「え?」

 

 「君は、本当に……可愛い、ね……はぁ……はぁ」

 

 「そ、そうなの? 大丈夫? なんか、顔も赤いし苦しそうだよ?」

 

 リンクスの息が、全力疾走した時のようにあがっていた。

 頬も、ほんのりと紅く染まっている。

 

 「はぁ……はぁ……うん。大丈夫。これは、あれなの。なんでもないの。本当に。ただのあれだから」

 

 リンクスが、熱があるような眼で、ねっとりとオランを見つめた。

 あれってなんだとオランは思った。

 同時に奇妙な恐怖を感じていた。

 じりじりと、ゆっくりとリンクスが近付いて来た。

 オランは直感で、抱き付かれそうな気がした。

 ふと、ヒミコに強い力で抱き締められていた事を思い出した。

 その時。

 オランの頭の中に、電光が疾った。

 そうだ。

 ヒミコ。

 そうだ。

 そういえば。

 ヒミコは。 

 ヒミコは今、どうしているのだろう。

 

 「!」

 

 そう思った瞬間、オランの心に更に閃きの光が瞬いた。

 ヒミコの声が、胸の内に去来した。

  


 〜〜(……雨か曇りの日に、雷跳を試してみましょう)〜〜

  

 

 オランの身体が、ぴたりと止まっていた。

 視線はリンクスの方を向いたままである。

 だが。

 意識は全く別の方を向いていた。


 「はぁ……はぁ……オラン君? どうしたの? そんなに見つめて。私に抱き付きたいの?」

 

 吐息混じりの上ずったリンクスの声は、オランの頭にまでは届いていなかった。

 いや、耳にさえも入っていなかった。

 オランは目を丸く見開いたまま、たったひとつの音を聞いていた。

 宮殿の中に僅かに響いて来る、外の雨の音を。

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