第16話 魔邪羅の話

 そう。 

 あの恐ろしさは君も聞いた事があるだろう。

 一度出現すれば、辺り一帯は甚大な被害を被り、夥しい数の屍が転がる事になる。 

 あれは最早、天災の類だ。 

 嵐や、地震や、津波や噴火のような、受け入れるしかない災害なのだ。 

 

 そもそも魔邪羅まじゃらとは何か。

 

 簡単に言ってしまえば、魔力と殺戮衝動が暴走している状態の生物の事だ。

 いや、魔力暴走というのは珍しい事ではないんだよ。 

 私もした事あるし。 

 あれは危なかった。 

 とまぁ、その話はまた今度するとして。 

 

 魔力暴走というのは、魔法を自分で制御出来なくなっている状態の事だ。

 魔法の練習中や、極限状態で魔法を発動した時にたまになったりする。

 非常に危険ではあるが、凄まじい勢いで魔力が消費されていく為、魔力が尽きれば自然とその暴走も収まる。 

  

 だが、魔邪羅は違う。 

 君は魔邪羅を実際に見た事はあるかね。

 無いだろう。 

 魔邪羅化した生物は、全身から黒紫の熱気のようなものが迸っている。

 沸騰したやかんの湯気のようにね。

 眼や鼻、口の辺りからも熱気が吹き出し、顔は黒い影になってよく見えないが、眼の位置だけは分かるのだ。

 闇の中で、眼だけが紫色に強く発光しているからだよ。

 実は、この黒紫の熱気は、魔力なのだ。

 魔邪羅は常に魔力を放出し続けているわけだ。

 そしてその魔力は、決して尽きる事がない。 

 まるでバケツの水をひっくり返しているかのごとく魔力を放出しているのに、そのバケツが空っぽになる事は決してないのだ。

  

 そして魔邪羅は、その性質の違いから大きく分けて2種類の型に分けられている。 

 【殲滅型】と。

 【目標抹殺型】だ。

 

 殲滅型の場合は、視界に入った全ての生き物を魔法で片っ端から破壊していく。 

 そう。

 殺すのでは無い。

 破壊だ。

 あれは最早、殺害という言葉では言い表せない。

 文字通り破壊していくのだ。 

 あらゆる生き物を、魔法で粉々に粉砕し、燃やし尽くし、切り刻み、肉片を撒き散らして行く。

 魔邪羅は強力な魔法を連発しても決して魔力が尽きる事は無い為、まさに破壊と殺戮の神の如くあらゆる命を奪い続ける。

 あの光景はまさに地獄だ。 

 周囲を殲滅すると、命が集まっている場所へ引き寄せられるようにゆっくりと歩いて行き、また破壊を行う。 

 それを自分の肉体が壊れるまで繰り返すのだ。 

 

 対して目標抹殺型だが。

 こっちのタイプは、魔邪羅化した際に明確な目標、つまりターゲットがおり、それに向かって進んで行くのだ。

 このタイプは進行妨害をされない限り、目標以外の生き物を殺す事は無い。

 だが問題は、目標を抹殺した後だ。 

 目標を抹殺した後に、今度はその目標に縁のある者を狙ってどこまでも追いかけて抹殺する。 

 その目標に関わる者全てがターゲットとなる。 

 血縁関係のある者は勿論、目標の仲間や友人、同じ街に住む者達まで、非常に広範囲に渡る。 

 だからまぁこのタイプも目標を抹殺した後は、やる事は殲滅型と大して変わらないという事だ。 

 だがこのタイプの魔邪羅は、最初の目標を抹殺するまでは周囲の生き物を積極的に狙わない。

 目標がいつまでも逃げ続ければ被害は最小限に抑えられる。

  

 そして、もし魔邪羅が現れた場合。 

 これはもう、逃げるしかない。 

 幸い、魔邪羅の移動速度は極めて遅いし、寿命がある。 

 ふらふらとゆっくりと歩くだけだから、視界にさえ入らなければ逃げ切れる。

 視界に入らないように、ひたすら逃げる。 

 これが最善だ。 

 絶対に戦おうとしては行けない。

 魔邪羅に太刀打ち出来るのは、真の強者だけだ。 

 君のお父さんや、魔物でもたまにいる馬鹿みたいに強い奴らのようなね。 

 

 魔邪羅を止めるには、その肉体を破壊するしかない。 

 だが、魔邪羅の厄介な所は、無尽蔵に噴き出す魔力によって防御力も凄まじく上がっている点だ。 

 ゴーレムですら粉々に吹き飛ばせる爆発魔法を食らわせても、大したダメージは与えられない。 

 更に厄介なのが、封印系の魔法や、石化などの動きを停止させるような魔法も効かないことだ。

 よって、魔邪羅を止めるには強力な魔法攻撃や物理攻撃をひたすら与え続けるしかない。 

 理由は不明だが、魔邪羅は治癒魔法を使わない。

 よって、ダメージを与え続ければいつかは活動を停止する。 

 そして、動かなくなった魔邪羅は、数秒で灰になり完全に消滅する。 

 それでようやく、災厄は終了するといわけだ。  

 

 そして、幸運にも魔邪羅には寿命がある。

 7日なのだよ。

 魔邪羅化した者は、放って置いてもその日から7日後には灰となって自然に消滅する。 

 魔邪羅が現れたら、7日間逃げ切れば助かるんだ。

  

 どうして、魔邪羅が現れるのか。

 

 これは未だに解明されていないのだが、目標抹殺型の原因はある程度予測がついている。

 目標抹殺型は、目標となる者に関わる何か強い精神的なショックが引き金になる事が多い。 

 おそらく、激しい恨みだと思われる。

 

 対して殲滅型の魔邪羅は不運としか良い様が無い。

 何の兆候も無く、ある日突然何かが爆発したように出現するのだ。

 つい今まで仲良く話していた者が突然、魔邪羅となって破壊行動を始めてしまうのだ。

 

 魔邪羅というのは、魔法を使う全ての生物が抱えているリスクだ。

 魔力を持つ生物は皆、魔邪羅化する可能性を秘めている。

 だが可能性は極めて低いし、現れる周期も決まっていない。

 何か凄まじい憎悪を抱く者がいても、必ず魔邪羅化するわけでもない。

 そして出現するタイミングも不規則だ。

 100年間現れなかった事もあるし、3年連続で現れた事もある。

 現れてから1年以内にまた出現したという記録はこれまでのところ無い。

 2体以上同時に出現したという記録も無い。

 だが、これらがあり得ないとは限らない。

 

 魔邪羅の存在理由は何なのか。

 

 生物をひたすら殺すと言っても、なぜか植物は破壊しない。

 だから植物が何らかの原因物質を生み出していると考える者もいるが、どうだろうな。

 他にも、魔力そのものが意思、自我を持って、魔力を持つ者達を減らしているとか、この世界そのものが意思を持って生物の数の調節を行なっているとか様々な説があるが、明確な理由は分からない。

 

 もし、人間だけが魔邪羅になって、人間だけを襲うというのなら、魔物や魔族の仕業だと考えても良いのだがね。

 だが、今までも数々の魔物達が、魔邪羅の被害にあっている。 

 たまにいる話の分かる魔物や魔族達とは、魔邪羅に関してだけは情報交換したりして、時には人間と魔物が協力する事もあるのだよ。

 

 そして、魔邪羅はなぜ無尽蔵に魔力が噴き出しているのか。

 

 こちらも様々な説がある。 

 だが。 

 1番濃厚な説は、精神世界では全ての生き物の無意識が繋がっており、そこに何らかの道があってそこから絶え間なく魔力が供給されている、という説だ。 

 この説は中々信憑性があって、高名な僧侶などが高度な瞑想の果てに精神世界の奥深くまで進んだ時に、何かの通り道を見たという話が少なくないからだ。 

 

 更にこの説の信憑性を高める理由が、目標抹殺型の魔邪羅の特性だ。 

 目標の血縁関係のみならず、血の繋がりのない者達の関わりまで、どうして分かるのか不明だった。 

 だが、精神世界で繋がっているとすれば、その目標の所縁のある者達の事も分かるのではないかと考えられる。

 

 魔邪羅というのは、この世で最も恐ろしい存在だと言っても過言ではない。

 

 小さく力の弱い生物でも、魔邪羅化した途端に破壊と滅亡の申し子となってしまう。

 元々強い生物が魔邪羅化したらそれはもう世界滅亡レベルの災厄だ。

 

 なぜ神は、魔邪羅を生み出すのだろうか。 

 このような、全ての生物にとって共通の脅威というものが存在すれば、この世のあらゆる種族は皆協力し合い助け合うからだろうか。 

 

 かつて、同種間で争いが絶えなかった人間同士が、魔物という共通の脅威が現れてから、互いに手を取り合うようになったように。

  

 シンゲンよ。

 君は、どう思うね。 

 君とマイケは、あと何年かしたら旅に出る事になる。 

 旅をしながら、魔邪羅についても、少し頭の片隅に入れておいてくれ。 

 そして、マイケを頼むよ。

 マイケはいずれ、一族史上最強の魔法使いとなるだろう。

 だが私はマイケの叔父として、一縷の危惧を抱いている。 

 あの強大過ぎる力に何か漠然とした不安を感じるのだ。

 魔法を研究して来た学者としての勘が、何かを警告しているのだよ。

 この、スムクリ=ムーンウォーカーの勘がね。

 この不安が、杞憂であれば良いのだが。

 

 さて、もうこんな時間になってしまった。 

 もう家にお帰り。

 君の家で、あの女の子も1人で留守番していて寂しがっているだろう。

 

 しかし君のお父さんも、名前付けるの結構適当だよなぁ。

 ヤマタイコとはね。

 しかし凄いな、あの子は。

 さすがと言ったところか。

 まだ1歳だろう確か。

 もう言葉を覚えて家事までこなしているとは。

 成長が早いのか。

 見た目は3歳か4歳児に見えるしな。

 え? 

 明日連れて来る?

 良いだろう。 

 一緒に連れて来なさい。 

 そうだな。

 魔法の基礎でも、教えてみるか。

   

ーーーー


 

 ぱちりと、オランは目を開けた。 

 見慣れない高い天井が見えた。

 思考が停止していた。  

 数秒して、ようやく自分が眠っていたという事を悟った。

 そして先程まで聞いていた話は、夢だったのかと漠然と認識出来た。

 だが、ただの夢では無い事も直感で分かった。 

 あれは、普通の夢じゃない。 

 記憶だ。 

 先程の光景は、自分の中に宿るシンゲン=モチダの記憶なんだ。

 そして、魔邪羅について語っていたあの男は。

 眼鏡をかけたあの青髪の男の名前は。 

 スムクリ=ムーンウォーカー。

 思い出した。

 思い出した、という言い方は変かも知れないが。 

 とにかく思い出した。 

 マイケ=ムーンウォーカーの叔父だ。 

 そうだ。 

 よく、スムクリにいろいろな事を教えてもらったんだ。

 自分で体験したわけではないが、そんな記憶がある。

 そして、夢の終わり近くで言われていた、シンゲンの家で暮らしているという女の子。

 顔は、ぼやけてよく思い出せない。

 だが、黒髪の女の子だったという事は、なんとなく覚えている。

 艶のある、綺麗な黒髪だ。

 ん?

 待てよ。

 ヤマタイコって……。

 

 「おはよう。オラン君」 

 

 突然、女性の声がして、オランは慌てて飛び起きた。

 考えていた事が、一瞬で吹き飛んでしまった。

 リンクス=ランフォリンが、しゃがんでオランを見下ろしていた。 

 

 「え……あの、僕は」 

 

 オランは混乱していた。 

 なぜ自分がこの部屋にいるのか分からなかった。 

 どうやってここまで来たのか。 

 確か、レックスと話していたはずだ。 

 話している途中から、記憶が無かった。 

 

 「昨日のお昼ぐらいからずーっと寝てたよ。ほぼ丸一日だね。よく眠れたみたいで良かった」 

 

 リンクスが、にっこりと微笑みながら言った。 

 

 「そんなに寝てたんだ……あの、僕はどうしてここに」 

 

 「昨日の事、覚えてない?」 

 

 「え? うん。なんか、王様と話している途中から、記憶が無い」 

 

 「ふふ。そっか。それにしてもよく生きていたね。王のデコピンを食らって」 

 

 「デコピン?」 

 

 「そう。こう、おでこにピーンって。ほら、まだ腫れてるでしょ。治癒魔法掛けても僅かに跡が残るのは、それだけ強いダメージを受けたって事なんだよ。私、てっきり死んじゃったかと思ったよ。君はタフだね。やっぱり、あの状態の時は身体が頑丈になっているのかな」 

 

 「あの状態?」 

 

 「そう。オラン君、魔邪羅に近い状態になっていたんだよ」 

 

 「え?」 


 「魔邪羅だよ。知らない?」 

 

 「知ってはいる(というかさっき夢で知った)けど、その時の事、詳しく教えて」

 

 「話している途中で、オラン君は身の危険を感じると瞳の色が変わるんじゃないかって、王が思ったらしくてね。だから、王が思いっきり殺気を放ったんだよ」

 

 「殺気……」 

 

 「うん。これは、王も反省してたよ。仮にも最強の魔物って呼ばれてるのに、本気で殺気を放っちゃダメだよね。私達だって身の危険を感じたもん。ショック死する者が現れても不思議じゃないし」

 

 リンクスは少し笑いながら言った。

 そして続けた。 

 

 「王の強過ぎる殺気を間近で受けて、オラン君から黒紫のオーラが迸ったの。身体の周りには、紫の稲妻が疾ってた。眼も、紫色に光っていたんだよ」 

 

 「……」 

 

 「そしてオラン君は、ゆらゆらと王に向かって歩いて行って、いきなり王に飛び掛かったの。それを、王はデコピンで迎え撃ったというわけ。それで気絶して、今まで、ずっと寝ていたんだよ」 

 

 「そう、だったんだ」 

 

 オランはぞっとした。 

 自分のその姿が、夢で聞いた魔邪羅と特徴が酷似している事に、凄まじい恐怖と嫌悪を覚えた。

 

 「まぁでも、魔邪羅じゃなくて良かったよ」 

 

 リンクスは微笑みながら、指先でつんつんとオランの頬を突いた。 

 

 「私はオラン君の事好きだからねぇ。昨日のあれは怖かったけど」

 

 「僕は、誰も、傷付けてない?」 

 

 「うん。誰も傷付けてないよ。君は優しいね」 

 

 「良かった」 

 

 「オラン君。君の瞳は、何種類の色に変わるの?」

 

 「……赤と、青と、黄と、緑と……あと、紫が加わっちゃった」

 

 自然と、オランは話していた。 

 リンクスにはなぜか、心を開いて全てを言えた。

 隠したり偽ろうという発想すら浮かばなかった。 

 このリンクスという魔物が纏う雰囲気は、どことなくジョースに似ているなと思った。

 

 「ふ〜ん。不思議だねぇ」 

 

 リンクスは、微笑みながらじっとオランの茶色の瞳を覗き込んでいた。

  

 「……」 

 

 オランも、リンクスの瞳を覗き込んだ。 

 このリンクスという魔物の瞳には、とても暖かく優しい光があった。

 

 「オラン君。これからちょっと厄介なことになるかも知れないね」

 

 「厄介な事?」 

 

 「うん。魔族っているでしょ。あいつらの中にはね、魔邪羅の出現を敏感に察知して、出現場所に出向いて、いろいろ調べたりする連中がいるの。多分、何とかしてあの凶悪な力を使いこなしたいって目的があるんだろうけど」

 

 「……」 

 

 「昨日のオラン君の気配は、限り無く魔邪羅に似ていた。もしかしたら、その気配をどこかで察知した奴らがいるかも知れない」 

 

 「……」 

 

 「察知していたとしたら、奴らも当然、違和感に気付くはず。すると、奴らが様子を見に来て、君に興味を持って誘拐するかも知れない」 

 

 「……え」 

 

 「だから、ヒミコの捜索は一旦中止して、今はみんな宮殿にいるの。オラン君も、この宮殿にしばらく居てもらっても良いかな?」

 

 「……う、」 

 

 「多分、オラン君にとってもここは安全だと思うよ」 

 

 「う、う」 

 

 突然、オランの両眼から涙が溢れ出した。 

 頭の中が、ごちゃごちゃと散らかっていた。 

 何だ。 

 何なんだ。  

 いったい。 

 次から次へと。

 何だというんだ僕は。 

 何でこんなにいろいろ詰め込まれているんだ。

 おかしいじゃないか。

 何なんだよ勇者とかマイケとか緑だの赤だの。 

 それに魔邪羅だかなんだかまで。  

 魔族がどうのこうのって。

 いったい何なんだ。 

 普通に。 

 普通に生活したかった。 

 あの島で。 

 普通に。 

 母さんと。 

 ジョースと。 

 カメジとアミダと。 

 島のみんなと。

 普通の子供達みたいに、普通に遊びたかった。 

 何なんだよ。 

 戻りたい。

 島に戻りたい。

 会いたい。 

 母さんに会いたい。 

 

 「うっ、うっ、うぅぅ」 

 

 嗚咽しながら、オランは泣いた。 

 涙が次から次へと溢れて来た。 

 

 リンクスは腕をすっと伸ばして、オランを抱き締めた。

 

 「辛いよね。よしよし」 

 

 「うっ、う、うぅ。母さん……うぅ」 

  

 リンクスは優しくオランの後頭部を撫でた。

 撫でながら思った。 

 本当に、まだ小さな子供なんだ。 

 まだ母親に甘えたい盛りの、5歳の子供。

 

 オランはしばらく、リンクスの胸の中で泣き続けた。 

  

 

 その部屋の扉の外側で、テイラーが腕を組んで背中を扉に預けていた。 

 部屋の中から聞こえて来るオランの声を聞いていた。

 そして、昨日のオランの姿を思い浮かべた。 

 魔邪羅という存在は、話には聞いていた。

 そして昨日のオランは、魔邪羅に似ていたという。

 あれを見た時、テイラーは心の底から恐怖を感じた。

 禍々しくて、意思疎通の出来ない未知の化物のように見えた。

 あの状態のオランがこちらに視線を切ったら殺されると思った。

 だが、テイラーは恐怖を乗り越えて、オランを止めようと臨戦態勢を取った。

 オランのすぐ近くに、幹部達がいたからである。 

 彼等を守らなくてはと思った。 

 そして、構えた瞬間、父親が自分を制したのである。 

 父親の、あの大きな掌。 

 頼もしかった。 

 あの掌を向けてくれて、心の底から安堵を感じていた。 

 だが。 

 自分がそう思った事が、とても悔しかった。

 父親がいなきゃ仲間を守れない自分の弱さが、憎かった。 

 あの時もし、父親がいなかったら。 

 そう思うと、自分の弱さが、憎くて憎くてたまらなかった。

 自分は、まだまだだ。 

 まだ、父親がいなくては仲間を守れない、弱虫なんだ。 

 くそったれ。 

 川原でオランと戦った時、これ以上は弱いものいじめだからしたくねぇと、俺は言った。

 くそ。

 恥ずかしい。

 弱ぇのは俺じゃねぇか。

 

 ギリギリと、テイラーは歯軋りをしていた。 

 

ーーー 

 

 深い森の中。 

 空が全体的に厚い雲に覆われているせいか、森の中は陰鬱に暗かった。 

 そんな森の中に、仄暗い色をした泉があった。 

 その泉のほとりに、四つん這いの格好になって、泉を覗き込んでいる者がいた。

 人間の女の姿をしていた。

 ヒミコ=ヤマタイコである。

 ヒミコが、悲痛な表情で、泉に映る自分の顔を見ていた。

 だが。

 奇妙な光景だった。

 地面に手を着いているヒミコは悲痛な表情を浮かべて瞳の色が黒色なのに対し、水面に映るヒミコは不敵な笑みを浮かべて赤い瞳をしていたのである。

 その赤い瞳は、凶星のような妖しい光を発していた。

 

 「ったくよお。喰えば良かったのに。あのコモドスだぜ?」 

 

 水面に映る赤い瞳のヒミコが、笑みを浮かべたまま呟いた。

 

 「黙れ」

  

 悲痛な表情を浮かべている黒い瞳のヒミコが、震える声で言い返した。

 

 「ちょっとは自分に正直になれよ。お前にとっても快感だろ? 力が漲って来る感触はさ」

 

 水面に映る赤い瞳のヒミコが、にやにやしながら唇を舐めた。

 

 「うるさい」 

 

 黒い瞳のヒミコは、依然、声が震えている。

 

 「分かってんだよ。お前だって血を欲しがってる事ぐらい。こうなっちまったんだ。協力して力を取り戻そうぜ」

 

 「早く消えろ。クズが」

 

 「慣れねぇ言葉使いやがって。強がんなよ。力を求める事は悪い事じゃねぇ」

  

 「私は、求めてない」

 

 「とんだホラ吹きだな」

 

 「嘘じゃない」

   

 「もうモチダはいねぇんだ。なにも気にする必要はねぇ」

 

 「私はお前とは違う!」

 

 突然、黒い瞳のヒミコが怒鳴った。 

 怒鳴ると同時に、右の拳で、水面に写っていた赤い瞳の顔を殴った。

 水面に、波紋が広がっていった。

 数秒後、水面が静かになった。

 直後。

 水面に再び、不適に笑うヒミコが写った。

 ヒミコは、黒い瞳で水面に映る自分の顔を睨みつけた。 

 瞳の赤いヒミコが、余裕を浮かべた表情でいつまでも笑っていた。

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