第15話 竜の血

 大自然の中に鎮座する宮殿を見て、オランは絶句した。 

 その造形物の圧倒的な存在感に、鳥肌が立った。

 これを造るのに、いったいどれほどのパワーが注がれたのだろう。 

 どれだけの力でこの重量感ある宮殿を造ったのか。

 恐竜の魔物達が秘めた規格外の力を想って、オランの背に寒気が走った。 

 

 「どう? 立派でしょう?」 

 

 翼竜ランフォリンクスの魔物。

 リンクス=ランフォリンが微笑みながらオランを振り向いて言った。 

 

 「うん。凄い大きいね」

 

 宮殿から眼を離さずにオランは頷いた。  

 

 「この宮殿そのものが、みんなの家みたいなものだからね。そしてテイラーはここジュラシック王国の王子なんだよ」 

 

 リンクスの言葉に、前を歩いているテイラーは反応しなかった。 

 オランは宮殿から眼を離して、テイラーの後ろ姿を見つめた。

 この王子が、自分と5歳しか離れていない事に改めて驚愕した。

 素直に尊敬の念が湧いていた。

 戦闘も強くて、王子としての強い責任感も背負っている。 

 まだ、10歳だというのに。 

 ガララパゴス諸島にも同じような年齢の魔物達はいたけど、みんなずっと子供らしかった。 

 凄いな。 

 どうしてテイラーはこんなに大人びているのだろう。 

 そんな疑問を抱いていると、前方から誰かがこちらに向かって来るのが見えた。 

 それは、凄まじい速度でこちらに走って向かって来ていた。 

 

 「……ちゃん!」 

 

 遠く、声が聞こえた。 

 その声が、どんどん近づいて来た。 

 

 「ぼっちゃん! ぼっちゃん!」 

 

 年老いた始祖鳥の魔物だった。

 シソジィ=アーケオプテリである。

 シソジィが、涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにしながら突っ込んで来た。

 そして、テイラーに思いっきり抱き付いた。

 

 「ぼっちゃん! ああ! ぼっちゃん! よくぞご無事で! このシソジィ、心配で夜も眠れなかったのですぞ!」

  

 「おい、くっつくな! 心配する必要は無いと言ったろう」

 

 テイラーは心底迷惑そうな態度を取っていた。

 だが、わずかにその口元が微笑んでいたのを、オランは見た。

 そのオランの存在に、シソジィが気付いた。

 

 「む?……この者が……?」

 

 きょとんとした表情で、シソジィが呟いた。

 

 「ああ。トカゲ小僧だ」

 

 「なんと……」

 

 テイラーの答えを聞いて、シソジィは内心驚愕していた。

 これほどに小さかったのか。

 まだ、ほんの子供ではないか。

 ぼっちゃんより、更に幼く見える。

 こんな子供が、雷跳を使い、そして我々の仲間を消していたというのか。

 信じられない。 

 

 「一応言っておくが、こいつは仲間達を襲っていた犯人じゃないと思う」

 

 シソジィの表情を見て、テイラーが言った。

 

 「やはり! では、例のヒュームが犯人なのでしょうか」

 

 「分からん。そのヒュームも今朝、いなくなっていたそうだ」

 

 「え!」

 

 「まぁ、詳しいことは後で集まってから説明する。親父ハゲはいるか?」

 

 「レックス様は只今トレーニング中です。あと1時間程で終わるかと」

 

 「そうか」

 

 そう言うと、テイラーはくるりと後ろを振り返った。

 オランとリンクスとデノニクが、きょとんとテイラーを見た。

 

 「親父ハゲの筋トレが終わったら食堂に集合だ。出席するのは幹部とラプトル隊全員。それまで、リンクスとデノニクのどっちかオランを見ててくれ」

 

 「はいはーい! 私が見てる!」

 

 リンクスがはしゃいだ様子で名乗り出た。 

 

 「オランくん! 王の筋トレが終わるまで私が話し相手になってあげるね!」 

  

 そう言いながら、リンクスはしゃがみ込んでオランの両手を握った。

 

 「おい、あんまり変なこと教えるなよ」

 

 テイラーが僅かに不安そうな眼をして言った。

 

 「大丈夫大丈夫。いこっ! オランくん! お腹空いてない?」

 

 テイラーの注意に適当に答えて、リンクスはオランの手を引いて歩き出した。

 

 「相変わらずリンクスは子供好きですな。昔はぼっちゃんもえらく可愛がられていたものですよ」

 

 オランとリンクスの背を見送りながら、シソジィがしみじみと呟いた。

 

 「ふん。鬱陶しかったけどな」 

 

 僅かに微笑みながら、テイラーが答えた。 

 

 「では、私は部下達に話をつけて来ます」 

 

 言いながらデノニクが前に出て来た。 

 

 「ああ。頼む」 

 

 「では、また後ほど」 

 

 そう言って、デノニクは宮殿に向かって歩いて行った。

 

 「さて、俺は母上に挨拶して来る」 

 

 「ええ。王妃様も心配しているご様子でした。早く元気なお顔を見せてあげてください」

 

 シソジィが、優しい笑顔を浮かべながら言った。 

 



ーーーーー

 

 広い食堂に、総勢22人の魔物が集まっていた。

 レックス=ティーレックスと、その執事プテラ=プテラノ。

 テイラー=ティーレックスと、その執事シソジィ=アーケオプテリ。

 そして、幹部の7人の魔物。

 更に、ラプトルの魔物10人。

 そして、オランである。

 

 今、オランの目の前には巨大な椅子があった。

 その椅子に、巨大な魔物が座っていた。

 レックス=ティーレックスである。

 どっしりと深く腰掛けて、足下にいる小さなオランを見下ろしていた。

 その小さなオランも、目の前にいる巨大な魔物を見上げていた。

 まさに、怪獣であった。

 オランの身長は、ほんの60センチほどである。

 それに対して、この怪獣の体長は12メートルを超えていた。

 体重は、見当もつかない。

 この怪獣が一歩歩く毎に、オランの身体が床から跳ねるのである。

 この怪獣がその気になれば、オランなど虫を踏み潰すが如く簡単に潰されてしまう。

 オランは恐怖を通り越して、放心状態であった。

 あまりに巨大で強大な存在を目の当たりにした時、恐怖というものは感じないのかも知れない。

 

 「よく来たなトカゲ小僧。名はなんという」

 

 レックスが地響きのような声を出した途端、オランの身体が震えた。

 

 「……ン」

  

 今、オランは普通の声量で名乗った。

 だが、レックスから見ると、オランが口を動かしたようにしか見えなかった。

 距離が離れているせいで、全然聞き取れなかった。

 

 「なに? なんだって?」

 

 レックスが聞き返した。

 その直後。

 すぐ隣にいた執事のプテラが、翼をはためかせて飛翔した。

 そしてレックスの肩に着地すると、耳打ちした。

 

 「レックス様。あのトカゲ小僧は、貴方の真の姿を目に焼きつけました。もう充分です。身体を縮めてください。このままではスムーズな会話が出来ません」

 

 「うむ……そうか」

 

 レックスが答えると、プテラはレックスの肩から床に舞い降りた。

 直後、レックスの身体から一瞬、黒い魔力が揺らめいた。

 次の瞬間、レックスの身体が、しゅうぅぅと音を立てて縮小していった。

 風船がしぼんで行くようであった。

 

 そこにいた巨大な怪獣は、あっという間に小さなサイズになった。

 小さなサイズとは言っても、それは先程に比べたらの話である。

 縮小後でも、レックスは筋骨隆々にして身長230センチを誇る巨漢であった。

 一般的な魔物のサイズよりもかなり大きな体躯である。

 

 先程まで巨大な怪獣が座っていた巨大な椅子の影から、プテラがまた違う椅子を引きずって来た。

 縮小されたレックス専用の椅子であった。

 その椅子に、レックスはすとんと座った。

 深く腰掛け、脚を組んだ。

 うほんっ、と、1つ咳払いをした。

 

 レックスから横に少し離れた場所で佇んでいるテイラーは、腕を組んで一連の光景を眺めていた。

 苛々していた。

 めんどくせぇなこの親父(ハゲ)は。 

 いつもこうだ。 

 この宮殿に誰かが招かれると、必ず最初は大きな姿で現れる。

 相手に威圧感を与える為だか舐められたくねぇだが知らねぇが、無駄なんだよそれ。

 てめぇのその無意味な行為に振り回される周囲の事も考えやがれ。

 この自己中糞親父。

 クソが。

 つーか縮小してもデケェじゃねぇか。

 このハゲ。

 

 「失礼したな。もう一度聞こう。名はなんというのだ?」

 

 足を組みながら、レックスはオランに聞いた。

 先程に比べて、オランとの距離が、ぐっと近くなっている。

 

 「オラン……です」

 

 萎縮した様子で、オランは答えた。

 

 「オランよ。まずはお前の話が聞きたい。お前がどのようにしてこの大陸にやって来て、そしてなぜヒュームと一緒にいたのか、教えてくれ」

 

 「僕は……」

 

 説明しようとしてオランは過去を振り返った。

 そして驚愕した。

 2日か。

 まだ2日しか経っていないのか。

 ガララパゴスに黄龍が現れたのが、ほんの2日前の事なのか。

 この2日間に起きた出来事が濃密過ぎて、とても信じられなかった。

 

 「僕は、2日前にこの大陸にやって来たんです」

 

 「ふむ。どうやって?」

 

 「雷に連れて来られました」

 

 「ほう」

  

 レックスは表情を変えなかった。

 

 「なんと」 

 

 プテラの口から、思わず声が漏れた。

 大人数用の丸いテーブルに着いている幹部達やラプトル隊から、ざわめきが起こった。

 

 「お前ら、静かにせい」

 

 レックスがそう言うと、ざわめきが治まった。

 

 「続けてくれ」

 

 頬から一筋の汗を垂らしながら、オランは続けた。

 

 「2日前、僕が住んでた南の島に、黄龍が現れたんです」

  

 「ほほう」

 

 レックスが、僅かに目を大きくした。

 

 「なんだと!?」

 

 プテラが声を上げた。

 他の恐竜達も、ざわざわと騒ぎ始めた。

  

 「静かにせい……!」

 

 レックスが地響きのような声を出した。

 ざわつきが治まった。

 

 「悪いな。続けてくれ」

 

 レックスがオランの眼を真っ直ぐに見て言った。

 射抜くような眼光に、オランの身体が一瞬震えた。

 

 「……黄龍を見上げていたら、僕に雷が落ちたんです。でも、実は落ちたのでは無かったんです。雷が僕を空に引っ張って行ったんです。雲の中を飛んで、何が何だか分からない内に、この大陸の森の中に落ちました。そこに、傷を負ったヒミコがいたんです」

   

 「……なるほど」

 

 レックスは頷いた。

 よく分からなかったが、なんとなく言いたい事は理解出来た。

 まぁつまり、訳も分からないまま突然雷に連れて来られ、その先にヒミコなる者がいたという事だ。

 

 この時オランは、出来事をかなり省略して話した。

 島でカメジの魔法を打ち破ったり、島民達に飛びかかった話はしなかった。

 話すと厄介な事になりそうだと、直感していた。

 

 「まぁ、続けてくれ」

  

 とりあえずレックスは先を話させる事にした。

 その横で、プテラは親指を顎に当てて何かを深く考えていた。

 

 「ヒミコの傷を見て、僕は駆け寄って傷が治るように願っていたら、治癒魔法が発動して、ヒミコのお腹の傷が治ったんです。そのすぐ後に、あの恐竜の男が来たんです」

  

 「あ〜。やっぱり傷を治したのはお前だったのか」

 

 ラプトル隊が座っている辺りで、1人の男が声をあげた。

 オランと一戦を交えた男、ラップである。

 オランは後ろをちらりと見た。

 びくりと、身体が震えた。

 げ!

 あの男だ!

 

 「よぉ、神童オランちゃん。俺らの隊に入る気になったかい?」

 

 目が合ったオランに、ラップはにやにやしながら茶化すように言った。

 

 「ラップ、黙ってろ」

 

 幹部席に座っているデノニクが、ラップを睨みながら言った。

 

 「へいへい」

 

 ラップが、つまらなさそうに下を向いた。

 オランはレックスに向き直った。

  

 「なるほど。そこからラップとデノニク達の話になるわけだな」

 

 そう言いながら、レックスは赤い葡萄酒を一口飲んだ。

 

 「オランよ。ヒミコはなぜその森にいたのだ?」

 

 「……え」

  

 オランはきょとんとした。

 そうだ。

 そういえば、どうしてヒミコは森にいたんだろう。

 なにをしていたんだろう。

 

 「どうしてだろう……分からないです」

  

 「ふむ」 

 

 レックスはしばらく何かを考え込んだ。 

 オランは無言でその表情を見つめていた。 

 ふいに、レックスは誰に言うともなく口を開いた。

  

 「2日前。オランがこの大陸にやって来たのと同じ日に、森の中からカルタのオーラが殺気と共に膨れ上がった。カルタが全力で何者かと戦ったという事だ」

 

 「……」

 

 「数秒で、カルタのオーラは消えた。異変にいち早く気付いたラプトル隊が、隊を分散させて森へ様子を見に行った。

 その時に、ラップは傷だらけのヒミコと遭遇。腹に致命傷を与えるも、ヒミコは走り去った」

  

 「……」

 

 「ラップが再びヒミコを見つけた時には、オラン、お前がいたわけだ。そして、カルタは行方不明のままだ」

 

 「……」

  

 「こうなると、カルタが全力で戦ったのはヒミコであろう事が予想されるよな。カルタとの戦闘で消耗したヒミコが、逃げている最中にラップと遭遇して更に傷を負って逃げ、そこでオランと出会ったという物語が実に自然だ」

 

 「……」

    

 「オランよ。ヒミコは強いのか?」

 

 「え?」

 

 「カルタが全力を出してもヒミコに及ばなかったと仮定すると」

  

 「……」

   

 「ヒミコは何者だ?」

 

 「……何者……」

 

 オランはヒミコに魔法を教えてもらっている時の風景を思い出した。

 あそこまで魔法に対して深い知識を持ってるなら、ヒミコは本気を出したらかなり強力な魔法を使えるのではないか。

 そして、昨日の朝、自分を抱きしめていた時のあの凄まじい力。

 もし、ヒミコが全力を出して誰かと戦ったら。

 結構、いや、かなり恐ろしいのでは。

 でも。  

 初めて会った時の、ヒミコは。

 あれは本当に、今にも命の灯が消え入りそうな儚さがあった。

 なんだ。

 なんなんだ。

 ヒミコは強いのか。

 弱いのか。

 何者なんだろう。

 

 「わ、分かりません」 

 

 オランの本音だった。

  

 「ヒミコが犯人だとして話を進めよう。目的は、おそらく俺達の血だろうな」

 

 葡萄酒をぐびりと飲みながらレックスが呟いた。

 

 「血?」 

 

 オランは怪訝な顔でレックスを見上げながら聞き返した。

 

 「俺たち恐竜魔ディノの身体には、竜の血が流れているのだ」

 

 「竜の血……?」

 

 この言葉を出した時、なぜかオランの心臓がどくんと震えた。

 急に、オランの胸の辺りが熱くなったような気がした。

 何か、特別なものを感じた。

 竜の血という言葉を意識した途端に、血液の温度が上がったような感覚がした。

 

 「竜の血を引く魔物を、亜竜というのだが。俺たち恐竜魔ディノは、全員亜竜だ。ちなみにそこのプテラやリンクス達のように、飛行能力のある者は翼竜とも呼ばれる。他にも水棲の者は水竜といったりもするが、そこはまぁ気にしなくていい。この大陸にいる俺たちの仲間は一括りに亜竜として考えてくれ」

 

 「……は、はぁ」


 「そしてだ。亜竜はしばしばその血を狙われる。竜の血を取り入れた者は、力と生命力が増すと言われているからだ」

 

 「……」

  

 「500年前はヒュームがよく血を狙ってやって来たが、今は魔族や他の大陸の魔物がやって来るようになった」

 

 「魔族……」

 

 オランはヒミコから聞いた話を思い出していた。

 魔物とはまた別の存在。

 オスクロ火山が噴火する前から存在し、人間達を襲っていた連中、それが魔族と呼ばれる者達だ。

  

 「そうだ。皮肉なものだよな。ヒュームと魔物の戦いが終わったら、今度は魔物同士で頻繁に争うようになった。ヒュームがいた時は協力し合っていたというのにな」

  

 「そう……なんですね」

 

 「ふむ。まぁ、俺の仲間達を襲っていたのがヒュームだろうと魔物だろうと何だっていい。何であろうと、必ず報いを受けさせる事には変わりないからな」

 

 そこで、レックスはグラスに入った葡萄酒を一気に飲み干した。

 そして、その場の全員に向かって言った。

 

 「お前ら。ヒミコを見つけ出せ。コピルとディロとモロク、アキロとアノドとカルタの仇かも知れん」

 

 その直後。

 びりびりと、空気が引き締まった。

 その場にいる魔物達が、無言でこくりと頷いた。

 同時に、その魔物達から放出されている闘志を、オランはひしひしと感じた。

 彼等の仲間を想う心と、固い決意を目の当たりにして、オランの背筋が凍った。

 ぞくりと、鳥肌が立った。

 身体が震え、汗が吹き出して来た。

 まずい、とオランは思った。

 まずい。

 逃げて。

 逃げて、ヒミコ。

 この恐竜の魔物達は、とてつもなく強いと思う。

 こいつらに見つかったら。

 きっと殺されてしまう。

 

 レックスが、視線を幹部席に移した。

 幹部席には、未だに単独行動が許されている実力者の7名が座っていた。

 ヴェロキラプトルの魔物、デノニク=ヴェロキラ。(男)

 ランフォリンクスの魔物(翼竜)、リンクス=ランフォリン。(女)

 ディモルフォドンの魔物(翼竜)、ディモン=ディモルフ。(男)

 コンプソグナトゥスの魔物、コンピ=コンピー。(男)

 ブラキオサウルスの魔物、ブラキオス=ブラキオーサ。(男)

 スピノサウルスの魔物、スピノピ=スピノス。(女)

 アロサウルスの魔物、アーロ=アロサ。(男)

 そして、本来ならここに、カルノタウルスの魔物、カルタ=カルノタ(男)が加わっていたのである。

 

 「デノニク、ディモン、コンピ、アーロ」

 

 「はい」

 

 レックスに名前を呼ばれた4名が、静かに立ち上がった。

 身体のサイズが、面白いぐらいに不揃いだった。

 ヴェロキララプトルの魔物、デノニクは身長169センチ。

 翼竜ディモルフォドンの魔物、ディモンの身長は155センチ。

 小型の恐竜コンプソグナトゥスの魔物であるコンピは、身長が50センチぐらいしか無い。

 オランよりも小さく、細かった。

 対して、大型肉食恐竜アロサウルスの魔物であるアーロは、身長が200センチ以上あった。

 このアーロも、先ほどのレックス同様に身体縮小化の魔法を使っていた。

 

 「お前たちが要となって捜索せよ。デノニクとコンピは自分の隊も連れて行け」

    

 「はい」 

 

 レックスに言われて、デノニクとコンピは2人同時に返事をした。

 

 「カルタでも倒せなかった相手だ。アーロ、いざとなったら本気を出せ。周りは気にするな」

 

 「はっ」

  

 アーロが頷いた。

 直後、レックスがテイラーに視線を移した。

 

 「そしてテイラー、お前が指揮を取れ」

 

 テイラーは一瞬、眼を丸くした。

 てっきり、いつものように子供扱いされて意地悪く留守番してろとでも言われると思っていたのである。

 

 「……ああ。ヒミコの物だと思われる布はまだあるからな。この匂いをたどる」

 

 テイラーが、穏やかな口調で応えた。

 ほんの僅かに笑みを浮かべていた。

 この父親が、自分に重要な仕事を指示してくれた事が素直に嬉しかった。

 ちらりとテイラーを見やったレックスは、幹部達に向き直って言った。

 

 「ヒミコを生け捕りにせよ。準備出来次第出発せい」

 

 「ぼ、僕も行って良いですか!」

 

 突然、オランが声を発した。

 全員がオランを見た。

 オラン自身が、1番驚いていた。

 気が付いたら、声が出ていた。

 ヒミコを助けないと。

 この恐竜達に殺される前に。

 そう思っていたら、叫んでしまったのである。

  

 「言うと思っていたぞ。オラン」

 

 「え?」 

 

 予想だにしない、レックスの言葉だった。

 

 「ヒミコを助けたいのだろう」

 

 「う……」

 

 オランは言葉に詰まった。

 どう切り返すのが正解なのか分からなかった。

  

 「お前は予測不可能な危険因子だ。お前を連れて行って仲間達を危険な目に合わせるわけにはいかない」

  

 「……」


 「お前が犯人ではないという事は分かる。本来なら今すぐにでも解放してやりたい所なんだが、いくつか疑問があるのだ。その疑問が晴れるまで、悪いがお前はこの宮殿に留まってもらう」

 

 「……!」 

 

 ごくりと、オランの喉が鳴った。

 一筋の汗が、頬を伝い落ちた。

 だ、だめだ。

 この怪獣に言われた通りにしないと、何をされるか分からない。

 でも、なんとかしなきゃ。

 このままだと、ヒミコが……。


 「ふむ。今いくつか聞いておくか。まず、お前はヒュームに嫌悪を抱かないのか?」

 

 「……え?」 

 

 「基本的に魔物は本能的にヒュームを嫌悪する。中にはそうでない者もいるがな」

  

 それは、ヒミコにも言われた事であった。

 自分が人間を守ろうとする理由。

 それは、シンゲン=モチダ達の魂が宿っているかららしい。

 しかし、それを言うのは得策では無いように思えた。

 それを知ったら、この恐竜の魔物達はどう出るのか分からない。

 

 「……わ、分かりません」

 

 「そうか。まぁ、お前も少数派という事にしておこう」

 

 「……」

 

 「それと、なぜお前は瞳の色がころころ変わるのだ? 赤い瞳の時は体術に優れ、青い瞳の時は高度な魔法が使えるそうだな?」

 

 「そ、それも……分かりません」

 

 「ラプトル隊から雷跳で逃げた時は、黄金のオーラが迸っていたそうだな。その時は瞳も黄金になっているのか? なぜモチダ一族の技をお前が使えるのだ?」

  

 「分かりません、あの時は無我夢中で……」

 

 「分からない事だらけだな。まぁいい。今、お前は魔法を使えるのか」

 

 「ほんのちょっと、基本的な事しか出来ません」

 

 「そうか。お前、戦いは好きか」

 

 「え?」

 

 唐突な質問に、オランはきょとんとした。

 

 「お前の瞳の色が変わるのは全て戦闘中みたいだな。戦いの興奮や精神の高揚で瞳の色が変わるのかも知れんな」

 

 「……」 

 

 「それとも……ふむ。ちょっと試してみるか」

 

 一瞬だけ、レックスを中心に、空気がぴりりと張り詰めた。

 その直後。

 

 「本能が危険を感じると瞳の色が変わるのか?」

 

 そう言った直後であった。

 どうっ、と、黒い突風が吹いた。

 レックスの全身から凄まじい殺気が解き放たれた。

 殺気の風であった。

 殺気が、明らかな風圧を伴って、その食堂内で暴風のように渦を巻いた。

 集まっていた幹部でさえ、本能的に一瞬で臨戦態勢に入ってしまった。

 ラプトル隊の中には、椅子から転げ落ちた者もいた。

 テイラーも、反射的に戦闘の構えを取っていた。

 今、レックスから噴出しているその殺気の風が、オランの内部に浸透した。

 

 そして、その時。

 オランの体内で爆発的な変化が起きた。

 殺気の風を全身に受けたオランは、身体の全細胞が高速で振動した。

 オランの身体の中、或いは精神の奥深く、深層とも言える場所で、まるでレックスの殺気が爆弾に火をつけたかのように、何かが爆発して燃え盛った。

 そして、意識よりも速く身体が動いていた。

 オランは後方に向かって跳躍して、幹部達の座っているテーブルの上に着地していた。

 

 地上最強の魔物から解き放たれた嵐のような殺気は、オランの全細胞と精神にかつてない程の危機感を感じさせていた。

 それが引き金となった。

 隠されていたオランの内なる扉がひとつ開いたのである。

 その扉の中には、邪悪な力が封印されていた。


 食堂に集まっていたレックス以外の魔物が、テーブルに立つオランを見て、本能的に恐怖を感じていた。

 オランの全身から、影のような、邪悪な黒紫のオーラが迸っていた。

 その暗い顔の中で。

 両の瞳が、紫色に輝いていた。

 紫色の炎が、禍々しく揺らめいているようだった。

 

 「これは……なんという……!」

 

 声を出したのはプテラだった。

 テーブルの上に佇む禍々しいオランを見ながら、汗が滝のように流れていた。 

 何だ。 

 何なのだ。

 これは。

 まるで巨大な化け物が目の前にいるかのような、圧倒的な存在感。

 なんと禍々しい。

 邪悪という言葉をそのまま具現化したかのようなこの闇は。

 何だ。 

 こいつは。

 

 すぐ間近でオランを眺めている幹部達が、驚愕に硬直していたのはほんの一瞬だった。

 全員が、動こうとした瞬間。

 

 「動くな、お前ら」

 

 静かに落ち着いた声で、レックスが言った。

 幹部達が、ぴたりと止まった。

 レックスは、座ったまま真っ直ぐにオランを見ていた。

 同時に、右の手の平を隣のテイラーに向けていた。

 今にも飛び出しそうなテイラーに向けた、動くな、という合図だった。

 そしてレックスは、静かに力強く、オランに語り掛けた。

 

 「オラン。お前今、意識はあるのか」

  

 オランは答えなかった。

 代わりに、身体から迸っている闇が、更に激しく迸った。

 両眼の紫色の炎のような輝きが更に激しくなり、最早、眼の正確な位置が分からなかった。

 ゆらりと、オランが動いた。

 眼の位置に灯っている紫色の光が、その動きに合わせて揺れた。

 ゆっくりと、オランはレックスに向かって歩き始めた。

 リンクスの顔の前を、変貌したオランが通り過ぎて行った。

 リンクスはごくりと喉を鳴らした。

 汗が、滴となって垂れた。 

 

 「そうだ。お前の相手は俺だ。俺だけ見ろ」

 

 レックスに言われるままに、ゆらゆらと、幽鬼のようにオランはテーブルの上を歩いた。

 そして、テーブルの縁に辿り着いた。

 ぴたりと、オランが止まった。

  

 「そこから降りるんだ」

 

 レックスが静かに言うと、オランがテーブルからすとんと降りた。

 床に着地すると同時に。

 オランの身体の周囲に、ばちっ、ばちっ、と静電気のようなものが流れ始めた。

 やがてそれが、バチバチバチと派手な破裂音になって、オランの周囲を紫色の小さな稲妻が飛び回った。

 オランが、紫色の電気を帯電しているかのようであった。

 双眸に輝いている紫の炎が、真っ直ぐにレックスを見据えていた。

 ゆらり、ゆらりと、更にオランはレックスに近付いて行った。

 そして、レックスから2メートルほど離れた位置に到達して、オランは止まった。

 レックスは椅子に座ったままだった。

 誰も言葉を発しなかった。

 食堂内が、しんと静まり返っていた。

 全員が、息を飲んで、その光景を見つめていた。

 そして。 

 

 来る。

 レックスがそう直感した時。

 オランは床を蹴って、レックスに飛び掛かっていた。

 紫色のオーラが、その軌道に合わせて尾を引いた。

 直後。 

 ドギャッ。

 という音が、無音の食堂内に響き渡った。

 次の瞬間には、オランの身体が弾丸のような速度で弾かれたように後方に吹き飛んでいた。

 そして、以前テイラーが蹴り開けた扉に衝突した。

 衝突した瞬間。

 その扉が派手に壊れて、オランの身体が廊下に飛び出た。

 廊下を、10メートル程ごろごろと転がって、曲がり角の壁に衝突して、ようやくオランは止まった。

 先程まで迸っていた紫のオーラと、双眸の紫の炎が消えていた。

 オランは静かに目を閉じて、失神していた。

 額が腫れて、血が出ていた。

 そこから、しゅうぅと湯気が立ち昇っていた。

 

 「おわっ!?」 

 「な、なんだ!?」 

 

 廊下から、驚きの声が響き渡った。

 レックスの殺気を感じた魔物達が、何事かと食堂を目指して集まって来ていたのである。

 

 テイラーは、ごくりと息を飲んだ。

 すぐ真横で見ていた。

 オランが飛び掛かった瞬間、父親は、座ったままで右手の人差し指を、ピンと弾いたのだ。

 その人差し指は、見事にオランの額のど真ん中を撃ち抜いていた。

 あの禍々しいオランを迎撃し、そして止めたのは、ただのデコピンだったのである。

 

 しばらくして、止まっていた時が動き出したかのように、食堂内の魔物達が動き、ざわつき始めた。

 

 「レ、レックス様……」

 

 プテラが汗を拭いながら、主君を見た。

 

 「う〜む。悪い。やっちまったかも知れん」

 

 レックスが、太い指で頭をぽりぽりとかきながら言った。 

 

 「え? どういう」

 

 プテラが言い終わらないうちに、どたどたと食堂内に入ってくる魔物がいた。

 

 「王! これはいったい!?」

 

 騒がしく入って来たのは、パキケファロサウルスの魔物、パキオだった。

 両腕に、失神したオランを抱き抱えていた。

 

 「うわっ!? お、おい! パキオさん! 危ねぇぞ!」

 「今すぐそいつから離れろ!」

 

 1番近くにいたラプトルの魔物達が、びっくりした様子で後退りしながら叫んだ。

 

 「え!?」 

 

 パキオがラプトルの魔物達の方を見た。

 

 「なに!? 何だってんだ!」 

 

 パキオはオランを抱き抱えながら一歩踏み込んだ。

 

 「ひぃっ」 

 「く、来るなっ!」 

 

 近くにいたラプトルの魔物達が、怯えて躓いて転んだ。

 食堂内が、ざわざわと騒々しくなった。

 その時。

 

 「うるせえ!」

 

 レックスの大気を震わす怒鳴り声が、食堂内に響き渡った。

 途端に、その場がしんと静まりかえった。

 

 「パキオ、そいつをここまで運んで来てくれ」

 

 レックスが静かに言うと、パキオは真っ直ぐに歩いて進んだ。

 そしてレックスの前まで来ると、ゆっくりとオランを床に置いた。

 オランは完全に気を失っていた。

 

 「王、何があったんですかい? あなたの殺気は、王妃様の部屋まで届きやした。ティコ様が泣き止みませんぞ」

 

 パキオが、レックスを見上げながら言った。

  

 「すまん。迂闊だった。こんな事になるとは。俺が当てた殺気が強過ぎた」

 

 レックスは、頬をぽりぽりとかきながら、食堂内にいる全員に謝罪していた。

 

 「俺がもっと加減していれば、こうはならなかったと思う。おそらく、俺の殺気が強過ぎて、オランの内部に眠る何かを目覚めさせちまったんだ」

  

 「え? な、何かというのは……」

 

 プテラが、汗を拭いながら言った。

 その後、レックスは一瞬迷ったような素振りを見せたが、言った。


 「俺は昔、魔邪羅(まじゃら)を見た事がある。さっきのオランは、あれに似ていた」

 

 「なっ!」 

 「えぇ!」 

 「何ですと!?」


 魔物達が、口々に驚愕の声を上げた。

 騒々しい食堂の中で、オランだけが、静かに床に寝転がっていた。

 パキオは、足下に眠るこの子供を、困惑の表情で見下ろしていた。

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